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言霊使いの木曜会  作者: 安芸咲良
彼岸過迄
9/10

 通された居間で、あんりちゃんはクーラーのスイッチを入れた。つけっぱなしだった扇風機の風が、冷気を部屋に循環させていく。

「あ、カゼじゃないから心配しないでね。麦茶どうぞ」

「ありがとー」

 あんりちゃんは自分の分も麦茶をテーブルに置いて、畳の上に座った。

 洗濯物を取り込んでいる途中だったようだ。庭に面している窓際に、ハンガーやたたみかけのタオルが放り出されている。

「ごめんね、散らかっていて」

「ううん。ご両親、留守なの?」

 その言葉にあんりちゃんは表情を曇らせた。

「実は、妹が入院中で……。親は妹に付きっきりだから、私が家事とかしていたの。今日は私も病院に行ったから課外授業はお休みして……」

 あたしは言葉を失った。

 入院って、付きっきりって、そんなに深刻な状況なんだろうか。課外授業とはいえ学校を休んでまで病院に行くなんてよっぽどだ。

「妹さん、良くないの?」

 なにも言えずにいたあたしを見かねて、ほのこが聞いてくれた。

 あんりちゃんは言いよどんでいる。

「移植が……必要なの」

 今度こそあたしたちは息を呑んだ。

 あんりちゃんの妹はまだ幼稚園生だと聞いている。小さい子だとドナーを探すのも大変なんじゃないだろうか。

「そっか……。言ってくれてありがとう。言いにくかったよね」

 あたしはあんりちゃんの手を握った。あんりちゃんの手は氷のように冷たくなってしまっている。

 きっと不安だっただろう。

 うちはお父さんもお母さんも元気だし、あたしにいたってはカゼ知らずだ。(決してバカだというわけではない。)

 だからあんりちゃんの苦しみを心の底から分かってあげられるなんてことはないのだけれど、友達なのだ。少しでも力になってあげたい。

「あたしたちにできることがあったら、なんでも言ってね。頼りないかもしれないけど……」

 あたしの言葉に、あんりちゃんは首を振った。

「ううん、そう言ってくれただけでも嬉しいよ。……じゃあ一つお願いしちゃおうかな」

「なあに?」

「今、文化祭の準備しているでしょ? うちの班の本、私のだったんだけど、ロッカーに入れっぱなしにしちゃっているの。絵があんなことになっちゃったし、本が必要だろうから班の子たちに渡してほしいなって。これ、カギ」

 そう言ってあんりちゃんは壁際に置いていたリュックからキーホルダーのついたカギを取り出すと、あたしに渡した。

「貴重品は入れていないから、勝手にロッカー開けちゃっていいよ。悪いけど、お願いしてもいい? 明日も病院に行かないといけないから」

 悪いなんて。

「もちろん!」

 願ったり叶ったりだ。


   *


 あんりちゃんの家を出る頃には、もう夕日は西に沈んでいた。

「みちる、今から学校に戻るの?」

「うん。今ならまだ資料館も開いているだろうし。ほのこはどうする? 先に帰っておく?」

「一緒に行くに決まっているでしょ」

 当然のようにほのこは言う。ほのこのそういうとこ、好きだよ。


 暗闇に包まれつつある校舎は、ひと気がなかった。夏休みな上に、もう閉まる時間なのだ。先生に見つかったら早く帰れって言われるかもしれない。急がなきゃ。

「ねぇほのこ、なんか寒くない?」

 誰もいない廊下は、なんだかひんやりとしていた。なんだろう、移動教室のときにクーラーをつけっぱなしにしておいて、帰ってきたときの冷気みたいな。でもうちの学校には廊下にクーラーはついていない。日が暮れたとはいえこんなに寒いのはおかしい。

「そう? 私は暑いくらいだけど」

 あれ、そうなの? 寒いのはあたしだけ? カゼみたいに寒いんだけど……。

「もしかして、言霊のせいとか」

 言われてあたしははっとする。あたしだけが感じているなんて、確かにそうかもしれない。

「急ごう。本の状態が気になる」

 あたしたちは足早になる。

 辿り着いた教室は、普段とまるで違った。ドアの隙間から黒いもやが染み出している。

「ほのこ、これ見える?」

「いや。だけどなんだか悪寒がするわ」

 完全に言霊のせいだな。ほのこも感じるなんて相当だ。

 あたしはごくりと唾を飲んで、ドアに手を掛けた。

「行くよ」

 がらりとドアを開けると、教室の中は黒いもやが床一面に広がっていた。うわぁ、これ大丈夫かなぁ……。

「どう?」

「だめ。一面もやだらけ」

「発生源はやっぱりロッカー?」

 あたしは後ろのロッカーを見やった。

 ほのこの言うとおり、もやはあんりちゃんのロッカーから染み出しているようだ。あそこまで行かなければ。

 あたしはそっと足を踏み出す。

「影響は……なさそうかな?」

 もやは煙のように触れても感覚はない。机の間を抜けて、あたしはロッカーの前に立った。ほのこからカギを受け取って、かちゃりとカギを回す。

「みちる、大丈夫?」

「どうだろう……。なんかあったらよろしくね」

「フラグ立てるのやめなさい」

 あ、しまった。まぁもう遅い。仕方がないよね。

 あたしはロッカーに手を掛けて、力を入れた。

「わっ!!」

 ロッカーの中から勢いよくもやが吹き出した。あたしはそれに飲み込まれる。

 あぁ、フラグ回収です……。

 あたしはそのまま気を失った。


   *


 あたしは電車に乗っていた。なんだか古めかしい車体だな。

 周りを見回して、あれっと思った。乗っている人たちの服装も、時代を感じさせるものだったのだ。明治とか大正とか、そんな感じ。

 あれっ? あたし教室にいなかったっけ?

 そうだ、言霊のもやに飲み込まれたんだ。ここはどこだろう? 本の中とか?

 あんりちゃんたちの班の本は、『彼岸過迄』だった。ここはたぶん、主人公が友人の叔父に頼まれてある男の尾行を始める場面だ。あかりちゃんの班は、この場面を絵にしようとしていた。

「あれ?」

 ふと気がつくと電車は止まっていて、シートがベッドに変わっていた。病院にあるような鉄柵の白いベッドだ。

 そこには小さな女の子が横たわっている。幼稚園生くらいかな。その目はしっかりと閉じられていて、起きる気配はなさそうだ。

 ぎくりとしたのは、その子はたくさんの管に繋がれていたことだ。傍らには心電図の機械が置かれていて、規則正しく電子音を奏でている。

 もしかして。

「あ……」

 いつの間にか、ベッドサイドには人が立っていた。眠り続ける女の子の頭を優しく撫でている。……あんりちゃんだ。

 これはきっと、あんりちゃんの記憶だ。入院しているあんりちゃんの妹。その病室を見舞っているところだろう。

 『彼岸過迄』の登場人物の一人は、娘が病気で亡くなってしまう。これは夏目先生が自分の境遇に重ねていたとも言われていて、実際に夏目先生の娘も病気で亡くなっている。

 あんりちゃんはその姿に自分を重ねてしまったんじゃないだろうか。あんりちゃんの妹はドナーが必要だと言っていた。気丈に振る舞っていたけれど、心の底ではどう思っていたんだろう。死の恐怖というものは、きっと直面してみなければ分からない。

 だからあたしの言葉なんて、届かないかもしれないけれど。

「あんりちゃん、つらい気持ちは吐き出して? 溜め込んだらきっとだめになる。弱音を吐くのは悪いことじゃないよ」

 話しかけるけれど、あんりちゃんは反応しない。聞こえていないんだろうか……? もしかしたらあたしはここでは干渉できないのかもしれない。

 そのとき、風景が歪み出した。ベッドの端から光の粒になって消えていこうとしている。

「あんりちゃん!」

 あたしは必死になって叫んだ。どうか届いて。力になりたいと思う気持ちはほんとなの。

 あんりちゃんの姿はどんどん光になって消えていく。あたしも指先から消えていこうとしていた。

 どうなるんだろう。あたしはぎゅっと目を瞑った。

『みちる!』

 名前を呼ばれた気がした。


   *


「おい! しっかりしろ!」

 気がつくと、見慣れた教室の天井が目に入った。戻ってこれた?

「大丈夫か!?」

 あたしを覗き込んで問い掛けてくるのは……先生? えっ、あたし先生に抱き抱えられている!? どういう状況!?

「おい、喋れるか?」

「あっ、はい! 大丈夫です!」

 とりあえず近すぎて心臓が大丈夫じゃないです!

 あたしは辺りを見回した。

 相変わらずロッカーはもやで覆われているけれど、床は綺麗になっている。廊下側の窓からはほのこと航が覗き込んでいて、ほのこが先生を呼んでくれたんだと気がついた。

「無事で良かった……」

 そう言って先生はあたしを抱き締める。

 えっ、なにこの状況!? 先生どうしちゃったの!?

 あたしの混乱を余所に、先生は立ち上がるとあたしの手を取って引っ張り起こした。

「まだ言いたいことはあるけど、とりあえずは先にこっちだな。吉崎さん」

 先生は覗いていたほのこに声をかけた。ドアが開いて、一人入ってくる。

「あんりちゃん……」

 言霊は本人がいないと封じられない。ほのこか航があんりちゃんを呼んできてくれたんだろう。

「やっぱり自分で取りにいこうって家を出たら、吉崎さんから連絡があったの。あの、これは……」

 あんりちゃん、このもやが見えているみたいだ。

 あたしは先生を見上げる。先生が頷いたから、あたしは口を開く。

「あのね、苦しいときは苦しいって言っていいと思うの。苦しんでいる人が傍にいるからって、自分のつらさが軽くなるわけじゃないし、溜め込んでいたら潰れちゃう……」

 目の前に立つあんりちゃんの手を、あたしはぎゅっと握った。今度はちゃんと届いているはず。指先から伝わる体温がそれを感じさせる。

「わた、し……。誰もいない家に帰るのが怖いの。次の瞬間に電話が鳴って、『妹が危篤です』って言われたらどうしようって……。お父さんかお母さんが家にいてくれたらって。でもそれって妹より自分を大切にしているみたいで嫌なの……! 妹の方が大変なのに」

 あんりちゃんの手は震えていた。あたしは黙って聞いていることしかできない。

 お願い、どうかあたしに言霊を落ち着かせる力があるのなら、どうかあんりちゃんの心を少しでも軽くして。

「お前はどうしたい」

 静かな声が響いた。

 先生はあんりちゃんを真っ直ぐに見て問い掛ける。

 最初はぶっきらぼうな声だと思った。突き放すようにも聞こえる言葉は、言霊を嫌っているようだと。

 だけど本当は、誰よりも言霊を生み出してしまった人たちを助けたいと思っている。言霊に苦しめられた先生だからこそ、同じようにつらい想いをしている人たちを救いたいと。

「……妹の病気が治ってほしい。そしてまた、前みたいに家族四人で暮らしたい」

 先生は薄く笑みを浮かべた。そしてあの本をロッカーに掲げる。

「惑い迷いし言霊よ、在るべき場所へと戻りたまえ」

 先生が唱えると、もやが白い光に包まれていく。やがてそれは消えていった。

「妹の病気が完治しない限り、またこうなってしまう可能性もなくはないが、そのときはこいつにでも愚痴れ。それは悪いことじゃない」

 ほら、やっぱりぶっきらぼうだけど優しい。あんりちゃんは静かに涙を流した。

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