尻子玉よ、ああいずこ。
3作目となります。
感想や評価などいただければとても喜びます。
早くも小説を書く楽しさと難しさを実感中です。
尻子玉。
わしら河童は、人間からそれを奪うことで立派なおとなと認められた。
と、お父は言っちょったが、尻子玉って何なんじゃろか。
名前からして尻についちょるんじゃろうが、そんなもの見たことありゃあせん。
そもそも人間って何なんじゃろか。
獣か鳥か、魚か虫か。もしかして植物なんてこともあるのかの。
お父に聞いてみても、お父も知らんと言う。
村の言い伝えに「尻子玉」も「人間」も出てくるのじゃが、お父のお父のそのまたお父の、ずっとずーっと昔の話らしい。
じゃから別に尻子玉なんぞ奪わんくとも、わしらは齢十四にもなれば立派なおとなの河童じゃ。一匹前の河童じゃ。
わしももう十三歳。
あと半年もすれば成体の祝いの日なのじゃが、さて、しかし困ったことがある。
「お父、何でわしは水にあまり潜れんのじゃろか」
他の皆は日が昇って沈むぐらいまでは池に潜れるのに、わしは百も数えんうちに苦しゅうなってしまう。
「子供だからじゃろう。おとなになれば自然と潜れるかもしれん」
お父は言うが、わしより小さい子でも成体と変わらんぐらいに潜っちょるしなあ。
「お父、何でわしには水かきやクチバシが無いんじゃろか」
おかげで泳ぎにくいし、魚やキュウリも呑みづらい。不便で不便で仕方がないわい。そのせいで年下の悪ガキにからかわれる。そのたびに蹴飛ばしちょるが。
「さあのう。そん代わり、指は俺らより一本多くて五本じゃし、クチバシはないが獣のように歯がついちょる。無い分と合わせてどっこいどっこいじゃろ。問題あるまい」
そういうものかのう。確かにこれはこれで便利に使えるのじゃが。
「お父、何でわしには背中の甲羅が無いし頭の皿も無いし、肌の色も緑と違うんじゃろか」
特別困ってはおらんが、このことで同じ年頃のやつからは笑われたり馬鹿にされる。そのたびにそいつを殴り飛ばしたり近くの木に逆さ吊りにしたりしちょるが。
「ええと、甲羅や皿なんぞ無くとも死にゃあせんし、肌はあれじゃ、キュウリをあんまり喰わんからじゃろ。もっとキュウリ喰え、キュウリ。そうすりゃ、おとなになれば肌も緑になって、ついでに水かきもクチバシも皿も生えてくるじゃろうて、多分。」
お父は一生懸命、わしの悩みを聞いてくれるし答えてくれるのじゃが、どうにも適当なところがある。キュウリなら他の河童の倍近く食べとるわい。正直なところお父も、わしが他の河童とちょいと違うたり、どうすればそれが治るのか分からんのじゃろう。
それでも、血の繋がりもないわしを、捨て子じゃったわしを拾って大事に育ててくれた大好きなお父じゃ。
立派なおとなに、一匹前になって、お父を安心させてあげたい。
そのためには皆と同じように皿とか欲しかったのじゃが、お父や他のおとな河童に聞いても方法が分からん。
念のために同じ年頃のやつにも聞いてみたが、性懲りもなく笑ってきたので頭の皿を石で叩き割ってやった。
成体の祝いの日まであと半年。
こんな体じゃあ、十四歳になってもおとなと言えやあせん。
ならば、方法は一つしかあるまいて。
尻子玉。
それさえ手に入れりゃあ、体がどうだろうと一匹前じゃ。今や村の誰も分からんし、持っちょらん尻子玉。尻子玉を人間から奪ってこれれば、文句の一つも出やせんじゃろ。
と、そう思い村を出て、離れるように山の中を歩いて来たものの、はてさて、どうすればええんじゃろか。
尻子玉が何なのか、そもそも人間が何なのかも分かっておらん。
あれこれ村の年寄り連中に聞いたりもしたのじゃが、尻子玉を取られた人間はふぬけになるらしい、人間はわしらと全然違う姿をしているらしいなど、結局のところ尻子玉や人間について具体的にはさっぱりじゃ。
そこらの動物の尻を適当にまさぐってみようか。じゃが今までどの獣や鳥や魚や虫の尻を見ても玉なんぞ無かったしのう。獣の雄なら玉袋があったが、ありゃ違うじゃろうし。
そういやわしにも無いのう、玉袋。ということはわしは雌ということか。
しかし雄と雌というのは玉袋の有る無し以外に何か違うんじゃろか。
うむう、尻子玉に玉袋、世の中分からん玉だらけじゃ。
むむむ、しかし本当にどうするかの。
村の池から川沿いに歩いて来ておるし、帰る分には困らんが、何の成果も無く戻るというのは嫌じゃ。また同じ年頃のやつに馬鹿にされかねん。そしたら今度はあいつの玉袋をむしり取ってやろうか。
「む?」
今、向こうの木々の間で何か動いた。
一瞬しか見えんかったが、二本の脚で歩いておったようだし、猿の類かの。
いや、甲羅の様なものも背中に見えた。
ということは河童か。しかしこんな村から離れたところに居るとは珍しいのう。
もしかして、わしと同じように尻子玉を探しとるんじゃろうか?
「おーい、おーい、そこの河童よ。ちょいと話を聞かせてくれんか」
尻子玉について何か知っておるかもしれん。もしかしたら、既に手に入れておるかもしれん。どちらにせよ話を聞いてみんことには始まらん。
わしの呼びかけに気づいたようで、あちらさんもこっちに向かってきておる。
おお、やはり河童のようじゃ。
わざわざ二本の脚で走るのは河童ぐらいのものじゃて。それに背中には甲羅を背負っちょるし、体も緑じゃ。うむ、間違いなく河童じゃ。
「お主や、お主も尻子玉を……」
「た、助かりました!」
む?
近くに来てくれたから改めて尻子玉について聞こうと思ったのじゃが、あちらさんが先に何か言い始めよった。
「山登りに来たのですが仲間とはぐれてしまい道にも迷って、あなたも山登り……って何で裸なんですか!? ああいや、まあそれよりも、もし分かるのなら登山道を教えていただきたいのですが、それか山を降りるにはどうすれば……。あと何か食べる物を持ってはいないでしょうか。図々しいかもしれませんが丸二日ろくに食べてなくて……」
突然やかましいのう。まるで九死に一生を得たかのように騒ぎおって。
言っちょることもよく分からんし、そもそもこいつ、本当に河童かの?
甲羅かと思った背中のそれは、何か荷物を入れるための背負い袋のようじゃし、体が緑に見えたのも、単に緑色の布切れで体を覆っているだけのようじゃ。
緑の布切れから覗いて見える肌は、全く緑色とは程遠い。
甲羅も偽物、水かきやクチバシも、頭の皿もない。
こんなの河童なわけがありゃせんじゃろう。
あ、そういえばわしも無かったのう、甲羅とか。
おお、じゃあこいつもわしと似たような河童か。
「ええと、あの、道か食べ物を……。それか他に誰か人はいらっしゃいませんか?」
いまいちこの河童の言葉は聞き取りづらいんじゃが、「人」、つまりは人間を探しておるようじゃの。うむ、やはり尻子玉を探し求めておるようじゃの。わしと同じように、他の河童とは違う体が気になって仕方ないんじゃろ。じゃから尻子玉を人間から奪って一匹前になりたいというわけじゃ。分かる、分かるぞその気持ち。
「はっはっは! 安心してよいぞお主。わしもお主と同じじゃ。尻子玉を、人間を探しておる途中なのじゃ。うむうむ、似た境遇の者はやはり居るものなのじゃな。ほれ、この出会いを祝してキュウリでも喰おうぞ!」
あちらさんも、わしと同じように上手く言葉を聞き取れていないようじゃが、わしが弁当に持ってきていたキュウリを渡してやると、実に美味そうに、涙まで流して喰い始めた。
やはり河童じゃのう、キュウリをこよなく愛するのは万国共通のようじゃ。
さて、どうするかの。
未だ尻子玉や人間については分からんが、こうして同類に会えただけでも収穫じゃ。今日のところは村に帰って一休みしようかの。闇雲に歩いたところで人間がそこらに居るわけでもなさそうじゃしなあ。
「お主や、よければわしらの村に来んか。人間探しの旅で疲れとるじゃろ。一晩ゆっくり休んで、明日から一緒に尻子玉を求めて動こうぞ」
あちらさんがキュウリを喰い終えたところで、身振り手振りを交えながらそう言ってやると、どうやら理解してくれたようじゃ。
村の方へ、川の上流に向けて引き返すわしにきちんと着いて来ておる。
「何でそんな変な布切れで体を覆っとるんじゃ? 肌の色が気になるのは分かるが、それじゃと泳ぎづらかろうに」
「な、何で裸なんですか? よければ僕の服を差し上げますけど、だ、大丈夫なんですかね?」
「もうすぐわしらの村じゃぞ。皆にはちゃんと紹介してやるからの。客が来るのはこれが初めてじゃからどうなるか分からんが、なに多分大丈夫じゃから安心せい」
「こっちに人が居るんですよね? いや本当助かりました。ありがとうございます。熊とかに襲われたらと思うと気が気じゃなくて。今度また改めてきちんとお礼をさせてください。」
あちらもこちらも互いの言葉のほとんどが聞き取れておらんが、わしとしては同類に出会えただけで嬉しいし、あちらさんも同じ気持ちのようで、会話ができるということ自体を喜んでおるようじゃ。
む?
なにやら声が聞こえる。
「おーい、おーい、無事に帰って来れたんかー」
そう大声を出しながら、手を振りこちらに走って向かってくるのは他でもない、わしのお父じゃ。
「突然村を出て何処かに行ってしまって心配したぞ。もう日も沈みかけておるし、気になってこうして迎えに出てしもうた。いや、無事に帰ってこれたのならばそれで良い」
やはり言伝も書置きもなく村を出たのはまずかったかの。でもこうして心配してもらえるのは嬉しいものじゃのう。ふふふ、今日は嬉しいことだらけじゃ。
「お父、お父、聞いとくれ! わしは今日尻子玉探しに出歩いたんじゃがな、そんで結局は尻子玉も人間も見つからなかったんじゃがな、でもなでもな! そん代わりにわしと似たやつに出会えたんじゃ! ほれ!」
お父に早速、今日の一番の収穫である河童を紹介しなくては。
む、そう言えば名前も何も聞いてなかったの。すまんが自分で名乗ってくれんか。
と、言おうと思い振り返ってみたのだが。
「……」
何故だかこやつ、目を見開いて固まってしまっておる。
「む? どうしたお主や。むむ? 血の気がひいて肌がわずかだが青くなり緑に近づいておるではないか。ずるいぞお主だけ! わしにもやり方を教えんか!」
むむ、反応がない。何故かお父のことを凝視して、青ざめて、体を震わせておるだけだ。
「客か? この辺では見ない顔だし、遠くから来たようだな。それで疲れたのだろう。安心せい。今、お前のことを心配して探していた他の河童も戻ってくるからな。そしたらこの河童を村に運んでもらって介抱してやればよい」
「おお、お父、恩にきる! 良かったなお主、すぐ皆が来てくれるからな。……お、噂をすればというやつじゃ」
村の方から、十匹ほど手を振りながら走って向かってくる。お父と同じように心配して迎えに来てくれたようじゃ。
土の上を走るのではなく、川の流れに乗って泳いでくるのも十五匹ほど。わしが溺れたとでも思ったんじゃろか。河童のわしが溺れるわけなかろうに。
そこらの木々の間からも、かき分けかき分け出てくるのが三十匹ほど。わざわざ山の中を探してくれちょったんじゃろか。普段わしを馬鹿にしてくる同じ年頃のやつの姿も見える。この前は皿を割ってすまんかったの。
後から後から、さらには五十匹ほど終いにはやってきおった。皆、暇なんじゃろか。
「お主や、これが村の河童たちじゃ。とは言っても全員じゃないがの、一割ぐらいじゃ。ほら、いつまでも震えてないで挨拶せい」
村の河童たちを見て、この河童はますます青ざめて震えよる。なんなんじゃこやつは、どうしたというんじゃ。
村の河童たちも不思議そうにこの河童を見ている。何匹かが心配して、体の調子でも悪いのかと確かめようとして近づいたのじゃが――。
「かっ……かっ……かっぱっぱぱぱかっぱぱっぱかっぱぱぱ…………ひぃいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
突然、恐怖以外の何物でもない叫び声とともに、一目散に村から、いやわしらから逃げるように走り去ってしもうた。
残されたわしらは呆気にとられ、ただその何度も転びそうになりながら必死の形相で走る背中を、見送るほかなかった。
「な、なんだあいつは、急に怯えたように逃げてしまったぞ」
村の河童の一匹が言う。他の河童たちも困惑し、何が何やら分からないといった感じじゃ。
「おかしいのう、出会ったときは別段変な様子ではなかったんじゃが」
それに出会ってから今までも、何も特別おかしいことなどなかったしのう。出会いに喜んで、村まで楽しく一緒に歩いてきて、そんでお父らが迎えに来てくれただけじゃ。うむ、何も怯えたり恐怖するようなことはありゃあせん。
む? 急に怯えるようになる、臆病者に、腰抜けに、ふぬけになる……。
まさか、あやつ、尻子玉を奪われたというのか!? じゃから突然ふぬけになったのか!?
いや、でもあやつは河童であって人間ではない。
むむむ、いやしかし、尻子玉を取られた人間がふぬけになるとは聞いておったが、尻子玉を取られた河童がふぬけにならないとは聞いてないの。
そもそも、尻子玉とは「人間から奪う物」と思っておったが、「人間しか持っていない物」とは誰も言っておらんかったのう。
そうか、尻子玉はわしら河童も持っておる物じゃったか。
うむう、しまったな、同じ村の河童から奪うわけにはいかぬが、外からの客ならばと思った不逞な河童がおったのか。
あの河童には悪いことをしてしまったのう。
仕方ない。わしにも責任の一端はある。どうにかあの河童の尻子玉を取り戻してやろうかの。
その実績があれば、それで一匹前の河童として認めてもらえるかもしれん。
尻子玉よ、そしてそれを奪った河童よ、待っておれ。今に探し出してくれようぞ。
あれから三年ほど経ったが、未だに尻子玉は見つからん。
成体の祝いの日も迎えて、わしもおとなになったが、結局未だに皿もクチバシも甲羅も水かきもなく、肌の色は緑とは違い、水に潜るのもせいぜい千数えるのが精いっぱい。
背丈は伸びたが、何故か無駄に胸や尻が大きくなったりもした。
「尻子玉、何処にあるのかのう」
成体になった今では、他の河童との体の違いを特別気にするような幼稚な考えからは卒業したが、尻子玉を手に入れたいという思いは変わらぬ。
むしろ、あれから日増しに強くなっておる気すらする。
何故じゃろうかと自問自答するも、答えの出ない毎日を過ごしておる。
尻子玉を手に入れて、あのときの河童に返してやる、そのために尻子玉を手に入れたい。ただそれだけの簡単な話なのじゃが、どうにも、あの河童に会いたいという気持ちこそが本物のような気もするのだ。
その、あの河童に会いたいという気持ち。これの正体が一向に分からぬ。
はてさて、どういうことなのかのう。
「おい、お前本当に変わったよなあ。昔はあんなに乱暴者だったのに」
同じ年頃の河童が、ふと話しかけてくる。こやつもまた立派な成体へとなったが、皿のひび割れは治らなかったようだ。割ったのはわしじゃが。
「お主こそ、昔は下らぬちょっかいをわしにかけてきただろうに、すっかりおとなしくなってしまったではないか」
「う、まあ、それはアレだ、こう、気になる奴には何かしらしたくなるのが雄というものでだな」
ふむう、わしもこやつも、本当におとなしくなったのう。成体になるとはこういうことなのじゃろうか。いや、お父やその悪友たちは今でも元気に他の村からキュウリを強奪しておるな。
ならばなぜ、わしらはこんなにおとなしく、ふぬけたように……。
む? ふぬけ?
「しまった!」
しまった、本当にしまった。
尻子玉が一向に見つからんことと、あの河童に会えないことばかり考えておったが、あのとき尻子玉を奪った河童は村の中にいるのだ。
余所者とはいえ同じ河童の尻子玉を奪う悪河童じゃ。同じ村の河童からも奪おうと思うようになるのも十分に考えられる。
わしも、こやつも、いつの間にやら尻子玉を奪われておったのか!
むむむ、許さぬ、許さぬぞ。
必ず尻子玉を奪い返し、天誅を下してやろうぞ。待っておれ。
尻子玉よ、ああいずこ。
読んでくださった方、本当にありがとうございます。
暗い話ばかり書いてたので明るい話にしようとしたら予想以上に難しかったです。
今後とも頑張っていきたいと思います。