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同じ目線で。

作者: サカタ

一度、連作として途中まで掲載しましたが、

すべて一話でまとめてしまった方が落ち着く気がしたので、再度投稿し直しました。(以前目にとめて下さっていた方、すみません;)


      □


「あなたの長所は背が高いことね」というのは、彼女の口癖だった。

 こちらに細っこい腕を伸ばしてきては、頭に届かずに肩にちょこんと触れる。それからやんわりと微笑み、自ら車輪を掴んでゆっくりとどこかへ行こうとする。


 そんな彼女に追いつくのは、草花を踏みつけるよりも容易いことだ。僕は彼女の背後に回り、彼女の乗る車椅子を押していく。病室に戻るのだ。「ありがとう」と、彼女は息を吐くように呟く。僕たちは草花を踏まないようにして、中庭をあとにする。



 おそらくは中学にあがったばかりの頃だろう。突然、父親に見知らぬ病院の見知らぬ病室に案内され、見知らぬ少女を紹介された。それが、彼女だった。血が通っていないような、青白い顔をしており、漆黒の髪が肩の辺りで美しく切り揃えられていたのが印象的だった。

 父親は僕に、彼女と仲良くするようにと言った。彼女のいる目の前で、これから毎日彼女のもとを訪れるようにと約束させた。僕は意味がわからず、呆けていた。彼女は今よりもずっと大人しく、感情のない人形のように、ベッドに横たわっていた。黄色い液体の入ったボトルが、管を通して彼女の腕へと繋がっていた。視線が合うと、彼女は僅かに表情を崩した。苦しいのか、引き攣ったような笑みだった。もしかしたら、彼女は笑い方を忘れていたのではないだろうかと、僕は思ったりした。


 僕は、父親の言いつけを守った。友達の誘いを断り、部活にも参加せずに、学校が終わると早々に彼女のいる病院へと足を運んだ。彼女は決まって、ベッドに横たわっていたし、数えるくらいしか口を開かなかった。


「ごめんね」というのが、彼女が発した一番最初の言葉だった。

「何が?」と、問いかけることは酷だと思った。僕たちは、おそらく大人の事情というやつで、ここに一緒にいるのだ。そんな風なことを述べると、彼女は再び「ごめんね」と言った。声が上擦っていた。


 それ以上、僕が言えるようなことは何もなかった。僕はひどく子供だったし、彼女が抱えているのは、新月の闇夜よりも深いものなのだと、心のどこかで察していた。僕は彼女の側に腰掛け、時折管の繋がった手を温めるようにして握った。そうすることしか、思いつかなかった。彼女の手は、恐ろしいほど冷たかった。



 どれだけ親しい友人よりも、いっそ家族よりも長い時間を、彼女と共に過ごした。それはまるで、季節折々がみせる、細かな情景のようだった。目を閉じれば眠ってしまいそうなほどの、穏やかな春の陽気があれば、突風の吹く、激しい嵐の日もあった。大自然に対して、僕たちが抗えないのと同じように、彼女のもつ彼女の一部分にも、抗う術はないようだった。


「もうね、良いのよ」


 いつの頃からか、彼女はそんなことばかりを言うようになった。何か良いのかということを、僕はたびたび尋ねるのだが、彼女は断固としてそれに答えようとはしない。


「例えば、長所や短所って、表裏一体だって話をよく聞くじゃない? あなたのその背の高さだって、わたしから見れば長所だけれど、あなたにとったら短所に思えるときもあるでしょう」


 僕は、自分の背がさほど高くないことを知っている。標準的な成人男性のそれよりも、僅かに低いくらいだ。それでも、僕は「そうだね」と返答する。

「そうだね、そんなときもある」


 彼女は満足そうである。「だったら、わたしのこれだって、どこかに良い面が隠れてるんじゃないかって思うわけ」

 ベッドの上に上半身を起こし、彼女は肩をすくめるようにして、両手を広げた。もちろん、そこに何かがあるわけではない。だが、彼女の中には確かにあるのだ。


「それを考えていたの?」

「そう、でもね、さっぱり思いつかないのよ」


 僕は腕を組み、何か上手い言葉はないものかと頭を巡らせた。かたわらには、大学通学時に使用している鞄が置いてある。幼かったあの頃よりは、幾分か知識も知恵も増えたはずなのだが、相変わらず僕が言えることは何もない。


 見ると、彼女は含み笑いをしている。何かが嬉しいようである。落胆しているよりはましだが、少しだけ心配になる。



「――あなたに会えたことくらいしか、思いつかないの」と、彼女は言った。



 思わず、僕は首を傾げる。ちょうど、窓の向こうでも日が傾き始めていた。真っ白い部屋が、ほんのりピンク色に染まる。


「だから、もう良いのよ」と、彼女は頷く。

 何が良いのだ、というその根本的な部分はちっとも解決されず、ただじんわりと彼女の言葉が胸の中で解きほぐされ、ゆっくりと広がっていくところだった。


 ピンク色が朱色と交わり、僕たちを静かに照らしていた。





      □□






 彼女は、一心に天井を見つめている。時折、耐え切れなくなったようにゆるゆると瞼を下ろすのだが、しばらくするとまた、重苦しそうに瞳をこじ開ける。そんなことを、もう随分前から繰り返している。


 いつもの点滴に、特殊な機械が設置された。それは、巨大な注射器のようなもので、こちらからはわからないくらいの微量さで、彼女の体内に薬品を送っている。はたから見ればそれだけのことなのだが、彼女の身体の中では、とんでもないことが繰り返されているに違いない。


「そこにいてよね」と、彼女に言われたので、僕は彼女の側から離れることができないでいた。

 看護師がたまに様子を見に来る。彼女に声をかけることもせず、機械の調子だけを見て出て行く。なので、僕は一層彼女の側から離れられない。


 真っ白い掛け布団の下にある、彼女の胸がゆっくりと上下している様を、ぼんやりと眺めていた。

 空耳かと思うほど、か細い、空気に溶けるような小さな声が聞こえてきたのは、注射器が半分ほど圧された頃のことだった。


 彼女の口がほんの僅かに開いている。僕は「どうしたのか」と、彼女に問いかけた。力を振り絞るように、彼女は息を深く吸って、それから吐いた。

 かさかさに乾いた唇が、言葉を形作る。


「ねえ、まだそこにいる?」


 考える間もなく、僕はすぐさま自分の存在を示すように、彼女の視線の前に身体を突き出した。彼女は薄く瞳を開いている。そこに、僕の姿は映っているのだろうかと不安になる。


「ここにいる」と、僕は言う。

 彼女からの返答はしばらくかかった。

「見上げてばかり、なの……」

 震えたような、そんな声のあと、彼女は静かに身体を弛緩させた。今まで頑張っていた何もかもが去ってゆき、瞼は固く閉じられた。僕は、大声をあげようと急く自分の気持ちを落ち着けるのに必死だった。彼女の胸はまだ小さく上下していたし、息遣いも聞こえていた。眠っただけなのだと何度も自分に言い聞かせた。


 僕は自分の頭上を見上げた。彼女がずっと視線を置いていた先である。

 よどんだ大気と、一切のシミのない真っ白い天井と電灯。あるのはそれだけだった。

 しばらくそうやって頭をもたげていたが、疲れてきたので、彼女のベッドの傍らに突っ伏すようにして顔をうずめた。再びそこから、彼女の見ていた風景を辿ってみるが、先ほどと寸分違わぬ世界が広がっているだけである。


 医療機器の動く音に、彼女の存在の音色は完全に負けていた。僕はすぐ側で眠る彼女の横顔を見つめる。安らかであればいいのに、と願う。

「ここにいるんだよ」と、僕は呟き、彼女の前髪にそっと触れた。





      □□□






 ずっとずっとあとになって、彼女に尋ねたことがある。どうして、あのときあんなことを言ったのか、と。深い深い眠りにつく瞬間、彼女の目には何が見えていたのだろうかと気になったのだ。


 彼女はいつものように、くすりと笑う。中庭には、霧状の水滴が打ち水代わりにまかれている。清清しく、過ごしやすい陽気の中を、僕たちは一緒に歩いていた。


「わたしの世界は、いつだって青虫型なのよ」と、彼女は言う。

 僕は足をとめて、思わず首を傾げた。

「青虫?」

「鳥瞰っていう言葉があるじゃない? それの反対よ。いつだって、上を見てばかりだから」


 木々の影が長く足元へと伸びてきていた。僕はそれを踏んで歩く。影の隙間にある光りの粒がきらきらと揺れていた。彼女はそれをすくい上げるように、宙に手を伸ばす。


 途中、広葉樹の下で休憩をとった。ベンチも空いていたが、僕はそちらに座ることはせず、彼女の側にしゃがみ込んだ。


「気にしているの? わたしがさっき言ったこと」

 彼女がこちらを見下ろしてくる。その遥か上方では、広葉樹が目一杯両手を広げていた。まるで、僕たちを包み込んでくれているようである。


「君と同じところに立ちたいといつも思っている」と、僕は拙い言葉で伝えた。

 それ以上、重ねたい言葉は五万とあったけれども、口には出さなかった。今抱いているもののすべてが、そこに集約されていたからだ。


 だが、彼女は決して良い顔はしなかった。小さく首を振って、ひどく哀しいことを言う。

「いいのよ、そんなことは。青虫は鳥にはなれないし、鳥が青虫にはなれないんだから」


 自分の中に、巨大な重石が落されたようだった。胸が苦しくなり、どうしたら良いのかわからない。おそらく、人に見せられないような、情けない顔をしていることだろう。


 そんな僕に、細っこい腕がおりてくる。以前よりも白く、更に骨ばったように見える。血の通っていないような、冷たい冷たい手が、ふいに頬に触れる。


「ねえ、あなたには、この世界がどんな風に見えてるんだろう」


 このとき、僕の脳内にあったのは、たった一つのイメージである。僕の隣を、彼女は歩いていて、目線がほぼ同じであることを茶化すのだ。笑い、それからやっぱり同じように歩いていく。どちらからともなく歩幅を合わせ、また顔を見合わせる。


 咄嗟のことだった。左腕を点滴に繋がれているということも忘れていた。彼女の乗っていた車椅子が大きな音を立たてて倒れた。僕は左手に点滴棒を持ち、右腕に彼女のことを抱えていた。意味がわからないといった風に、彼女は目を丸くしている。


「変わらないよ」と、僕は言う。

 それから、自分の腕力の限りを尽くして、僕は彼女と歩いた。一歩一歩と危なっかしい足取りで、ゆっくりと前に進んだ。彼女はまるで異世界に迷い込んだような、奇妙な表情で辺りを眺めていた。きゅっと、僕の首筋に回された腕が、熱くなっていた。


「変わらなくないわ」と、彼女は小さく呟く。

 唇がわなないているのが、肩越しに見えた。

「とっても綺麗よ。とっても、幸せよ……」


 入院患者であろう子供が、母親らしき人物に手を引かれている。水滴のついた草花は輝き、空には艶のある雲が浮かんでいる。吸い込まれそうな青はどこまでも続き、動きの止まった噴水を同色に染めていた。彼女が先ほどまでいた病室の窓は小さく、白いカーテンで閉じられている。


 彼女はあと何度眠りに落ち、そして何度目覚めてくれるのだろう、と考える。僕はあと何度彼女をこの手で抱き、そして世界のさまざまな不条理さに嫌気がさすのだろうか。


 少なくとも、今ここで見ている世界の一部が、僕とそれから彼女にとって同じものであればいいのにと願う。彼女はちっともこちらを向いてくれないけれども、今はそれだけで充分だ。




いきなりですが、カップルの身長差って萌えませんか?

(え、私だけでしょうか……笑;)

すごい差があるか、もしくはほんのちょっとしか変わらないくらいの並びが好きです。

彼等の場合はそれが、出会ってから今まで一度も隣に立ったことがないから知らないのですね。

これを実際に書いたのは数年前ですが、もしそんなことがあった場合、を想像して書いた記憶があります。

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