其の悪魔の話
※戯曲形式の小説になります。
登場人物:
旅人、壮年の男、村の女
場面:
湿原の中央にある一軒家、その寝室。雨の降る夕昏どき。
寝室は簡素な部屋である。中央後方に蝶番のついた大窓があり、その向こうには曇天の空と湿原が広がっている。
窓の正面、やや上手寄り中央にベッド。ベッドの頭側、上手にはキャビネットのような小さなテーブル。水差しとコップが乗っている。
下手寄り中央、ベッドの足元側手前には粗末な木の椅子がある。
上手後ろには居間へと通じる扉。すぐ脇の壁には黒いコートが掛かっている。窓も扉も、それぞれひとつきりである。
下手前から後ろにかけて、簡素なテーブルと約一メートルの高さの本棚。テーブルの上は整頓されていて、羽ペンとインク瓶、そして黒髪の女性の写真と少女の写真のみがある。本棚には専門書らしき厚みのある本がぎっしりと詰まっている。本棚の横には、布製の鞄がひとつと鞘に入った長剣が置かれている。
照明の配置場所等は任意にて。
ベッドには壮年の男が寝ており、脇にある椅子には旅人が腰を下ろしている。
男はおよそ四十代後半。血の気のない青白い肌をしており、その両鉾は落ち窪んでいるが、穏やかな顔つきをしている。 旅人はおよそ二十代半ば。こざっぱりとした身形をしており、腰ほどまである髪を後ろでひとつに纏めている。
部屋は暗いながらも静かな雰囲気で、波のように寄せては返す雨の音が満ちている。
男が苦しそうに咳をする。旅人がキャビネットの上にある水差しとグラスを手に取ると水を注ぎ、男の頭を少し起こしてやって水を飲ませる。男は浅い呼吸を繰り返し、再びベッドに横たわる。
しばらくの間。
《男》
(低い声で) 悪魔、という存在を信じるかい? 旅人さん。
《旅人》
(可笑しそうに) 悪魔? (コップをテーブルに戻して椅子に座る) またいきなり、物騒なことを云い出すんだね。
《男》
(含み笑って) 実は私はな、人生で二度、悪魔と取引をしたことがあるのだよ。
《旅人》
(信じていないようすで) 二度かい。それはまた、奇異な話だ。
《男》
そうだ、不思議に思うのも無理はない。人間の寿命に限りはあるのに二回も取引をするなんて。 (咳をして、声を整える) だが、一回目に払った魂の寿命は私のものじゃないのだ。
《旅人》
(少し興味をそそられたように) ほう?
《男》
(少しの間を置いてから、静かに) 妻だよ。結婚して間もないときだった。
《旅人》
(感情が読み取れない声で) それはお気の毒に、といえばいいのかな。
《男》
何を取引したか、聞きたくはないかな? 旅人さん。
《旅人》
(苦笑して足を組みながら) 聞いてもいいのならね。
《男》
娘の病を治すためだ。あの子は生まれたときから不治の病でな、精々生きれるのは数年だろうと云われていた。 私たちは悪魔に娘の健康を願い、妻が寿命の三分の二を払った。 そして、その後に二度目の取引をした。何だと思う、旅人さん。
《旅人》
見当もつかないね。
《男》
私の寿命の三分の一を妻に移すように頼んだのさ。妻が娘のために支払った寿命のきっかり半分を、私が補うと。
《旅人》
(背もたれにもたれかかり、気のない様子で) よくわからないな。二回目の依頼が必要だったのかがね。 一度目であんたらの願いは既に叶えられたのに。新たな契約を結ぶにはまた代償を支払わなければならないんだろう? 私には無駄なように思えるけどね。
《男》
(決然と首を振り) いいや、これが最初から私たちの取り決めだったのだよ。 どちらか一方ではなく、ふたりで娘を救うとね。なぜなら片方が犠牲になれば、 もう片方がその負い目を追わなければならなくなるだろう? どちらの苦痛がより深いかなんて神ですら測れないのに、 きっとわだかまった罪悪感は消えない……。私たちはそう考えたのだ。単なるエゴと言ってしまえば、そうだがね。
《旅人》
(組んだ足を変えて) ……なるほどね。
《男》
理解できないという顔をしているな。
《旅人》
(苦笑を浮かべて首を横に振る) そうでもないよ。で、二回目の代償は?
《男》
(自分の胸を指して) これさ。私が死んだのち、この魂は悪魔のものとなる。妻には内緒にしていたがね。
《旅人》
(弾かれたように顔を上げ、低い声で) 奥さん、あの世で怒っているだろうよ。
《男》
妻は充分やってくれた。元はといえば言い出したのは私だったのだから、これくらいの代償を払うのは当たり前だ。
《旅人》
(呆れたように肩をすくめて) それにしても、よくまあその悪魔はそんなややこしい契約を呑んだものだね。 よっぽど暇だったのか、低級だったのか。
《男》
優しい悪魔だったのだよ。貴方のように。旅人さん。
旅人は黙ったまま男を見つめる。彼は目線を旅人から離さない。
《男》
貴方なのだろう、あの悪魔は。三年前の妻の葬儀のとき、貴方とよく似た男を見かけたよ。私を、迎えに来たのだな。
《旅人》
(長い間を置いてから、慎重な口ぶりで) 知ってて、私を招き入れたのかい?
《男》
例え拒んでも意味はないだろう? 私の命はもう尽きようとしている。それに契約は契約だ。 私たちはな、貴方に感謝しているのだよ。お陰で娘も、今じゃ結婚して幸せに暮らしている。来月には三人目の孫もできる。
《旅人》
それは何よりだ。ところでその娘さんは今どこに居るんだい? こんな状態のあんたに付いていないだなんて。
《男》
あれは今、ふもとの街に住んでいる。私の具合を心配してたびたび様子を見に訪ねて来ていたが、今は来ないようにきつく言い含めている。
《旅人》
おや、またなんで。
《男》
そうだな……ひとつは、私は貴方とふたりだけで少し話しをしてみたかった。私の命が尽きるときには貴方が来るだろうと、ずっと待ち望んでいたのだ。 (ふと、含み笑う)もうひとつは、いくら貴方が優しいとは言っても悪魔には違いあるまい。 大事な娘に会わせたがる親はおらんよ。私だけで充分だ。
《旅人》
(苦笑して) なるほど。
男はゆっくりと窓の外の湿原に視線をうつす。間。
《男》
ひとつ、聞きたいことがある。(旅人に向き直って) 妻は、四十七で死んだ。私は今、五十三だ。どちらも、村の平均よりも長く生きた。 ……しかしこれでは、私たちが元々もっていた寿命は百年を優に過ぎる計算になってしまう。 もしくは、貴方の得た代価がほんの――…。
《旅人》
どちらでも、好きに考えるといい。ただ、私は悪魔にしては変わり種でね。 (おどけたように肩をすくめる) おかげで地獄からも煙たがられて追い出されちまった。
《男》
(ゆったりと微笑む) 貴方は……本当に悪魔らしくないな。
《旅人》
頂けない褒め言葉だが、悪い気はしないよ。
その刹那、男がせっついたような酷い咳をする。旅人は立ち上がり、身を乗り出す。
《男》
時間のようだ……どうか、私の命が消える前に私の魂を、
《旅人》
…わかった。
《男》
受け取っておくれ、どうか…。
《旅人》
わかったから、もう喋るな(男の手を握る)。
《男》
ああ、貴方の一部となるのなら、死も怖くはない……(荒くなった息が徐々に浅くなる)。
雨音が大きくなる。
旅人は彼の両手を丁寧に胸の前で合わせてやり、しばらく黙祷をささげる。 やがて立ち上がり、寝室(上手後ろのドア)から出て行く。別のドアを開けた音と、何やら会話する声。しばらくして再び寝室のドアが開き、女が入ってくる。頭から布を被った、可憐で素朴な雰囲気のまだ若い女だ。
部屋に入るや否や大きく息をのみ、ベッドに横たわった男の元へ駆け寄る。
旅人は近寄らず、ドアの近くでたたずむ。
《女》
(おそるおそるといったようすで、そっと男の顔を覗いて、泣き崩れる) ああ、父さん……! (しばらく男の手や顔を撫でながらすすり泣くが、やがて立ち上がり旅人へ向き直ると頭の布を取り、丁寧に頭を下げる) ……本当に、ありがとうございました。
旅人は静かに首を振り、彼女に歩み寄る。
《女》
(心を落ち着かせるように、深く息を吐いて) 無理をお願いして、申し訳ありませんでした。 本当は私がそばについていたかったけれど……絶対に家には来るなの一点張りで。 こんな身体でひとりになんて、できるわけないのに。 私が納屋にこっそり居たこと、もしかしたら父は気付いていたかしら?
《旅人》
いや、気付いてない様子だったね。私の料理の腕がいいことは、不思議がっていたけれど。 (おどけたように笑って) そうそう、娘よりも上手だとか言っていたな。
《女》
(軽く笑んで) 失礼しちゃうわ。味付けは別に変えてなかったのに。 (優しい手つきで男の額を撫でながら) 本当に、途方に暮れていたんです。 村の者に世話を頼もうにも、みんな父を気味悪がってこの丘には近寄らないし、今の時期は主人も畑を離れられないものですから。
《旅人》
悪魔なんかの話なんを誰彼構わずしていたら、それは気味悪がられるだろうね。 (男を見下ろしながら、優しい声音で) けれど、面白い話だった。
《女》
(軽く、困ったように笑って) おそらく村の人間ならば皆、一度は聞いてる話です。 最近では話の後に、お前があの悪魔なんだろう、なんて言うようになって………。 おかげで村の者にはますます疎まれてましたわ。旅人さんも言われたでしょう?
《旅人》
(同じように、軽く笑いながら) うん、言われたな。
《女》
(老人を見下ろしながら、穏やかに) 確かに変わり者だったけれど、それでも私には優しくて、かけがえのない父でした。 この村では、死を看取るという事は大事な風習です。旅人さんが引き受けてくださって、本当に助かりました。 お礼はお約束どおり、必ずいたします。
《旅人》
いや、別にいいんだ。お構いなく。久々に屋根の下で眠れて、私もありがたかったからね。
《女》
(頑なな様子で) そんなわけには参りません。こんな非常識なお願いを無理にきいて頂いたのです。 それに旅の途中でいらしたのに。急いでいらっしゃったのでは?
《旅人》
(片手を振りながら) 行く当てのない旅だよ。この三日間、彼と過ごせて私も楽しかった。
女は微笑み、それから老人の額に口付けを落とす。
《女》
(布を頭に被りながら) 私、主人と葬儀屋を呼んできます。主人も毎日ここに足を運んでくれていたのですが、父はいつも門前払いしてしまって。 本当に、最後まで偏屈な父でしたわ。
《旅人》
彼らしいな。
《女》
すぐに戻りますので。せめて、暖かい夕飯をご馳走させてください。
女はドアを開け、もう一度深く頭を下げて退場する。少しして玄関のドアが開いた音がして(雨音が僅かに大きくなり)、 閉まった音がする(雨音が再び弱まる)。
旅人はしばらく窓を眺め、また椅子に座ろうとして机の写真を目に留める。黒髪の女性の写真と少女の写真を手に取り、椅子に腰を下ろした。膝に写真を乗せてじっと眺めながら、呟く。
《旅人》
本当はね、あんたと奥さんの願いが清らか過ぎて、喰う気がなくなっちまったのさ。
男の枕元にふたりの写真を置き、旅人は立ち上がる。首と肩をほぐすように回すと、本棚の横にある鞄と長剣を身に付け、旅の身支度を整える。
壁に掛かった黒いコートを手にとり、ふと小さく笑みを溢す。
《旅人》
なんて、ね。
旅人がドアから退場し、しばらくして玄関のドアが開き、閉じる音がする。
雨音が大きくなり、やがて徐々にちいさくなり、消え去ってから幕。
-Fin-
Thank you for reading...
戯曲といえるのか果たして微妙かもしれませんが、こういう形式だからこそ書けた何かがあるようにも思います。お立ち寄り、ありがとうございました。




