「予兆と崩壊」
「本当に大変だったのはその後からでした。」
山口総一は当時を振り返って言う。
「生産設備増設に対する排水処理能力の不足。設計の甘さ。この職場は根本的に「見える化」ができていなかったんです。」
トラブルは少しずつ近づいていた。複数の致命的な欠陥が大きなヒビとなり、職場の崩壊はゆっくりとしかし着実に進んでいった。
ある時、私が最終沈殿池(微生物と水を重力でわける。上澄みのきれいな水を消毒し、川や海へと流す)の汚泥界面(沈んだ微生物と水の境界面)を測定したところ、境界面がだいぶ上の方で、あと少しで微生物が川へと流れてしまう状態になりかけていた。試しに水質試験をすると、微生物の沈みが悪くなっているデータ(微生物の量や沈み具合のテスト。その比を取って基準値と比較し、沈みやすさが判断できる)が取れ、顕微鏡で見ると沈みが悪くなる微生物がたくさん存在していた。
「これはバルキング(微生物が沈まず、あとの工程へと進めない)だな。」
そうなるとすぐには回復できない。結果的に製造を止めることになってしまう。
「こういう時、大野さんならどうするのだろう?」
私は「水質の見える化」を通してバルキングと予測し判断できる。ただ、バルキングだとわかっても現状、私1人の力では解決できない。専門業者を呼び、原因の特定もできない。正直悔しいが、いくら未来が予測できてもそれを防ぐ方法が無ければ無力なのだ。実際いくら水質分析のデータの計算をしても、らちが開かなかった。
「このままではいけない。」
大野さんにそれとなく話したところ、彼も何となく排水処理の違和感に気づいており、微生物の影響によるバルキングということで確信したようだ。
大野さんは、ただ静かに
「そうか。」
と頷き、その後に、
「それならまずは、説明していかないといけないな。俺ら2人で排水問題を解決するか。」
と力強く言った。
てっきり今回も話を見送るものかと少し諦めていたが、どうやら私の思い違いだったらしい。
「大野さんのことを完全に誤解していました。彼はちゃんと技術者としての熱い心を持っていたんです。ただそれを使うべき時に使う、その覚悟が今回の件をきっかけに強く感じました。」
当時を振り返って山口は言った。
「そうか。」
俺の予感は当たってしまったようだ。
これまでも古株社員たちは、排水処理がまずくなるとこっそり未処理の水を川へと放流していたようだが、今回の生産設備増設に伴い、そのタイミングが早まったらしい。そして山口はそれを分析し、問題が何かまで見えたようだ。そして、それが非常に根深い問題で自分には解き切れないことにもおそらく気づいている。
あいつが持っている水質分析のシートは強く握り過ぎていて、シワになっていた。
「俺がやるしかないか。」
まさか山口とバディまで組むことになるとは思いもしなかったが、これも何かの縁だ。やり切れる可能性は十分にある。ここは協力し、バルキングを解決していこうではないか。
「ただこの判断が俺の失敗だったんだ、って気づかなかったんだよな。」
大野宗治は当時のことを振り返り、こう呟いていた。




