匂いフェチ男子は“シャンプーの香りがドストライクな幼馴染”と“香水の匂いが魅力的すぎる先輩”と“無香料女子”が気になるようです。 ~香りで恋する青春ラブコメ!僕の嗅覚が選ぶ“運命の香り”はどれだ!?~
需要ありますか?
僕の鼻は、ちょっと普通じゃない。
いや、少しどころか、かなりおかしい。
朝、駅のホームですれ違う人のシャンプーや香水、電車の中で隣に座った人の柔軟剤やらコーヒーの香りやら……全部が僕の脳に直撃する。
だからこそ、僕はいつだって「香り」で人を見る。いや、見てしまうんだ。
そして今日も、僕の“敏感すぎる鼻”は、今通っている学校で3つの衝撃的な香りと出会ってしまった――。
***
1つ目の香り――幼馴染の「シャンプーの香り」
「蒼っ! 早く早く!」
僕の名前を呼びながら、校門で駆け寄ってくるのは、幼馴染の結城 楓だ。
その瞬間、僕の鼻は一瞬で反応した。
ふわっ……。爽やかで甘い、理想的なシャンプーの香り。
これだ。この香りが僕の中で“ドストライク”だ。
「あ~、最高だな……」
「は? 何が?」
「いや、なんでもない」
僕は鼻をすんすんさせながら、彼女と並んで歩き出した。
何か言えば引かれるに決まってる。シャンプーの香りが好みすぎて頭が真っ白になるなんて、男子として情けないにもほどがある。
「ねえ蒼、来週テスト終わったらどっか遊び行こ!」
「またか? いいけど」
「やった! 約束ね!」
彼女は笑いながら僕の隣を歩く。その髪から、ふわりふわりとシャンプーの香りが漂ってくる。
爽やかで甘いこの香りがする限り、僕は彼女に逆らえない気がする――。
***
2つ目の香り――先輩の「魅惑の香水」
次に僕の鼻を誘惑したのは、僕が密かに憧れている藤咲 美玲先輩だ。
午前中の休み時間、廊下を歩いていると、ふわりと甘くて上品な香りが漂ってきた。
「あ、蒼くん」
振り返れば、そこには誰もが振り返る美人の先輩が立っていた。
「今日の香り、気づく?」
僕は思わず先輩をじっと見つめてしまう。
なんて大人っぽい香りなんだろう。甘すぎず、でもほんの少し危うさもある。
「えっと……いつもより、少し甘め……ですかね?」
先輩は優雅に微笑む。
「正解♪ さすが蒼くん、今日も冴えてるね」
僕の鼻が先輩の香水を逃すわけがない。香りだけじゃなく、先輩の余裕のある仕草や微笑み――全部が僕にとって完璧すぎる。
「じゃ、またね。放課後、少し手伝ってもらおうかな?」
そう言い残して去っていく先輩の後ろ姿。
残るのは、彼女の魅惑的な香水の香り――。
心臓がバクバクする。
やっぱり先輩、かっこよすぎるだろ……。
***
3つ目の香り――無香料女子の「無」
僕が3つ目の衝撃と出会ったのは、昼休みのことだった。
席に座っていた隣の席の水原 しおり(みずはら しおり)――地味であまり目立たないクラスメイトだ。
彼女は黙々と弁当を食べている。なんてことない光景だけど、僕は気づいてしまった。
「……あれ?」
匂いが、しない。
いやいや、そんなわけがない。人間である限り、シャンプーや柔軟剤、汗や石鹸――何かしらの香りはするはずだ。
なのに、彼女はまるで“無”だ。
「お前……なんで匂いがしないんだ?」
隣で弁当を食べていた彼女は、箸を止めて僕をじろりと睨んだ。
「は?」
「いや、違うんだ。普通、人って何かしらの香りがするじゃん。でもお前、無臭すぎて驚いてるんだ」
「あんた、ほんと気持ち悪いね」
冷たい目でそう言い放つ彼女。でも僕は納得できない。
「だからどうしてなんだよ?」
「……無香料のシャンプーと柔軟剤を使ってるだけ」
「無香料……?」
まさかそんな徹底して香りを排除しているやつがいるなんて、僕の中の常識がひっくり返った。
「匂いが苦手なの。だからこっち見ないで」
そう言って彼女はそっぽを向いた。
衝撃的だ。人間である限り、香りはつきものだと思っていた僕にとって、彼女の存在は革命的すぎる。
香らないという個性――これがこんなにも強烈に心に残るなんて。
***
僕の鼻と心が忙しい日々の始まり
こうして僕は今日、3人の女の子に衝撃を受けた。
・甘く爽やかなシャンプーの香りを漂わせる幼馴染「楓」
・魅惑的な香水で大人の余裕を見せる先輩「美玲」
・まったく香らないという異色の個性を放つ無香料女子「しおり」
僕の鼻と心は、すでに大忙しだ。
でも、なんだろう――これから何か面白いことが起こりそうな気がしてならない。
***
僕の幼馴染「楓」は、シャンプーの香りが最高だ。
これだけ聞けば「なんの話だよ」と言われるかもしれないが、事実だから仕方がない。彼女の香りは僕にとって理想のシャンプー像そのものだ。甘すぎず、爽やかすぎず、それでいてふわっと優しく包み込むような柔らかい香り。これは運命だと思っている。いや、思わせてくれ。
「おーい、蒼! 何やってんの、早く!」
朝の校門前。これから学校という名の戦場に挑む前に、僕の心をふわりと包む香りがした。遠くから駆け寄ってくる楓の姿を見た瞬間、僕は無意識に息を吸い込んでしまう。甘く爽やかな、シャンプーの香りが確かにそこにあった。
「……ああ、来た」
自分でも何を言っているんだか分からない。けれど、彼女が走るたびに揺れる髪から漂うシャンプーの香りは、僕の脳内に直接作用する。いや、作用しすぎてしまうと言ってもいい。
「ちょっと蒼、聞いてんの?」
「あ、ああ、聞いてる聞いてる」
「聞いてないでしょ、まったく」
彼女は呆れ顔でため息をつくが、僕はそれどころじゃない。正直、隣を歩く彼女から漂ってくる香りだけで今日一日がんばれる気がする。
「ねえ、テスト終わったら遊びに行こうって言ってるの! 聞いてる?」
「ああ、遊び? いいんじゃない?」
「適当すぎ! 何その返事!」
彼女は僕の肩を軽く小突く。これもいつものことだ。幼馴染なんて関係、僕たちは小学校の頃から変わらない。それなのに、なんでこうも彼女の香りだけは僕の脳に深く刻まれていくのだろう。
何かの雑誌で読んだことがある。香りというのは記憶と結びつくものだと。僕にとって彼女のシャンプーの香りは、幼い頃からの思い出の象徴なのかもしれない。小学校の帰り道、一緒に歩いている時に風が吹いてふわりと香った髪の匂い。中学校の部活帰り、汗の匂いに混ざりながらも主張してきたシャンプーの香り。僕はずっと、その香りに惹かれ続けている。
「ねえ、蒼。本当に聞いてる? 顔がぼーっとしてるけど」
「ああ、聞いてる聞いてる。遊びに行くんだろ?」
「もう、なんでそんな反応なの。久しぶりにどっか出かけたいんだよ。カラオケとかショッピングとか、さ」
「ふーん、カラオケねえ」
僕は適当に返事をしながらも、彼女の髪の動きに注意が向いてしまう。ちょっと風が吹くだけで、僕の理想すぎる香りがふわりと漂う。これはもう武器だ。本人にその自覚がないのが本当にタチが悪い。
「そういえばさ、蒼は好きな匂いとかあるの?」
その質問に僕は一瞬、心臓が止まりかけた。楓はいたずらっぽくこちらを見ながら、制服の袖で軽く額の汗を拭っている。
「お前、急に何言い出すんだよ」
「いや、蒼って妙に鼻が利くじゃん。前も私のシャンプー変えた時、すぐ気づいたし」
ギクッとする。まさか自分の“匂いアンテナ”が彼女にバレていたとは。いや、そりゃそうだ。僕は彼女の香りを知りすぎている。そして、少しでも変われば反応せずにはいられない。
「それで? 何の匂いが好きなの?」
彼女は髪をかき上げながらこちらをじっと見ている。その仕草だけでシャンプーの香りがふわりと漂い、僕の鼻に突き刺さる。
「べ、別にないけど」
「嘘つけ。私の髪の匂い、好きなんでしょ」
「はっ?」
彼女は冗談っぽく笑いながら僕の反応を見ている。でも、僕の心は完全に動揺していた。なんでそんなことを平気で言えるんだよ。
「図星だ。分かりやす~」
「いや、違うし」
僕は否定しながらも、顔が熱くなるのを止められない。彼女は相変わらず無邪気に笑いながら、ふわりと香るシャンプーの香りを撒き散らしている。こいつ、絶対無自覚だ。
「ま、いいや。じゃあ放課後、予定空けといてよね。カラオケ行くんだから」
「分かったよ、分かった」
「じゃ、約束だからね。遅れたら罰金ね」
彼女はそう言って、軽やかに教室へと走っていった。その後ろ姿を見送りながら、僕は一人、ため息をつく。シャンプーの香りがまだ残っている気がする。
彼女の香りは、僕にとって反則級だ。好きとかそういうんじゃなくて、ただもう理屈抜きで「最高」なのだ。
こんな毎日が続いている限り、僕はずっと彼女の香りに振り回され続けるんだろうな――
そんなことを考えながら、僕はまだ消えないシャンプーの香りに意識を引っ張られていた。
***
シャンプーの香りに引きずられたまま、僕は一日を乗り切った。だが放課後――その日がさらに僕の脳を揺さぶることになるとは思ってもいなかった。
「ほら、蒼! さっさと行くよ!」
楓が手を振りながら、靴箱の前で待っている。彼女の髪が揺れ、そのたびに例のシャンプーの香りがふわりと広がる。僕の鼻が反射的に反応してしまうのも当然だ。まるで無意識に惹かれてしまう、というか、これって本能?
「お前、もうちょい落ち着けよ。そんなに急ぐことないだろ」
「は? 早く行かないと混むんだよ! カラオケはね、最初に入るとお得なんだから!」
「そこ、こだわる?」
「こだわる!」
子どもの頃から変わらないこいつの行動力には、いつも振り回されてきた。今日も例外じゃない。だけど彼女の香りが近くにあると、それが不思議と苦じゃないから困る。
カラオケに着くと、楓はすぐにマイクを手に取った。
「はい! 蒼、最初の一曲歌って!」
「なんで僕?」
「いいから! あ、でも途中で逃げたら許さないからね!」
勝手にリモコンを操作し、僕の知らない間に曲がセットされていく。仕方なく、僕はマイクを手に取った。
「……ったく、こういう時のお前は強引すぎるんだよ」
「ふふん、いいから歌えー!」
彼女はソファに座り、僕を見上げてニヤニヤ笑っている。いつも通りの無邪気な顔だ。けれど、隣に座った瞬間、僕の頭がまたシャンプーの香りでいっぱいになる。
――こいつ、絶対気づいてないだろ。
髪をいじるたび、ふわっと香りが鼻をかすめる。そんな些細なことでも僕の中では破壊力が半端ない。しかも今日は彼女が妙に距離を詰めてくるから余計に困る。
「ねえ、蒼。次どの曲歌う?」
「え、あ、なんでもいい」
「ちょっと、聞いてる?」
彼女がまた近づいてきて、僕の横顔を覗き込む。その距離、近い。香りが、ダイレクトに届く。脳が処理しきれない。
「お前、近いって」
「あれ? なんか顔赤いけど?」
「赤くねえよ」
バレないように目をそらしつつ、僕はなんとか冷静さを保とうとする。こんな時、普通の男子ならどうするんだ。僕の場合、匂いに反応してしまうから、余計に厄介だ。
でも彼女は無邪気に笑いながら曲を入れていく。気にしない彼女と気になりすぎる僕――この差が苦しい。
「あー、楽しかった!」
結局、僕たちはカラオケで二時間騒ぎ続けた。彼女は元気いっぱいで、僕は半分ぐらい香りの余韻で死にかけていた。
「ねえ、次はショッピングモール行こうよ!」
「まだ行くのかよ……」
「当たり前でしょ。テスト終わったばっかなんだから、これぐらい遊ばないと!」
そう言いながら彼女は無邪気に笑って僕の袖を引っ張る。その瞬間、また風が吹いて彼女の髪が揺れた。
――やっぱり最高だな。
僕は自分の心の中でこっそりそう呟いた。シャンプーの香りに対する自分の弱さは認めるしかない。でも彼女の香りだけは、僕にとって本当に特別なんだ。
「蒼、何ニヤニヤしてんの? キモいんだけど」
「してねえし!」
僕は彼女に背を向けるふりをして、少しだけ顔を隠す。彼女には絶対にバレたくない。僕がその香りに、どれだけ惹かれているかなんて――。
だけど、そんな僕の気持ちなんてお構いなしに、彼女は今日も楽しそうに僕を引っ張っていく。
シャンプーの香りと無邪気な笑顔に振り回される僕の毎日は、まだまだ終わりそうにない。
***
昼休み、僕はいつものようにぼーっと窓の外を眺めていた。別に特に考え事をしていたわけじゃない。ただ、次の授業までの時間を無駄に過ごしていただけだ。
しかし、その瞬間――ふわり、と空気が変わった。
「……っ!」
甘く、それでいて上品な香りが僕の鼻を直撃する。さっきまでの平凡な教室の空気が、一瞬にして大人びた空間に変わったような気がした。
「蒼くん、ちょっといい?」
その声に振り向けば、そこには僕の憧れの先輩、藤咲美玲が立っていた。彼女は一つ上の学年の生徒で、誰が見ても華やかで大人っぽい――いわゆる高嶺の花だ。
そして、何よりも僕の心を掴んで離さないのが彼女の香水の匂いだ。
「……はいっ、なんでしょうか!」
思わず変な返事をしてしまった。
いや、仕方がない。美玲先輩が近くにいると、僕の頭は香りに支配されてまともに動かなくなるのだ。
「今日、放課後、ちょっと手伝ってほしいんだけど。空いてる?」
美玲先輩は微笑みながら、少し顔を近づけてくる。
その仕草一つ一つが大人っぽくて、それだけで僕の心臓はバクバクする。
「て、手伝いですか?」
「うん。文化祭の準備でね。私、実行委員だから色々忙しくて」
文化祭か――そういえば、そろそろ準備が始まる時期だったな。
「もちろん空いてます! いつでも手伝います!」
即答する僕を見て、美玲先輩はクスリと笑った。
「助かるわ。蒼くん、頼りになるのね」
頼りになる――なんて甘美な響きだろうか。先輩に褒められただけで僕の中の脳内ホルモンが大騒ぎしているのが分かる。
そして、それと同時に僕の鼻に漂う香水の香りが、さらに僕の思考を奪っていく。
美玲先輩の香りはただ甘いだけじゃない。少しだけスパイシーで、それでいてどこか儚げな印象を残す。まるで彼女自身のような、他の誰にも真似できない特別な香りだ。
「じゃあ、放課後ね。美術室に来て」
そう言い残して、美玲先輩は優雅に教室を去っていった。その後ろ姿を見送りながら、僕は一人、深いため息をつく。
「……やばい、今日、僕、死ぬんじゃないか?」
彼女と二人きりの時間。そして、彼女の香りを独り占めできるシチュエーション――そんなの、僕の心臓がもつわけがない。
***
放課後、美術室の扉の前に立った僕は、思わず深呼吸をした。
落ち着け。落ち着け。
香りに惑わされるな。これはただの手伝いだ。
そう自分に言い聞かせながら扉を開けると、美術室には美玲先輩が一人で待っていた。
「来たわね、蒼くん」
先輩は窓際で何かの資料を広げていた。その横顔はどこか儚げで、美しい絵画のようだ。そして――香水の香りが部屋の中に広がっている。
「さ、これ、ちょっと手伝ってもらえる?」
美玲先輩は、文化祭で使うらしい巨大な看板を指差した。それには、まだ下書きが描かれているだけだ。
「これ、描くんですか?」
「そう。でも、一人じゃ時間がかかるから手伝ってほしいの」
「任せてください!」
やる気だけは十分だ。だが、実際に筆を握ると、美玲先輩の隣に座っているだけで心臓がうるさい。
しかも――距離が、近い。
先輩が僕の手元を覗き込みながら、筆の運び方を指導してくれるたびに、ふわりと香水の香りが漂ってくる。
「ここ、もうちょっと線を細くした方がいいわね」
「あ、はい」
「そうそう、上手いじゃない。センスあるわね」
そんなふうに褒められながらも、僕の意識は完全に香りに持っていかれていた。
「蒼くん、顔が真っ赤だけど、どうかした?」
「えっ、あ、いや! 何でもないです!」
「ふふ、変な子ね」
美玲先輩は微笑むと、再び筆を走らせ始めた。窓から差し込む夕日が彼女を照らし、その姿がまるで一枚の絵のように見える。そして、その周りには彼女の香りが漂い、僕はもう限界だった。
だめだ――この香り、強すぎる。
香水は人の印象を強く残すと言うけれど、それがこんなにも破壊力があるなんて。僕はこれ以上、先輩の香りに惑わされてはいけない。
「蒼くん、手が止まってるわよ」
「あっ、すみません!」
何とか我に返り、筆を動かすけれど、意識の半分は彼女の香りに向いてしまう。美玲先輩の香りには、どうしてこんなにも人を惑わす力があるんだろう。
この手伝いが終わるまで、僕は自分の心臓と戦い続けるしかないらしい――。
***
「蒼くん、次ここ塗ってくれる?」
美玲先輩が指差すのは、看板の右端部分だ。僕はすぐに筆を動かしながら、頭の中では別のことを考えていた。
――なぜ、彼女はこんなにも魅力的なのか。
藤咲美玲という先輩は、見た目の美しさもさることながら、常に香りが彼女の存在を引き立てている。ただの香水のはずなのに、彼女が纏うと特別な何かに感じてしまう。
「ねえ、蒼くん」
突然、彼女が僕の名前を呼んだ。その瞬間、僕は反射的に顔を上げる。
「はい、なんですか?」
「ふふっ、そんなに驚かなくてもいいのに。ちょっと聞きたいんだけど――」
彼女は筆を置いて、少し真剣な顔をした。
「男の子って、女の子の香りって気になるものなの?」
……え?
一瞬、時間が止まった気がした。いや、待て待て。今なんて言いました? 香り? 気になる? 僕が? まさか、バレてる?
「えっ、そ、そんなことないですよ!」
「本当に?」
美玲先輩は僕の動揺を楽しむかのように、じっとこちらを見つめる。彼女が少し体を傾けたその瞬間、また香りが僕の鼻を襲った。
――ああ、ダメだ、これは。
「先輩、なんでそんなこと聞くんですか?」
なんとか気を取り直し、僕は聞き返す。
「だってね、女の子って結構気にしてるのよ。自分がどんな香りに見られてるかって」
「そ、そうなんですか?」
「ええ。私もね――」
美玲先輩はそう言いながら、少し遠くを見つめるような顔をした。
「この香水、特別に選んでるのよ」
「……特別?」
「うん。母がくれたものだから。少し大人っぽい香りでしょ? でも、私にはまだ似合わないのかなって時々思うの」
そう言って彼女は優しく笑った。その笑顔が少しだけ寂しそうに見えたのは、僕の気のせいだろうか。
「そんなことないです。似合ってますよ」
僕は気づけば、自然と口にしていた。先輩の香水は彼女にぴったりだ。それは誰にも真似できない特別な香りだと、僕の鼻がはっきりと証明している。
「そう? ありがとう」
美玲先輩は微笑むと、また筆を手に取った。その表情がいつもの余裕のある先輩に戻っていることに、僕は少しだけホッとした。
だけど――その時、思ってしまったのだ。
この香りに惑わされ続けている僕は、いつか本当に先輩に恋をしてしまうんじゃないかと。
***
看板の作業が終わった頃には、すっかり夕日が窓から差し込んでいた。美術室は静かで、僕たちの筆の音だけが響いている。
「終わったね。ありがとう、蒼くん」
「いえ、全然大したことしてないです」
「そんなことないわ。助かったわよ」
美玲先輩はそう言いながら、ふわっと髪をかき上げた。その仕草だけで僕の意識は彼女の香水に引き寄せられる。
「じゃあ、帰ろうか」
美玲先輩と一緒に美術室を出て、夕焼け色に染まる廊下を歩く。
その時間が妙に心地よくて、僕は何も話せないままだった。
「蒼くん、またお願いするかも。頼りにしてるわよ」
「はい、いつでも!」
彼女は最後にまた微笑み、校舎の出口で手を振って去っていった。その姿を見送る僕は、完全に香りの余韻に取り残されていた。
「……はぁ」
ため息が漏れる。香りが強烈すぎて、しばらく先輩のことを考えてしまう。いや、それだけじゃない。美玲先輩の言葉や仕草、そのすべてが僕の中で残り続けている。
藤咲美玲――彼女の香水と笑顔は、僕にとってまさに“魅惑”そのものだ。
「僕の鼻、どうかしてるんじゃないか?」
夕日が校舎を照らしながら、僕の心臓は今日も忙しく鳴り続けていた。
後日、無香料女子との事件がまた僕を困らせるなんて――この時の僕はまだ知らない。
***
僕は最近、頭を抱えるほどの大問題に直面している。
それは――「無香料女子」の存在だ。
どこにいても香りを感じ取ってしまう僕にとって、無香料なんてあり得ない。人間である限り、シャンプーの匂い、柔軟剤、せっけん、汗の匂い……何かしらが絶対に漂ってくる。
しかし、そんな僕の常識を完全にぶち壊す存在が、隣の席にいた。
「お前、どうしてそんなに無臭なんだ……」
つい、心の中の疑問が口から漏れてしまった。
「は? なに言ってんの?」
隣でノートを取っていた水原しおりが、ペンを止めてこちらに視線を向けた。その目は呆れと若干の警戒心を含んでいる。
「あ、いや、なんでもない……」
慌てて取り繕うが、僕の中では混乱が止まらない。彼女は目立たないタイプだ。長い髪を一つにまとめ、制服も常にきっちりとしている。表情はクールで、クラスでもあまり話すタイプではない。
それなのに――それなのに、香らない。まったく何も。
僕の鼻が故障しているのかと疑ったが、そんなはずはない。ついさっきまで、幼馴染のシャンプーの香りや先輩の香水の匂いをしっかり嗅ぎ分けていた。間違いない、僕の鼻は正常だ。
「……お前、無香料とか、意識してる?」
「は?」
水原は露骨に不機嫌な顔をした。あ、やばい、またやらかした。
「ちょっと意味分かんないんだけど。無香料って何?」
「あ、いや、変な意味じゃなくてだな……その、なんていうか……」
僕は言葉を濁しながらも、どうしても気になって仕方がない。
「普通さ、シャンプーとか柔軟剤とか、少しは匂うだろ。けど、お前からはそれがしないんだよ」
「……ああ、それ」
水原は興味なさそうに視線をノートへ戻し、ペンを再び動かし始めた。
「シャンプーも柔軟剤も無香料使ってるからだよ。匂いが苦手だから」
――無香料!?
そんなものが存在することは知っている。でも、それをここまで徹底して使っている人間が実在するとは思わなかった。
「なんで匂いが苦手なんだよ? 普通、いい匂いって癒されるだろ」
「蒼くんさ、ちょっとおかしいよ。人の匂いばっか気にして」
冷静な声で指摘され、僕は一瞬言葉を失った。いや、そんなこと言われても僕にとっては普通なんだ。匂いが人の印象を決めるし、記憶と紐づいていくのだから。
「そういうお前は、なんでそこまで無香料にこだわるんだよ」
「……別に。匂いって、疲れるじゃん」
彼女は淡々と答える。その表情には何の感情も浮かんでいない。でも、その一言に僕はなんとなく引っかかった。
「疲れるって……?」
「いい匂いだろうが悪い匂いだろうが、ずっと嗅いでるとしんどくなるんだよ」
僕にとっては香りこそが癒しであり、人との繋がりだ。それが彼女にとっては「しんどいもの」だなんて、まるで正反対じゃないか。
「……変わってるな、お前」
「そっちこそ」
しおりは僕をじろりと見て、またノートに向き直る。そっけない態度だけど、それが逆に気になる。
今まで僕は「いい香り」を基準にして人を見てきた。幼馴染のシャンプーの香りも、先輩の香水の匂いも、それがあるからこそ僕の中で輝きを放っている。
でも、水原しおりは――香らないことで、僕の中に強烈な存在感を残している。
「なあ……無香料って楽しいのか?」
「は? 楽しいとかじゃなくて普通だけど」
「……普通?」
僕にとって、香りがしないことは“普通”じゃない。それは異質だ。でも彼女にとってはそれが日常で、香りがない方が快適だという。
――なんだよ、それ。
もっと話を聞きたい。もっと知りたい。だけど、水原しおりという存在は、まるで真空のように僕の興味を吸い寄せるくせに、全く心を開いてくれない。
「……ふーん」
僕はそれ以上、何も言えなくなった。水原は淡々と授業のノートを取っている。授業が終わり、チャイムが鳴っても、彼女はさっさと鞄をまとめて教室を出ていった。
その背中を見ながら、僕は無意識に鼻をすん、と鳴らしてしまった。
――やっぱり、無臭だ。
僕は教室に残り、ぼんやりと考えた。香らないということは、彼女自身が自分の存在を「隠している」ような気がしてならない。あれだけ無香料に徹底している理由が、何か他にあるんじゃないか――なんて、考えてしまう。
「水原、無香料のくせに、なんでこんなに気になるんだよ……」
僕はそう呟いて、頭をかきむしった。
香らないからこそ気になる。
無香料女子、水原しおり――こいつは、僕の鼻と心を狂わせる、ある意味最大の存在なのかもしれない。
***
水原しおりが無香料だという事実は、僕にとって衝撃的であり、謎そのものだった。
次の日も、彼女はいつも通り淡々と過ごしていた。無駄な動きひとつせず、表情もほとんど変わらない。だけどその「無」のような雰囲気が、ますます僕の興味を引きつけて離さない。
昼休み、僕は偶然を装ってしおりの近くにいた。
――いや、実際は偶然なんかじゃない。彼女の近くにいれば、僕の鼻が本当に正常か確かめられる気がしたからだ。
「なあ、水原」
「……何?」
僕が声をかけると、彼女は少しだけ顔を上げてこちらを見た。相変わらず冷めた目つきだ。
「……昨日、言ってた無香料の話、気になったんだよ」
「まだその話?」
「だってさ、お前くらい徹底してるやつ、見たことないんだよ」
彼女はため息をついて、持っていたパンの袋を静かに畳む。なんだかその動作すら無駄がなく、妙に印象に残る。
「無香料なんてただの選択肢の一つだよ。何をそんなに騒ぐの?」
「いや、騒ぐっていうか……なんでそこまで無香料にこだわるのか、単純に気になるんだよ」
彼女は呆れた顔をしながら、少しだけ遠くを見るような目をした。
「……あんた、気づいてないんだろうけど、香りって結構攻撃力高いんだよ」
「攻撃力?」
「うん。香水とかシャンプーとか、いい香りだって言われるものでもさ、人によってはキツいとか、合わないとか、そういうのがあるでしょ」
確かに、香水が強すぎて近づけない人もいるし、香りの種類によっては苦手だと思うこともある。でも僕にとっては、それもまた人の個性であり魅力だと思っている。
「それがしんどいから、私は無香料にしてる。それだけ」
それだけ――と彼女は言うけれど、どうしても割り切れない感覚が僕の中に残る。
まるで香りを排除することで、彼女は周りの世界との距離を取っているような気がしたからだ。
「……なんか、もったいなくないか?」
「は?」
「お前、いい匂いしそうなのに」
無意識に本音が漏れた瞬間、しおりはピタッと動きを止めた。そしてゆっくりとこちらを向く。
「……あのさ、蒼くん、やっぱり変態でしょ」
「ち、違う! そういう意味じゃなくて!」
僕は慌てて手を振るが、しおりは呆れたようにまたパンをかじり始めた。だが、その耳の先がわずかに赤いような気がして、なんだか少しだけ嬉しくなった。
「……本当に理解できないやつ」
「まあまあ、そう言うなって。お前の無香料、逆にすごい個性だと思うぞ」
「褒めてないからね、それ」
「いや、褒めてるって!」
彼女のそっけない態度は変わらない。でも、僕の中では無香料である彼女の存在が、日に日に大きくなっていることを感じていた。
香りがしないはずなのに、気になって仕方がない。
無香料だからこそ、彼女の言葉や仕草、ふとした表情が、香りの代わりに僕の記憶に刻まれていく。
「……お前、面白いな」
「だから何なの、そのまとめ方」
しおりはペンを手に取り、またノートに向かう。その姿はいつも通りなのに、なんでこんなにも目が離せないんだろう。
僕はなんとなく、この先も彼女に振り回され続ける気がしてならなかった。
無香料女子、水原しおり。
彼女が僕の世界にどんな風を吹かせるのか――それはまだ分からないけれど、確実に僕の中で何かが変わり始めていた。
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、僕は小さく息を吐いた。
「……これから、どうなるんだろうな」
しおりの背中を見送りながら、僕は一人、そんなことを呟いた。
面白そう!連載してほしい!と思った方、☆をください!