件の少女
「私とも踊ってもらえませんか? ルティアナ様だけと踊るなんてずるいです」
「……」
どうして次から次へとこうも問題が舞い込んでくるのだろうか。とは思いつつ、その後方からまた見知った顔を見つけて、堪えきれずにセインドゥールは溜息を吐いた。それはつい先日邂逅した異母弟、クロフォードだった。
「兄上、先日振りです。リリアナが是非、兄上とも踊りたいと言うので」
「舞踏会ですから、今日くらいいんじゃないかなって思ったら、クロフォード様も大丈夫だって言ってくれて」
これが今年の一年の首席入学者かと、色々と間違っている気がしてきた。どこをどう受け取ればいいと判断できるのかを問い質したいくらいだ。それを承諾するクロフォードもクロフォードだ。一体何をしでかしたのか当人たちは理解しているのだろうか、というかわかっていないからこその行動なのだろう。わかっているならば、安易にセインドゥールへと話しかけたりはしないはずだから。
「皇太子殿下……あの」
この状況を理解しているルティアナが肩越しに声を掛けてきた。案外と世話焼きであるルナティアのことだ。おそらく助け舟を出そうとしてくれているのだろう。それについて許可を取ろうと。しかしその必要はない。この件についてルナティアは関係がないのだから。
「君はヴェスティンのところに戻ってくれ。これに付き合う必要はない」
「ですが――」
「いいんだ。私のことに君を巻き込むことはできない」
だからさっさと行ってくれと告げる。納得はしていないのだろうが、セインドゥールが退くつもりがないことがわかったのか、頭を下げてから足早に去っていった。これでルティアナまで被害は及ばないだろう。問題はこの状況をどうすべきかだ。セインドゥールは腕を組みながら、リリアナとクロフォード二人と相対する。
「クロフォード」
「何でしょうか?」
「時と場所をわきまえろといったところで今更意味はないか。二人とも私についてこい」
このままここにいても舞踏会の邪魔になってしまう。現時点で注目を集めており、ダンスの輪にいる学生たちの足も止まってしまっている状況だ。その上、セインドゥールらがこの場にいたら動くに動けない。ならばさっさとこの場を移動してしまう他ない。そう考えたセインドゥールが背を向けて移動した時だった。
「ちょっと待ってください‼」
リリアナがセインドゥールの腕を掴み、強制的に足止めされてしまう。公衆の面前だということを考慮し、セインドゥールも振り払うタイミングを失った。そのまま腕を掴んだリリアナが縋りつくようにしてくるのを、半ば呆れたように見下ろす。
「私と踊ってくれないんですか? そうじゃないと私、困ります! せっかく会えたのに……もう好感度上げるイベントがなくなっちゃう……」
「……」
何を言っているのかがわからない。事情の説明を求めようとクロフォードへと顔を向けてみたが、クロフォードもよくわからないと言った様子だった。
「えっと、リリアナ?」
「クロフォード様、セイン様と踊りたいんです! どうしても! お願いしますっ」
「それはわかってるけど……えっと、兄上。話はリリアナと踊ってもらってからでもいいですか?」
いいわけがあるかと悪態を吐きたくなるのをなんとか堪える。知識と常識は別物ということか。セインドゥールは掴まれた腕を放し、今度はちゃんとリリアナへと視線を合わせるようにして、その前に立つ。そしてはっきりと告げた。
「私が君と踊ることはない。今も、そしてこの先も。今後一切、私の前に姿を見せるな」
「え?」
「兄上⁉」
「クロフォード、お前はこっちだ」
もはやリリアナのことはどうでもいい。あれと関わっているだけで、頭が痛くなりそうだ。姿を見せないように申し伝えたことは、セインドゥールからしてみればかなりの温情だった。それさえも伝わっていない可能性は高いけれど。それ以上に問題なのは、この異母弟だ。
去り際に奥にいるヴェスティンへと視線を送る。それだけでこっちの意図は理解しただろう。舞踏会のことは任せるしかない。セインドゥールは舞踏会が行われていた会場を出て、近くにある小さなガゼホへとやってきた。
セインドゥールが立ち止まると、後を追ってきたクロフォードも足を止める。向かい合う形で正面から向き合うと、クロフォードは納得できないとばかりに声を荒げた。
「兄上、あんな言い方はないじゃないですか!」
オブラートに包んだところで、あの手合いは納得しないし、懲りることもない。だからこそはっきりと告げる方が、こちらにとっても相手にとってもいいことだ。といったところでクロフォードは納得しないのだろう。
「あの女子学生が何をしたのか、お前は知っているよな?」
「学生会室に入ったっていう件は知っています。でもあれはただリリアナが兄上に会いたかっただけなんです。兄上に危害を加えるつもりなんてなくて、本当に兄上を想って行動しただけだって」
「あれに、そう言われたのか?」
「そうですっ」
言われたからそうだと。それをそのまま信じたということらしい。だがセインドゥールからしてみれば、リリアナの意志がどこにあろうとも関係がない。危害を加えるつもりであったかどうかなど、議論するだけ無駄だ。
「無断で学生会室に侵入し、彼女は私の首に手を回した。あの時点で刃物でも持っていれば、確実に私を害することができただろう」
「リリアナはそんなことしませんっ」
「それはお前の私情を挟んだ上での見解だ。確かに実害は受けていない。だが見る者が見れば、そう受け取られても当然のことを彼女はした。それもまた事実だ」
だからこそ未遂で処理をした。ふざけたことを言ってはいたものの、それも姦計をめぐらせていた可能性もある。可能性があるため、関わらないようにした。それで問題が起きなければ良い。何事もなく、リリアナも過ごすことが出来ていただろう。
「でも、リリアナは本当に兄上が好きだって言ってて! だから僕は――」
「ほとんど関わりがない相手に対し、どこに対し好意を持つというんだ?」
「そんなこと他の子たちだってみんな言ってる!」
「外見、立場などを見て話をしているというのであれば、私にとって何の意味も持たない。本当だろうが偽りだろうが関係ないことだ」
皇太子として在るべき姿を見せているだけ。それに惹かれたと言われても、セインドゥールには響かない。並べられる賞賛も、甘い言葉も何の意味もないのだ。吐き捨てるように告げれば、クロフォードは驚いた顔を見せた。かと思うと、次にはほんの少しの寂しさのようなものをにじませつつ口を開く。
「……リリアナの言った通りだった」
「何……?」
「兄上は頑なに己を見せないって。ずっと一人でいて、誰にも心を開かない。父上にも皇后陛下にも厳しくされたから、愛情を知らないんだって言ってたんだ。兄上は一人だった。でも本当は羨ましかったんだって」
クロフォードの言葉に、背筋がゾクリとした。幼馴染であるヴェスティンや幼少期から傍にいる侍女たちならばともかく、それ以外の人間でセインドゥールがどう過ごしてきたのかを知っている者などいるはずがない。それが事実かどうかはともかくとして、クロフォードやリリアナが知り得ることなど絶対にありえなかった。けれども、今まさに述べられている言葉を、完全に否定することもできないこともまた事実だ。だからこそ今、セインドゥールは全身で感じていた。得体のしれないものと対峙するような感覚を。
「……」
「リリアナは知ってる。兄上がどう過ごしてきたのかとか、だからきっと兄上もリリアナとなら――」
「もういい……」
「え、兄上?」
頭が冷え、想像以上の低い声が出た。驚くクロフォードに対し、鋭い視線を向ける。クロフォードの顔に怯えが見えたが、それさえも気遣う余裕もないくらいにはこの異母弟に怒りを覚えていた。
「お前は、なんの疑念も抱かないのか? あの女に」
「あに、うえ……?」
「答えろ」
「疑念、なんてそんなの、別に」
それが答えかとセインドゥールは大きく息を吐く。それは失望感に近かった。
「今の会話の中で、あの女に違和感を抱かないというのであれば、お前はそれまでだったということだ。これ以上話すことはない」
「え?」
「一つだけ忠告しておく。あの女とは手を切れ。でなければ、お前は必ず後悔する」
それだけを告げて、セインドゥールはその場を後にした。