意外な人物の訪問
「っ」
目を開けたセインドゥールは己がベッドに寝かされていることに気づく。身体を起こせば乗せられていただろうタオルが落ちた。起き上がっても眩暈もなく、頭痛も大分治まっている。一体どうしてここにいるのか。確かに執務室にいたはずだ。ルナティアと共に。
「お目覚めですか、皇太子殿下?」
「……俺はどうして」
起き上がったことに気づいたのか、侍女長が駆け足でベッドへと近づいてきた。その手に持っていたタオルを手渡され、受け取ったセインドゥールは濡れたタオルで顔を拭く。汗を搔いていたいたのか、それだけでも気分がスッキリする。
「ファレンティーノ侯爵令嬢様がこちらにお連れした方がいいと」
「ルナティアが」
ルナティアと話をしていたところまでは覚えている。その後は覚えていない。眠ってしまったセインドゥールを案じて、ルナティアが執務室の外に控えていた護衛騎士らに頼み、ここへセインドゥールを連れてきてくれたのだと言う。使い終わったタオルを返すと侍女長はそれを受け取り、後ろで控えている侍女たちに指示を出しながらセインドゥールへ説明を続けた。
「心配しておられましたが、未婚の令嬢であるお方を留めるわけにも参りませんから」
「そう、だな。すまない、助かった」
「朝早くに出ていかれて、直ぐにお戻りになられると思っておりましたのに、お戻りになられず心配しておりました」
帰るとも、そのままとも言っていなかった。そこまで頭が回っていなかった所為だ。今はまだ昼を過ぎた辺りだという。随分と長いこと眠っていたらしい。
「何か食べられますか?」
「あぁ、悪いが頼む」
「承知しました。すぐに用意してきますので、ここでお待ちください」
部屋まで持ってくるので待っていろということらしい。動くなと存在に伝えているのだろう。身体は大分楽になったが、今はまだいう通りにしておいた方がいい。夕刻には向かわなくてはならないのだから。
そうして軽い食事を摂ってから、セインドゥールはベッドの上から降りると、西の宮にある小さな庭園へと向かった。皇帝一家が住まう東の宮はこれよりも広いというが、一度も行ったことがないセインドゥールには比較しようもない。セインドゥールには十分な広さだ。尤も、最後にここに来たのは何年も前の話だった。
噴水がある前でセインドゥールは立ち止まる。滅多に訪れない宮の主だというのに、ここはいつでも手入れが行き届いているらしい。それが仕事だと言われればそうだが、誰にも褒められもせず見てもらうことさえできないと言うのは寂しいと感じるものではないだろうか。わかっていて訪れないセインドゥールが悪いのだろうが。そんなことを思っていると背後から足音が聞こえてくる。
「ここに、いたのですね」
不審なものであれば護衛たちが排除する。それがないということは見知った者ということだろう。少なくとも皇城に勤めている者たちにとっては。セインドゥールにとってどういう相手なのかはおいて置くとして。ゆっくりと振り返ってみると、そこには一人の女性が立っていた。あまり身に覚えはない。ただ身に着けているものは、それなりのものだということがわかる。そしてこの場にいることを咎められない人物とくれば、ある程度予想はできた。
「ここに何の御用でしょう、皇后陛下」
「っ……」
そう、この女性は皇后だ。皇帝が来るならばともかくとして、皇后まで立ち入りを禁じているわけではない。そのようなことをせずとも、彼らはこの宮に足を運んだことなどないけれど。
「宰相から、伝言を受け取りました。その真意を、確認したかったのです」
「そのままの意味しかありませんが?」
「何故、私にそれを告げたのですか? 猶予を与えたのですか?」
皇后が何を期待しているのか。セインドゥールにもやんわりと伝わった。だがそれは勘違いだ。むしろ今更そのようなものをセインドゥールに期待してくることがおかしい。
「私は身辺整理をしておくようにと言っただけですよ。それ以上でもそれ以下でもありません。そして、これ以上貴女と話をすることもありません」
「そう、ですか」
「話がそれだけなら帰ってください」
「セインーー」
「貴方にその名を呼ばれる筋合いもない」
皇后の口がそれを形作る前にセインドゥールは牽制する。一度たりとも呼ばれたことなどないものだし、この先も呼ばれたいとは思わない。
「帰ってくれ……」
「っ」
セインドゥールは吐き捨てるように告げると、皇后へ背中を向ける。だが一向に後ろの気配が動く様子はない。溜息を吐き、ならばとセインドゥールが動こうとした時だった。
「ごめんなさい……」
「……」
「私は、貴方が怖かった。自分の子だとは思えず、その瞳に映されるのが怖くて堪らなかったのです。皇族として誰よりもその色を持っていた貴方が怖かった。ごめんなさい……」
懺悔をするように涙声でそれだけ言うと、皇后の気配は遠ざかっていった。身辺整理をするように告げたことで、セインドゥールがどう動くかは理解したようだ。だからこそ最後の機会かもしれないと、ここを訪れた。その理由が懺悔というのは浅はかなものだけれど。
セインドゥールが怖いと皇后は言った。皇后の生家は、確か先代の祖父の側近を務めていた家だったはずだ。もしかすると、皇族の意志の力のことを知っていたのだろうか。いずれにしても今更だ。別に謝ってほしいわけではない。セインドゥールとて、物心ついた時から皇后を母親だと思ったことは一度もないのだから。




