閑話 幼い獣人の子と
セインドゥールから頼まれたルナティアは、腰を落としてルーシェの陰に隠れているルルンと目線を合わせた。
「ルルン様、ルナティアです」
「ルナティアお姉様……」
お姉様とルナティアを呼ぶルルンは、庇護欲をそそる存在だった。潤んだ瞳が見上げてくる。兎耳が少し垂れているのは、緊張ゆえなのだろう。ルナティアは微笑み、緊張を和らげられるようにと優しく声を掛ける。
「私とおしゃべりをしませんか?」
「わたし、とですか?」
「はい」
困惑する様子のルルンは母親であるルーシェを見上げる。ルナティアは身体を起こした。
「ルーシェ様、ルルン様をお借りしてもよろしいですか?」
「はい、是非ともよろしくお願いします。ルルン、お姉様の言うことをよく聞くのよ」
「は、はい!」
ルーシェから許可が出た。ルナティアが手を差し出せば、恐る恐ると言った様子で手を重ね、ルルンが握り返してくる。そんなルルンを連れて、ルナティアはデザートが用意されている場所へと移動した。目を輝かせている様子から、甘いものは好きなのだろう。興味がありそうなケーキを取り、傍にあるテーブルセットへと移動した。甘いものを口にしながら、ルナティアはルルンの話に耳を傾ける。
ルルンはまだ十歳で、こういったパーティー形式の場だと遠くから見ていることが多かったらしい。今回も同じように顔だけ出して去ろうと思ったのだが、ルーシェからもう少し頑張ってみなさいと言われたという。
「皇子様が来ているから、お話してみなさいって」
「皇太子殿下とですか?」
「お婆様の孫として、関わることが多くなるからって」
ルルンはルーシェの娘。つまりルワンダの孫だ。レスタンスの長でもあるルワンダの孫なのだから、成長すればレスタンスを引っ張っていく者としての役割を与えられる可能性がある。それを鑑みて、今からでも帝国、皇族と縁を結んでおくのがいいということだ。
「でも……皇子様はちょっと怖いんです」
「何故ですか?」
「えっとその、強すぎるんです。私は匂いに敏感だから、人族の中でも皇子様はどこか違うんです」
兎獣人であるルルンから見ると、皇族は他の人族に比べて、強者としての匂いがあるらしい。まだ獣人としては幼いルルンは、その匂いに当てられ恐怖となって感じてしまうのだと。
「ごめんなさい。私にはそういうのがわからなくて」
「お姉様も、少しだけ私たちと同じ匂いがします」
「……そうですね。昔にはなりますが、獣人族の方と婚姻を結んだ人がいらっしゃるので、私にも少しだけそういうものが残されているのです」
この世界には多くの種族が存在している。その中で最も多いのが人族、次いで多いのが獣人族である。交流が多いのはこの二つであり、この二つの種族間では婚姻も寛容だった。帝国貴族にもその流れを組む家は少なくない。ファレンティーノ家もその一つなのである。
「でもお姉様は皇子様が怖くないのですか?」
「はい」
「……私も、そうなりたいです」
「皇太子殿下とお話をしてみれば宜しいかと思います。知らないから怖いのです。知れば、きっとルルン様も皇太子殿下とも良い関係を築けるはずです」
誰でも知らないことに不安を感じる。それは対人であっても同じだ。相手がわからないから不安になるのだと。ルナティアは記憶を取り戻してから、ずっとセインドゥールのことを知っていた。実際に関わりあってからはそう時間は経っていないけれど。
関わり合う前までのセインドゥールのことは、単なるデータとしての情報のみ。けれど、今ルナティアが語るセインドゥールのことは、共に行動して触れ合って得た情報だ。だからこそ自信をもって言える。ルルンならば大丈夫だと。ルルンがセインドゥールに感じているもの。それを知っているからこそ、セインドゥールはルナティアに頼んだのだ。つまりセインドゥールの行動は彼女を気遣っていたからこそのもの。彼はルルンをきちんと見ているのだから。
それ以降もルルンに付き合う形で会場内を歩いた。時折会話に入ることもあるが、ルルンの立場を知っている者たちからはそれほど引き留められたりしない。一通り回ったところで軽食をルルンのために取り分けていると、会場の端で誰かと話をしているセインドゥールの姿が目に入った。帝国貴族ではなくレスタンスに所属する令嬢だろう。その特徴的な尖った耳は、獣人族の中でも一際自尊心が高い種族、長耳族のものだ。
「あ、あの方はエルフの長老様です」
「え? あの方、がですか?」
「はい。お婆様よりも年上なのですけど、とても仲が良いんです」
長老様。その言葉にルナティアはどう反応していいのかわからず戸惑う。見た目は、正直にいうとルナティアとさほど変わらないように見えたからだ。獣人族は人族よりも、全体的に長命である。その見た目も年齢を重ねれば重ねるほど一致しなくなる者もいると。純粋な獣人族にのみ紡がれるものらしいので、帝国貴族は概ね外見と実年齢は一致していることが多い。
「あ……」
「お姉様、どうかされました?」
「い、いえ……何でもないです。申し訳ありません。少し疲れてしまったみたいで」
セインドゥールと共にいる長老だという女性。女性がそっとセインドゥールの腕に手を添えて、もう片方の手を頬に添えている瞬間が目に入ってしまった。思わず目を逸らし、動揺してしまう。添えたその手をセインドゥールは嫌がってはいなかった。相手はレスタンスの中でも、かなり重要な相手だ。セインドゥールが下手な態度を取ってはいけない相手でもある。頭ではそうわかっているが、どこか嫌な気分にもなってしまった。
「お姉様、どこかに座りますか?」
「そうですね。そろそろ一度部屋に戻ろうかと思います。ルルン様も、連れまわしてしまってお疲れでしょう?」
「……はい。とても楽しいので、もっとお姉様と一緒にいたいですけれど」
「私もとても楽しかったです。またお話しましょう、ルルン様」
「はい! ありがとうございます、ルナティアお姉様!」
可愛らしい笑顔を向けるルルンの手を引いて、ルナティアはセインドゥールらに背を向けたままルーシェらがいる下へと向かった。




