閑話 垣間見た顔
舞踏会も終わり近くなってきたが、途中で会場を出ていったセインドゥールの姿は今も見えなかった。共に出ていったクロフォードは戻ってきており、リリアナと談笑している。リリアナの顔色はあまり良いようには見えないが、あれほどの醜態をさらしておきながら未だに会場に居座ることのできるのはあっぱれとしか言いようがない。もしかすると他の学生たちから遠巻きにされていることにも気が付いていないのかもしれない。否、それどころではないと言った方が正しいか。
『私の前に姿を見せるな』
セインドゥールにそう告げられたことは、この場にいる誰もが見ていた。この先、リリアナと関わりを持ちたいと考える学生はいなくなるだろう。今までも遠巻きにされていただろうに、それに拍車をかけてしまった。まだ一年生だというのに、この先どう過ごしていくつもりなのか。
『これを逃したら、もうどうやって好感度上げていいかわかんないっ』
きっぱりと断られた後でも、リリアナはそう呟いていた。好感度を上げたいのはわかる。リリアナは、セインドゥールを攻略したいのだから、何としてでも距離を近づけさせたい。この後のイベントが何かルティアナも知っているが、それをセインドゥールと行うためにはこの舞踏会でダンスを踊らなければならない。できなければ、リセットをしてやり直す以外にはないのだ。しかしここは現実であり、リセットボタンはない。そもそもゲームではないので、好感度というものだって存在しなければそれが必要となるイベントだって存在しないのだけれど。
「リアード公子様、少々席を外してきます」
「わかった。行っておいで」
「……失礼します」
ヴェスティンに断りをいれてから、ルナティアは舞踏会の会場を出た。一人で学院の校舎を歩く。静まり返った校舎は、いつもよりも広く感じられる。実際、この学院は広い。記憶の中にあるどの学校よりも。一年生の頃から何度も地図を見て、迷わないようにと覚えたものだ。その中において、真っ先に覚えた場所。それが学生会室だった。
学生会室の前にはいつものように騎士たちが立っている。それが示すことは、学生会室の中にセインドゥールがいるということだ。
「中に入っても宜しいでしょうか?」
騎士たちはお互いの顔を見合わせながら、ルティアナへと頷いてくれた。学生会室に出入りしていることは当然知っているし、何も言わずとも中に入ることも出来る。それでもヴェスティンが傍におらず、後から来るわけでもないので了承は取っておいた方がいいと判断した。無事、了承を得たルティアナが鍵を開けて入室する。
「皇太子殿下?」
扉を閉めて、室内を見回した。いつも座っている机のところには誰もいない。ではどこにいるのだろうか。一歩ずつ前に出ながら周りを確認すると、備え付けのソファーが目に入った。
「殿下……?」
白銀色が見えて、ルナティアはソファーへと近づく。その奥から覗ける濃紫の瞳はなく、閉じられていた。かすかな寝息が聞こえることから、ここで寝入ってしまったということだろう。よくよく観察してみると、どこか顔色も悪いように見える。
「皇太子殿下、起きてください。セインドゥール殿下」
扉の外に聞こえない程度の声量で呼びかける。それでもセインドゥールは身じろぐことなく、ただ眠っていた。綺麗に整った鼻筋、その上の額にはわずかな汗が見えた。
「っ」
「殿下!」
気が付いたのかと思ったが、顔を横に向けただけで、その目は閉じられたままだ。だがその表情は険しそうなものへと変わっている。夢見が悪いのだろうか。いずれにしてもこのまま放ってはおけない。熱はないのかと、ルナティアは思わずその額へと手を伸ばした。
「っ⁉」
「あ……」
手首を掴まれた。と同時にセインドゥールの瞳が開く。その濃紫色の瞳に、ルナティアの顔が映された。少し動けば吐息が届くような距離でセインドゥールと視線が合う。思わぬ状況にルナティアは固まってしまう。
「ファレン、ティーノ嬢」
名を呼ばれて、ルナティアは意識を戻す。動揺してはいけない。これは不可抗力だ。落ち着けと言い聞かせながら、ルナティアはここにいる理由を説明する。その顔に触りそうになってしまったことについては触れずに。
立ち上がってネクタイを締めなおし、上着を羽織ったセインドゥールは退出しようと扉の方へと向かった。見送りをしようとついていったのだが、ふとセインドゥールが立ち止まり振り返る。すると、ルナティアの手を取ってそのまま壁際へ連れていかれてしまった。そして壁とセインドゥールに挟まれる形で相対する。
先ほどの時とは違う。意図的にセインドゥールが顔を近づけてきている。ルナティアは顔を上げて、その瞳をじっと見つめることしかできない。
「私はこれでも君のことは信頼している」
「……光栄でございます」
「ここで見たことは、誰にも言わないでもらいたい」
「皇太子殿下の体調が優れないこと、でしょうか?」
言われたわけではない。けれどルナティアはそう思っている。セインドゥールは体調が悪い。だから寝入ってしまったし、あのような反応をしたのだと。けれどセインドゥールは答えてくれなかった。
「ここに私といたことも、すべてだ。それだけでいい」
「わかり、ました」
皇太子に言われてしまえば、ルナティアに断ることはできない。元より誰に言うつもりもなかった。しかし、念押しをしたということはヴェスティンにも伝えるなということだろう。
「感謝する」
最後に耳元で囁くように告げて、セインドゥールは退出していった。遠ざかる足音を聞きながら、ルナティアはその場で崩れるように座り、耳元を押さえた。
「っ……」
ルナティアには前世がある。生まれた頃からずっと記憶があった。精神年齢でいえば、セインドゥールよりも年上だ。現に、他の同年代を見ても年下の子どものようにしか見えなかったし、何を言われても子どもの戯言だと気にすることもなかった。
『君なら、セインに邪な想いを抱くこともないって』
リアード公爵夫人からそうお墨付きをもらったとヴェスティンから告げられた。ヴェスティンもそう思っていただろう。年下など恋愛対象に入らない。そう思っていた。そのはずなのに……。
「違うのよ……これはただ、ちょっとだけカッコいいとか思っただけで。そういうんじゃない……誰だってあんな綺麗な顔が近づいてきたり、耳元で喋られたら赤くなるものよ」
誰に言い訳をしているのかと突っ込む者はここにいなかった。それでも口に出している辺り動揺をしているのは明らかだ。別にセインドゥールを意識したわけではない。ルナティアはそう言い聞かせて、何度も深呼吸をする。自分はファレンティーノ侯爵令嬢だ。常に冷静で、動揺するようなことはない。暗示をかけるように何度も言い聞かせてから、ルナティアは立ち上がった。




