第27章 奈良時代の終焉
神護景雲四(770)年二月二十七日、称徳天皇は道鏡や由利を伴って由義宮に行幸し、博多川で曲水の宴を開いたり、周辺の男女二百三十人を集めて大規模な歌垣を催したりした。しかし、四月に入ると急に体調が悪化したので、急いで平城京へ戻り、そのまま寝たきりになった。
称徳天皇の病気が何であったのか判然としないが、婦人科系の疾患であったと推測されている。おそらくは子宮がん、もしくは卵巣がんだったのではなかろうか? 疾患が婦人科系のものであったせいもあり、称徳天皇は看病禅師の道鏡を遠ざけ、由利だけをそばに置いた。
(意識がはっきりしているうちにやっておかなければ)
死期を悟った称徳天皇はそう考え、左大臣の藤原永手と右大臣の吉備真備を病室に呼んで「白壁王を皇太子にする」と宣言した。さらに、
「白壁王が天皇に即位したら、次は他戸王を皇太子にせよ」
と命じた。異母姉である井上内親王が産んだ他戸王を天皇にし、実父・聖武天皇の願いを叶えてあげようとしたのである。永手と真備は「承知いたしました」と一礼して病室を去ったが、二人とも目から涙が溢れていた。これが称徳天皇との今生の別れになるとわかっていたからである。
称徳天皇は道鏡とも最後の別れをしなければならないと思い、彼を病室に呼んだ。道鏡は畏まって入室してきた。
「世話になったわね、道鏡」
称徳天皇にそう声を掛けられた道鏡は「勿体のうございます」と身を縮めた。
「道鏡がいてくれたお陰で、わたしの晩年は随分と幸せになったわ」
「晩年などと、そんな悲しい事をおっしゃらずに、また明るく元気な姿を見せてください」
「僧侶のあなたが人間の死を悲しむなんておかしいわ」
「わたくしはまだまだ現世で陛下にお仕え致したいのです」
「それはもう無理みたいよ」
「病は気からと申しますから」
「人間って死ぬ時、それがわかるのね。今わたしにもわかるわ、自分の寿命が尽き果てようとしているのが」
「陛下」
「最後にあなたに会えて良かったわ。これで心置きなく浄土へ旅立てる」
「申し訳ありません」突然、道鏡はそう叫んで、その場に泣き崩れた。「陛下を失望させてしまって」
「何を言うの?」称徳天皇は優しく微笑んだ。「わたしはあなたに失望なんかしていないわよ」
「陛下はご覧になったのですよね、自分を天皇にするという宇佐八幡宮の神託を聞いた時、思わずわたくしが笑みを浮かべたのを?」
「さぁ、そんな事があったかしらね・・・」
「俗物でした、わたくしは。どうしようもない俗物でした。今それを猛烈に恥じております」
「あなたは俗物じゃないわ、道鏡。立派な高僧よ」
「陛下を失望させたのが、つらくて、つらくて、仕方ないのです、わたくしは」
「わたしは失望なんかしていないってば」
「このつらさ、心の痛みは、一生わたくしに付きまとうことでしょう。元々はわたくしの心の弱さが招いたことなのですけど」
「思い詰めちゃダメよ、道鏡」
「わたくしは弟に、浄人に乗せられて皇位を望みましたけど、拒否することもできたはずなのです。しかし、わたくしは断らなかった。いや、断れなかった。心の弱さが、とつぜん芽生えた地位や権力への欲望が、わたくしを惑わせ、あわよくばという気持ちを起こさせ、ズルズルと弟の言うなりになってしまったのです」
「しょせん人間は弱いものよ」
「恥ずかしい。わたくしは自分が恥ずかしい。自分の心の卑しさが恥ずかしい」
「何も恥じ入る必要は無いのよ」
「わたくしは、人としても、僧としても、陛下に相応しくない半端者でした。今はそれを悔い、ただただお詫びするばかりです」
「人間だれしも一つや二つダメなところがあるものよ。道鏡、あなたは親や兄弟のダメなところを見つけたら、それだけですぐ嫌いになるの?」
「いいえ、そうはならないと思います」
「それと同じよ。簡単に嫌いになれないの、強い絆で結ばれた者同士は。わたしの父上は問題の多い困った人で、わたしに迷惑をかけっぱなしだったけど、それでもわたしは父上が大好きよ、今でも。道鏡のことも、ダメなところを含めて全体として好きなのだから、それで良いじゃないの」
「陛下」
「さぁ、もう泣かないで、わたしがいなくなった後も、清らかな心で仏教の布教に努めてね。そして社会の隅っこにいる弱い立場の人たちを救ってあげてね」
「はい、陛下」
「頼んだわよ、道鏡」
「ありがとうございます、陛下」
称徳天皇の病状は一進一退を繰り返したが、死がすぐそこまで来ているのは明らかだった。ほとんど寝ずに付き添っているので自身が半死半生になりながらも由利は、病床で苦しむ称徳天皇を献身的に看病していた。一時的な小康状態が訪れ、意識が戻った時、称徳天皇は「もういいから終わりにして欲しい」と弱音を吐いた。
「弱気になってはいけませんよ。わたしも頑張っているのですから、陛下も病気に打ち克ってください」
由利がそう励ますと、称徳天皇は「だって、苦しいんだもん」と喘いだ。
「苦しいのはお互い様です」
「これ以上、由利に迷惑をかけられないし・・・」
「あら、わたしは少しも迷惑に思っておりませんよ。陛下が生きていらっしゃるだけで、わたしは幸せです」
「ありがとう。優しいのね、由利は」
「どういたしまして」
「でも、広虫を呼び戻す前に、わたしはおっちんじゃいそうよ」
「そんな事、わたしが許しませんわ」
「広虫にわたしが謝っていたと伝えてね」
「直接ご自分の口でお伝えください」
「わたしが死んだら、由利、あなたは泣いてくれる?」
「もちろん泣きますよ。大泣きですよ」由利は語気を強めてそう言った。「だから死なないでください、陛下」
「嬉しい。わたしにも泣いてくれる人がいるのね」
「広虫とわたしを置いて死んじゃ嫌ですよ、陛下」
「人生は虚しい・・・」
「わたしを泣かさないでください、陛下」
「あっけない・・・」
「陛下!」
そのまま称徳天皇は昏睡状態になり、意識が戻らぬまま八月四日に崩御した。享年五十三歳。遺体は奈良市山陵町にある高野陵に埋葬された。葬儀の後、道鏡は高野陵から離れようとせず、この地に留まった。
白壁王が立太子した。高野陵に留まっていた道鏡は造下野国薬師寺別当に任じられ、八月二十一日に下野国へ下向させられた。弟の浄人も翌二十二日に土佐に流罪となった。二年後、失意の道鏡は下野国で没している。
九月になると、広虫と清麻呂がそれぞれの配流先から平城京へ帰還した。
立太子から早くも二ヶ月後の十月一日には白壁王が即位し、光仁天皇となった。このとき六十二歳。天智天皇の血統を引き継ぐ天皇の復活である。元号が宝亀に改められ、井上内親王が十一月六日に皇后となった。
宝亀二(771)年一月二十三日、称徳天皇の願い通り他戸王が皇太子になった。ところが、宝亀三(772)年三月二日、光仁天皇を呪詛したという理由で井上皇后は廃され、同年五月二十七日には他戸親王も皇太子を廃された。二人は無実を訴えたが、宝亀四(773)年十月に今度は光仁天皇の同母姉を呪い殺した嫌疑で大和国に幽閉され、宝亀六(775)年四月二十七日、幽閉先で二人揃って亡くなっている。藤原一族内部の権力争いに巻き込まれ、殺害されたものと思われる。すなわち、藤原一族は武智麻呂を祖とする南家、房前を祖とする北家、宇合を祖とする式家、麻呂を祖とする京家に分かれたが、自分の娘婿である光仁天皇の第一子・山部親王をどうしても皇太子に擁立したい式家の藤原百川が暗躍したのである。
この結果、宝亀四(773)年一月二日に山部親王が立太子した。後の桓武天皇である。天応元(781)年四月三日に即位する桓武天皇の母親は百済からの渡来人の子孫である高野新笠であるから、聖武天皇が母系でも良いので守ろうとした天武天皇の血統は、ここで完全に途絶えることになる。ちなみに、皇室の菩提寺である泉涌寺には、天武天皇から称徳天皇まで七人八代(孝謙天皇が重祚して称徳天皇になったため)が祀られていない。
天武天皇系最後の天皇となった称徳天皇は、来世でこの結果をどう思っただろうか? 案外「残念でした」と舌を出して笑ったかもしれない。称徳天皇は草壁皇子の血統には興味が無かった。しかし、聖武天皇の血筋は残してやりたいと思っていた、父親が大好きだったから。その努力は水泡に帰したが、人間の営みの儚さ、脆さ、虚しさをよく知る称徳天皇なら、最後は笑うしかなかったのではないか?・・・喜劇だわ、これはと言って・・・私にはそう思える・・・
完
《参考文献》
『続日本紀』 宇治谷孟訳註(講談社学術文庫)
『逆説の日本史2 古代怨霊編 - 聖徳太子の称号の謎』
井沢元彦著(小学館)
『逆説の日本史3 古代言霊編 - 平安建都と万葉集の謎』
井沢元彦著(小学館)
『安吾史譚』収録の『道鏡童子』 坂口安吾著(河出文庫)
『道鏡・家康』収録の『道鏡』 坂口安吾著(富士見書房)
『大和古寺風物誌』 亀井勝一郎著(新潮文庫)
『聖武天皇 責めはわれ一人にあり』森本公誠著(講談社)
『天平の三姉妹』 遠山美都男著(中公新書)
『最後の女帝 孝謙天皇』 瀧浪貞子著(吉川弘文館)
『光明皇后 平城京にかけた夢と祈り』
瀧浪貞子著(中公新書)
『孝謙・称徳天皇』 勝浦令子著(ミネルヴァ書房)
『天翔ける女帝 孝謙天皇』 三田誠広著(廣済堂出版)
『道鏡 悪業は仏道の精華なり』 三田誠広著(河出書房新社)
『道鏡 悪僧と呼ばれた男の真実』 寺西貞弘著(ちくま新書)
『弓削道鏡』 今東光著(六興出版)
『弓削道鏡』 黒岩重吾著(文藝春秋社)
孝謙(称徳)天皇に興味を抱いたのは、坂口安吾の著書を読んだときである。道鏡との色欲に溺れて皇統を危うくした悪女という、それまでの孝謙(称徳)天皇像を安吾は否定し、孝謙(称徳)天皇は一生きよらかな体のままであった、とした。本作もその線に沿って書かれている。安吾は孝謙(称徳)天皇を「威風高き女性」と呼んだ。私の小説では、人が生きるとはどういうことか、どういう意味があるのか、その答えを模索しながら懸命に生きた、誠実だけど迷いの多い、普通の女性に描いた。




