第2章 長屋王
元正上皇はタカノを御在所の中宮西院に呼んだ。乳母の石井に連れられてタカノがやって来ると、元正上皇が笑顔で迎えた。
「タカノちゃん、いらっしゃい」
前章に書いた通り、一生を独身で過ごす宿命を背負わされた元正上皇は、幼いタカノを自分の娘か孫のように愛し、タカノと一緒に双六やカルタ遊びをしながら過ごす時間を何よりの楽しみにしていた。四十代半ばの元正上皇は祖母といって良い年齢だったが、タカノにはそれほど年寄りとは思えず、せいぜい「きれいなおばちゃんが遊んでくれる」くらいの認識だった。確かに元正上皇は実年齢よりも若く見えたし、顔には童女の面影が残っていた。ただ、時折そこに深い哀しみのようなものが見え隠れするのも事実だった。
元正上皇は美女だが、それはおぼろげで、控え目で、薄幸そうな影を持つ、雨に濡れた紫陽花のような美女だった。幼いながらもタカノは敏感に感じ取っていた、元正上皇に漂うある種の痛々しさを。それゆえ、こう思っていた、このおばちゃんにはわたしが必要なのだ、わたしがおばちゃんの唯一の慰めなのだ、と。タカノは美味しいお菓子に釣られて遊びに来ているふりをしていたが、本当は大好きな元正上皇を喜ばせてあげたくて、労わってあげたくて、心を癒してあげたくて来ているのだった。
タカノは元正上皇と会う度に母親のアスカとは正反対の存在だと思った。アスカも美女だが、こちらは元正上皇と違って明るく派手な美女だった。性格的には自信家で、でしゃばりで、目立ちたがり屋で、この点も元正上皇とは真逆だった。タカノは元正上皇と一緒にいるとのんびり寛げたけど、アスカと一緒の時はまったく気が抜けなかった。少しでもだらしない恰好をしようものなら、たちまち
「何ですか、タカノ、そのザマは」
と、アスカの雷が落ちたからである。気の強いアスカは時おり聖武天皇にもガミガミ小言を言っていたが、おとなしい聖武天皇は一切さからわず、黙って謝っていた。そういう姿を見ているので、タカノは聖武天皇に感じたような不安、危うさ、守ってあげたいという気持ちを、アスカに対して抱くことは一度も無かった。
そのアスカは父親の藤原不比等を熱烈に崇拝し、実家の藤原家を心から誇りに思っていた。不比等亡き後は、武智麻呂、房前、宇合、麻呂という四人の兄と力を合せて藤原家を盛り立てていこうと考えていたので、聖武天皇に対しても常々こう言っていた。
「あなたはわたしと一緒に藤原家で育ったわけですから、藤原家の一員といっても過言ではありません。いえ、間違いなく一員なのです。それゆえ藤原家を疎かにする事の無いよう、くれぐれもお願いしますね」
アスカは兄弟の中では長男の武智麻呂といちばん仲が良く、それもあって利口者と評判だった武智麻呂の次男・仲麻呂に早くから目をかけ、可愛がっていた。
話を中宮西院の場面に戻す。
「太上天皇さま、お邪魔でしたかな?」
タカノと元正上皇が双六遊びに興じていると、とつぜん男の声がした。この時代は上皇のことを太上天皇と呼んだのである。呼ばれた元正上皇が顔を上げると、長屋王がニコニコ微笑みながら立っている。元正上皇は笑顔で尋ねた。
「おや、左大臣、どうしました?」
左大臣・長屋王の父は、天武天皇の長男・高市皇子である。高市皇子は文武に優れ、壬申の乱においても、実際に軍を率いて戦い、勝利したのは天武天皇ではなく高市皇子であり、いわば天武朝を実現させた立役者であった。このように高市皇子は英雄的気質を持った人物であり、しかも長男であるから、とうぜん次の天皇になってもおかしくなかったが、母親が身分の低い豪族の娘だった為、残念ながら後継者に選ばれなかった。
「あ、内親王さまとお遊びの最中だったのですね。これはどうも失礼いたしました」
その高市皇子の血を受け継いだ長屋王もまた文武に秀でた人物だった。このとき四十歳。前に自分の父親・聖武天皇がこの国でいちばん偉い人と言われてもタカノにはピンと来なかったと書いたが、では国を率いる勇ましくて頼り甲斐のある指導者像に誰が最も近いかと問われれば、タカノは迷わず長屋王の名前を挙げたであろう。スラリと背が高く、端正で理智的な顔立ちをしていて、持って生まれた威厳を全身から発している長屋王には、王者の風格が備わっていた。政治家として優れた手腕を発揮するだけでなく、文化人としても卓越しており、『万葉集』に和歌を五首、『懐風藻』に漢詩を三首残し、自宅で新羅の賓客をもてなす文雅の宴を開いたりしていたので、人々からは聖徳太子の生まれ変わりのように思われ、敬愛されていた。
「急用ですか?」
長屋王は血筋からしても、人格からしても、能力からしても、天皇に相応しい人物だった。そのため、何としても草壁皇子の血統を守らなければならない先々代の元明天皇は、長屋王の母が同母姉の御名部皇女であったせいもあるが、その昇進を早めたり、娘の吉備内親王(すなわち元正天皇と文武天皇の妹)を嫁がせたりして、長屋王を味方に引き入れようとしたし、先代の元正天皇は長屋王と吉備内親王の間に生まれた子供を皇孫扱い(本来は皇曾孫)にすると共に、長屋王本人は親王として扱って優遇した。近年、長屋王の邸宅跡から長屋親王と記された木簡が発掘されたのは、歴史好きな者の記憶に残っていると思う。現職の聖武天皇もまた即位するや長屋王を左大臣に任命し、日頃から何かあると年長者の長屋王に教えを乞う姿勢を崩さなかった。
「いいえ、そういうわけではありません」
このように元明・元正・聖武の三天皇が長屋王を重用し、特別扱いしたのは、敵に回して皇位を狙われないようにする為であるが、それだけでなく藤原不比等が存命だった頃のように再び藤原一族が政界にのさばらぬよう抑える皇族側の人間として、最も頼りになる人物だったからである。
「では、何なの?」
藤原氏対策は常に三天皇の念頭にあり、元明天皇なぞは対策の一つとして藤原四兄弟の中からわざと次男の房前だけを優遇し、兄弟を仲違いさせようと画策した程だった。さすがにこの企みは見透かされて上手くいかなかったが。ちなみに、策士の元明天皇は普段から様々な陰謀を企んでいて、もし万がいち聖武天皇の後に男子が続かなかったら、最終手段として自分の姉と娘の血を引く長屋王の息子に皇位を継がせようと考えていた。
「昨年制定された三世一身法の成果を、未だ途中経過ですが、ご報告しに参ったのですけど、お邪魔でしたらまた後日にいたします」
律令制の下では、本来すべての土地は天皇のものであり、個人の所有は認められなかった。しかし、急激な人口の増加に伴い田畑が不足するようになると、新たに土地を開墾する必要に迫られた。そこで朝廷は開墾意欲を高めるべく、養老七(723)年、新しく開墾した土地は本人・子・孫の三世代に限り所有を認めるという三世一身法を制定した。
「陛下には、もう報告したの?」
「はい、先ほど。しかし、太上天皇さまにも報告しておかなければと思いまして」
「お手間をかけて悪いわね。でも、上手くいっているのでしょう?」
「はい。徐々に開墾地が増えてきております」
「それは何より」と、元正上皇は妹の夫、すなわち義弟である長屋王に向かって微笑んだ。「このまま順調に田畑が増えれば良いわね」
「はい。私もそう願っております。ところで順調と言えば」と、ここで長屋王はタカノに目を移した。「内親王さまも順調に大きくなられましたね。もうすぐ七歳ですか?」
双六遊びのサイコロを何度も転がして遊んでいたタカノは「うん」と頷いた。
「そうですか。内親王さまがお生まれになってから、もう七年ですか。そろそろ弟君か妹君が欲しいところですね」
長屋王がそう言い、意味ありげな表情で向き直ると、元正上皇は声を低めて「困ったものね」と呟いた。二人はタカノから少し離れた場所へ移動し、ひそひそ話を始めた。
「アスカさまだけでなく、広刀自さまの方にも、あれ以来お子さまがお出来にならないのは、どういうわけでしょうか?」
「まったく何をやっているのでしょうね、首は」
「このまま男子が産まれなかったら、後継者争いで朝廷内に紛争が勃発するおそれがありますけど、陛下はそれをわかっていらっしゃるのですか?」
「わかっていると思うけど・・・」
「太上天皇さまご自身は現在の状況をどうお考えなのですか?」
「まずいと思っているわよ」
「非常にまずいですよ。いわば皇統の危機です」
「そうね、それに今のままではタカノが」元正上皇はそう言ってタカノをチラッと見た。「わたしと同じ運命を背負うことになる。それだけはどうしても避けたい。タカノには幸せな人生を歩んで欲しい」
「それなら陛下に意見してくださいよ。真剣に子作りに励むよう活を入れてやってください」
「わかったわ」
「もし陛下がアスカさまと広刀自さまではその気にならないとおっしゃるのでしたら、新たに別のお后さまを探す必要が生じるかもしれません」
「そうなる可能性は低いとは言えないわね」
「いずれにせよ、事は急を要します。悠長に構えているヒマはありません。早急に対策を講じる必要があります」
「左大臣の言う通りだわ」