第16章 橘奈良麻呂の変
天平勝宝九(757)年四月四日、大炊王立太子。孝謙天皇は気づかなかったが、これが藤原仲麻呂による独裁政治の第一歩となる謀略だと察知した男がいた。橘奈良麻呂である。このとき三十六歳で兵部卿の地位にあった。
奈良麻呂は天平十七(745)年に聖武天皇が一時危篤状態に陥った時も、このさき政情が不安定になるのではないかと危機感を抱き、皇室の安泰のため武力による決起を密かに計画したことがあった。次いで孝謙天皇が即位した時も決起の計画があった。さらに聖武上皇が崩御した時も決起の計画があったらしい。いずれも未遂に終わったが、このように一種の正義感と問題意識の強い奈良麻呂が、仲麻呂の陰謀を見抜けないわけがない。
(このままでは仲麻呂の独裁政権が誕生し、皇室はないがしろにされ、藤原氏以外の公家は土地を奪われて没落してゆくことになる)
しかも仲麻呂に対しては個人的な恨みもあった。奈良麻呂の父・橘諸兄は仲麻呂の仕掛けた策略によって朝廷を追われたが、そのあと失意の諸兄は病気になり、この年の二月に亡くなっている。
「父の恨みを晴らす為にも、絶対に仲麻呂の陰謀を阻止し、朝廷を守らなければならない」
奈良麻呂は小野東人ら旧知の同志を集めて計画を練った。東人は藤原広嗣の乱に連座して流罪になった過去を持つ根っからの反体制派である。彼らの計画のあらましはこうである。
七月二日の夕方、密かに兵を起こして仲麻呂の邸宅を包囲し、仲麻呂を討つ。続いて同じ邸内にある皇太子・大炊王の御所を包囲し、大炊王も殺害する。さらに光明皇太后の御所を占拠し、皇権の発動に必要な駅鈴、すなわち律令制で駅馬を利用するときに必要な鈴と、天皇の印鑑である御璽を奪い取る。そのうえで仲麻呂の兄でありながらも敵対している右大臣・藤原豊成を奉じて天下に号令、孝謙天皇を廃位して、塩焼王、道祖王、安宿王、黄文王の中から新たに天皇を推戴する・・・これら天皇候補のうち、塩焼王と道祖王は新田部親王の子であり、安宿王と黄文王は長屋王の子である。
しかしながら、奈良麻呂が武装蜂起を企んでいるという情報は、紫微中台の長官である紫微令から準大臣待遇で内外の兵事をつかさどる紫微内相に昇進した仲麻呂の耳に入っていた。仲麻呂は念のため奈良麻呂を兵部卿から外し、厳重な警戒体制を敷いた。
奈良麻呂に関する不穏な噂は孝謙天皇の耳にも届いた。
「奈良麻呂は大炊王のどこが気に入らないのかしらね?」
孝謙天皇がそう疑問を呈すると、側近の由利が答えた。
「大炊王さまは内相の操り人形みたいなものだからでしょう」
内相というのは仲麻呂のことである。
「え? そうなの?」
「あら、陛下は御存じなかったのですか? 大炊王さまが内相の亡くなった息子の未亡人を妻にし、内相の屋敷を東宮御所にしていらっしゃることを」
「うん・・・」
孝謙天皇がバツの悪そうな顔をすると、もう一人の側近である広虫が「陛下はお人好しですね。そういう理由が無ければ、権力欲の権化みたいな内相が、大炊王さまを担ぐわけないじゃありませんか」と苦笑した。
「わたしはまた舎人親王の血筋で選んだとばかり思っていた」
「政治には裏がありますからね」
由利がそう言って微笑むと、孝謙天皇は悔しそうにうめいた。四十歳になり、孝謙天皇は妙にイライラしたり、急に激昂したりすることが多くなった。
「わたしはおめおめと内相の罠に引っ掛かったというわけなのね。おのれ、仲麻呂め、わたしのことを愚弄しおって。覚えていなさいよ。そのうち痛い目にあわせてあげるからね」
「まあまあ、陛下、落ち着いて」そう言って由利は孝謙天皇を優しくなだめた。「奈良麻呂さまが本当に挙兵でもしたら一大事ですから、事が起きる前に先手を打ち、宣命を発して暴発を戒めた方が良いと思いますよ」
「わたしも賛成です」広虫が言った。「転ばぬ先の杖ですわ」
「でも、奈良麻呂は以前から女の天皇が気に食わなくて、わたしの即位にも反対していたのよね」
孝謙天皇がグズグズ躊躇っていると、由利から「今は個人的な感情よりも社会の平穏を優先すべきですよ」とやや厳しい口調で注意されたので、仕方なく孝謙天皇は承知した。
「ま、奈良麻呂も、わたしや母上をどうこうしようとまでは考えていないでしょうから、ここは穏便に事を収めた方が得策だわね」
孝謙天皇はこういう内容の宣命を発した。
「聞くところによれば、逆心を抱き、東宮御所を包囲するため武器を集めている不埒者がいるという。最初はそんな与太話を信じるつもりは無かったが、何人もの部下が通報してくるので、放っておくわけにいかなくなった。わたしは慈悲の心を持って政治をおこなっている。今回の件は一時の気の迷いが起こした過ちだろうと考え、このままおとなしく撤収するなら、慈悲深く寛大な心でもって罪には問わないであろう」
こう言っておけば諦めて計画を取りやめるだろうと孝謙天皇は楽観視していたが、残念ながらその温情は奈良麻呂に通じなかった。
七月二日の午後、小野東人から
「今日の夕方、内相と皇太子を誅殺する計画があるのだが、おまえも仲間に加わらないか?」
という驚くべき誘いを受けて仰天した者から仲麻呂へ通報が入ったのである。仲麻呂は直ちに東人を捕らえ、厳しく尋問した。当初、東人は「知らぬ存ぜぬ」を繰り返したが、七月四日、拷問に耐えかねて遂に自供した。陰謀の全容が明らかになると、奈良麻呂を始め関係者が次々と逮捕された。
奈良麻呂に対する拷問による過酷な取り調べが始まった。謀反の動機を訪ねられた奈良麻呂はこう答えている。
「一心に朝廷を思ってのことだ。朝廷を乗っ取ろうと企む奸賊・仲麻呂を討ち、その傀儡である大炊王を廃し、仲麻呂の言いなりである木偶の坊の今上陛下を退位させ、朝廷を健全な姿に戻そうと思ったのだ」
しかし、この発言は仲麻呂に遠慮して記録されなかった。代わりに記録されたのは、東大寺の大仏を造り、人々を困窮させたことへの非難の言葉である。しかし、これについては「大仏を造った時、太政官の首班だったのはおまえの父親ではないか」と反論され、奈良麻呂は何も言い返せなかった。
自分や光明皇太后まで粛清の対象になっていたと知るや、孝謙天皇から温情の気持ちは吹き飛んだ。特に皇族に対する怒りが強かった。
「こんなにも皇室に、朝廷に、この国に尽くしているのに、女としての人生を犠牲にしてまで尽くしているのに、それなのにあいつらときたら、同じ皇族でありながらわたしに刃向かうなんて、わたしを天皇の地位から引きずり下ろそうとするなんて、そんなの絶対に許さないわ」
逮捕者の中に黄文王と道祖王がいたが、二人はそれぞれ孝謙天皇によって「久奈多夫礼」(愚か者の意味)、「麻度比」(道に迷う者の意味)と改名させられた後、杖で撲殺された。
安宿王は陰謀の存在は知っていたものの誘いに乗らなかったので、妻子と共に佐渡へ流罪。
塩焼王も逮捕されたが、謀議の場に加わっていなかったし、不破内親王の夫という点が考慮され、放免された。放免後、氷上真人という姓を賜り、臣籍降下している。
奈良麻呂が担ごうとした藤原豊成は右大臣を罷免され、大宰府の下級役人に降格されたが、病気と称して難波の別荘に引き籠った。
奈良麻呂本人の記録は無いが、東人ともども拷問によって死亡したものと思われる。
奈良麻呂の親友の大伴家持は謀反に関与していなかったが、潜在的な脅威があると警戒され、因幡国に左遷された。天平三(731)年に亡くなった父・大伴旅人のあとを継いで、家持はこの因幡国で『万葉集』を完成させている(その後、都へ戻った)。
「ああ、もう嫌になっちゃったな。父上から無理やり頼まれたので、なりたくもなかった天皇になったのに、同族の仲間だと思っていた連中に憎まれ、ひがまれ、邪魔者扱いされて、最後はこんな不愉快な思いをさせられるなんてさ」
奈良麻呂たちの処分の報告を受け、自室に戻った孝謙天皇がひどく疲れた様子でそうぼやくと、側近の広虫が訊いた。
「それなら天皇をお辞めになりますか?」
「できればそうしたいわよ。でも、わたしにはやらなくてはならない使命が残っているの。それをやり遂げるまでは退位できないわ」
「その使命って何なのですか?」
「正統な人間に皇位を引き継ぐことよ」
「既に大炊王さまがいらっしゃるではありませんか」
「あれは未だ合格とはいえないわ。たとえ天皇に即位した後であっても、あの男がわたしに逆らったり、わたしの機嫌を損ねたりしたら、容赦なく廃位させるつもりよ」
この言葉を受けて由利が「陛下にはそうできる大権がおありですものね」と言うと、孝謙天皇は頷いた。
「そう、わたしはただの天皇ではないの。特別な天皇なの。父上がそう保証してくれたから」




