夢、そして出会い
目覚めた時、健太の頬は涙で濡れていた。
夢の中の記憶は、覚醒すると共に急速に薄れゆき、淡
い記憶の断片を残すのみとなっていった
ほんのりと残る夢の記憶の断片を探るうちに、夢の中
で犬を飼っていた、、それだけが思い出せた
(オレ、夢の中で泣いてたのか??)
まだ鈍い思考の中で、犬を飼う夢に思いを及ばせてい
た健太だったが
ピピピピピピピピピピピ
薄っすらと残る夢の断片をかき消すように、スマート
フォンのアラームが鳴り響いた
やかましく鳴り響くアラーム音は健太が操作するまで
続いた
「ん、起きなきゃなー」
気だるく上半身を起こしながら口にした健太だったが
、なかなか布団から抜け出す踏ん切りがつかない
「今日は店長が1時間早めに来いって言ってんだぞ!」
健太は、自らに言い聞かせるように口にするとようやく
布団から勢い良く跳ね起きた
時計を見ると16時32分、いつもならまだ寝ている時間だ
、一瞬また忘れかけていた夢の記憶に思考を傾けかけた
健太だったが身支度にかかる時間の兼ね合いに、すぐさ
ま考えが打ち消された
(しかし店長の用事ってのは一体なんだろうな?)
歯を磨きながらボンヤリと考えを巡らす健太だったが、
ノーヒントで分かるはずもなく、あえなく考えるのを
止めた、顔を洗いタオルで拭いているときスマホの着
信音が鳴り響いた
「はいはーい、誰だろね忙しい時に、、」
ボヤきながらもスマホを手に取った時<桧山店長>の
文字が目に入った
(これから行くのにわざわざ電話??)いぶかしく思
いながらも着信に応じた健太の耳に聞きなれた声が響
いてくる
「おう、悪りーな健太、まだ寝てたか?」
いつもの調子の店長に
「いやーちょうど起きたところでした」
寝起きらしく低いテンションで健太が応じる
「そっかそっか、ちょっと聞き忘れた事があってな」
店長の問いに
「なんでしょう??」
健太が答えるや否や
「お前んとこって確かペット可だったよな?」
「あーハイ」
予想外の質問だったが
「えぇ、ペット可ですね、言われるまで忘れてたけど
、、」
と健太が答えると
「おっけ!わかった、ありがとな」
プツッ、否応なしに通話は切られてしまった
素っ気無く切られる電話も会話もいつもの店長らしか
ったが、尋ねられた内容が少々不可解だった
トースターに食パンを放り込み、電気ケトルで湯を沸
かしながら健太は質問の意図を考えてみた
(誰かのペットを預かって欲しいのかな??)
バターを塗ったトーストをカジりつつぼんやりとそん
な事を考えた、動物好きな健太にとってペットを2~
3日預かるのはさして苦にもならない
(ま、それならそれでいいけど)
カップスープを飲み干した頃にはすっかりペットを預
かる事に抵抗がなくなっている自分に気づく、つくづ
く動物好きな自分を自覚する
家賃5万5000円、2DK和室と洋室一間ずつにキッチン
、バス、トイレ完備、バルコニー付き、正直1人で暮
らすにはやや広く、住んでいてもたまに寂しく感じる
のも事実である
部屋を見渡しながら健太はそんな思いに駆られていた
(まぁ当初の予定では、、、)
今更どうしようもない事柄を思い出しそうになり、残
りのコーンスープを一気に飲み干した後、皿とカップ
を台所のシンクに放り込み、健太は着替え出した
部屋から出て自転車に跨る頃には健太の興味は、如何
な種類のペットが来るのかに移っていた
居酒屋「かっちゃん」健太のバイト先で駅徒歩5分と
いう優良物件である、裏口横に自転車を停め鍵を掛け
て扉を開けた健太を威勢の良い声が迎えた
「おう、待ってたぞー」
風貌通りの威勢の良い喋りの男は桧山竜一
居酒屋「かっちゃん」の店長だ。
バイトを始めて7年になる健太は桧山に可愛がられて
おり、またバイトリーダーとして頼りにされている
、その横に見慣れない女性がちょこんと座っていた、
と、不意にその女性が立ち上がりこちらに向き直った、
「あ、はじめまして、、」
控えめな挨拶がなんとも儚さを感じさせる、健太はし
ばし見入った後、思い出したように挨拶を返した
「はじめまして」
「ま、座れ座れ」
桧山に促されるまま健太は桧山の横の椅子に腰をかけた
「あーゴホン、そのまぁなんだ、実はお前に頼みたい
事があって、な、、」
桧山にしては歯切れの悪い物言いに
「ペットを預かって欲しいんじゃないですか?」
健太の方がズバリと切り出した
「あ、それについては私から、、」
向かいに座る妙齢の女性が口を開いた
「改めまして、私の名前は大貫美晴といいます」
いいながら差し出された名刺に目を落としてみると
(複合型動物飼育施設リリーフアニマル
施設長 大貫美晴)
とあった、健太は名詞を受け取りつつも
「申し訳ありません、私名詞を持っておりませんので」
と答える健太に
「あ、構いません、どうぞお気になさらず」
「改めて、オレは夢原健太といいます」
健太の自己紹介に頷いた美晴はたどたどしく言葉を続けた
「突然こんな話を持ち込んで来て大変申し訳ないのです
が、、」
仰々しい語りだしに健太は少し身構えた、が、その後美晴
の口から語られた内容は健太の想像を大きく超えたものだ
った
「実は私が所長を務める「リリーフアニマル」は動物病院
、ペットホテル、ドッグラン、ペットトリミングサロン
、ペットトレーナー、そして動物保護活動を行う、複合
型動物病院です」
晴海の語りだしに健太は大きく頷いた
「あ、明神町にあるあの大きな施設ですよね、知ってます」
健太の反応に気をよくした様子で美晴は破顔した
「ご存知だったんですね、うれしいです」
屈託のない笑顔を向けられ健太は思わず目を逸らした
(綺麗な人だな、、)
悪い気はしなかったものの、話の核心がまだ見えていない
現状ではどうしてもやや警戒した表情になってしまう、
付きあいの長い桧山は敏感に健太の表情を読み取り助け舟
を出した
「健太、少しリラックスして聞いてほしいんだが、、」
語ろうとする桧山を遮り美晴が口を開いた
「すみません桧山さん、言いよどんでしまって、でも大事
な事なので自分の口で説明させて下さい」
美晴の真剣な表情に桧山も
「お、おぉ、」
と引き下がるのだった
(ずいぶん仰々しいな)
健太が思い巡らせた時、美晴が口を開いて語りだした
「実は、夢原さんに保護犬の引き受けをお願いしたいんです」
健太は自分の予想通りペットの預かりと大差なかった
と思いつつも保護犬の引き受け、というキーワードが引っかか
っていた
「それって、保護犬を引き取って飼ってくれ、って事です
か?」
たずねた健太に美晴は意外な事を言った
「実は夢原さんにお願いしたいのは人慣れ、保護犬と一定期間
共に暮らし、本来の犬と飼い主の信頼関係を構築し、保護犬
に人間は怖くないよ、と教える部分をお願いしたいんです」
2~3日のお預かりを予想していた健太には驚きの申し入れだ
った、慌てて桧山の方を窺う健太だったが当の檜山はバツ悪そ
うに視線をそらすのだった
(店長~いきなりなんですかコレは???)
雰囲気を察した美晴が口を開いた
「いきなりこんな事言われても困りますよね、実は私も知人に
何人か当たってはみたんですが折り悪く引き受けてくれる知
人がいなくて、、」
美晴は言い淀んだ後言葉を続ける
「そんな時に清美さんから「うちの店に動物好きのナイスガイ
がいるからちょっとダメ元で聞いてみる」と言われて、ずう
ずうしいとは思ったのですが、もし引き受けてもらえたら、
と思って、、」
「あははは、言いだしっぺはおカミさんでしたか」
健太は合点がいった、おカミさんとは桧山の妻にして居酒屋
「かっちゃん」の実質的ボスである桧山清美その人であり、20
代後半で店を出した桧山とこの店を支え、数々の経営危機を救
ってきた救世主!従業員のすべてが店長である桧山竜一よりも
尊敬する存在なのだ
「でもなんでオレなんだろ?」
素朴な疑問を健太は口にした、すると美晴は
「さっきグリちゃんとグラちゃんに会ってきました」
と口にした
「あぁ、かわいいですよね~アイツら」
グリとグラは隣のラーメン屋「万福」で飼われているサモエド
の兄弟犬だ、健太にすこぶる懐いており、健太が構っているう
ちは飼い主が呼んでも家に入ろうとせず、家主が度々迎えに来
るのだ
「あの子達、人懐っこいけど飼い主さん曰く、あんなに懐いて
るのは夢原さんだけ、とおっしゃっていたので」
「なるほど、それでわざわざ訪ねてきたんですね」
健太は合点がいった、が、事はそれほど軽はずみに返答出来
る話でもなかった
「確かにオレは犬が大好きです、でもしばらく飼っていないし
、今現在の生活基盤も犬を飼う事を想定してないんです」
申し訳なさを表情に表しながら健太は続けた
「バイトしながら役者の稽古や、たまには仕事もあったりしま
すし」
そう、健太は18の時から役者をこころざし劇団に所属していた
、売れないながらもそこそこの経験を積み、何本かの映画に出
演暦もあった
そこへ美晴が健太以上に申し訳なさそうな表情で言葉をかぶせ
てきた
「実は、、、それだけじゃないんです」
ますます不穏な話の流れに健太がキョドっていると
「この付近のケーブルテレビ「弁天TV」はご存知ですか?」
尋ねる美晴に
「はい、知ってます弁天市のローカルケーブルTV局ですよね」
と答える健太、至って普通の会話なのだが
「その弁天TVの番組でリリーフアニマルを取り扱ってもらえる
事になりまして、その中で保護犬の預かりに密着した番組を
撮る事になりまして、、」
(なんだと!?ま、まさか、、、、)
「それなら役者業をやっていて動物好きの夢原さんにピッタリ
では?というお話を頂いたのです、、、」
(なんじゃそりゃああああぁぁぁ!!)
キッ!と桧山を睨みつけた健太だったが桧山はいつの間にかそ
こにはおらず、白々しくもお茶を注いでいるのであった
そこで健太はポンと肩を叩かれる
「なんて顔してんの」
振り返った健太の頬を人差し指で突きつつ
「怖い顔しないの」
清美は言った、ボスの登場である
「健太くん向きの話じゃなーい、これを断る場合じゃないわよ
ね?」
いささか?どころではない圧を感じつつも健太は答えた
「でもおカミさん、軽はずみに「やります!」なんて返答は出
来ませんよ」
「誰が軽はずみに答えろって言ったのよ、ってか健太くんそん
なタイプじゃないでしょ?」
二人のやりとりにうろたえ気味の美晴が
「じっくり考えてもらってからのお返事で構いません」
と口を挟んだ
「美晴ちゃん、健太くんもしっかり考えてから返事し
たいだろうし2~3日後でお返事でもいいかしら?」
清美の問いに
「もちろん、それで構いません」
美晴は恐縮して答えた
「じゃーねー美晴ちゃーん、またねー」
店の前で手を振る清美に美晴も手を振ってこたえる
「では、また」
手を振る健太に深々とお辞儀した美晴が
「良い返事、期待しています」
と、なんとも断りづらくなる言葉をかけてくる
しばらく美晴を見送っていた二人の脇で門扉の開く音
がした、と思うのも束の間、二つの大きな白い影が一
目散に健太の下へ駆けてきた、グリとグラだ、健太は
しゃがんで両手を広げた、そこへグリとグラが飛び込
んでくる
「こりゃあしばらく散歩に行けねぇぞ」
リードを握っているのは隣のラーメン屋「万福」
の大将 大橋学だ
「健ちゃん見つけたら離れねぇからな」
ボヤきつつも自分の飼い犬が可愛がられるのは悪い気
がしないのだろう、嬉しそうな表情だ
「そういや清美さん、預かるってのはどんな犬なのか
な??」
(んん??)
「あ、それがまだ聞いてないのよー」
(んんんん??)
「お、おカミさん??」
健太は恐る恐る尋ねた
「何の話なんですか?」
大将は恐ろしい事を口走った
「健ちゃんが飼うっていう犬だよ、バイト中はうちに
置いとくんだろ?」
(えええええぇぇぇぇ!?おカミさぁぁん)
「ああああの、あの、その、、、」
健太がしどろもどろになっていると
「しかもねぇ、弁天TVで特集組まれるの、そこに健太
くん出るのよー」
シレッと恐ろしい事を口にした
「へぇぇ、そりゃあ是非見なくちゃな」
大橋は話の流れ的に無関係ではないのに呑気なことを
言っている
(どうやら外堀を埋められているようだ、これ断れな
いやつかもしれないな、、)
焦っている健太の頬をグリとグラが心配そうに舐める
のだった嬉しそうに健太の腕の中に納まるグリとグラ
、そして顔を舐められても嫌な顔ひとつしない健太を
名残り惜しそうに見やりながら美晴は駐車場に向かっ
た
「店長~ヒドいですよー」
健太はボヤいた、恐らくは全ておカミさんの企みであ
るとは知りつつ
「健太ーオレだって先に相談したかったんだがな、清
美ちゃんがどうしてもって、、」
いい淀む店長だったが間髪入れずに救いの手が差し伸
べられた
「健太くん、ここいらっしゃい」
カウンターのど真ん中をポンポンと叩きながら
清美が健太を呼ぶ
「信二くーん、ミキちゃーん、ちょっと健太くん借り
るから片付けよろしくねー」
「へーいおまかせあれー」
「ハーイ、ごゆっくりー」
秋岡信二と園田美樹のそれぞれが軽い返事を返す
秋岡信二はバイト4年目のベテランで健太に次ぐ副リ
ーダー、一方、園田美樹も2年目のバイトでちょっと
やそっとの事ではビクともしない、閉店後の店の片付
けなどお手の物なのだ
「うちは頼りになる子ばかりだから安心して話が出来
るわー」
上機嫌な清美とは裏腹に健太の内心は複雑であった
「おカミさん、あの、、」
言いかけた健太の口を突きつけられた清美の右手の人
差し指が遮った
「昼間の件ね、アタシからの意見を言わせてもらうわ」
語りだした清美の言葉は意外なものだった
「あなた今年でいくつになった?」
「28歳です」
「そう、28歳、世間で言えば結婚して家庭を持ってて
もおかしくない年齢よね?」
(な、なんだ?話が意外な方向へ)
健太は困惑した
「でもあなたは役者を目指してる、何本かは映画にも
出演してるし、私は才能って物が分かる程ではない
けど、あなたは役者に向いていない訳じゃない、と
は思って応援もしてる」
「あ、ありがとうございます」
「でもね、チャンスを掴む努力は必要だと思ってるの」
「チャ、チャンス!?」
「そう、チャンスよ、今が、まさに!」
(何のことを言っているのだろうか?)
「地方のケーブルテレビとは言え、れっきとしたテレビ
番組で毎週放送されるのよ」
(あぁ、なるほど、、)
「あの話、受けて欲しいな、私はあなたの役者人生の
足しになると思ってあなたに話を持ちかけたの」
健太は前々から店の皆に自分の役者人生を心配されて
いる事を自覚していた、だが、それでも、、
「少しでも、足しになりますかね?」
疑問を投げかけてみた
「えぇ、間違いなく!何もせず、ただ粛々と日々すご
しているよりは、ずっと」
自信満々にいい放つ清美の表情に嘘偽りはなかった、
本当に健太の為を思っての事なのだ
健太は両目を閉じ思いを巡らした、今現在の自分自身
の生活、バイトにも慣れ、何ならそのまま就職しても
問題なく仕事も生活もこなせてしまうだろう、だが、
自分はこのままで良いのか?役者としての自分は?こ
こで頭打ちなのか?それで良いのか?イヤだ!まだ終
われない、せめてやるだけやって納得してから諦めた
い!
長い沈黙、、、、、、、、、、、
健太は自分の気持ちを確かめるように目を開け、清美
の顔を見た、後ろには清美の肩に両手を置いた竜一が
心配そうな表情で健太を眺めている
「おカミさん、オレで、、、大丈夫ですかね?」
健太の問いに清美は微笑んで答える
「立ち止まっていたって答えは出ないのよ」
清美の後ろの竜一は、これでもかと首を縦にブンブ
ン振ってい
「こんなに背中押してるのに、まだ踏ん切りつかない
の!?」
清美の威勢の良い声はいつもよく通る
「健太よぉ、オレだってついてるんだぞ」
存在感の薄かった竜一がここで声をかけてきた
(やってみるか!!)
健太は覚悟を決めた
「わかりました、オレやります!」
口に出して言うとなんだか活力がわいてきた
「さすがナイスガイ!」
清美と竜一が満面の笑みで答える
「明日さっそく美晴ちゃんに連絡しておくわ、詳しい
話はそこからね、あ、電話番号教えちゃっていい?」
「はい、そうして下さい」
晴れ晴れとした表情の健太に対して清美は意外な事を
口走った
「ところで美晴ちゃんってかわいいでしょう?」
突然の事に健太は動揺した
「な、え?」
「照れないの、まぁそれはいいわ、とにかく連絡取っ
てみるから」
「頑張りなさい!やるならどこまでも本気で、うちは
お店丸ごと全員健太くんの味方だからね!」
妙にアツいおカミさんの言葉に、新たに決意を固める
健太を
「まぁ困ったら相談しろ、けしかけた手前、相談には
乗るぞ」
竜一が軽い口調で言ってくれる
(この人にはいつも助けられる)
店長である竜一はいつも健太の事を可愛がってくれる
のだった、話が終わり、健太が合流すると間もなく店
の片付けも終わってしまった
「ゴメンなー、信二もミキちゃんも片付けほとんどや
らせちまった」
健太が謝るも
「なんて事ないですよ、それより何の話だったんです
?」
尋ねる信二に
「もうちょっと待ってなさい、すぐ分かるから」
清美がもったいつけて話を濁す
「えー気になるー」
ミキも口を尖らせた
「健太くんにとって大事な事だから、、、」
真剣な清美の表情を見て取った二人はそれ以上追求す
るのを止めた
あくる日の正午、清美はスマートフォンを手にしてい
た、画面には「美晴ちゃん」の文字が表示されている
、ダイヤルボタンを押した清美は穏やかな表情だった
プップップップッ、、プルルルルル
目を閉じ回線が繋がるのを待つ清美の脳裏に、かつて
の懐かしい記憶が蘇っていた
履歴書を持ち店の前に立つ青年、まだあどけなさの残
る21歳の青年、特に目を引く容貌でもないが人当たり
の良さそうな印象、それが健太の第一印象だった、後
に役者志望だと知った彼にとっては、その第一印象は
、むしろ致命的とも言える凡庸さなのかもしれなかっ
た、しかし、清美は知っていた、いや、竜一も、万福
の大将の学も、信二もミキも、皆が知っているはずな
のだ、と清美は思っていた
門扉を開けて出てきたグリとグラ、当時まだ一歳にも
満たなかったサモエドの兄弟は、迷う事なく一目散に
健太の元へ駆け寄った、しゃがみ込みグリとグラを嬉
しそうに撫でる眩しいほどに輝く健太の笑顔を、昨日
の事のように思い出す、あれから7年、健太はすっか
り居酒屋「かっちゃん」の柱になってしまった、だが
、おそらく日々の忙しさに忙殺され役者としての高み
を目指す事を半ば諦めてしまっているのだろう
このままではダメだ!役者がダメでもうちに就職すれ
ば良い、そんな考えでは役者としての大成なんて有り
得ようはずもない、そんな折、同級生の美晴からの電
話があった、保護犬の受け入れ手がいないだろうか?
瞬時に健太に考えが及んだ、美晴には心当たりがある
、と返事をし、すぐさま竜一に全てを話した、自らの
考え、これからの健太、何かが動き出すのではないか
という期待、子供がいない桧山家にとって、健太はま
るで自らの息子のように可愛かった、それは竜一も同
じだろう、健太だけではない、信二も美樹も、まるで
わが子のよう清美は思っていた、その健太が転機を迎
えるかもしれないのだ、多少強引にでも引き受けさせ
る、と清美は誓った、竜一にもそのように説き伏せた
、あとは健太の気持ちだけだったが清美には分かって
いた、あの子は”親”の気持ちを無下にする子じゃない、
と
プツッ
「もしもし、清美さん?」
電話の先の美晴は至っていつもの口調で返答した、清
美は間をおかず
「健太くんが引き受けてくれるそうよ」
清美の言葉を聞いて美晴は自身の鼓動が高鳴るのをハ
ッキリと意識した
「ホント!?」声が上ずっているのが自分でもわかる
「ホントよ、だから必要な手続きや物を伝えてあげて
、電話番号は、、、」
清美の言葉を丁寧に手帳の書きつけながら、美晴は自
分が満面の笑顔をうかべている事に気づいた
「じゃ、お願いね」
話を終えた清美にお礼を述べながらも、美晴の心は浮
き立っていた
この間の「かっちゃん」での面談、そして別れ際の健
太のグリとグラに向けられた笑顔、
(あぁ、この人が受け入れてくれたらどんなに良いか)
美晴はあの時から健太しかいないと思っていた
ありがとう清美さん、深く心の中でお礼を言いながら
も改めて自分を奮起させる
(しっかり!美晴、喜ぶのはやることをちゃんとやっ
てから)
清美から教えてもらった番号に電話をかける、何故か
心臓が早鐘のように鼓動を打つ、自分でも意味がわか
らないぐらい緊張している
プップップッ
程なくして電話は繋がった
「あ、もしもし、夢原です」
「もしもし、先日はどうも、大貫です、今お電話大丈
夫でしたか?」
職業病というのは恐ろしいもので、イザ通話が始まれ
ばお堅い口調が自然と出てくる
「はい、大丈夫です」
健太の返答に少し間を置いて美晴は答えた
「清美さんから伺いました、保護犬を引き受けていた
だけるとの事で、大変有難うございます」
自分の口調が明らかに浮き立っているのが意識され美
晴は少し気恥ずかしくなった
「つきましては「弁天TV」のディレクターも交えて
一度説明会を開きたいと思いまして」
自身を諌め本来の口調を取り戻した美晴は「お仕事モ
ード」に入っていた
「日程につきましては後ほど「弁天TV」さんとも調
整を取りまして、改めてご連絡させていただきます」
「あ、最後にひとつ聞いても良いですか?」
不意の健太の問いに美晴は
「ど、どうされましたか?」
自分が変に緊張しているのが改めて意識された
「オレが預かるワンコって犬種は?」
美晴は一気に緊張が解れた
「あ、すみません、言ってなかったですね、シベリア
ンハスキーなんです」
美晴の返答に
「お、大型犬ですか、以前はシバだったから初めてだ
なー」
屈託なく話す健太の言葉が心地よかった
「大丈夫でした?」
美晴は一応尋ねてみるのだが
「あ、ぜんぜん構いませんよ、むしろ会うのが楽しみ
です」
健太にとっては犬種がどうあろうが愛すべきワンコな
のだ
「はい、では、えぇ、失礼します」
電話を終え予定を手帳に書き付けた美晴はいつもより
ずっと疲れているのを感じた
「はい、では来週の水曜日、14時から、場所はここで
すが「弁天TV」のディレクターさんがお迎えに上
がりますので13時30分には準備しておいて下さい、
それでは失礼します」
「はい、ではまたよろしくお願いします」
健太は電話を切った後なんだか浮き立つ自分の気持ち
に気づいた、ハスキーか、可愛いだろうな、健太は犬
は全般的に好きだがハスキーは特別好きなのだ、だが
、自分でも分かっていた、この気持ちはそれだけじゃ
ない
(そういうんじゃないだろうに、、)
自分に言い聞かせた、まずは保護犬、幸い部屋飼い用
のケージやリード、餌入れや水入れ、ペットシーツな
どは番組側が持ってくれるらしい、至れり尽くせりで
実に有り難い提案だ、あとは、、どんな子か、だな
ま、考えても無駄だ、寝よう寝よう、すでに保護犬を
受け入れる覚悟はしっかりと固まっていた、むしろ会
える日を楽しみにしている自分に気づく
はやる気持ちを抑えつつ眠りにつく健太だった
そうこうしているうちにあっという間に水曜を迎えた
健太は部屋で1人身支度を整えていた
ピンポーン
呼び鈴が鳴る、が、時計を確認すると13時10分
(少し早すぎじゃないか?)
訝りつつも応対に向かう
「はーい、開いてますよー」
返事をするや否や開けられたドアからは予想外の顔が
のぞいていた
「おカミさん!?どうしたんですか?」
そこには清美が立っていた
「いやー炊きつけちゃったのはアタシだからさ、ちゃ
んと見届けようかなーなんて、」
口ではこんな事を言う清美だったが本当は興味がある
だけだった、いろんな意味で
「ちょっとしたら「弁天TV」のディレクターさんが迎
えにくるので上がって待ってて下さい」
「じゃあ失礼して、、」
清美がこの部屋にくるのは二度目だ、最初の時はバイ
トを始めて1年程経った時、ここへの引越しを手伝っ
てもらった時だ
「前に来た時はもう6年も前かー」
感慨深そうに清美がいい放つのを横に聞きながらコー
ヒーを淹れる健太もまた時の流れの早さを感じていた
二人でコーヒーを飲みながらバウムクーヘンをかじっ
ていると呼び鈴が鳴った
健太が応対に出るとメガネをかけた真ん中分けの極め
て普通然とした男が立っていた
「初めまして、山室と申します、宜しくお願い致しま
す」
見た目の通り堅苦しい挨拶だ、時計を見ると13時30分
、どうやら時間にもキッチリしたタイプのようだ
差し出してきた名刺には「弁天TVディレクター兼アシ
スタントプロデューサー 山室 祐次」とDなのかAP
なのか分からない肩書きが書かれていた
「もう向かいますか?」
健太の問いに
「そうですね、15分前には着いていたいです」
山室は答えた
「1人一緒に行きたいと言う人がいるのですが」
健太がおカミさんの同行が可能か尋ねると
「大貫さんからは2名だと聞いています」
と山室は答えた、どうやら清美の性格は美晴に読まれ
ているようだ
山室は街中でたまに見かける弁天TVの軽バンで来てい
た、清美は
「コレに乗るとはねー」
と嬉しそうにしていたが乗ってみると中身はただの軽
バンだった
2kmの道のりを、助手席で揺られながらリリーフアニ
マルへ向かった
「着きました」
山室の言葉で全員がシートベルトを外した
入り口前では3人の職員が待っていた、うち1人は大
貫だった、車から降りた3人は各々がバラバラに職員
に頭を下げ挨拶を交わした、このまとまりのない集団
ははたして今後どうなっていくのだろうか
「奥に会議室があります、そこで今後の打ち合わせを
しましょう」
美晴の言葉に一同がつき従った
「あ、ワンコに会うのは会議の後ですか?」
健太の言葉に美晴が少し顔を歪める
「実はそれも含めて、の会議なんです」
美晴の言葉には妙な重みが含まれていた
「と、言うと?」
健太よりも先に山室が尋ねていた
「実は、、」
美晴が重い口ぶりで話し出した
「お願いしたいハスキーは名前をリッキーと言います」
「へぇ、可愛い名前ですね」 健太は嬉しそうに言った
、だが美晴の口調は重いままだった
「リッキーは放置犬でした、飼い主が夜逃げして、置い
ていかれたんです」
美晴の言葉に一同が聞き入った
「発見された時にはガリガリにやせ細っていて、おまけ
に囲いのある庭に放されて居たんですが、近所の方が
吼えるリッキーを疎んでいて、事ある毎に柵を棒など
で叩いては「黙れ!」「吼えるな!」と怒鳴っていた
そうです」
沈痛な面持ちの美晴の言葉に一同が黙り込む中、健太が
口を開いた
「今リッキーはどんな感じですか?」
健太の問いかけに
「保護犬の中でもめったに見ないぐらい凶暴になってし
まい、私たちも散歩がままならないぐらいです」
申し訳なさそうに美晴が口を開いた
「で、でも、リッキーちゃんが悪いんじゃないんです」
見たところ40がらみの女性職員が口を開いた
「もし夢原さんに会ってもらって、無理だと判断された
ら、もちろん断ってもらっても構いません」
美晴の申し入れに対して健太は
「まず一目、リッキーに会えませんか??」
複雑そうな表情をしながらも美晴たち職員は頷いた
「そうですね、まずはそれが先決かもしれません」
美晴が指差した先には犬舎とおぼしき建物が目に入った
一同は先頭の美晴に続いて犬舎に向かった
門をくぐり犬舎に入ると、独特の匂いと共に犬の声が聞
こえてきた
「リッキーは一番奥の檻の中です」
清美は歩きながらハンディカメラを取り出す山室に気づ
いた
「山室さん何してるの?」
清美が尋ねると
「だって凶暴なんですよね?ひょっとしたら無理かもし
れないんですよね?で、あれば上が納得するように記
録しておかないと」
清美は関心しつつ言った
「さっすがディレクター!しっかりしてるわね」
言われた山室もまんざらではないようで
「いやーこういう所はキチッとしておかないと」
とやや誇らしげである
「この子です」
案内された先にいたハスキーは、檻の中に居るのにさら
にリードでつながれていた
「可哀想ですけど、そうしておかないと危険なんです…」
美晴はツラそうに言った
「これは、ちょっと、困りましたね、さすがに怪我させる
訳にもいかないので、、」 山室がつぶやく中健太は閂を
引いて扉を開けた
「夢原さん何を??」
美晴が驚いて声を上げたが健太は意にも介さず
「ちょっと、皆さん黙ってて下さい」
健太は言うが早いか着ていたMA-1を脱いで左手に巻きつけた
不穏な気配を察知したリッキーは、鼻先に筋を浮かべて目を
吊り上げ低いうなり声を上げた
ドルルルルルルル
犬舎の中に大型犬のそれと似たうなり声が響き渡る、生後半
年程度とはいえリッキーはシベリアンハスキー、猟犬の血筋
なのだ、体格もそこらの中型犬より一回り大きい
「健太くん!何するの?危ない!」
清美の声に健太は口の前で指を立てて
「シッ!おカミさん、お願いだから騒がないで…」
もはや一同は健太の所業を見守るしかなかった
「ほら、リッキー大丈夫だぞ…」
健太がMA-1を巻いた左腕を前に出し距離を詰める、もう攻撃
が届く間合いだ
「大丈夫、オレはお前の敵じゃない」
健太がもう一歩距離を詰めたその時、リッキーは一段と大き
なうなり声を上げて健太の左腕に噛み付いた
ガアッガルァァーーー!!
うなりを上げて左腕に噛み付くリッキーを右腕で抱きすくめ
、健太はそのままリッキーを背中から地面に押さえつけた、
そのまま馬乗りになり後ろ足を押さえつける、体重をかける
事なく、あくまで優しく、、
「ホラ!オレはお前より強いぞ…」
尚もうなりを上げ左腕を噛んだまま激しく抵抗するリッキー
に
「でもなーんにもしないよ…」健太は自身の左腕に噛み付いた
ままのリッキーの頭を、優しく撫でてやった、何度も、何度も
、一分以上が経過しただろうか、口を手で覆い、驚きの表情で
見守っていた美晴が我に返った頃には、リッキーの表情からは
すっかり敵意が消え、いつしか健太の左腕からも口を離してい
た、全員が緊張から解き放たれた時、健太はリッキーの身体を
自由にしてやった、健太が壁に寄りかかり座っていると身体を
起こしたリッキーが歩み寄る、健太が左腕からMA-1を外して
再び着ようとした時、リッキーがまた健太の左腕に口を持って
いった、一同に緊張が走る中、健太とリッキーだけは穏やかな
表情でお互いを見つめあっていた
ふと、リッキーが健太の左腕を舐め始め、健太がリッキーに話
しかける
「なんだ?優しいな俺の左腕心配してくれてんのか?かわいい
奴だなー」
健太の無邪気な笑顔にリッキーも最高の表情で答える
「ウォウ!」
「お!返事した、大丈夫だよ、お前が優しいから腕なんてなん
ともなってないよ」
笑顔で答える健太がリッキーの頭を撫で回しているがリッキー
は意にも介さない
「信じらんない、あんなに取り付く島もなかったのに…」
40がらみの職員は驚嘆した
「山室さん撮った?」
清美の問いに山室は無言で親指を立てて返事した
健太はリードを外し、リッキーを抱き上げて檻から出てきて言
った
「大貫さん、リッキーは凶暴なんかじゃないよ、コイツが本気
だったらオレの腕噛み折るぐらいの力があるのは分かったけ
ど、そんな恐怖は感じなかった」
リッキーの頭を撫でながら淡々と語る健太に美晴は
「なんて無茶するんですか!たまたま無事だったから良かった
ものの、大怪我したかもしれないところですよ!」
美晴の大声にリッキーが反応した
「ウォウウォウ!」
「あぁ、ゴメンねリッキー大きな声出しちゃって」
美晴は素直に詫びた
「オレの方こそ勝手な事してすみませんでした、だから、その
、泣かないで…」
健太に言われるまで美晴は自分が涙を流している事に気づかな
かった
「健太くん、女性を泣かしちゃダメよ!」
清美にたしなめられ健太はスミマセンと小さく謝るしかなかっ
た
「でも、オレ、何かリッキーを見た時に、運命というかビビっ
とくるものを感じて、大丈夫だと直感したんです」
健太は漠然とした直感を口にしたが他人に話しても理解を得る
のは難しいだろう
「しかしこれ、人慣れというかどう判断したら良いのでしょう
かね?」
山室の言葉に職員3名も首をひねる事しか出来なかった、なに
せ、かつてない事例なのだ、、、
美晴は恐る恐る手を伸ばした、分かってる、犬には恐怖が伝染
するのだ、だからこちらも恐れてはいけない、ゆっくりと手を
伸ばしリッキーの頭を撫でる、リッキーは青い瞳を細めながら
美晴の手を受け入れた
「あは、随分おとなしくなっちゃって、可愛い…」
やっぱりこの人だった、美晴は当初の自分の予感を確信してい
た
「リッキーも交えて、今後の方針を会議しましょうか」
晴れ晴れした表情の美晴の提案により一同は会議室へ向かうの
だった
つづく
ドリームドッグは実は部分的に実話で、作者が見た夢を題材にキャラクターや
ストーリーを肉づけした物です
ある日私が見た夢、それは犬を飼う夢、平凡だけど変わった夢、子犬から成犬
、そして死の間際まで、夢の中で一匹の犬の生涯に触れ、目を覚ました時、私
の頬は涙で濡れていました
作者はその当時犬を飼っていましたが、どうやら彼は夢の犬とは違ったようで
す、でも、もし今後の人生で夢の犬に出会ったら、そんな思いを、物語に載せ
て描いてみました、私が人生で初めて綴った拙い文章です
無駄な表現、セリフ、分かりづらい部分、読み苦しい部分も多々あるでしょう
が、なにとぞ、生温かい目でご容赦下さると幸いです。