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エリとお金

 私は夜道を歩きながらおでんのことを考えていた。

 先週はカレーで、その前は焼き鮭だったような気がする。そしてその前は初物の秋刀魚……レイのところに行くたびになにかしら料理を作ってくれた。レイは「お金が無くってできるだけ自炊してるんだよ」といってはいたが、本当のところどうだろう?

 もしかしたらレイに後ろめたさのようなものがあるのかもしれない。何気ない会話の際、レイは「エリには世話になっているから」といっていた。

 きっとバイクを買うときに貸したお金のことを気にしているのだろう。

 レイはバイクを買いたいとお金を貯めていたが、前日に飲み歩いていて頭金の支払日にどうしても三万円足りなくなったとレイは私に相談してきた。

 私はそのときどうしていいのかわからなかった。

 きっと私はレイが後ろめたさを感じるくらい凄い顔をしていたのだろう。その顔は失望だったのだろうか、それとも絶望だったのだろうか。お金を貸した後、家路に向かう私の顔の写ったショーウィンドウには今にも泣き出しそうな私の顔があった。


 私の故郷は最悪の場所だったが、私はその故郷の人間と比べて良い人かと問われればそれは違う。

 もし、故郷にいたときと同じように生活に困れば盗みだって詐欺だって薬や女の売人だってやるに違いないし、実際にそうやって十代後半を生きてきた。ちっとも良い人間ではない。ただ今は生活するだけのお金があるだから故郷の人間と比べて良い人間でいられる。私は善人でいられるお金を得ている人間にすぎないのだ。

 よくよく考えれば故郷の人間も同じようなものかもしれない。みんな貧乏だったから悪人にならざる得なかったに違いない。

 私が生まれるずっと以前、そういう境遇の人たちが集まり、街となり、そこにそういう人たちを利用したい人が集まり、その街を運営するようになる。そして都合のいいように搾取され、利用される。すべてはお金のためだ。お金がなければ道徳心も人情も持てない。利用したい人たちはそういう境遇の人たちがありがたいのだ。お金のためになんだってする人間が。自分たちの都合のいいように利用するために、ただ生きるために必要最低限のものしか与えない。そこから逃げるためにはお金が必要だ。だから逃げることもできず、利用したい人たちの手を借りなければ生きることも難しい。

 すべてはお金なのだ。

 道徳心も人情もお金があるから維持できる。

 お金がなければ、人は盗みも殺しもなんだってできる。自分を生かすため、または仲間や伴侶や子供のために。言い換えれば人間はお金を得ることによって周囲の環境や人格を維持しているのだ。


 それなのにレイは軽い気持ちで「三万円貸して」と私にいってきた。

 そういう人たちは故郷にもいた。身を持ち崩した哀れな連中か、あるいは人の上に立って利用しようとする、他人を舐め切った連中だ。

 私の気持ちはぐちゃぐちゃだった。

 なにをどう考えればいいのかわからなかった。

 レイを通して私は理想の人間を見ていただけに過ぎないのではないか、と思った。ドラマや映画のように無償で自分の生きるべき道を切り開いていける人間であり、人助けを見返りなく行う人間だと思っていただけなのか、と。

 自分を含む故郷の人たちとレイはなんら変わりのない人間だということを突きつけられたのだ。

 現実に引き戻された気分でもあった。

 私だってレイのことをとやかくいえる身でもない。なぜなら詐欺師集団のデクの使いっ走りをやっているからだ。

 シンプルで無垢な東京生活は終わりを告げた。

 私は言われるがままレイにお金を渡した。

 そして家に帰ってベッドに横になった。

 横目にベッドの脇にある鏡に写った私はそんな気持ちを無視するかのように嬉しそうに笑っていた。

 その顔をみて私は泣いた。

 私は嬉しかったのだ。

 複雑な私の思惑とは裏腹になんの気負いもなく私を頼ってきてくれたのだ。ただ単純に困ったから。

 私はそれに応えたんだ。

 様々な複雑な思惑とは裏腹に。

 そうだ。私はいままでの私とは違う。真っ当な人間として生き始めたのだ。だからこそこの人生を生きたい。だからこそ私は逃げるのだ。詐欺集団から警察から……私自身の過去から。


 私はレイのアパートのドアを開けようと合鍵を鍵穴に差し込んだ。その際、違和感を感じて、鍵を回すことなく鍵を抜いた。案の定、鍵は掛かっておらず、ドアは開いた。

 玄関は暗く、人気はない。

「レイ、帰ってきてる?」

 そう言葉に出そうになった。

 いや、帰ってきているのなら部屋は明るいはずだ。

 けれど部屋は真っ暗で人の気配はない。

 レイはおっちょこちょいなところがある。バイクで出かけているはずなのに、何度かテーブルの上に運転免許が置いてあったことがあったし、財布の中にはポイントカードで溢れていて月に一度は整理している。ガソリンの残量を気にせずに出かけバイクがガス欠になり、家までバイクを引きずって来たこともあった。

 おそらく、今回も部屋に鍵を掛けずに仕事に行っただけだろう。

 私は部屋に明かりをつけようとスイッチに手を伸ばした。

 その瞬間、腹部になにか針のようなものに刺された感覚があった。その激痛に私はうずくまる。

 その痛みに記憶があった。忘れようとしたって忘れられない。故郷で乱暴されたときに変態野郎に何度も使われた。

 ――スタンガンだ。

 暗い部屋に青白い光が走る。

 あのときのトラウマがフラッシュバックする。

 ただ、スタンガンを持つ指がやたら精巧な工芸品のように美しく、スタンガンなんて無骨な物を掴んでいるのが不思議なくらいだった。

 そして次の激痛が私の意識を奪った。

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