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土門礼

 僕はマネキンヘッドの髪へ慎重にハサミをいれ、長さを整えて最後の仕上げを終えた。

 髪を切っているうちは作業に集中しているお陰で不思議と緊張するものではないが、終わると同時に緊張してくる自分がいた。「この髪型で良かったのだろうか」「カッティングミスはないだろうか」「もう少し、早くできたのではないだろうか」ぐるぐると頭の中に反省点や言い訳が渦巻いて心臓の音が身体中に響いていた。店長の阿部さんがマネキンヘッドの周りを回りながら点検するときの一挙手一投足がそれに拍車をかける。

 Y野美容専門学校を卒業し、ここに研修して半年、死に物狂いで勉強や技術を磨いてきたのだ。これでまたダメ出しを喰らったら、僕は立ち直れるだろうか。いや、立ち直るしかない。倒れたら立ち上がってまた頑張るだけだ。とにかく一に練習、二に反省、三四はなくて五に情報収集だ。下手なら下手なりに突き進むしかない! このダメ出しだって僕を向上させるための愛のムチだ。いまはその痛みを甘んじて受けよう。よし、決心はできた。さぁ、阿部さん、僕を遠慮なくボコして下さい!

「うん、いいんじゃないか。一ヶ月前とは見違えるようだ」

 思っていた言葉とは裏腹な言葉が阿部さんの口から出ると、僕はなにがなんだか、わからなくなった。一瞬、ぼうっとなって頭が阿部さんのいった言葉を認識できずにいた。

「いや、でも。襟足の方が切りすぎてしまったかもしれないし、ニュアンスが一世代前に近くなってしまったし。まぁ、ヘッドの顔には合ってますけど、リアルだともう少し、今っぽくした方が……」

 いわれるであろう言葉が自分の口から出始める。それを微笑みながら阿部さんは聞いていたが、僕の肩にポンと手を置き「一週間もすれば馴染む長さだ、気にならないよ。ニュアンスも古くない。むしろ手堅くていいんじゃないか? じゃあ、明日から新規のお客様が来られたら受けもてよ」と言葉をかけてくれた。

「よっしゃぁ!」

 溢れ出す気持ちがそのまま僕にガッツポーズをとらせた。


 S北沢の一角にある美容院『アベニュー』に僕は勤めていた。

 美容師なんて技術職のわりに安月給だし、不器用なおまえがなんで美容師を目指したのかわからないと高校の同級生に訊かれたが、理由は単純に好きだったからだ。

 髪型で人は少し変わる。ファッションがそうであるように。ちょっとした変身願望と自分発見の楽しさ。その些細な変化は人生に置いて大した意味はないかもしれない。けれど冒険し新しい自分を発見し少しアガるような、自分を本当の自分にしてもらうような……そんな人生のなかで些細な喜びを発見できる手助けをしてあげられたら僕も嬉しいのだ。

 実家の近所の理髪店に面白いおじさんがいた。

 子供の頃、よく連れていかれたが「ちょっとカッコよくしような」と僕の注文も聞かず、けれど僕に合ったように切ってくれた。そしていつも少しづつ変えてくれた。もしかしたら僕に可能性を感じていたのかもしれないし、おそろしく不器用で同じ髪型に出来なかったのかもしれない。だがそのおじさんのカッティングに僕は惹かれていた。切られる度にいつもと少し違う自分が発見できるのだ。そして髪型ひとつでこんなにも日々の景色が変わるものなのだと幼い自分は自分にしか発見できないような特別な宝物を見つけた気分だった。

 それで僕の将来の夢は美容師になった。両親の反対もあったが、結局、Y野美容専門学校に入学させてもらった。僕には出来の良い兄がいたから下の子は自由にしたらいいと両親は思っていたのかもしれない。N県から東京に上京し専門学校まで出させてもらった。両親には感謝している。あとは早く一人前になって独り立ちしたかった。


「じゃあ今日はもう店じまいだから……」

「あっ、いつものようにカットモデルの呼びかけしたいんで店使わせてもらっていいですか?」

 僕の言葉に阿部さんは意外なような嬉しいようななんとも複雑な顔をした。

「うーん、まぁ、程々になドモン」

「止めて下さいって、そのあだ名。僕は土門(ツチカド)ですって、土門(ツチカド) (レイ)

「はいはい……まぁ、あんまり張り切り過ぎないようにな」

 軽く受け流されたが、土門という苗字が珍しいのかドモンとよく呼ばれるが、ドモンなんてマッチョでゴツイ男みたいなあだ名が嫌だった。

 鏡に映る僕はかなり細身の男だ。顔立ちだって自分でいうのもなんだが良い方だと思う。(その手の事務所の人から名刺をもらったことが何度かあった)髪は先輩方の練習台として整えられているし、髪色だって色々、染めたり、脱色したり自分で練習していた。最近は白髪が僕の気分だったから今は白髪にしている。そんな細身の白髪の好青年にはドモンなんてあだ名は似合わないと思うんだけど。かといってレイでは短すぎて呼びにくいか。けれどツチカドだと長すぎる。やっぱり三文字程度があだ名らしいのかもしれない。呼びやすいように呼んでくれればいいと割り切るにもイメージというものもあると思う。ドモンじゃなくてツッチーあたりにしてもらいたいものだ。でもやはりレイの方が僕らしいと思うんだが、とショーウィンドウに映る僕の姿を横目に眺めつつ店の前でカットモデルを探していた。


 そんなときスマートフォンが鳴った。

 僕の彼女の三浦エリからのLINEだった。

『今日、仕事早く終わったからそっちに行くね。晩御飯まだならなにかつくろうか?』

『お疲れさん。ちょっとカットモデルのハンティングしてからいくから遅くなる』

『じゃあ、レイんち勝手に食べて寝る』

『ああ、おでんの作り置きがあるから食べてもいいよ』

『ありがとう。あと明日、休みなんだけどどうする?』

『明日はS北沢駅前で古着屋巡りしたいんだけど、エリは?』

『お供します』

 三浦エリはY野美容専門学校の同期でしかもN県出身者だった。気さくでなんでもよく話すし、一緒にいてなんだか安らいだ。専門学校時代からのつき合いだ。

 彼女の方も美容師を目指していたが、美容師免許は取って美容院に就職したのはいいが、不器用なため、いつになってもカットをさせて貰えず腐っていた。そして美容院のシャンプーによる手荒れを理由に辞めて、今ではどこかの事務所で事務仕事しているらしい。週末はよく僕の部屋に泊まりに来ていた。


 僕はスマートフォンをしまうと気を取り直して、道行く人で髪の長そうな人に声をかけて始めた。

 無料で練習台になってもらうのだ。できればアベニューに来店するくらいの若年層から少し上を狙っていきたい。僕はもう研修生ではなく店員になったのだ。気に入ってくれたら来店して僕を指名してくれたら嬉しいな、といつも以上に気合いを入れて道行く人に声をかけていた。

 そして何人目か断られた後にまるで今日、世界が終わるんじゃなか、というくらいの暗い顔の女性に声をかけてしまって、少し後悔した。確実に断られそうだし、モデルになってもらってもカットの最中ずっと愚痴を聞くのも少々辛いものがある。

 けれど彼女は僕と目が合うと真夏の日差しに氷が溶けるように暗さがなくなり、顔を輝かせ始めた。

「どこかで会いましたっけ?」

 その顔の輝きは好きな人に再会した女性の顔のような気がしたからだ。

「あっ、僕、そこの美容院の研修生でして、土門礼(ツチカド レイ)といいます」

 僕はまだ胸についていた名札をその女性に見せながらいった。僕を誰かと間違えてないかと少し不安だったからだ。しかし、その名札をみて女性はますます顔を輝かせた。さっきまでの暗い顔を思い出すのが難しいくらいに。

 そして「レイ……モン、ド……」となぜか名札の漢字を逆につぶやいた。

 いやいや、土門礼だって。なんでみんな好き勝手にあだ名をつくるのかなぁ、まぁ、ドモンよりはマシかなと思ったが、僕は笑顔で気軽に「レイでいいですよ」といった。

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