礼、雨路をゆく
身を切るような秋の夜風はやがて湿気を帯び、雨粒へと変わっていった。
女心と秋の空というが、こんなにも自己中心的に変わる秋の空はきっとモテはしないだろう。できれば一途に晴れ渡っていて欲しかった。
僕はヘルメットを被るとアパートまでの坂道をバイクを引っ張って駆け上がろうとした。その際、水溜まりに入ってしまったが、お構い無しだ。十数メートルの坂道を一気に駆け上がり、屋根のある駐輪場にバイクを置いた。
ふぅ、と一息ついてヘルメットを被ったまま僕の部屋へと向かう。水溜まりに入った際、濡れたのだろう。靴から冷たい雨水が染みて靴下を冷たく濡らした。
僕は「ただいま」とおそらくもう来ているであろうエリにいうと、玄関に座り、靴を脱ぐ。濡れて滑りが悪く手こずっていると後ろから声がした。
「おかえりなさい。濡れましたか?」
「うん、タオルと靴のなかに入れる紙とかない?」
「はい。タオル」
まるで僕が濡れて帰ってくることを予見したかのようにハンドタオルが手渡され、僕は上着を拭いた。
「昔はさ。濡れた靴のなかに新聞紙とかよく入れてたよね。僕は新聞とってないんだよ。ネットで十分というか……でもないと不便だね」
「レイさんもそうでしたか。うーん、乾かすのなら……キッチンペーパーで代用しますか?」
「なるほど! ナイス」
僕はキッチンペーパーを受け取ると靴磨き用の布巾でさっと靴を拭いた後、靴にキッチンペーパーを詰め込んだ。
「これで晴れた日にベランダにでも出して乾かすよ」
「合成の革でも変形する場合がありますから陰干しがいいと思います」
「なるほど……」
よく気がつくな、エリは。と言おうとして後ろを振り返ると見知らぬ綺麗な女性がまるで春の陽射しを思わせるような微笑みを浮かべながら立っていた。
「……あんた、誰?」
僕の言葉にその女性の表情はめまぐるしく変わっていった。おそらく一秒にも満たない時間で微笑みから驚きに変わり、悲哀の表情から目に涙を浮かべ、その潤んだ瞳は怒りの色を帯びてゆく。
……いや、顔には見覚えがあった。
そうだ! いまさっき美容院で自分がカットした女性だ。その子が僕の部屋に……僕が部屋を間違えたのだろうか。そんなはずはない。玄関は僕の靴でいっぱいだ。いままでエリだと思って話していたはずなのに、なんでこの子がいるんだ? じゃあ、エリの友達とか?
「あの……エリは?」
様々な言葉が頭を巡ったが、僕はそのなかでも最悪の選択をしてしまったのかも知れない。
ズドン。
腹部に衝撃と激痛が走った。
僕は刺された、と思ってお腹を押さえてうずくまったが、手で触ったところに傷はおろか出血すらしていない。
痛みを堪えながら、女性の顔を見上げるとまるで白磁で造られた精巧な人形のように何の表情も浮かべてはいなかった。その女性は「レイ、私の名前をいってみて」と機械が発したかのような無機的な声で詰問しながら手に持ったスタンガンを僕の額に突きつけた。
そのスタンガンの冷たい二本の突起物がやたらと冷たかった。
「あ、あの……すみません。知りませ」
おそらくなにかの誤解か、はたまた勘違いがあるのかもしれない。ただ怒らせては大変なことになることは確実に予想出来た。怒らせてはならないと、様々な言葉が頭のなかを駆け巡ったが、おそらく、また最悪の選択をしてしまったのだろう。
なんの躊躇もなくスイッチは入れられ、僕は意識を失った。