三章 人間
薄っぺらい木製のドアを開けるといつも通りの光景があった。思い返してみれば、今日だけで色々なことがありすぎた。初めての殺しの依頼をこなしたと思ったら、今までで最大の大儲けをして、俺の手には負えないような崇高な目的で作られたAIまで拾ったのだ。実は今までのことは夢の中で起きた出来事で、ちょっとした拍子にそこのベッドの上で目が覚める、なんてことがあってもおかしくないと思うのだが、普段と同じように部屋の中に雑多に置かれた箱がそれを否定してくるようだった。不思議だったのはそのことに自分が少し安心感を感じたことだった。
「貴方の部屋は、研究所にあった私のとはだいぶ違いますね」
ノヴァの高い声が狭い部屋に響いた。
「そりゃそうだろう。人を模してるとはいえ、お前は機械なんだ」
「そう、ですね。私は貴方とは違います」
ノヴァは自分の手のひらを見て、何か考え込んでいるようだった。指先までムラのない真っ白な塗膜と指の関節一つ一つに彫られたエングレービングは人間には有り得ない美しさだった。
「ま、とりあえず座れよ。お前が突っ立ったままじゃ俺も落ち着かないしな」
俺は穴あきグローブを嵌めたままの手でソファを指差した。
「ありがとうございます」
ノヴァは素直に従った。
ノヴァを座らせた俺は装備品の類のチェックと着替えを済ませてしまうことにした。今日はこれからノヴァの電源回りの設備を整えないとならないが、わざわざ軍用ベストを着てやるようなことじゃない。
「目の前の机に色々置くと思うが、気にしないでくれ」
そう一声だけかけて俺はさっさと作業を進めることにした。
背中に背負っていたリュックサックと銃を下ろす。リュックの中身はほとんど空だったが、昨日もらった銃のマガジンの残りが入っていたからそれだけ引っ張り出した。銃の方はマガジンを抜き、チャンバーに入っていた弾を取り出した。これですぐに撃てなくなる代わりに暴発もしない状態になる。軍にいた時に教わったものだった。軍ではこういう基本操作くらいしか教えてもらえなかった。銃の撃ち方は聞いたが、弾の当て方までは聞けなかった。おかげで練度なんてほとんどあったもんじゃなかった。あの頃の軍は烏合の衆、という言葉がぴったりだったと思う。まぁ、核のせいで当時の軍人の半分以上がいなくなっていたから無理もないだろうけれど。
今、思い出してみるとぞっとする。下士官以下のほとんどを失ってしまった軍がどうにか戦争を続けるために行ったのは、若い男達を根こそぎ徴兵することだった。そのせいで友達は大勢死んだ。大勢というか、たぶん今生きている奴は一人もいないだろう。俺だけが生き残ってしまった。
俺が軍から逃げたのは本当に正しかったのか。毎日、眠るときにそう思う。ひょっとすると俺は戦場で核に跡形もなく吹き飛ばされた方が幸せだったのかもしれない。そうなったなら少なくとも友達を裏切るようなことはしていない、まだまっとうな人間として死ねただろう。
結局お前は惰性で生きているだけだ。手に持った銃の冷たい感触は俺にそう訴えかけてくるような気がした。
「その、大丈夫ですか」
「あぁ、どうした?」
「その部品、もう三回も出し入れしています」
ノヴァの声には少し困惑したような含みが聞こえた。確かに、マガジンを手癖で何度も出し入れしていた気がする。
「悪い悪い。ちょっとぼーっとしてただけだ」
「ぼーっとしてた……ぼーっとするとはどんな感覚なのでしょうか」
「また難しいことを聞くな……」
「言葉としては理解していますが、私はまだ経験したことがないのです。どうすればぼーっとするというのを感じられるでしょうか」
「うーん……」
少しの間腕を組んで考え込んでいると、外から車の近づく音がした。
「ちょっと考えさせてくれ。お前用の色々が届いたみたいだ」
「話はその後、というやつですね」
「そういうことだ。ちょっと待っててくれ」
玄関の扉を開けると案の定、店主がトラックを停めていた。俺が運転席の方に近づくと店主はドアを開けた。
「ずいぶんデカいので来たな」
「うちにはこれしかないんでな。さ、荷下ろしするぞ」
運転席を降りた店主はそのまま後ろの荷台のドアを開けた。中は案の定ほとんど空っぽだった。
「奥に布が被さってるやつがあるだろ。そいつを持ってけ」
「俺一人でも持ち上げられるか?」
「大丈夫だ。そこまで重くない」
荷台に上がって布を剥いでみると店の中にあった充電器よりずいぶん小さいものだった。これなら一人でも持ち運び出来るだろう。ちょうど家にある在庫が入ってる箱くらいの大きさだ。両手で抱えてみると簡単に持ち上がった。
荷台から降りると店主が待っていた。
「これだけなのか?」
「あぁ。そいつの中にバッテリーが入っててノヴァにはそれ経由で充電する仕組みになってる。どうせこの家には電気なんて通ってないだろ?」
「悲しいことにな。お気遣い感謝するよ」
「バッテリーが切れたときにはうちに持ってきてくれ。ちょっと金は取るが、充電してやる」
「金取んのかよ……」
相変わらず商売上手な奴だ。店主は大きな声で笑って頭を掻いた。
「こっちも電気代ってのがかかるんでな。じゃあ俺は行く。ノヴァとは上手くやれよ?」
充電器を抱えた俺を横目に店主はさっさとトラックに乗り込んでしまった。店を長く空ける訳にはいかないんだろうが、もう少し話がしたかった。
それにしても、上手くやれよ、とは結構な軽口を叩いてくれるものだ。こっちは人間のようで人間じゃない機械なんていう恐らく人類史上一番厄介な相手を家に住ませることになったのだ。まぁ、店主なりの応援なのかもしれないが。
少し苛立ちを感じているとトラックはさっさと走り去ってしまった。とりあえずこいつを家に入れてしまおう。
「おかえりなさい」
家の扉を開けるとノヴァが出迎えてきた。
「久しぶりに聞いたな。それ」
「そうなのですか?人が帰ってきたときにはそう言うものだと学習したのですが」
「俺は長らくひとり暮らしなんでな」
「なるほど」
少し話していて気づいたのだが、ノヴァは一般常識くらいの教養はあるみたいだ。挨拶や敬語なんかだ。ただそれ以外となると割と抜けていて、知識の偏りがあるような気がする。出会ってすぐに誘惑だのとのたまってみたり、この世界じゃ大量に溢れてる銃に関しては無知だったりしている。なんというか、言葉の通じる赤ちゃんを相手にしている気分だ。
「それはそうと、こいつが充電器らしいぞ。使い方はよく分からんからお前がいじってくれ」
「私がですか?構いませんが」
「俺は機械にてんで疎くてな……。今後も自分の体とかこいつの調子が悪くなったときにはあのスーツ着てた店主に世話になると思う」
そう言って持っていた機械を渡した。ノヴァのほっそりとした体には少し重たそうに思えたが、難なく受け取った。そしてそのまま後ろにあるソファの横に置いた。
「ここに置いてしまって大丈夫ですか」
「いいよ。どうせ俺の部屋なんてガラガラだしな」
ノヴァはそれからしゃがみ込んで充電器をいじくっていた。俺はその様子をベッドに座って見ることにした。
ずっと変わらない無表情でコードの抜き差しや機械についたつまみをいじっているのを見ていると、ふと整備士の友達を思い出した。親の跡を継いで色んな車のメンテナンスをしていた。たまに仕事のことを話す時の楽しそうな顔は忘れられない。あいつは確か生まれつき体が弱くて徴兵はされなかったはずだ。最も、今は核に焼かれたか砲弾に全身バラバラにされたかのどちらかだろうけれど。
「どうだ?ちゃんと使えそうか?」
「ええ、これならすぐ使えます。その必要はまだないですが」
「さっきまで充電してたもんな。次必要になるのはいつ頃だ?」
「一週間後辺りです」
「ずいぶん長持ちするな」
「これも研究の成果なのだと思います。初期モデルの最大起動時間は六時間程度だったようですから」
「AIに合わせて体も進化してたって訳だな」
そう考えるとあの研究所にいた人間たちは恐ろしい早さで研究を進めていたのだろう。たったの三年でここまでの物を作って、まだ改良を続けている……はずなのだからすごい話だ。
「そうです、少し前の話に戻ってしまうのですが」
調整を終えたらしいノヴァは傍のソファに座って話し始めた。
「ぼーっとする、というのを試してみたのです」
「あぁ、そんな話してたな」
「誰も居ない空間で何もせずにしていると考え事が捗りますね。人がぼーっとする理由が分かった気がします。これからも適度にぼーっとしてみたいです」
「はは、そりゃ良かった」
適度にぼーっとする、という不思議な表現に思わず笑ってしまった。
「ぼーっとしてる間、何考えてたんだ?」
少し気になった俺はせっかくだし、と聞いてみることにした。
「その、少し口に出すのは躊躇われるのですが……私は機械の身でありながら新しい人類として作られました。私は、生物学的には人間にはなれません。そんな私でも人間を名乗れるのだろうかと」
「それか……少し、俺の考えを話すぞ?」
哲学的な話になるが、ノヴァならきっと理解できるだろう。
「俺は人間ってのは、体はどうだっていいと思ってるんだ。義手義足は人のと遜色ないのが出回ってるし、あの店の客にも全身機械にした変態がいるらしいしな。だからガワなんてのはもうなんでもいいんだ」
「なるほど」
「俺はそれよりも自分で考えて行動出来るかどうかが大事だと思ってる。その辺のゴミを漁って一日を凌ぐような生活をしていようが、ちゃんと考えて動けている間は大丈夫だ。何も考えず、何かにすがって生きるようになった瞬間、そいつは人じゃなくなる。っていうのが俺の考え方だ」
「そうなのですか……」
ノヴァは少し俯き、自分の手のひらを見つめていた。
俺がこういう哲学を持ち始めたのは軍から逃げてしばらくしてからだ。ある時、夫を失って薬に溺れた結果、息子に見放されて行き場をなくした女がいた。通りを歩いていた俺に、そいつは身の上を丁寧に話して、物乞いをしてきた。俺は何が欲しいと聞いた。女は薬と答えた。その瞬間、俺は話すのをやめて立ち去った。背後からはお願いします、お願いしますと懇願する声が聞こえたが無視した。
俺にはそいつが人間だと思えなかったのだ。野良犬に餌をやる余裕はなかった。
女があの後どうなったのかは全く分からない。もう一年以上前のことだし、当時いた街もどうなったのか知らないほどだ。でももう、あいつは生きていないだろう。
「えっと、ありがとうございます。私も人間になれるかもしれないと思えました。今はまだ分からないことばかりですが、もっと自分で色々考えられるようにならなければいけませんね」
「そう思える時点で、お前はもう立派な人間だよ」
ノヴァはそれを聞いて笑った。初めて彼女の笑顔を見た。綺麗だった。
「貴方は優しいですね。私も優しい人になりたいです」
「俺は優しくなんかないよ。……でも、あんたには優しい人になって欲しい」
なんだか変な口説き文句を言ったみたいで恥ずかしくなってきた。顔が熱くなるのを感じつつ、部屋が暗くて少し安心した。ノヴァに今の顔を見られたらまた質問攻めに遭うだろう。
話をずっと続けていて気づかなかったが、ふと腕時計を見るともう五時過ぎになっていた。
「そろそろ飯にするか。……あー、あんたは飯要らねぇのか」
「ええ、私には必要ないのですが……まだ食事には早い時間のような気がします」
「ほら、ここ電気通ってないだろ?だから早めに食べないと真っ暗で手元が見えなくなるんだ」
「ということは夜になったらすぐ寝てしまうのですか」
「そうだ。分かりやすくていいだろ?この生活を始めてからずっとこうなんだ。てことで場所、交代だ」
そう言って俺は立ち上がった。部屋に置いてある箱のうちの一つから軍用の携行食と買いためておいた浄水の入ったペットボトルを取り出し机の上に置いた。ノヴァは机のそばで突っ立っていた。
「別にベッドに座ってていいんだぞ?なんなら寝っ転がってもいいが」
「いえ、なんだか気が引けるので」
「そういうもんか」
携行食の包装を破いて中身を取り出すと、プラスチックの皿に筒状のパスタが入った袋とソースの入った袋、それからこれまたプラスチック製のフォークが載っていた。
「袋の中からまた袋が……」
ノヴァは驚いているようだった。青い目を見開いて机の上を見つめている。
また袋を破いて盛りつけを終えると、皿の上にはそこそこ豪華なミートソースパスタが出来上がっていた。
「美味しそうですね……」
「あんたは食えないだろ……それじゃいただきます」
この時、俺は初めて気まずい食卓というのを経験した。恐らくノヴァは純粋な興味から見ているだけだと思うのだが、俺からすると腹を空かせた女の前で食事をしている気分になるのだ。食べづらいことこの上ない。
結局、お互い無言のまま食事は終わった。明日から毎日この時間が訪れると思うと胃が痛くなる思いだった。
お久しぶりの初投稿です。
ちょっと間が開いちゃったぜ。ゆるして。毎日投稿とか出来ればいいんだけどなかなか難しいんですよね。文章を書くのが下手くそすぎる。それでも読んで下さってる方がいるのは本当に有難いです。今後も不定期ですが書いていくと思うのでよろしくお願いします。
追記:投稿直後にタイトルを間違ってたことに気づきました。痴呆かな?