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〜過去〜

 その朝は、結局眠れていなかった彼が夜通し暖炉に火を入れていたので、部屋の中は暖まりきっていた。

 彼がキッチンに向かったところを見計らって、彼女は起きだした。近くの鏡を見る。目が真っ赤に腫れて、眠れなかった証拠だ。少しでも腫れを引かせなければいけない。彼女はこつ、と松葉杖をついてバスルームに向かう。

「ーー起きたのかーー?」

「うん。顔、洗って来る」

 彼の言葉に、彼女は答えてバスルームの扉を閉めた。

 冷たい水で顔を洗うけれど、目の充血は取れなかった。でもーー昨夜の出来事の意味を訊くきっかけにはなるかも知れない。

 彼女は覚悟を決めて、バスルームを出た。昨夜、彼が夢に見たジルフィードとは何者なのか…。彼女の持っていたオーヴのペンダントを見た時の、彼の少しの戸惑いの訳を、訊けるかも知れない。

 バスルームを出て、彼女は慎重に着替えをする。誰かの物として用意された衣類達に。多分、それは昨夜彼が呼んでいた、ジルフィードという女性のためなのだろう。

 彼をあれだけ取り乱せさせる女性ーーどんな女性なんだろう。単純な好奇心からだった。

 死なせてしまった、と彼は言っていた。もう、この世にはいない女性?

 何となくぎこちない、静かな朝食が終わって、彼と彼女はまるでいつもそうしているかの様に暖炉の前で紅茶を飲んでいた。

 切り出したのは彼女からだった。

「ねえ?ジルフィードって誰?」

 ストレートな質問。彼は困惑を隠しきれない。昨夜のこともある。ことんと、椅子の横にあるテーブルに紅茶のカップを置いて、膝に腕を置いて顔の前隠す様に手を組んで、少し考えていた。

「…オーヴのペンダント貸して」

 彼は不意に言った。

 彼女は不自由な足で、ベッドサイドに置いてあるペンダントを持って来て彼に手渡した。彼は、それを大事そうに手に包み込み、口を開いた。

「100何年も前に、このペンダントとまるで同じ物を彼女にプレゼントした。街の貿易商のボディガードをしていた彼女は、これを渡した次の日、仕事中の事故で亡くなった。ーージルフィード、お前と同じ名前で姿形や、声までそっくりな娘だったよ」

 ゆっくりと彼は話した。

「年の頃も同じ位だったーー」

 彼女はまさかそんな話が出てくるなんてと、少し驚いていた。構わず、彼は昔話を続けた。


 100と何年か前、彼はこの村の森ではなく、もっと南の港町に居た。

 職業は傭兵。人間よりも力は無かったが、身軽さが役に立った。その街で、彼女ーージルフィードと出会った。最初の印象は、何て小生意気なーー。

 しかし、言ってるだけの仕事はした。15、6の若さで街の貿易商のボディガードをしていた。危険な目に遭うことはしばしばだったが、その時はまだ彼はそのまで彼女に肩入れしていなく、怖い物知らずの子供だくらいにしか思っていなかった。

 強い意志と、強いまなざしを持った娘だった。彼はそれに少し惹かれていた。子供だと知りながらも。人間だと、知りながらも。

 彼女もそれを知っていて、そしてそれに応えて行った。彼女は彼によくなついていた。

 親も居ない彼女と、流れ者の彼とはすぐに結ばれた。

 ーーまだ、彼もその頃は若かったから、その恋がどれだけ短い物であるかも、その後の悲しみにも気づかないでいた。甘い時間は、人間とエルフという人種間を忘れさせていた。

 その時、彼は知り合いの宝石職人に頼んで、オーヴのペンダントを作ってもらった。

 オーヴの内側には、ーーclose to youーーと刻み。

 ずっと二人で、幼い少女と長い寿命を持つ彼の、些細な願いだった。それを、彼が傭兵として仕事で街を離れる前の夜に彼女にプレゼントした。

 彼が、傭兵としてその街の貿易商の荷物を隣町まで運ぶ警備をして帰り道に、惨劇は起こった。

 貿易商の館で新しい貿易船のお披露目のパーティがあった。彼女も勿論出席していた。貿易商を守るため。女性のボディガードは少ない。会場に居ても、さほど目立たなかった。貿易商の男は冷酷で手段を選ばず、敵を作りやすいタイプの男だった。

 その夜、彼女の有能さが裏目に出たーー。

 一つの銃声。

 その前に、彼女は貿易商の男の前に飛び込んでいた。

 会場は悲鳴とざわめきに包まれた。銃声の主は明らかに貿易商を狙っていた。その気配に気づいたのは、彼女だけだた。どこから来るか、正確に察知していた。そして、彼女は間に合わないことを悟り、自分の身を盾にしたーー。

 銃を持った男はすぐに貿易商の警備員に捕まった。

 しかし、貿易商の男もろとも倒れ込んだ彼女は、動かなかったーー。

 丁度、その頃彼は隣町から戻って来た頃だった。

 館の中がざわめいている。変化には敏感だった。微かに、血のにおいが混じっているような気がした。しかし、まさか館でそんなことが起こっていようとは彼も考えていなかった。積み荷が空になった馬車を片付けている者達を尻目に、彼は貿易商に任務終了の報告に行こうとしていた。館の中に入ると、中は異様にざわめいていた。「医者は居ないのか!?」という声も聞こえる。

 何が起こった?

 今は、パーティの最中のはずだ。

 嫌な予感がした。

「トーマさん!!」突然、顔見知りの館のメイドに腕をつかまれた。

「あなた、確か医療系の魔法が使えるってーー」

 その彼女が言っている意味が分からなかった。「何があったんだ!?説明しろ!!」思わず、彼の声が大きくなる。

 そして、そのメイドは告げたーー。


「さっき、パーティの最中に、ご主人様を守ろうとして、ジルさんが銃に打たれたんですーー」


 彼の血の気が引いた。「どこだ!!!」彼は彼女の所在をメイドに訊く。メイドに客間の一室を教えられ、彼はそこまで急いで走った。まさかーー危ないことになんてなってないように、と祈りながら。しかし、館のざわめきはただ事じゃないことを彼に教えていた。

 ノックもせずに、その部屋のドアを勢い良く開ける。館の主人が驚いてこちらを見た。しかし、彼の大事な彼女はベッドに横たわっている。微かな生命の鼓動が聞こえた。まだ、間に合うのかーー?

「医者は?」

 館のかかりつけの医者が居るはずだった。

「今、呼んで来ているところだ」

「そんなんじゃ間に合わない!!!」

 彼は叫んで、ベッドに横たわる彼女を抱き上げた。パーティ用の黒いロングドレス。喪服のようだーー。ふと思ったが、すぐに振り払った。

 銃弾は彼女の背中の真ん中を突き刺していた。そして、躰の中に埋まっている。銃創からの出血が止まらない。彼女の息は浅い。間に合ってくれと、彼は念じながら治癒の呪文を小さく何度も何度も唱える。

 彼女の躰が、薄い緑の光に包まれる。

「…ジル…」

 彼は知らず、涙を流していた。

 何度呪文を唱えようと、彼程度の魔力では救えない命もある。魔法は万能ではない。特に、医療系の魔法は一時凌ぎにしかならない。彼はそれを知っている。彼の抱きしめた彼女の躰から、生命の砂がさらさらとこぼれ落ちて行くのが解る。認めたくないけれど、これでは無理なんだ。彼はきつく彼女を抱きしめた。

 ふと、彼女が意識を取り戻した。偶然だったのか、死の前の最期の言葉を発するためだったのか解らない。

「…トーマ…どうして泣いてるの?だめじゃない…」

 微かな声でつぶやいた彼女は再び目を閉じて、もうその目は二度と開かれることは無かった。その声は、最期の言葉となったーー。

「ジル…どうして…どうして!!」彼は彼女をきつく抱いた。もう、心臓は鼓動を打たない。生命の砂はさらさらと落ちきってしまった。彼女はもう、目を覚まさないーー。

 仕事中の事故だというのは、理解出来る。彼は貿易商を恨むことはなかった。彼女の仕事が危険と隣り合わせなのも、勿論知ってた。でも、どうしてこんなまだ幼いとも言える少女の命が奪われなければならないのかーー。

「彼女を…連れて帰ります」

 彼は小さい声で言った。彼は彼女の血でまみれていた。

「これからの仕事を、全部キャンセルして下さい。ーー暫く、一人になりたい…」

「仕方ないだろう…」

 貿易商は言った。有能なボディガードと傭兵を失うのは痛かったが、彼の心情を察すると止めることが出来なかった。

 彼は血にまみれたまま、彼女を抱え、二人で暮らしていた港の近くの小さな家に戻った。

 血にまみれた彼女を、バスルームに連れて行き、奇麗に洗った。血にまみれたドレスは焼いた。彼女の首には前夜、彼が贈ったオーヴのペンダントが掛かっていた。

 ーーずっと二人でーー。

 そう約束したのは、昨晩だった。

 なんてあっけないんだ。人とはなんて脆いんだ。やりどころの無い怒りに彼は、バスタブの縁を思い切り叩いた。

 もう、彼女の体温は失われて、冷たくなっていた。

 翌日、彼は海を見晴らせる教会で彼女を火葬した。

 一番似合っていた白いドレスを着せて、オーヴのペンダントは彼女の首のままに。

 南の港町の、海を見晴らせる教会の墓地に彼女を埋葬した。

 そして、暫くして彼はその街から消えたーー。行方は誰も知らない。知らせるつもりも無かった。人との関わりを持つのは、もうたくさんだと思っていた。大事な人すら守れないようでは、辛すぎる。彼は、知らない村の森の奥で薬師を始めることにした。

 人とはなるべく関わらない。大事な人などもう要らない。この身が引きちぎられるような悲しみを背負うくらいなら。心を閉ざすことを、彼は選んだ。


「ーーもう100何年も前の昔話だ」

 彼はそう言って、話を終えた。テーブルに置かれた紅茶はすっかり冷めてしまっていた。

「きっと、このオーヴのペンダントはあの宝石職人がレプリカでも作ったんだろう。ただの偶然だ。多分、お前が産まれた時に持って産まれたという話も作り話だ。そんなことあり得る訳が無い」

 オーヴのペンダントをなでながら彼は言った。そうだ、本物であるはずが無いんだ。本物は火葬の時に一緒に焼いてしまったのだから。

 彼女は何を言っていいか解らず、うつむいて紅茶のカップの中をずっと見つめていた。

 うかつな質問で、彼の傷を開いてしまったーー。

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