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〜彼の苦悩〜

 彼は、昔愛した少女と瓜二つの彼女ーージルフィードと暮らすことになった。それは、一週間弱かも知れないし、この長い冬、ひと季節かも知れない。

 取りあえず彼は、今度の薬の調達に来る時に冬ごもりの準備も持って来るリザに、ジルフィードの容態を診てもらうことにした。ここで暮らせるのか、それとも村の病院が必要なのか。

 彼は、彼女にそう説明して返事を保留にした。

 しかし、何故彼女はここに留まりたいと言い出したのだろう。

 彼の悩みはその一点につきる。失った少女と、同じ顔と同じ名前を持った彼女ーー。しかも、彼女は昔彼が少女に贈ったものと同じオーヴのペンダントを持っている。こんな偶然がある物か?

 100何年もかけて、人間と関わるのは必要最小限にしようと努めて来た彼。もう、失う悲しみはたくさんだった。あの時、涙も枯れ果てたと思っていた。心も、凍り付いたと思っていた。

 人と、最小限の関わりしか持っていなかった彼は、彼女に戸惑う。このところ、彼と村を結びつけていた接点はあのリザだけだったから。

「ねえ、こんなところで何で一人で暮らしてるの?何か訳でもあるの?」

 なのに、ジルフィードときたら平気で彼に話しかける。

「俺は薬師をしているんだ。この辺は薬草が多い。それだけだ」

「一人で寂しくないの?」

 平気で地雷を踏んで来る。

「ーーひとりの方が気楽だ」

 会話の中で、あの少女と同じ声で話しかけて来るジルフィード。彼女に悪気は全くない。当然だ、何も知らないのだから。

 それでも、彼の中の何かが疼く。忘れかけていた感情が。

 彼女の左足の骨折のための松葉杖を削りながら、彼は考える。ーージルフィードはあの少女じゃない。言い聞かせる。

 そうじゃないと、彼の思考回路がおかしくなりそうだった。昔、あの少女を愛していた頃が脳裏をちらつく。そして、あの少女が亡くなったときのことをーー。

 もう、そんな思いはごめんだった。人間などと関わりたくない。あの少女は、彼にとって最初で最後の女性だった。

 多分、これからもーー。

「出来た」

 松葉杖に布を巻き終わって、彼は言った。

「これで、家の中位は歩き回れるだろう」

「ありがとう」

 ジルフィードは何気なく、ただ普通に笑って、それを受け取った。それさえも、彼に少女を思い出させる。折角、心の奥に閉じ込めて思い出さない様にしていた記憶を呼び覚まされる。

「別に…これくらいなんでもない。ーーお茶でもいれて来るか…」

 彼は相変わらずの無表情で、座っていたベッドの端から立ち上がった。

 彼女は、その無表情の意味を知らない。ただ、彼の様子が普通とは少し違うということだけ勘づいていた。彼の、無理矢理な無表情も、時折見せる悲しげな表情も。何かがあることだけは気づいていた。

 彼が、生姜と蜂蜜入りの濃いめの紅茶を持って来るまで、彼女は家の中を観察していた。

 奥に、キッチン。ドアは外へ出るドアとバスルームへの二枚だけ。ーー客間は無いようだ。ソファと、少し離れてあるダイニングテーブルは彼の仕事場も兼ねているようだった。薬を調合するための器具が乱雑に置かれている。彼女が今座っているベッドは、独り用にしては大きすぎるーー。ダイニングテーブルには椅子が二脚置かれていた。衣装ケースは、一人分にしては多い。それに、彼が彼女に着せたワンピースは女性物だった。誰かと暮らしていたような痕跡が微かにあった。

「ねえ」

 彼女はダイニングからこちらに向かって来る彼に話かける。

「誰かと暮らしていたのーー?」

 彼女に取っては何気ない質問だった。

 しかし、彼は動揺し手にしていたトレイを取り落としそうになった。

「何をいきなりーー」

 平静を装った彼は、近くのテーブルにトレイを置くとカップを一つジルフィードに渡した。

「よく考えたら、おかしいわ。だって、ここに一人で暮らしている貴方が、私に着替えを渡した物も女性物だったしーーこのベッドだって…」

「いいか」

 彼は強くテーブルの端をたたき、言った。

「詮索はするな。今すぐここを追い出されたくなかったらなーー」

 厳しい声で彼は言った。

 彼女は知らず、彼の傷をえぐる。長い、長い時を費やして忘れようとしていたことに触れる。いや、彼女の存在そのものが。

 その言葉に彼女は驚いて、言葉を続けることを辞めた。

 沈黙が流れる。彼は自分の分の紅茶のカップを持って、暖炉の前の椅子へ向かう。彼女の顔は見ずに。きっと、どうしていいのか解らないような顔をしているんだろうーー。

 彼は、ジルフィードに優しくしてやることも、冷たくすることも出来ずにいた。彼女と言葉を交わすたびに、同じ家に存在するだけで、彼は少女を思い出してしまう。そして、それは彼を罪悪感に苛ますことになる。どうして、あの時少女を失ってしまったのだろうと。

 彼はふと、思い出す。あの少女は冬になるとこの、生姜と蜂蜜の入った濃いめの紅茶が好きだったことを。

 彼女には解らない様に、少し笑った。ーー身代わりでもあるまいに。ただの偶然だ、と。

 こつ、と床に木の音がした。彼は少し考え込んでいたのか、それに気づいていなかったようだ。

 ふと、彼の前に彼女の陰が来て、その存在に気づいた。さっき、彼が作った松葉杖をついた彼女は、杖を置くと、左足に気を使いながらゆっくりと彼と目線が合う様に、床に膝をついた。

「ごめんなさい…何か、嫌なことを言ってしまった?」

「いや…お前のせいではない…」

 彼は手で顔を隠す様にして答えた。

 そうだ。彼女は何も知らないんだ。何も悪くはない。

 しかし、彼女の表情は困惑したままだ。

「本当に、お前は悪くない。ただ、昔のことを少し思い出しただけだ」

 彼は仕方なく、彼女の奇麗な金髪を一撫でする。彼女の表情が少し緩んだ。

 どうやら、ジルフィードは周りに対して意外と神経質な程気を使う少女のようだった。ただ、今彼女がすがれるのが彼しかいなかっただけかも知れないが。

「ここにいてもいい?」

 ジルフィードは頼りなげに言う。それに、彼は少女の面影を見、つい金髪の髪を撫でた。

 彼女は、一度立ち上がり、ベッドサイドから自分の紅茶のカップを持って来ると、彼の足下に座り込んだ。

 暖炉で薪がはぜる音がする。

 彼女はそれ以上、何も聞こうとしなかった。静かなお茶の時間。彼は、時間を錯覚しそうになる。あの少女が居た、あの頃と。

「何故ーー」

 先に口を開いたのは彼だった。

「何故、ここに居たいと言った?」

 率直な疑問だ。こんな森の中でどうしようと言うのだ。村に下りて、そのまま村に居着くものよし、街が怖いのなら、他の街に流れることも出来たはずだ。季節はまだ旅人にはそんなに厳しくはない。今ならまだ間に合う。

 ジルフィードは少し考えているようだった。そして。

「あなたのこと、初めて逢った気がしなかったから」と答えた。

「ここに居なきゃならない気がしたの」

「何を言ってーー」

 彼は言葉を詰まらせた。彼女の目は真剣だった。強い目が、少女とよく似ていた。

「俺は、もう100年以上ここで一人で居る。一人で居ることなんか慣れている。それに、お前のことなんて、何一つ知らないーー」

「何故、一人で居ることに慣れようとするの?」

「ーーもういいだろう。俺は俺のしたい様にしているだけだーー」

 彼はそう言って会話を終わらせた。さっきまで少し和んでいた空気が、また張りつめる。彼女は、またうつむくーー。


 その夜は雪も降らず、しんと夜空が透き通っていた。

 冷えきってはいたが、外に出れば満天の星が降り注ぎそうな錯覚を覚えた。

 相変わらず、彼はジルフィードにベッドを明け渡し、ソファで眠りに落ちていた。

 彼が、何でそんな夢を見たのかは、彼女の存在のせいか、連日の寝心地の悪いソファのせいか解らない。

「…ジル…」

 静かな空間に、彼の寝言が静かに吸い込まれて行った。

 ベッドでは、彼女が寝返りをうっていた。痛みのせいか、眠りが浅かったのか。ふいに聞こえた声に、彼女は躰を起こした。ここには、彼と彼女しか居ない。とすれば、さっきの声の主は彼しか居ない。

「…どうして…行ってしまったんだ…」

 今度は、確かに彼の声と聞き取れる声がした。しかし、彼が起きている気配はない。家に中は暗闇に沈んでいる。

 彼女は、松葉杖をついてソファの彼の元に近づく。

「…どうして…助けられなかった!…どうして…死なせてしまった…ジル…」

 彼は寝言を繰り返す。

 月明かりが薄く入って来る部屋で、彼の表情が微かに見えた。…泣いている…。

 彼女はどうしていいか解らず、彼の涙を拭った。とたんーー。

「ジルフィード!!」

 彼が、彼女を抱きしめた。呼吸が荒い。悪夢でも見たのか。

 彼女に腕がきつく食い込む。

「…ね…ねえ?大丈夫?」

 彼女は彼の腕をつかみながら、言う。

 腕が緩んだ。彼の呼吸はまだ荒い。

「…あ…」

 彼が少し間の抜けた言葉をこぼす。

「ああ…夢か…」

 彼の腕が彼女からほどけて行く。

 あれほどに、きつく抱きしめられていた腕が。

「…大丈夫?…」彼女は同じ言葉を繰り返すことしか出来なかった。あれだけ、無表情で人を突き放したような態度しか取っていなかった彼が取り乱していて、どうしていいか解らなかったのだ。

「ああ、何でも無い」

 彼は彼女を突き放して言った。顔には、まだ涙の跡。深呼吸を何度かしていた。

「何でも無いから、お前も寝ろ。まだ真夜中だ」

 そう言って彼は彼女をベッドに促す。

 そして自分は、暖炉に薪をくべた。暖炉の前に椅子に、疲れきった様に座り込み、両膝に腕をついて顔を隠す。

「ーーどうして、あんな夢を見たんだーー」彼女に聞こえない様に、小さくつぶやいた。

 彼女は彼に促されるままベッドに戻り、眠りにつこうとした。ーーが、眠れなかった。

 彼のさっきの寝言が気になって。彼が、ジル、ジルフィードと呼んでいたのは自分ではないことは解っていた。彼は、暖炉の前の椅子から動こうとしない。何か、深く考え込んでいるようだった。それはーー朝まで続いた。

 結局、その夜は彼も彼女も眠れずに過ごした。ただ、彼女は寝ている振りをしていた。彼の言う、ジルフィードという名が気になってしょうがなかった。

 彼は、遠い昔に思いをはせていた。あの少女との出会い、幸せだった時間、別れの時ーー。今まで、記憶の隅に隠して行くことが出来たのに、彼女を拾ってから彼の中で少女の記憶がどんどん蘇って行った。

 残酷な夢だった。

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