〜目覚め〜
彼女の手当をしながら、彼は遠い昔のことを思い出していた。
もう100年たつだろうか。
まだ、彼がこんな山ごもりをしていなかった頃、街に住んで違う生業をしていた頃のこと。
眠る彼女に、彼はある少女の面影を重ねて居た。
彼に、いっぱいの想いを寄せてくれて、亡くなってなしまった彼女のことを。丁度、年の頃も同じ位だった。
彼は無意識に頭を一回振る。
この娘は、彼女じゃないーー…。
彼女の額の熱を取るためのタオルを交換して、彼は暖炉の前の椅子に疲れた様に座り込んだ。
「何故、思い出すーー」
何故、彼女の傷を必死で手当てしたのか、彼にはまだ解らないでいた。
そして、その間昔亡くしてしまった少女のことばかり思い出していたことも。
ぱちぱちと薪のはぜる音がする。
ようやく、朝になったという時間だろうか。
外はしんしんと雪が降り積もっている。
冬ごもりの支度が必要になってくる季節だった。
彼女は、二日間眠り続けた。
彼は、諦めかけていた。
いや、ほっとしたのかも知れない。もう人間となんてーー。
その二日間の間に、村から病院の娘が週に一度の薬の仕入れにやってきた。
「あれ!?だうしたの?ベッド」
彼女は16歳。医者の卵。リザという、活発な娘だった。寡黙なこの彼に対しても、物怖じしない。
「ねえ!トーマったら!!」リザは彼の腕を引っ張る。
「二日前に滝壺の近くで拾った。もう、もたないんじゃないかな」
彼の口調は誰にだって、少し冷たい。自分との関係を、なるべく持たない様にしているかの様に。
「それよりも、リザ。悪いけど冬ごもりの準備、頼まれてくれないか。金は出す。ここに病人が居たんじゃ、家を離れられない」
「仕方ないわねー。高くつくわよ?」
彼女は少し意地悪な口調で言う。いつものことだ。
「今日の薬、少し多めに用意しておく」
「OK。それで手を打つわ」
彼女は少し悪戯っぽく笑う。
よく笑う、いい娘だ。彼女だけが村と彼との接点だった。
村人は、別に彼を嫌っている訳ではない。腕のいい薬師だと、村に降りて来てはくれないかと何度も誘いはあった。全て、彼が拒んだのだった。
「じゃあ、次の薬の調達の時にでも、誰かに頼んで冬ごもりの準備持ってこさせるわ」
「わかった。二人分な」
彼は、長い冬、森の中で一人で暮らす。人里離れて、森の中では彼の家を見つけることもままならない。だからこの晩秋の時期には、彼は冬ごもりの準備を、病院では冬の間の薬を調達する。ギブアンドテイクだ。
二日目の朝。
ずっとベッドを占領されてて、彼はソファで睡眠を取っていて、少し疲れていた。
眠り続ける彼女の熱は大分引いて来ていた。骨折は奇跡的に左足だけ。後は、全身打撲。
あの高さから飛び降りたにしては、軽症と言えるだろう。目覚めるかどうかは本人の体力次第と言ったところだろうか。
もう、外は雪に包まれ始めていた。
寝心地の悪いソファから彼は起き上がって来て、彼女の様子を見る。
彼も、薬師ではあっても医者ではない。
もしかしたら、こないだリザが訪れた時に彼女を村の病院に預けるべきだったのかも知れないと、後になって気づいた。
ーー人の死には慣れているーー
そうは思っても、彼は慣れきっては居ない。
エルフは何百年と生き続ける。人間と共存していたら、人の死は隣り合わせだ。いつ慣れ親しんだ人が年老いて死んで行くかも知れない。それをとめることは出来ない。
無意識に、彼はそれを嫌って人里を離れて居るのかも知れない。
彼女の額のタオルを交換する際に、雫が一粒、彼女の顔に落ちた。
「…ん…」
ふと、彼の手が止まった。
「やだっ!!!!もうあそこには戻らないわよっ!!!戻るくらいならここで死ぬわ!!!」
とたん、正気に戻ったのか、夢の続きなのか彼女は飛び起きて叫び、ベッドの端に逃げる様に後ずさった。
それに彼はあっけにとられてしまった。
長い、奇麗な金髪と、アイスブルーの瞳。体型はまだ幼児じみているけど、発育中。左足の添え木が痛々しかった。
きっ、とこちらを睨みつける瞳。強い意志を伝えている。…そして、知らない男に怯えている…。いや、エルフに?
「別に俺はあんたに関係ある人間じゃない。二日前に近くの滝壺でお前を拾っただけだ」
素っ気なく、彼は言った。
「何か訳ありみたいだけど、逃げるなら今のうちだぜ?もうすぐここは雪に包まれて隔離される」
「どっ…どういうこと?」
「ここはあんたが飛びおりただろう、いや、落とされたのかな?詳細は知らないけれど、その滝壺の近く。あんたがお尋ね者ならさっさとここから出てった方がいい。すぐに見つかる」
彼女に彼は厳しく言った。無表情だった。
滝の上の街から、村までは軽く一日でつく。何かやらかして逃げて来たんだったら、早くここから立ち去ることだ。じゃないと、もう既に、ここに少女が一人いることは昨日リザが来た時点で村にはばれている。まだ雪も深くない。
追っ手が執拗に彼女を必要としているなら追って来るだろう。
…しかし、リザは頭がいい…。彼女さえ黙っていれば、二人分の『冬ごもりの準備』も誰も疑わないだろう。
彼はそれを知っていた。
「わかったわ。出て行く。服をちょうだい」
彼女は強い目のまま彼に言った。
濡れたままの服を着せておく訳にはいかない。それに、あの彼女が着ていたまるで娼婦のような薄い服は血にまみれていた。
「残念ながら、あんたが着ていた服ではこの雪の中歩いてちゃ、村まで辿り着けないね。しかも、あの服は洗ったけど、血糊が消えてない」
彼女を拾って、手当をしてから彼女は何もまとわず寝ていた。治療がしやすかったためだが。
「じゃあ、何か服をかしてちょうだい…」
自分の裸に恥ずかしくなった彼女は、布団で自分の身を隠しながら少し赤らんだ顔で言った。
「了解」
彼は彼女の額を冷やすためのタオルをたらいに戻して、着るものを捜しに行く。
しかし…左足を骨折している彼女がここを出て行ける訳が無かった。彼女はまだ現状理解が出来ていない。
「まさか、こんな時に出すことになるなんて…」
彼は少し自嘲じみた薄笑いをして、普段使っていない方の衣装ケースを開けた。もう、100何年ぶりだろう?この衣装ケースを開けるのは。中には、彼女と同じ位のスタイルの衣装やアクセサリーがぎっしり詰まっていた。
彼は手近にあった衣装を一着取って、少しうつむいた。
まだ、100何年経っても、彼には近すぎる出来事だった。
あの少女を失ったことは。
そして、まさか、あの少女と瓜二つの彼女に出会うなんて、計算違いもいいところだった。
彼は、動揺を隠し、衣装ケースを閉じ、彼女に服を手渡す。
「ありがとう。着替えてるの、見ないでね」と彼女は服を受け取って言う。
「はいはい」彼はため息まじりに言って、キッチンの方へ向かう。
水瓶の縁に手をついて、彼はうつむく。
銀色の長い髪の毛が、さらりと落ちる。
「…何で…あんなに似ているんだ…折角、忘れかけれそうだったのに…静かに、暮らせると思ったのに…」
人間なんて嫌いだ…彼はつぶやく。先に死んで行くくせに。
「…痛いっ!!!」
遠くで彼女の声が聞こえた。服を着るのもままならないようじゃ、ここから出て行くなんて到底無理だ。
彼は、濃い紅茶を入れたポットを火にかけて、彼女の元へ向かう。
「服もまともに着れないのか?」
目はあわせないまま。
「躰中痛くて…それに、この左足…」
彼女は添え木で動かない足を見つめる。
彼はため息を漏らす。
「着せてクダサイは?」
彼女は少し赤くなる。男慣れしていない。なのに、あの娼婦のような格好は何だ。ちぐはぐすぎる。
「き…着せて下さい…」
少しうつむいて彼女は言う。耳まで真っ赤だ。思わず、彼は彼女を抱き上げてベッドに座り直させた。きゃっ、と小さな悲鳴が上がる。
裸のままの、あの少女によく似た彼女。
「左足、気をつけて」
彼は丁寧に下着をつけさせると、薄いカシミヤのワンピースを彼女にかぶせる。
「腕、通して?」
「ん」
彼の前に居るのは、誰だ?
少女は、もうとうの昔に亡くなったというのに。少女と瓜生二つの彼女が、今ここにいる。彼の頭は混乱する。ああ、あの少女だったらいいのにと。
「ありがとう」彼女は少しうつむいたまま、まだ顔を赤らめて言った。
「そうだ」彼女は唐突に言う「私が着ていた服、どこ?」
「そこに掛かっている」彼は暖炉に近くを指差した。
彼女は左足のことなど忘れたかの様に立ち上がって、その場に崩れた。「いったあい…」小さくつぶやく。
彼はまたため息をついて、彼女をベッドに座らせて彼女の着ていた服を持って来る。「この中に何か大事な物でも?」
彼女はその服を取って、ポケットをまさぐる。何か見つけたようで、表情を緩める。
「良かった…流されてなかった…」
「何が?」彼は何の気なしに聞いた。
彼女はポケットの中から小さなオーヴの形をしたペンダントを出す。
「お守りなの。私が産まれて来た時に握って産まれて来たんですって」
そう言う彼女の声を、彼は少し遠くで聞いていた。
その、オーヴのペンダントは少女と一緒に火葬したはずの物だった。燃えて、なくなっているはずの物だった。間違いは無い。彼の知り合いの宝石職人に作ってもらった、一点物だった。