パチンカー令嬢 ~婚約破棄された悪役令嬢は、パチンコ屋で運命の相手と出逢う~
「メリッサ、ただ今をもって、君との婚約を破棄する!」
「――!!」
私の婚約者であり、ブロッジーニ公爵家の跡取りでもあるドナート様が、夜会の最中唐突にそう宣言した。
そ、そんな――!?
「どういうことですかドナート様!」
「どうもこうもあるか! 自分の胸に手を当てて、よく考えてみるんだな!」
「っ!?」
そう言われても、一向に身に覚えはない。
「特に私に落ち度があったとは思えないのですが……」
「まだシラを切るというのか!? この痴れ者めッ!」
「なっ!?」
ドナート様は害虫でも目にしているかのように、私を睨みつける。
何故何も悪いことをしていない私が、そこまで言われなくてはならないの……!?
「君が陰でアンジェラに執拗な嫌がらせをしているのはバレているんだよ!」
「――!!」
ドナート様は傍らに立つ、男爵令嬢であるアンジェラの肩を抱いた。
「ご、誤解です! 私はアンジェラさんに嫌がらせなどしておりません!」
「イジメている人間はみんなそう言うんだ! 見ろ! このアンジェラの怯えた表情を!」
「嗚呼、ドナート様……」
アンジェラはドナート様にしなだれかかりながら、目元に涙を浮かべた。
こ、これは……!!
「嘘です!! アンジェラさんは噓をついています!! 私は本当に、アンジェラさんをイジメてなどおりません!!」
「うるさいッ!! もういい加減その汚い口を閉じろッ!!」
「っ!!?」
「君にはとことん失望した。君の顔など二度と見たくもない。一刻も早く、この屋敷から出て行け」
「ドナート様……!」
私は侍従たちに取り押さえられ、半ば強制的に夜会から追い出された。
最後の瞬間アンジェラに目線を向けると、アンジェラが口の端をいやらしく吊り上げているのが見えた。
「ああぁ……」
私は寒風吹きすさぶ夜の街を、ただ当てもなく呆然と歩いていた。
まさかこんなことになるなんて……。
今思えば、アンジェラをドナート様に紹介したのが全ての間違いだった。
ドナート様に対面した際の、アンジェラの獲物を狩る猛禽類のような眼。
あの時点から、アンジェラの計画は始まっていたんだわ。
……いや、ひょっとすると更にその前から?
茶会で恭しく私に話し掛けてきたところから、全部仕組まれていたのだとしたら?
ドナート様に近付くための踏み台として、私を利用したに過ぎなかったのだとしたら……?
あまりの自分の迂闊さに、ほとほと嫌気が差す。
――でも信じたかった!
口下手で同年代の友人が1人もできなかった私に、初めてできた友達。
そんなアンジェラだからこそ、ドナート様を紹介したというのに……。
「これから私、どうしたらいいの……」
我がマンティエロ伯爵家は、名ばかりの貧乏貴族。
財政は常に逼迫しており、名門ブロッジーニ公爵家との婚姻だけが、金銭面での一縷の望みだったのだ。
「お父様とお母様に、何て説明しようかしら……。――ん?」
その時だった。
薄暗い街中に、煌々と輝く1つの店舗が目に入った。
――それは小さなパチンコ屋だった。
店名は『ニャッポリート』。
今までパチンコは庶民の遊びだからと両親から禁止されていたけど、もうこんな日は、いっそギャンブルでもして憂さを晴らしたい。
私は誘蛾灯に誘われる蛾の如く、そのニャッポリートという名のパチンコ屋に吸い込まれていった――。
「――うわっ!?」
店に入ってすぐ、そのあまりの騒音に思わず耳を塞いだ。
みんなよくこんなうるさい中で普通に遊んでられるわね!?
――でも店の中にいる人たちは、誰1人騒音を気にした素振りもなく、楽しそうにパチンコに興じている。
そんなにパチンコって面白いものなの……?
益々うずうずしてきた私は、一番手前の空いていた台に、適当に腰を下ろした。
「え、えーと……」
が、座ったはいいものの、どうやってプレイすればいいのかイマイチよくわからない。
私があたふたしていると、不意に――。
「パチンコは初めてですか?」
「――え?」
隣に座っていた男性から、そっと声を掛けられた。
見れば目を見張るほどのイケメンだった。
流れるような金髪に、エメラルドの瞳。
服装は平民のものなのに、醸し出す雰囲気は下手な貴族よりも余程優雅だ。
私の心臓がドキリと一つ跳ねる。
「え、ええ、お恥ずかしながら、こういったものには馴染みがなくて……」
「フフ、そうでしょうね。高貴な御身分の方とお見受けします。このような庶民の遊戯には、馴染みがないのが当然ですよ。――僕でよろしければ、やり方をお教えいたしましょうか?」
「えっ、いいんですか!?」
「はい、もちろん」
包み込むような笑顔を向けてくるイケメンさん。
ま、眩しい……!
今さっき婚約破棄されたばかりの私には、この笑顔は眩しすぎるわ……!
「まずはここにお金を入れてください」
「は、はい」
言われるがまま、千イェン札を差し入れる私。
すると――。
「わっ!?」
カタカタと子気味いい音を立てながら、私の台にパチンコ玉が補充された。
「あとはこのハンドルを捻れば玉が打ち出されますので、極論我々がするのはそれだけです。――その後の運命は、神のみぞ知るといったところですね」
「は、はぁ」
それだけ?
意外と簡単なのねパチンコって。
だからこんなに多くの人から愛されてるのかしら?
ドキドキしながら台の右下に備え付けられたハンドルを捻ると、ぴょんぴょんと勢いよく玉が打ち出された。
玉は台に無数に刺された釘に沿って流れるように落ちていき、その様子を眺めているだけで童心に帰ったような気持ちになる。
「玉がこの穴に入ると抽選が始まりますので、お楽しみに」
「は、はい!」
イケメンさんは台の中央付近の、小さな穴を指差す。
こんな遠い位置にある小さな穴に、本当に玉が入るのかしら?
「あ!」
だがパチンコ台というのはよく出来ているものらしく、少しするとそこまで辿り着いた一つのパチンコ玉が、その穴にスポッと収まった。
やったッ!
「フフ、初抽選おめでとうございます。さあ、抽選が始まりましたよ」
「――!」
台の中央上部にある液晶画面の映像が、激しく動き出した。
見れば猪や熊や鹿といった動物のキャラクターに、①から⑨までの数字が振られているのが横3列に並んでいる。
「同じ数字が一直線に揃ったら大当たりです。大当たり1回につき、約1500発の玉がもらえることになっています」
「1500発……?」
「1玉が4イェンですから、約6000イェン分ですね」
「6000イェン!」
確か平民の平均的な日給が1万イェンほどだったはず。
その半分以上の金額を、1回で稼げてしまうというの……!?
パチンコって思ってたより、凄い遊びなのかも……。
自然と液晶を見つめる私の手にも力が入る。
――が、
「あぁ……」
無情にも止まった数字は②と⑧と⑤。
ハズレだ……。
「フフ、そう簡単には当たりませんよ。何せ大当たり確率は320分の1ですからね」
「320分の1!?!?」
そんなに低いの!?!?
そんなの一生かかっても当たる気がしないわ……。
やっぱりパチンコは、怖い遊びなのかもしれない……。
――案の定その後も定期的に抽選はされるものの、私の画面に数字が揃う気配は一向になかった。
そうして持ち玉が尽きようとした、その時だった――。
『リーチ!』
「――!?」
突如として台から、可愛らしい女の子の声で『リーチ!』と聴こえてきた。
リーチ???
「おお、遂にリーチですね」
「あの、すいません、リーチって?」
「数字が2つ揃った状態をリーチと呼ぶんです。ほら、上下に④が揃っているでしょう?」
「あ、ホントですね」
確かに上の列と下の列に④が揃っている。
中央の列はまだ移動中だ。
「あとは中央に④が止まれば、晴れて大当たりですよ」
「――!」
つ、つまり、6000イェンもらえるということ!?
私の心臓が、ドクドクと早鐘を打ち始めた。
な、何かしらこの緊張感――!
全身の細胞が、ザワザワと騒いでいるかのよう。
こんな気持ち、生まれて初めてだわ――!
固唾を呑んで結果を見守ると――。
「あ、あぁ……」
止まった数字は⑤。
惜しい!!
あと一つ隣だったら!!
「うん、今のは特に熱い演出もなかったノーマルリーチでしたから、ハズレて当然です。気落ちする必要はないですよ」
「熱い演出?」
「ええ、リーチにもいろいろ種類があって、中には大当たりを示唆する様々な演出が表示されることがあるんです。それらの演出が出ないと、なかなか当たらないのが実情です」
「そうなんですね……」
益々大当たりが遠く感じる。
そうこうしているうちに、私の持ち玉は完全になくなってしまった。
あぁ、千イェンがこんな一瞬で……。
お金が増えるのもあっという間なら、減るのも一瞬。
これがパチンコ……!
これがギャンブル……!
……やっぱり私には向いていないのかも。
「――どうされますか? もうおやめになりますか?」
「っ!」
イケメンさんが優しく尋ねてくれる。
「ここでやめるのも一つの手です。――パチンコは決して義務ではなく、権利なのですから」
「――! ……義務ではなく、権利」
この瞬間、私は心が大きく揺さぶられた気がした。
――思えばこの歳まで、ずっと義務ばかりを果たして生きてきた。
貴族の娘としてどこに出ても恥ずかしくないよう、徹底したマナー教育に厳しいダンスのレッスン。
自由な時間などほとんどなく、ただひたすらそれらに没頭してきた。
それが貴族の務めだと、自分に言い聞かせて……。
――でも、その結果が今日の婚約破棄。
親友だと思っていた人に裏切られ、婚約者を奪われた私には、もう何も残っていない。
――悔しいッ!!
そのうえパチンコからも逃げたら、今度こそ私は本当の意味で負け犬になってしまう――!
そんなの――絶対に嫌ッ!
「――続けます。私まだ、パチンコをしていたいですから」
「フフ、承知いたしました。――では、御武運を」
「ありがとうございます」
イケメンさんに見守られながら、私は2枚目の千イェン札を挿入した。
カタカタと機械的に、パチンコ玉が補充される。
ハンドルを捻る手が震える。
正直怖い。
このままずっと当たらないんじゃないかという恐怖に、この場から逃げ出したくなる。
――でも一方で、抑えきれないほどワクワクしている自分もいる。
嗚呼、これがパチンコ!
これがギャンブルなのね!
私は今、確かに『生きてる』わ――!
『リーチ!』
「――!!」
その時だった。
先程と同じく、可愛らしい女の子の声が聞こえてきた。
キタッ、リーチだわッ!
「あ、あら?」
が、先程のリーチとは異なり、その瞬間画面のバックに大量の猪が通り過ぎた。
な、何かしら今の?
「おお! 今のがまさに『熱い演出』です! 猪群演出というんですが、あれが出ただけで大当たり期待値は50%を超えます」
「ご、50%ッ!?」
つまり、2分の1で当たるということッ!?
「ああ、しかも『マロンちゃんリーチ』じゃありませんか」
「マロンちゃんリーチ???」
とは???
「見てください、女の子が現れたでしょ?」
「あ、はい」
画面に目を向けると、山ガールのような格好をした可愛い女の子が、手を振りながら笑顔で出てきた。
「この子はこの台のマスコットキャラであるマロンちゃんです。マロンちゃんが出現すると、リーチはダブルリーチに発展するんです」
「ダブルリーチ!?」
「はい、⑥と⑦が斜めに揃っているでしょう?」
「あ、確かに」
画面の左上に⑥、右上に⑦、そして左下に⑦で、右下に⑥が止まっている。
クロス状に、⑥と⑦が同時に揃っていることになる。
「この場合は中央に、⑥と⑦どちらかが止まれば大当たりになります。猪群演出からのマロンちゃんリーチの期待値は、実に70%超えです」
「70%ッッ!?!?」
心臓が有り得ないくらい、ドクドクとうるさく跳ね上がっている。
これがもしハズレてしまったら、もう私生きていけないかもしれない……!
お願い……!
今度こそ当たって……!!
「あ、あぁ……」
中央の列が、スローモーションになりながらスピードを緩める。
まずは⑤が通過した。
よし、次は⑥だ!
止まって!
お願いだから止まって、⑥!!
「うぅ……!」
が、現実は残酷。
⑥はあっさりと通り過ぎてしまった。
――でもまだ⑦がある!
お願いお願い!!
神様どうか、⑦を止めてください――!!
「ぬ、うううぅ……!!」
が、私の祈りは天に通じなかった。
⑦も素知らぬ顔で通過し、ピコッと音を立てて中央の列も停止してしまったのだ。
あ、ああ、ああああああぁ……。
やはり人生こんなものなんだ……。
私は一生、負け犬のままなんだわ……。
「いえ、諦めるのはまだ早いですよ!」
「……え? ――!!?」
その時だった。
中央の列が高速で再始動し、それが止まったかと思うと、中央には⑦が鎮座していたのである。
えーーーー!?!?!?!?
「おめでとうございます。今のは再始動演出というやつです。ハズレたと見せかけて実は当たってましたよという、ちょっとした意地悪演出ですね」
イケメンさんはパチリとウィンクを投げてきた。
はぅ……!
私の胸が、キュンと締めつけられる。
イ、イケナイイケナイ!
婚約破棄されたばかりだというのに、何を私は浮かれているのよ……!
「それよりもここからが大変ですよ。何せ揃ったのが奇数図柄ですからね」
「え? 奇数図柄だと、何か違うんですか?」
「全然違います。ぬか喜びさせるのもなんだと思ったので敢えてお教えしなかったのですが、偶数図柄が揃った場合は1500発しか玉はもらえませんが、奇数図柄が揃うと『山賊ラッシュ』という特殊なモードに移行するのです」
「山賊ラッシュ???」
「はい、何と山賊ラッシュは、大当たりが80%の確率で延々ループするのです」
「は、80%ッッ!?!?!?」
そんなにッッ!?!?!?
「ええ、ですから、一撃で1万発オーバーなんてこともざらです」
「1万発……!」
つまり、4万イェン……!?
あ、あわわわわわ……!
どうしよう、全身から脂汗が出てきたわ。
「大丈夫ですよ、僕もついています。肩の力を抜いて、この台の行く末を見守りましょう」
「は、はい……!」
イケメンさんの笑顔が、私の心を落ち着かせてくれる。
そうよね、どの道私には、この山賊ラッシュがなるべく長く続くことを祈るくらいしか、できることはないんだ。
だったらいっそ、存分にパチンコを楽しまなくちゃね!
――そうした私のポジティブな気持ちが台にも通じたのか、山賊ラッシュはいつまでも終わる気配を見せず、やっと終わったかと思えば、出玉は何と2万発をオーバーしていたのである。
つまり8万イェン相当。
出玉を換金した私は、8万イェンという生まれて初めて手にする大金に、ただただわなわなと震えていた。
「本当におめでとうございます。どうです、パチンコを好きになってはいただけましたか?」
「は、はい! それはもう! 今日は本当に、いろいろ教えていただいてありがとうございました!」
店の裏にある換金所までついてきてくれたイケメンさんに、深く頭を下げる私。
「フフ、それはよかった。――でも、気を付けてくださいね」
「え?」
途端、朗らかな笑顔から一転、真剣な表情になるイケメンさん。
き、気を付けるって、何を?
「ギャンブルは魔物です。今日はたまたま運よく収支はプラスになりましたが、いつもこう上手くいくとは限らないのもまた、パチンコの真実です。――場合によっては、今日とまったく逆の展開になる可能性もあったのです」
「――!!」
つ、つまり、8万イェンもの大金を、私が失う可能性もあったということ……!?
私の全身に鳥肌が走る。
ただでさえ貧乏な我が家にとって、8万イェンを失うのは致命的だ。
あ、危なかった……。
私は完全に浮かれていた。
ギャンブルの世界に絶対はないのだ。
常に死と隣り合わせ――それがギャンブル。
私みたいな世間知らずの貴族令嬢が、踏み入れていい世界ではなかったのかしら……?
「フフ、すいません、脅すような言い方をして。大丈夫、節度を持って遊ぶ分には、パチンコはギャンブルの中でも比較的安全な遊戯ですよ」
「あ、そうなんですか?」
朗らかな笑顔に戻るイケメンさん。
「ええ、いつでも好きな時にやめられますしね。自分のお小遣いの範囲で遊ぶ分には、趣味にお金を使うのと、さして変わりはありませんから」
「あ、言われてみれば、そうですね」
「――ただ、中にはパチンコ依存症になって、借金をしてでも打ち続けてしまう人もいるので、念のため忠告させていただいた次第です」
「借金……!」
確かにそれは怖いわ。
一撃で8万イェンも稼げてしまう可能性を秘めている以上、それに縋ってズルズルと勝負を続けてしまう人が多いのね、きっと。
私も気を引き締めておかないと。
「またパチンコでわからないことがあれば、僕でよろしければいつでもご相談に乗りますのでお声を掛けてください。僕は大体毎日、ニャッポリートにいますので」
「は、はい、その際は、よろしくお願いいたします!」
「ああ、申し遅れました。僕はシルヴィオと申します」
「シルヴィオさん……。私はメリッサ・マンティエロと申します。どうか、メリッサとお呼びいただけますか?」
「フフ、ではメリッサさん、これからよろしくお願いいたします」
「はい、こちらこそ!」
これが私とシルヴィオさんとの出逢いだった。
この時私の胸は、少女のようにときめいていた。
「ふぅ、今日はプラス2万イェンてところかしら」
出玉を流し、5832発と印字されたレシートを手にしながら、私は鼻歌交じりにニャッポリートの中をぶらつく。
――私がパチンコを打ち始めてから、早や1年が経った。
この1年、もちろん1日単位では収支がマイナスになってしまう日もあったけれど、トータル収支は大幅にプラスになっている。
どうやら私には、パチンコの才能があったらしい。
私がパチンコで稼いだお金で、我がマンティエロ伯爵家の財政も徐々に持ち直しつつある。
婚約破棄によって負った私の心の傷も、ほぼ癒えつつあった。
それもこれも、全てはシルヴィオさんのお陰。
……でも。
「今日もシルヴィオさんはいない、か……」
私はぼそりとそう零す。
今日でもう3日目だ。
今までほぼ毎日シルヴィオさんとニャッポリートで会っていたので、3日会えなかっただけで、心にポッカリ穴が空いたような感覚がする。
シルヴィオさんの身に何かあったのかしら……?
3日前に会った時は特にいつもと変わりはなかったから、たまたまだとは思いたいけれど……。
「あーもう、何なんだこのクソ台はッ!!」
「不正でもしてるんじゃないのッ!?」
「――!!」
その時だった。
私がこの世で一番聞きたくない、ある2人の声が、店内の端のほうから響いてきた。
まさか、そんな……!?
この場所に、あの2人がいるわけが……!?
が、声のしたほうに目線を向けると、そこにはドナート様とアンジェラが、頭に青筋を浮かべながら並んでパチンコを打っていた。
えーーーー!?!?!?!?
「おやおや、あの2人、遂にニャッポリートにも来おったかい」
「トメさん!?」
常連のトメさんが、私の隣に立ちそう呟く。
「あの2人をご存知なんですか?」
「ああ、半年くらい前に、西部地区に『ノワッサホーイ』っていうパチンコ屋が出来ただろ?」
「はい、そうみたいですね」
私はニャッポリートが好きだから、ニャッポリート以外のパチンコ屋には行ったことがないのだけど。
「アタシはよくノワッサホーイにも行ってんだけどさ、そこで毎日のようにあのカップルも打ってるのを見掛けたんだよ。最初はビギナーズラックで勝ってたみたいだけど、そう長くは続かないからね。最近じゃ負け続きみたいで、いつもイライラしながら打ってる姿しか見ないから、心配はしてたんだ。――風の噂じゃ、ヤバいくらいの借金もしちまってるらしいよ」
「そんな――!?」
まさかこの1年であの2人が、そんなことになっているなんて……!?
コッソリ2人の打っている台を後ろから覗くと、2人共2000回転以上大当たりなしの状態が続いていた。
2000回転!?!?
流石に私も、そこまでハマった経験はない。
まあ私の場合、当たらなそうなら早めにやめちゃうから、そもそも2000回転もいくことはないのだけれど。
「――!! おお! メリッサ! メリッサじゃないかッ!」
「ああ、メリッサ様、お久しぶりですッ!」
「――!?」
その時だった。
運悪く2人に見付かってしまい、私は狼狽えた。
しかもあんなに私のことを邪険にしていた2人が、まるで親友にでも偶然再会したかのような表情を浮かべている。
ど、どういうことなの……!?
「何だ君もパチンコにハマっていたのか。言ってくれればよかったのに」
「そうですよ、水臭いですわ!」
「は、はぁ……」
何なのこの2人……?
「……実は折り入って頼みがあるんだが、もう手持ちがなくなってしまってね」
「――!」
「昔のよしみで、少しだけ貸してもらえないかな? あとで絶対に返すからさ!」
「ええ、この台、あとちょっとで当たる気がするんです!」
「……」
呆れた。
いくらお金に困っているからって、婚約破棄した相手に縋るなんて。
貴族としてのプライドはないのかしら?
「……失礼ですが、大事な用事がございますので、ごきげんよう」
「なっ!? メリッサッ!!」
「メリッサ様ぁ!!」
カーテシーを一つ取ると、泣きそうな顔の2人に背を向け、私はニャッポリートを後にした。
「ハァ……」
店の裏の換金所で換金を済ませた私は、大きく溜め息を零した。
せっかく2万イェンも勝ったというのに、全然気分が晴れない。
それもこれも、あの2人に会ってしまったからだ。
どうやら癒えたと思っていた心の傷は、ただ表面を塞いでいただけで、今でもじくじくと膿んだままだったらしい。
今日はもう帰って、家でじっとしていよう。
私が大通りに出ようとした、その時――。
「オイッ!! 私たちの頼みを無視するとは、いい度胸じゃないかメリッサ!」
「そうよ、あなたには人の心というものがないのッ!?」
「――!!」
私の進路を、ドナート様とアンジェラが塞いだのである。
この2人、私の後をつけてきたの……!?
「……人の心がないのはどちらでしょう? 1年前に、お2人が私にした仕打ちをお忘れなのですか?」
「そ、それは……!」
「あ、あの時は、その……!」
流石にバツが悪いのか、2人は私から目を逸らす。
「……くっ! どうかあの件は水に流して、5万だけ貸してくれないか!!」
「お願いします!!」
「っ!?」
2人は揃って私に土下座した。
「ど、どうしてそこまで……」
「……実は借金で首が回らなくなって、国の金に手を出してしまったんだ」
「――!!」
そんな――!?
ブロッジーニ公爵家の嫡男であるドナート様は、国の財政を管理する任に就かれている。
ドナート様なら、その気になればそこから横領することも可能かもしれない。
だからといって、言わずもがなそれは重罪だ。
まさかそこまで堕ちていたとは……。
「……残念ですが、そんな話を聞いてしまった以上、貴族の端くれとして見過ごすわけにはまいりません。――今すぐ自首してください。でなければ、私から警察に通報いたします」
「なっ!? ――いい気になるなよ、このクソアマがぁ!!!」
「っ!!」
途端、鬼のような形相に豹変したドナート様が、私に殴り掛かってきた。
シ、シルヴィオさん――!
「おっと、そこまでですよ」
「「「――!!!」」」
その時だった。
雄々しい手が、ドナート様の腕をがっしりと掴み上げた。
――嗚呼、そんな。
「シルヴィオさんッ!」
「遅くなってすいませんメリッサさん。お怪我はございませんか?」
「は、はい!」
こんな時に不謹慎かもしれないが、私のピンチに颯爽と駆けつけてくれたシルヴィオさんに、私の胸は猪群演出が出た時以上に跳ねた。
「くっ! 何だ貴様はッ! 平民の分際で! 不敬罪で斬り捨てるぞッ!」
シルヴィオさんの腕を振り解いたドナート様は、腰に差していた剣を抜いた。
ああッ!! シルヴィオさんッ!!
「フフ、あなたにそれができますか?」
「「「っ!?」」」
が、一切怯む素振りすら見せず、むしろ挑発するように手をクイクイと曲げるシルヴィオさん。
シルヴィオさんッ!?!?
「ぐぅぅぅ……!! あの世で後悔しろ、この痴れ者があああぁぁ!!!」
「シルヴィオさんッ!!!」
顔を真っ赤にしながら、ドナート様はシルヴィオさんに斬り掛かった。
あぁ――!!
――が、
「フフ」
「なっ!? ――ふげぇッ!?!?」
「「っ!!?」」
シルヴィオさんはドナート様の剣を華麗に躱すと、そのままドナート様の顔面に溜め息が出るほど美しいハイキックを喰らわせたのである。
ふおおおおおおおおおお!?!?!?
「き、貴様ァ!! 私はブロッジーニ公爵家の跡取りだぞッ!! この私にこんなことをして、楽に死ねると思うなよッ!!」
「そ、そうよそうよッ!!」
「――お怪我はございませんか、シルヴェストロ殿下」
「「「…………は?」」」
その時だった。
どこからともなく、鎧に身を包んだ無数の屈強な男性たちが現れ、シルヴィオさんのことをそう呼んだ。
シ、シルヴェストロ殿下って……!?
「ああ、何も問題ない。――この2人が例の横領罪の主犯だ。連れていけ」
「ハッ!」
「まっ、待ってくれ!! いや、待ってくださいッ!! あなた様は、もしかして……」
ドナート様からの問いには答えず、無言でニコリと微笑むシルヴィオさん。
そんなことって……。
「あ、ああああぁ……、どうか、どうかお慈悲をををを!!!」
「いやああああ、後生ですからあああああ!!!」
醜く泣き叫ぶ2人を、屈強な男性たちが無慈悲に連行していく。
あとには私とシルヴィオさんだけが残された。
「……あ、あの」
「今まで騙すような真似をしていて、誠に申し訳ございませんでした」
「――!」
シルヴィオさんは私に深く頭を下げた。
「――!! ど、どうか頭をお上げくださいシルヴィオさん! ――いえ、シルヴェストロ殿下」
「フフ、できればあなたには、シルヴィオと呼んでいただきたいものですが」
顔をお上げになったシルヴェストロ殿下は、いつもの朗らかな笑顔を向けてくださった。
……まさかシルヴィオさんが、我が国の第三王子であらせられる、シルヴェストロ殿下だったなんて。
シルヴェストロ殿下は滅多に人前に出ないことで有名な方で、そのお顔をご存知なのは、ごく一部の関係者だけだという。
だから私も、毎日のようにニャッポリートでお会いしていたシルヴィオさんが、シルヴェストロ殿下その人だとは夢にも思わなかった。
どうりで纏っているオーラが、平民のそれではなかったはずだわ。
「僕の王族としての一番の仕事は、こうして平民を装って市井の情勢を調べることだったのです」
「そ、そうだったのですか……!」
「まあ、その過程ですっかりパチンコにハマってしまい、毎日のようにニャッポリートに入り浸っていたわけですが」
「あ、あははは……」
シルヴェストロ殿下は無邪気に一つ、ウィンクを投げられた。
「ですが最近、どうやら国の資金が何者かに横領されているという噂を聞きつけたので、その調査のため、王宮に戻っていたというわけです」
「なるほど」
だから3日間も、ニャッポリートに来られなかったのですね。
きっとトメさん辺りから、あの2人の話を仕入れられたのだわ。
――嗚呼、でもそういうことでしたら、私のこの儚い恋心も、激熱リーチがハズレたかの如く、虚しく終わってしまうのね……。
私とシルヴェストロ殿下では、住む世界が違いすぎるもの……。
「まあ、僕がニャッポリートに入り浸っていたことによる一番の収穫はそれでなく――あなたと出逢えたことなのですがね」
「――え?」
シ、シルヴェストロ殿下?
「――メリッサさん」
「――!!」
シルヴェストロ殿下は、私の前で恭しく片膝をつかれた。
殿下!?!?
「僕はずっと、あなたのことをお慕いしておりました」
「――!?!?」
えーーーー!?!?!?!?
そ、それってシルヴェストロ殿下が私のことを、すすすすす好きということですかああああ!?!?!?!?
「あなたの心底楽しそうにパチンコを打つ姿に、僕の心は猪群演出が出た時以上にときめいていたのです。――どうか僕の、生涯の妻になってはいただけないでしょうか」
「――! シルヴェストロ殿下……」
シルヴェストロ殿下は吸い込まれるほどの凛々しい表情をしながら、右手を差し出された。
嗚呼、どうやら私は人生の山賊ラッシュを、見事引き当ててしまったようだわ。
「――はい、私なんかでよろしければ」
私はシルヴェストロ殿下の右手に、自らの左手をそっと重ねた。
――こうして私とシルヴェストロ殿下は生涯、共にパチンコを楽しみながら幸せに暮らしたのでした。