22.引っ越し前夜
問わず語り
「本当に、ごめんなさい」
深々を頭を下げた恋人に、言いたいことがあまりになかった自分に驚き、次の言葉を熟考もせず、
「もう、わかったから」
とだけ言って、先に席を立つのを待った。
「じゃあ、行くね」と言って、もう一度会釈して、出口に向かう。俺は使わなかったガムシロップをなんとなく手に取った。
雨でも降ればいいのに。
陽当たりの良い窓際の席は、アイスコーヒーのグラスの水滴を反射して、キラキラ煩い。
雨でも降ればいいのに。
あいつ傘持ってなかったもんな…………俺もだけど。
――えっ!別れちゃったんですか?
――まあ、そういうことだから、引っ越しの手伝いも無くなった。
――黒木さんはどうするんですか?
――俺は引っ越すよ。このまま。
――じゃあ、行きますよ、手伝います[力こぶのマーク]
――来なくていいよ。空いた時間は彼女に使って
――うちは、大丈夫なんで[ハートマーク]
――気を遣われるのがしんどいから、来るな!
――わかりました。じゃあ、今度飲みに行くときに奢ります[ビールジョッキのマーク]
――よろしく。
交友関係が狭くてよかったと思うことにした。結婚前提の同棲が白紙になって、引っ越しを手伝うと強引に言ってきた澤牟田だけにメッセージで連絡、終了。
住み慣れた1DKに段ボールが嵩張る。
彼女とは2年くらい前に澤牟田が当時付き合っていた子の紹介で知り合った。
その時、俺が二十七で彼女は二十五。優しそうで真面目そうな彼女は、真剣なお付き合いを望んでいたようだったから、そのつもりで余所見もしないで、仕事して貯金してデートして……段々と「結婚」へのプレッシャーを彼女から感じるようになり、「お試し同棲」も彼女の希望で、明日、引っ越すはずだった。
『やっぱり。史登さんとは暮らせない』
『私、浮気してたの』
『彼には、私しかいないの』
何となく、彼女の様子が変わってきたのは気づいていた。
マリッジブルーに似たものかと勝手に判断して、追い詰めないように、そっと見守っていたつもりだった……いや、キレイに言い過ぎだな、放置して、結局何もしなかったんだから、今日まで。
ぬるくなったペットボトルの水をそのまま飲んだ。
冷蔵庫はコンセントを抜いたから使えない。
(もうちょっと、早く言ってほしかった……くらい言ってもよかったか)
思いつめた表情の彼女を思い出す。
心変わりはしょうがない。別れもこれが初めてじゃない。恋愛で感情的になったのは十代までで、今も引っ越しの事務作業のことばかり考えている。
薄情かもな、でも、怒ったり縋りついたりして結果が変わるようなら、今までの関係ではなくなってしまうだろう?……それってどうなんだ、どっちかが無理して成り立つ関係なんて、長続きするわけない。
彼女に声を荒げたこともない、多少のわがままも可能な限り聞いて、難しい場合はちゃんと話し合ってきたつもりだった、いつも通りに。
それで浮気されたのなら、しょうがないと思うしかない。
段ボールの隙間に横になる。
明日のことを考えて溜め息を吐いた。
広い部屋に引っ越すと匂わせただけだったが、それだけで伝わってきた母の期待を、こんなに早く裏切ることになるとは。
申し訳ないような、やるせない気持ちで体が重い……気がする。
頭がおしゃべりで、眠れそうにないな。
それでも明日は朝一で業者がやって来る。コーヒー……チッ、全部段ボールだ……いいや、どうせコンビニで朝食買うつもりだったし。
この部屋で最後に見る天井は、昨日と何も変わらない。明日の部屋も少し広くなるだけで、割と変わらないだろう。
俺みたいに。
今は。
実感はこれから・・・




