プロローグ
俺の朝は、学園に響く鐘の音で始まる。だがそれは例外なく、この学園の寮に住んでいれば、当然のことだ…と思う。
それとも、入学したばかりだから、そう思い込んでいるだけだろうか。
…どちらでもいい。とりあえず起きなければ。今日は聖堂で朝礼がある。学園長の話を聞くだけなのはつまらないが、仕方がない。
「…起きるか」
俺は、まだボーっとしている頭を無理矢理覚醒させ、部屋の片隅に備えられた、二段ベッドの上段から降りた。寝ぼけているせいか、はしごを踏み外しそうになった。そのついでに、ベッドの横にある出窓を開けて、まだ朝日が昇り切っていないのを確認する。心地いい風を浴びたら、ベッドの下の段にいるルームメイトの体を揺らす。
「ズラ。朝だ朝。今日朝礼だぞ」
するとルームメイトは、さらに布団を深くかぶってしまった。
「…ウザい」
…毎朝起こしてもらいながら、なんてヤツだ。
ため息をつきながら、壁に掛けてあるシンプルな時計を見やった。長針は「1」を指しているから、6時5分。朝礼は7時からだから、まだ起きなくても大丈夫だろう。
そう思い直すと、俺は別室の洗面所へ向かった。歯を磨いて顔を洗ったら、またベッドルームへ戻り、小さめのクローゼットを開く。中には、執事科専用の制服がかけてある。
そこからYシャツを取り出し、ボタンをかけ始めた。
えぇと、そういえば自己紹介するのを忘れてた。
さっきから説明している俺は、九楼。苗字は雪。年は16でこの学園の高等部の1年。髪は短めで黒くて、目も黒い。背は…ちょっと低めだ。でも時期にのびるので問題ない。
「あ、そろそろ起こさないとなぁ。…ズラ!」
気づけば、ふと見やった時計の長針は「4」を指していた。いつの間にか十五分も経っていたようだ。
「おーいズラ。そろそろ起きろよ。お前ただでさえ動くの遅いんだから」
ボタンをかけ終えると同時に、たった一人のルームメイトに声をかけた。
「…ぅ」
のそのそと起き上ったのは、俺のルームメイトで親友の白内葛、通称ズラだ。年はもちろん俺と同じ。ズラと呼ばれているが、当然、彼自身がカツラをしているわけではない。
髪は肩につくぐらいの短髪で、少し緑がかった黒い色をしている。左が炎の赤、右が深海の青のような色をしたオッドアイが特徴だ。メガネ君で頭もいいし、色白で美少年だ。ただ残念なのは、吊りあがり気味の知的そうな目が、無愛想に見えてあまり人が近づかないということ。
一見、無表情で無口でクールな冷めた奴に見えるが、本当は天然で何も考えていないだけといういいやつだ。
俺は今、結構こいつをほめたが、そういう趣味があるわけではない。
と、そのズラが起きて洗面所へ向かおうとしたので、俺はすかさず声をかけた。
「あ、髪はちゃんととかせよ。また服装チェックで減点くらうぞ?」
すると、洗面所のほうから「ん」とも「あ」ともつかない返答があった。
ちなみに、服装チェックとは、朝礼とかにかかわらず、毎朝行われる生徒たちの身だしなみの点検作業である。ここまでは普通だが、この学園の服装チェックは一味違う。身だしなみが整っているかどうかは点数で評価され、ある一定の点数以下になると罰を受けなくてはならない。罰はその時によって変わるが、罰と言っても大したものじゃなくて、この前寝癖で大幅に減点をもらったズラは図書室の本の整理をさせられていた。
「…よし、完了」
Yシャツを着て、指定のズボンをはいた俺は、敵を目の前にし、戦闘態勢に入っていた。
その敵というのは、ネクタイである。
この学園に入学して3週間がたとうとしているが、俺はどうしてもこいつが苦手だ。訳がわからなくなる。それなら前日しめた状態のままにしておけばいいと思うかもしれないが、そういうわけにはいかない。俺の通う執事科には、連日同じネクタイをしてはいけないという規則がある。なんでも、毎日主人に付き従う執事は、身なりにも人一倍気を使わなくてはならないらしい。例えば、昨日とおなじ取引相手に会うとき、違うネクタイをしているとか、しているブローチが違うとかで、気配りができる、と思われたりするらしい。つまり、執事は身なりでそのレベルがわかる、というのだ。その規則のおかげで、制服にアレンジをしても咎められないのはラッキーだと思う。
なんにしても、毎回必ず自分で締めるようにしている一番の理由といえば、こいつに負けるのが悔しいから。何だか自分が不器用だと認めているようで、それが妙に悔しいのだ。
「…邪魔」
「え? あぁ」
そこにズラがやってきて、俺をのけると、自分も着替え始めた。
「…できた」
にやにや笑うと、ズラは無表情に、けれどどこか不思議そうに俺を見た。
ネクタイを締め終えた俺は、なんだか満足感に満ちている。
そうしたら、今度は執事科指定の燕尾服を着る。胸元にブローチをしたら、俺は再び洗面所に向かった。
髪形を整えるためだ。たしか、身だしなみができてこそ執事、が執事科の三番目ぐらいの教えだった気がする。
整髪料を塗りたくって、適度に自然な髪形を作る。アホ毛を3か所ほど作るのが基本だ。
それが終わったら、またクローゼットに戻る。行ってみると、ズラはもう着替えを終了し、黒いスーツに身を包んでいた。
「九楼、行くぞ」
「ああ、もう少しだけ待っててくれるかな?」
そう言った俺に、ズラは小さくうなずいた。
了解を得た俺は、クローゼットからまっ白なシルクの手袋を取り出し、両手にはめる。
これで服装の準備は完璧だ。
「よし、行こうか」
俺が笑ってみせると、無表情なズラが茶色のドアを開け、先に出て行った。
俺も皮靴をはくと、ズラを追い、聖堂へ急いだ。
「彼の様子はどうかしら?」
ある程度広く、大きめの机とソファが置かれた部屋に、女性はいた。
齢60を超えているその風貌は、凛として美しく、そうは見えない。金色の髪に、青の瞳。西洋の人の顔をしている。
それはそうだろう。この世界にいた東洋の人は、大体が奴隷として扱われ、その人口も減り続けているのだから。それに、何年か前にはある東洋の種族の迫害もあった。その種族は殆ど滅び、今、生き残りは少年が一人しか確認されていない。
「…寮で普通に生活しております。しかし、気づくのも時間の問題かと」
女性は、小さく「そう」とだけ返した。
机に備えられた椅子にゆったりと腰掛ける女性の前に、一人の男がいる。
長身で、髪は鳶色、長髪を肩の高さで結わえている。目もそれにごく近い、焦げた茶色をしていた。こちらも西洋の美しい顔だちをしているが、女性のようなとがった印象は受けなかった。むしろ、優しげでもある。
「時が来たなら、あなたから話しなさい、桜葉。それから、あなたには、彼の世話を命じたはずですが…あまり、そうしているようには見えませんね」
「はい。私の異母兄弟が彼の傍にいるので、彼にまかせてあります。信頼できる奴なので、問題ないかと」
くすっ、と女性は笑った。刻まれたしわが、人懐こそうな笑みを作る。その笑みは、まるで自分の息子か、孫に向けられるもののように穏やかだった。
「わかったわ、今日は朝礼があったわね。生徒が待っているでしょう、先に行きなさい」
女性は、獣を追い払うようなしぐさをした。
桜葉と呼ばれた男は、ゆっくりと頭を垂れると、背後のドアへ向かった。鳶色の長髪が、優雅に揺れた。
「ああ、それと」
ドアの前までやってきた桜葉の足が、ぴたりと動くのをやめた。ドアノブに伸ばしかけていた手を下げ、背後を振り返る。
何か? とばかりに、首をかしげて見せた。
「…必ず、彼を守りとおして。彼にはそれ相応の価値と、希少性があるのだから」
組んだ両手に顎を乗せ、自慢げに言い放った女性にほほえみ、今一度一礼してから、彼は退室した。
ただ、その瞳には憂いと寂しさが浮かんでいる。
それは、最後に言われた言葉のせいか、それとももとからそういった感情が、彼の中にあったのか。それはわからない。
「…さぁ、今日も忙しくなりそうだ」
桜葉は思い直すと、広い廊下の窓から見える空を見上げる。朝日が、すでに上りかけていた。腕の時計を見やると、すでに6時50分を指していた。
…朝礼が始まってしまう。
彼もまた、聖堂を目指して、廊下を歩き始めた。
読んでくださり、ありがとうございます。
よかったら、これから始まる九楼の奮闘記、呼んでやってください。
つたない文章ですが、ご感想、ご指摘があれば、お待ちしています。