3人寄れば文殊の知恵ではなく、脱線する
子爵夫人の奇行を考察する筈が、脱線してしまう話。
はあ、とウィータはため息を吐く。内容が全く入ってこない。
外を眺めると、果物を積んだ舟や観光客を乗せた舟が水路を行き交っている。
貴族の子どもが通う学校だけでなく、庶民が通う学校もある。特にこの水の都は古い建物を学校に改装したもので、水の都の景観を損なうことはない。
元々、孤島が商人たちの力で大きくなった都で、貴族は暮らしていない。観光で訪れる貴族もいるが、この建物が学舎だと知ると、羨望の目が向けられる。
住人からすれば、古い建物を利用しただけなのだが、外の人間からすると歴史的価値のある物件らしい。ちなみになんの為の建物だったかと言えば、昔の豪商の屋敷だったらしい。何度か改装されたせいで、内部に当時の面影はあまりない。
とはいえ、いくつかは当時のままの部屋もあり、ウィータがいる図書室は元は書庫である。変わったのは、書架が減り、テーブルと椅子のスペースが作られたこと、貸出しと返却の手続きをするカウンターが作られたことくらいだ。
人の気配を感じて、見上げるとミリアがウィータを見つめていた。
「ウィー。なに読んでるの…って聞くまでもないわね」
ウィータが読んでいるのは、『学校の不思議話』というタイトルの本だ。ウィータは怖い話、不思議な話が大好きだ。実は、今読んでいる本よりももっと怖い本も嗜むが、生憎そういうのは学校の図書室に置いていない。
「うん。いつ迎えが来ても大丈夫なように、短い話を詰め合わせたのを読んでるの」
「いや、効率的にどういう本を読んでいるのかって話じゃなくてね…」
苦笑いするミリアに首を傾げる。
「ねえ、ウィー。来年からクラブ活動が始まるけど…入れそう?」
「分からないわ…。でも、屋敷にいるよりはいいかもしれないけど…」
叔母の乱入から一週間。
音楽会は、まだ出演していなかった学年だけが日付をずらして行ったらしい。ウィータは恥ずかしさと申し訳なさに縮こまりそうになったがーーー
『あんな音楽会始めてだぜ』と、面白がっていた生徒がほとんどらしい。あとは『あのおばさん、きっとバンシーの仲間だぜ。今度来たら退治しよう』と息巻いているのもそこそこいるらしい。
教師たちは、生徒がショックを受けていないか気を配っていたそうだが、子どもは思いの外逞しかった。
「ねえ、ミリちゃん。私もずっと気になっていたことがあるんだけど…どうして、誰もからかってこないのかな。男子なら絶対に、『お前、貰われっ子なんだな』とか言ってきそうだなって、覚悟してたのに」
子どもというのは、容赦がない。面白半分、という理由ほど軽い理由と人の背中を押すものはない。虫の手足をもいで遊び、言葉遊びよりも貶め、囃立てるーーー簡単に言ってしまえば、虐めという行為に転がりやすい。
ウィータはこれまで、良くも悪くも苛めっ子に興味を持たれる要素はあまりなかった。これを言うと、親の威を借りているようで嫌だが、ラッセン家はこの水の都で一番大きな舟の商会だ。そして、ウィータ自身の学校の成績もよく、貶められる要素は少ない。
「よく思うけど、ウィーって深く考えるところあるね。…警戒し過ぎっていうか。なにも言われてないのならまあいっか、って私なら思うけど。いや、そもそも思いも寄らないか」
ミリアは金髪碧眼、伏し目がちになれば、影が落ちるような長い睫毛に、陶器のような肌を持っている、まるでビスクドールのような少女だというのに、本人の性格は結構大雑把だ。口には出さないが、ウィータは今度叔母が突撃してきたら、ミリアが先頭切って、攻撃を仕掛けそうだとも思っている。
そんなミリアの家は魚屋。学校が終われば、店の前に出て『奥さーん、この魚やっすいよ!お得だよ!』と頑張っている。
ご近所さんには微笑ましく見守られているが、その様子を見かけた観光客が『何かが間違っている』と言っているのを聞いたことがある。
「でも、その叔母さんどうしてウィーのことを自分の娘だと思ってるんだろ。…もしかして、生きていたらウィーくらいの娘さんがいた、とか」
「いないと思うけどなあ。それに、どうして私を娘にしたがるんだろ。従姉妹が…小さい頃に会ったことはあるけど…とにかく向こうにも娘がいるのよ。お父さまとお母さまも不思議がってて…私が男の子だったら、まあ跡取りにっていうのも分かるけど…それでも子爵家の親戚筋から探すだろうからやっぱり変よね」
「あー、貴族って男の子が継ぐんだっけ。面倒くさいねー」
ミリアと話していると、もう一人図書室に入ってきた。
黒髪をお下げにしたレレルカだ。ウィータとミリアと比べると頭一つ分背が高い。ウィータとミリアとレレルカ、仲良し3人組だ。
「ウィーちゃん。…図書室にいたんだね。…今、もしかして怖い本を読んでる…?」
入り口から動こうとしないレレルカに、ハッとする。慌てて本を閉じると、ほっとしたように近づいた。
「うん、よかった。恐怖のオーラが消えたわ。やっと近寄れる…」
「レレ。なんだかその言葉、教会に近づけない魔物みたいよ」
「そんな、ミリア…!だってもし、恐怖の一文が目に飛び込んできたらどうするの!?その日、恐怖は収まることはないのよ…!ウィーちゃんには悪いけど、音楽会の日も怖かった…。あの女の人、あんな化鳥のような声を上げて…エクソシストが必要よ!ものすごく怖かった!それにウィーが怪我をするかもしれないと思うともっと怖かったし、あの女の人が正体をいつ表すかと思うと…」
友情と妄想込みで恐怖を膨れ上がらしていくレレルカ。彼女は尋常でない怖がりである。音楽会の時、身長が高い彼女は最後列だった。レレルカが近くにいた状態で叔母が迫ってきたらーーーあまり考えたくないと首を振る。
「レレちゃん。叔母は一応人間よ。だから変身はしないわ」
「ほ、本当…?でもやっぱり心配だわ。だって大昔は異界人召喚をしてたんでしょう?契約がいい加減で、怒り狂って、それこそ悪魔のようになった異界人に滅ぼされた国もあったんでしょう?油断はできないわ」
「異界人召喚?それって悪魔召喚じゃないの?」
ミリアの質問に、レレルカは首を振る。
ウィータにとって最大の謎は、レレルカは怖がりのわりにそうした知識に詳しいことだ。
「悪魔召喚は、もっと古いわ。人間じゃない正真正銘の『悪魔』を呼ぶ技術で、契約内容をきちんと取り決めるの。生贄を捧げて召喚して、願いを叶えてもらうのが一般的だったの。だけどまあ、大抵は…た、た、たま、魂を取られるらしいわ。まともに悪魔召喚できた人なんて、滅多にいないの」
怖がりながら、レレルカは悪魔召喚について簡単に教えてくれた。今にもひきつけを起こして倒れそうな様子に、ウィータの動悸も早くなる。
「異界人召喚は、違う世界の人間を呼ぶの。生贄もいらないし、呼び出した段階では異界人はあまり強くないけど、この世界ではどんどん強くなるの。それで国に襲いかかる災厄…瘴気とかよく分かんないものをなんとかして貰おうとした国が昔は結構あって…。でも、元いた世界に帰して貰えないから、成長した力で国を滅ぼすのよ」
「レレ、なんだか異界人召喚はそんなにびびってないね。…いや、多少は怯えているけど」
「だって。異界人が怒るのは理解できるもの。一方的に理不尽な契約を押し付けるようなものじゃない。従業員を不当に扱っても、ストライキを起こされたりするのよ。縁も所縁もない、異界人に一方的に労働を押し付けたら…」
「あー、そういえばそうかもね。それで考えると、悪魔召喚は、ヤバイ店にいってぼったくられて、異界人召喚は召喚した方が悪徳ってことか」
ミリアのまとめで、悪魔召喚と異界人召喚の差が分かりやすくなった。
雑談にふけっていたら、結構時間がたっていたらしい。
「ウィータさん。お迎えの方が来られたそうよ」
ミリアとレレルカに手を振り、使用人の中でも特に屈強な男性としっかり者の女性と屋敷に帰った。
その後、子爵家がちょっかいを出さなくなった。
2ヶ月、3ヶ月は、油断した頃が危ないと警戒していたが、なにもなく一年が過ぎーーー二年、三年と過ぎた。
ウィータはもう大丈夫だろうと思ったが、なぜか父と母は出掛ける時には護衛を外そうとはしなかった。
そして、17歳になった。
いきなり17歳になりましたが、終わりは近いです。