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思い込みは困る

グラーティアの過去話になります。

「よく寝てるな」

「ええ…」

愛娘を挟んで眠る夫婦は、憂いを含んだ眼差しを交わす。

「ティア、君は大丈夫なのか」

夫が聞いているのが妹のことだというのはよく分かった。自分の娘を誘拐しようとした相手でも、夫は妻の妹であれば、気を配る人だ。グラーティアを姉として責めるようなことはまずしない。

グラーティアという、大仰な名前があまり好きではないと言えば、『じゃあ、ティアでどうだい』と微笑んでくれる夫が大好きだ。財政難の子爵家から、15も年が離れた商家の長男に嫁ぐ時、同情されることもあったが、グラーティアにとっては最高の夫だ。

心配してくれる夫に、大丈夫よとキスを返し、グラーティアは物思いにふける。


(メリールウ、一体どうして、あんな馬鹿なことを)


グラーティアは、あまり貴族の娘に向いていなかった。知識を身につけることは好きだったが、ダンスや刺繍などといった貴族の子女の嗜みは苦手だった。苦手なことはまだいい。問題は社交だ。

重たいドレスを身に纏い、歩きにくいヒールを履く。それで夜会では他の貴族に足元を掬われないような綱渡りをしないといけないのだ。


グラーティアとメリールウの生家のブライト子爵家が財政難に陥り、娘のどちらかが、貴族の家と繋がりが欲しい商家に嫁ぐことになった。グラーティアは是非にと手を挙げーーー父親はその食いつきに面食らっていたーーーインベルと会うことになった。


貴族社会に馴染めきれないグラーティア18歳、インベルは33歳の時だ。水の都と言われる南部で舟による運送を営む家だ。船を扱う家、と聞けば最初は気性の荒い男をイメージしていたが、美しい街の水路を進む舟は緩やかに客や商品を運ぶ。インベルもそういう男だった。

中肉中背の体つき、彫りの浅い顔はいつでも笑っているように見えた。穏やかな物腰で対応されると、きっと水路を進む舟の乗り心地も同じなのだろうと思えた。


そのことを伝えると、はにかむように笑いーーーグラーティアはインベルに落ちた。


夫婦の馴れ初め…というより、グラーティアの惚気に話が逸れたが、この婚約、一度危うくなったことがある。


グラーティアは夜会嫌いだ。窮屈な装いがその理由の大部分を占めていたが、嫌いな理由はもう一つあった。

伯爵家の長男だ。家名は覚えているが、男の名前はもう思い出せない。やたらと長く、キラキラしい名前だったとは思うが、最初の音の『リ』くらいしか思い出せない。

この男、同じ夜会に出席していようものなら、蛇が獲物を狙うようにしてグラーティアを探し出し、嫌味ばかりいうのだ。『ドレスが似合っていない』だの『笑顔を振りまいたところで、魅力はない』だの『身内でもない男性の近くにいるとは貞操観念を疑う』だの。

最後の男性の近くは、本当にたまたまで、そもそも近くといっても、テーブル一つ分の距離が空いていて、目があったから、会釈をしただけである。

絡まれるのがひたすら鬱陶しいのに、他の令嬢はなにが羨ましいのか嫌味を浴びせてくるし、その伯爵家長男の友人(類は友を呼ぶとはその通りで、揃いも揃っていけ好かなかった)も、『あいつの反応が面白い』という理由で距離を詰めてくる始末だ。


その伯爵家長男が、グラーティアの縁談をぶち壊そうとした。

ある日、インゲルが『君に本当に愛する人がいるのなら、教えて欲しい』と言われた時は、目を点にした。詳しく話を聞けばーーー件の伯爵家長男が、インゲルに手紙を送りつけた。その内容は、


『自分とグラーティアは愛し合っている。金で買おうなんて恥知らずな真似をやめろ。子爵家にはこちらが援助する』


突然の手紙を詫びる言葉も、時候の挨拶もなく、それだけが書いてあったらしい。静かに怒り狂うグラーティアが淡々と事実無根であると言えば、慄きながらも信じてくれたのが幸いだ。


その後は、子爵家に伯爵家長男が堂々と現れ(連絡もない突然の訪問である)、


『いつも態度が悪かったのはすまない。でもあれは、もっと綺麗なドレスを贈りたくってそれで君が笑うと他の男が引き寄せられるのが嫌で嫉妬してしまったからで全ては君を愛していたからでなんでもするこれからは全力で甘やかしてあげるからさあ結婚しろ』


と宣った。実際はもっと長ったらしく言っていたが、耳を上滑りしていたので、細かいことは覚えていない。

上がり込んだ子爵家の客間で延々と語る伯爵の様子を、2つ下のメリールウ、そして4つ下のアベオが興味津々で眺めているのが居た堪れなかった。


怒鳴りつけたくなるのを必死で堪えて、失礼にならない程度に生返事すれすれの回答ではぐらかし続け、伯爵家の迎えに『私はもう急いで南部の商家に嫁ぐので、今後一切そちら様の嫡男さまと関わらないので』と伝えた。黙って頷いてくれた人ーーーどうやら執事だったらしいーーーはよくできた人で、商家と順調に話が進んでいた子爵家にとっては伯爵家との縁組みは考えてもいない椿事だったと理解してくれたらしい。

伯爵家との縁も厄介事もなんとか避けれた。


ただ、ここでメリールウが癇癪を起こした。

『伯爵家の方が幸せになれるのに』

『どう見たって、あちらの方の方が素敵だわ。インベル様なんて地味すぎる』

『普通、物語ではあそこですれ違いが解けて、結ばれるはずよ』


インベルの悪口を言われた時は、すかさず『インベル様の魅力が分からない貴方の目が節穴よ』と切って捨てたが、その後も結婚式の前日まで、ことあるごとに似たり寄ったりのことを言われた。


その間、何度も妹を説き伏せようとした。

伯爵家の方が家格も立派だが、ぽっと出の子爵家令嬢が嫁いでも苦労するということ。

人にはそれぞれ好みがあり、世間一般に美形とされている人ばかりがもてはやされる訳ではないということ。

伯爵家長男の言動はすれ違いというものではなく、ただの礼を欠いた言動だということ。

噛み砕き、貴方だったら嫌でしょうとか方向も切り替えて伝えようとしたが、全く飲み込めなかった。

最終的には母の『グラーティア、いつかメリールウも分かるわ。もうそっとしておやりなさい。メリールウも、もう掘り返さないように』と言われ、話は終わった。

ちなみに、弟のアベオはインベルに懐いていたので、勝手なことを喚く伯爵家長男のことは、『変な男』としか思わなかったようだ。


眠りについた夫と娘を見て、グラーティアはため息を吐いた。

妹はなにも変わっていない。スプリンクル子爵家の当主は当てにならないーーーどころか、妹を人形のように溺愛している。

ウィータが生まれた日は、ひどい水害で長女が生まれたという報告もなかなか出来なかった。

半年後、出産祝いという名目で訪れた妹を見た時、嫌な感じがした。


『おめでとう』という祝いの言葉は一切言わず、斬りこむように『姉様の子、本当にウィータっていうの』と聞かれた。

じっとゆりかごの中で眠るウィータを見る目が怖かった。この時は、妹も子どもが早く授からないといけないと、思い詰めているのだろうと、自分に言い聞かせられた。

ことあるごとにラッセン家に押しかけ、ウィータに自分を母と呼ばせようとする。注意されれば、しばらくは止むものの、分厚い手紙の束を送りつけ、躾に指示を出し、ウィータの好物を決めつけてくる。

アーシアという娘を産んだ後もウィータに向ける執着は変わらず、アーシアを連れてきて『ウィータはあなたのお姉さまよ』と教え込んでいる姿に戦慄を覚えた。


でも、今度のことは流石に子爵家も手を打つだろう。気の毒だが、妹は子爵家の屋敷から出されなくなるはずだ。いくら、平民相手とはいえ、今度のことは噂になるだろう。

スプリンクル子爵は、メリールウを溺愛していて、独占欲も強い。屋敷で囲い込んでくれればいい。そして、もう関わらないでいてくれれば。


眠るウィータを見つめていると、グラーティアは堪らなくなる。

この子は年齢の割に分別がある。親に反抗もしない。何故かその姿を見ると胸が刺されるように痛むのだ。

気がかりなことはもう一つある。何故か火を異常に怖がるのだ。風呂の焚きつけの為の火を見れば、体から汗を吹き出して、ガタガタと震える。蝋燭の火を見ただけでも、体を強張らせる。

守るからね、という思いを込めて目を閉じた。


次の日の朝、居間が騒がしく、何事かとインベルが聞けば、年嵩の使用人が汚れた紙を見せた。

夫と一緒に広げられた紙を見たグラーティアはひっと悲鳴を漏らした。


『油断してはいけない。子爵夫人だけじゃない。子爵も娘だと思い込み始めてる』


歪な字でそう書かれていた。


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