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悪夢を見ただけ

子どもを愛している(つもり)の毒親が一番悔しいことってなにかなあと考えました。

この家族とはどう接すればいいんだろう。何を言えば正解で、不愉快にさせないのか分からない。

ウィータは甲高い声を上げる母をぼんやりと見つめる。

「どうして、こんなことも出来ないの!」

母のメリールウが怒鳴る。学園での今期の成績表の数字は、母の中での合格点には達していないようだ。

この国には、貴族の通う教育機関は大きく分けて二つある。王都と地方のものだ。王都が最難関で、地方貴族も条件が満たされれば16から通える。

その条件とは言うまでもなく、学力だがウィータの学力はいま一歩及ばず、西部地方の主都の学園に通っている。母は、ウィータの将来を思って、そして子爵家のことを考えて、ウィータには王都の学園に行って欲しかったのだ。

だが、ウィータの努力は足りず、王都での試験に落ちた。当日、体調が優れなかったウィータの試験の結果は悪くーーー母は泣き叫び、父のユベオーは母を慰めウィータを責めた。


『メリールウを泣かせるとは。この出来損ないめ!』

母に抱き縋られている3つ下の妹のアーシアは『出来損ない、出来損ない』とウィータを指差して笑っていた。

ここでウィータが泣いて謝っても『泣いているばかりじゃ解決しない』と言われ、『もっと頑張ります』と言えば、『具体的にどう頑張るのかを明確にしろ。そんなことも考えずに、こう言えば許して貰えるだろうと思っているんだろう。本当に浅ましい』と一層叱られた。


王都学園不合格の日を思い出しながら、ウィータは母の叱責の時間が終わることを願うーーーが、叱責を終えた後は、嘆くことにしたらしい。

「ああ、もうどうして貴方はそう出来ないの。真面目ではあるのに、何が足りないの…」

母の嘆く内容は、様々でウィータには追いつけない。今は真面目だと褒められたが、時には努力が足りない、と言われる時がある。どうやら、真面目と努力は違うものらしい。

かと言って、家族で出かけようとする時に、『勉強するから残ります』と言えば、今度は真面目なだけで、面白みがないと詰られる。


「私だって子爵夫人として頑張っているのよ。なのに、どうして貴方は結果を出してくれないの。こう言うとね、貴方のことを虐めているように思うかもしれないけどね、私や旦那様だって本当はこんなこと言いたくないのよ。もっとアーシアに良い手本を見せて…。貴方がせめて、王都の学園に入学出来ていれば、あの子だってもっと頑張れたはずよ。なのに…」


言い募ろうとした母の言葉は唐突に途切れた。視線はウィータから逸れている。

振り返ると、廊下が白く染まっていた。目を丸くしていると、『泡が!』『誰だ、洗剤の量を間違えたのは!』と怒鳴り声が聞こえてくる。


どうやら、洗濯を任されている使用人がミスをしたらしい。その日の説教はお開きになった。

といっても、あまり珍しいことではない。何歳くらいからだっただろうか、ウィータが叱責されていると、屋敷内で珍事が起こるのだ。屋敷内に犬が入ってきて粗相をしたり、窓が全て桃色に塗りたくられていたりという比較的無害なものもあれば、窓から女の長い髪が垂れていた、バンバンとクローゼットから物音がするから開けてみれば、血文字で『許さない』と描かれているホラーテイストなものまでと。


おかげで、ウィータは怪談の類は平気になった。


部屋に戻ろうとすると、アーシアが待ち構えていた。

「あら、お姉さま。大丈夫?」

普通なら大丈夫と返すところだがーーー、何故かそれでも延々と話しかけてくるのだ。曰く、「お母様に心配をかけているのに大丈夫だなんて」と始まり、姉の出来が悪いから自分も迷惑していると。


とはいえ、無視をしてもよくない。

「ええ、もっと頑張るわ」と返すとアーシアはつまらなそうな顔をして立ち去った。父と母に比べれば、13歳になるアーシアはまだ対応しやすい。

なにかとウィータのドレスやアクセサリーを欲しがるが、ウィータにとって一番大事なのは本なので、大した痛手ではない。


娯楽小説は買うことは許されていないが、勉学に関する本なら所持を許されている。それにーーー

「伯母さまからの本だわ」

母の姉、ウィータにとって伯母にあたるグラーティアは羽振りの良い商家に嫁いでいる。何故か母は伯母を嫌っていて、ウィータは伯母と長いこと会っていない。

ウィータが伯母に会いたい、とうっかり言った事があったが、『じゃあ、姉様の子どもになればいいじゃない!あんたなんてもう知らない!!』と母に強く揺さぶられ、父には殴られた。


伯母が定期的に本を贈ってくるのも、本当は気に入らないようだが、勉学に関する本と言えば、強くも反対出来ないらしい。

確かにほとんどは数学や歴史、法律の本だがーーー

(あった。これだわ)

本のカバーが『何故過去の王侯貴族は異世界人召喚に頼ったか』という表題だとしても、中身は『花に愛される錬金術師』という小説だった。

そして、手紙も挟まっている。


ーーーウィータ、元気にしてる?ウェストの特進学部に入れたんですってね。すごいじゃない。うちの人も驚いていたわ。学園はどう?あなたは無理をし過ぎるから、体調を崩さないでね…ーーー


両親からすればウィータは出来損ないらしいが、伯母はいつも褒めてくれる。母はそれを、『子どもがいないから、実際に育てる苦労が分からないのよ。いいこと、ウィータ。姉様がなにを言っても真に受けたらいけません。あの人は同情しているだけなんだから』と言っていた。

ウィータは、母が伯母のことを悪く言っているのは何度も聞いた事があるが、伯母が母のことを悪く言っているのは聞いたことがない。

たまに、両親の期待に応えるのが、辛くなる。悪いのは能力と努力が足りない自分だとしても、充分頑張っている、無理はしないでと心配してくれる伯母からの手紙がなければ、とっくに折れていたかもしれない。

それにーーー。


ウィータがなにか思い出そうとしたら、窓の外で、木の枝が大きく揺れる音が聞こえた。風が吹いたにしては、おかしいと思って振り返ればーーー


「…あれ?」


気づけば、ウィータは自分の通うウェスト学園の廊下にいた。等間隔に並ぶ窓からは、うららかな日差しが差し込み、窓から見える木々には薄紅色の花が満開に咲き誇っており、夕暮れ時の雲海のようだ。

「え?え?」

間違いなく、ついさっきまでスプリンクル家の自分の部屋にいたはずで、さらに言えば夜だったはずだ。


「あんたが、スプリンクル子爵家の令嬢?」


振り返ると、女の子のように可愛らしい顔をした、蜂蜜色の髪をした男子生徒がウィータを見ていた。

どう好意的に見ても、親しみを感じさせない。まるで品定めをされているようだと感じていると、その通りだった。


「…はあ。噂通り、パッとしないね」


初対面の男の子にいきなり容姿を貶されたウィータは、傷つきこそはしないものの、腹を立てた。

蜂蜜色の髪に、エメラルドのような瞳をした目の前の男の子と違って、ウィータの髪は赤みがかった茶色に、瞳の色はありふれた茶色だ。顔の作りも特に目立たない、平均的なものだ。普通の大きさの目に、これまた高くも低くもない鼻、唇はやや薄めで、顔色全体も青白い。

(妹のアーシアは、髪と目の色は同じだけど…目はぱっちりと大きくて、全体的に艶々しているのよね。肌も、唇も)

だが、不思議とそれは悔しくなかった。ウィータは自分の顔は不出来とは思わなかった。家族や目の前にいる男の子にいくら貶されても、この顔がいいと言ってくれる人がどこかにいると、そう確信していた。


「…あのさ、ちょっと聞いてる?」

「その、お伺いしたいのですが。どちら様でしょう?私はそちらの家名を教えていただいていないのですが」


学年が下なのは間違いないだろう。ウェスト学園の生徒の人数は300人程度。学年は3つまでで、ウィータは“今の“自分が2年生だということが分かる。

目の前の男子生徒は、ネクタイの色が先日卒業した学年の青ーーーということは、一つ下の新入生だ。

ウィータの質問に、男の子は大仰にため息を吐く。どうにも、微笑ましいというよりは、子どもが無理して大人のような振る舞いをしているような行動だ。

(私もまだまだ子どもだし、向こうも更に子どもだから当たり前だけど…なんだか子どもっぽい子だわ…)


「なに?まさか、なにも知らないの?」

頷くと、またため息を吐かれた。そして、やれやれと言わんばかりに首を振る。

いちいち芝居がからないと喋れないのかな、とウィータは思ったが、黙っておいた。


「リースト子爵家のアッシャーだ。君と婚約の話が持ち上がっている」


コンヤク、という言葉が婚約に変換されると、体が冷えた。貴族の家では政略結婚は当たり前なのに、何故か嫌だと心の底から思う。

初対面で言いたい放題のアッシャー自身が嫌なのだろうか。


「…父上から、同じ学園に通うスプリンクル家の令嬢だと聞いたけど。君、本当に噂通りだね。気概もなにもなくて、なにも言い返さない。だから家族間でも軽んじられるんだよ」


見ていてイライラする、と吐き捨てられた。


そこから、目まぐるしく場面が変わっていく。

持ち上がっていた婚約話は流れたということ。伯爵家の令嬢がアッシャーに一目惚れしたというものから、アッシャーが『あんな陰気な女は嫌だ』と親に掛け合ったなどと色々な噂が流れた。


ウィータにとっては、最初から最後まで寝耳に水の話だった。婚約が持ち上がったという話さえも両親から聞いておらず、アッシャーが他の家の令嬢と間違えているのではないかと思っていたくらいだった。


一体自分の身になにが起こっているのだろうか。

時間が飛び飛びなのに、違和感は泡のように消えていく。


そしてーーーー気づけば、子爵家に戻っていた。どうやら、夏の長期休暇に入ったらしい。

玄関に入ったところで、鬼のような形相の父と泣きはらしている母、そして少し離れたところから妹がニヤニヤと自分を見ていた。


「このっ、恥さらしが!」


父にステッキで側頭部を殴られ、よろめく。だが、父は倒れ込むことも許す気はないらしい。髪を掴まれ、引きずられるようにして連れて行かれる。


「リースト子爵家から、婚約の打診があったというのに!内定する直前で『この話はなかったことに』と言われたのだぞ!?一体お前は学園でなにをしていた!」


どうやら、婚約の話は本当に、持ち上がっただけ、らしい。リースト子爵家がなにを思ってスプリンクル家に話を持っていったのかは分からないが、アッシャーの勘違いではなかったようだ。

知りもしなかった話を潰すもなにもないが、打たれた側頭部の痛みと引き抜くような勢いで髪が掴まれていて、立ち止まることも許されない。


その間、後ろをついて来ている母は、「恥ずかしい、恥ずかしい」とすすり泣いている。


「ここで反省していろ!」


ぶん、と下から投げるように、物置部屋に放り込まれた。ドアも閉められ、ガチャリと鍵がかけられる音がした。

「あ、待って…。ごめんなさい!でも、お父様…」

「言い訳しないでちょうだい!婚約話を取り消された自分の行動を反省なさい!」

母の金切り声と、遠ざかる足音が聞こえる。

「お願いです!話を聞いて…、話をさせてください!」

ドンドンとドアを叩くが、自分の手が痛くなるだけだった。夏場の物置は暑く、やがて声を出すのも辛くなってくる。

暑さに意識が朦朧とし、少しでも涼しさを求めて壁にもたれた。とはいえ、剥き出しの木製の壁もあまり冷たくはなく、暑さに目が覚めては、気を失う、ということを何度か繰り返した。


やがて、物置に近寄る足音が聞こえてきた。

出してくれるのだろうかと思ったが、なにやら様子がおかしい。


「お姉さま、喉が渇いたでしょう?水を持ってきたわ」

水が手に入るのだろうか、と微かな希望がわく。

だが。


「でもね、勝手に開けるとお父様とお母様に叱られるの。だからね…」


ドアの下から水が浸みてきた。


「これなら、お姉さまは叱られないわ。ドアを開けてないんですもの。しっかり飲んでね」


ドアの下を通ってきた、埃が浮かんだ水を飲んだらいい、そう言われているのを理解して、気力がすっかり挫けてしまった。

家族の誰にも大切に思われていない。


妹はおそらくひどく侮辱的なことをしたという自覚もないだろう。きっと、気まぐれに土の渇いた鉢植えに水をやって、自尊心を満たした程度の気持ちだ。

父もそうだ。怒鳴りつけることで、家族の舵を取れていると思っている。

母が押し付けているのは理想でさえない。自分の夢物語だ。愛してくれる夫に、しっかりした長女とお転婆だけど可愛い次女。


とてもじゃないが、床の水を舐める気にはなれなかった。むしろ、あんなところに水をこぼされては、物置の中で自分が粗相をしたと勘違いされる可能性もあり、恥辱で涙が溢れた。

一度、堪えていた涙が決壊するともうダメだった。水分を無駄にするわけにはいかないのに。

ウィータは声を押し殺して泣き続けーーーそのまま意識を失った。



…ウィー…


最後に、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえたような気がした。




目を開けると、真っ白な天井があった。周りは白いカーテンで囲まれている。

(ここ、病院…?)

ウィータは身を起こしたが、途端に頭が痛み、もう一度横になった。


「失礼いたします」


優しい声に、ハイ、と掠れた声で返事をすると、看護師の女性が入ってきた。動きやすそうな紺のワンピースに真っ白なエプロンをつけた年配の女性はウィータを見て微笑んだ。


「良かった。目が覚めたのね。お父様とお母様に知らせてきましょうね。あ、その前に…ハイ、お水」

「体を起こすと、頭が痛い…」

そう訴えると、ちょっと待ってね、と言われ水の入った盤とストローが枕の横に置かれた。ゆっくりと水を吸い、生き返るような気持ちになる。


「ありがとう」

「うふふ、良かったわ。あ…お母様が来られたわね」


看護師がにこやかな表情を病室の入り口に向けるとーーーグラーティアが入ってきた。

「お母…さま?」

「ウィータ、大丈夫?まだ顔色が悪いわ」

そう言ってウィータの朱茶色の髪を撫でてくれる。ごく自然な動作だ。ウィータも母に頭を撫でられるのは、大好きで、よく知っている感覚だ。

そうだ、自分の母はグラーティアだ。子爵家の令嬢だったけど、商家に嫁いで、ウィータが生まれた。

甘えるように母の手を握ると、額にキスをしてくれる。“8歳“にもなって、少し恥ずかしかったけど、たまらなく嬉しかった。


「無理もないわね。あんなことがあったんだから。怖かったでしょう」

「あんなこと…?」

「…ねえ、もしかして覚えていないの?ちょっと、先生を呼んで…」

「待ってお母さま。大丈夫、覚えているわ」


そう、昨日のことだ。

ウィータの通う学校での音楽会に、“叔母“のメリールウが乱入したのだ。ちょうど、ウィータの学年の歌が終わり、区切りが良かったことが不幸中の幸いだっただろうか。

門前払いしようにも、仮にも子爵夫人がすごい剣幕で迫ってきたのだ。貴族に遠慮がある教師が止めるのも聞かずに突撃した。


そして、開口一番ーーー


『ウィータ!なにをやっているの!あなたはここに通うような子じゃないでしょう!!』


ズカズカとステージに近づき、ウィータの足を掴もうとしたが、それは阻まれた。


『メリールウ!あなた一体なにをやっているの!?』


庶民の通う学校だ。簡素ながらも一目で貴族と分かるドレスを纏った叔母を止められるのは、実の姉である母しかいない。


『姉様!子育てごっこはもういいでしょう!いい加減、ウィータを返してちょうだい!私の子よ!』


その言葉に、広間が水を打ったように静まり返る。ウィータの隣にいる友だちのミリアがギョッとしたようにウィータを見てーーーなにやら意を決したように、ウィータを庇うように前に出た。

『ミリちゃん…?』

『ウィー。顔色悪い。よく分かんないけど、あのおばさん、悪い人なんだね?』


悪いという言い方もあるのか、とウィータは今更ながらに気付く。今までは、あの叔母はおかしな人としか思っていなかった。

頻繁に子爵家がある西部地方からウィータが暮らす南部地方に来て、『私のこともお母さんと呼んでいいのよ』と意味の分からないことばかり言って気味が悪かった。

貴族の家の素晴らしさを延々と語り、最後に『もっといいお家で暮らしたいでしょう』と凄んでくる。

そうした奇行の度、怖くて父か母にしがみついた。両親が何度か子爵家当主に苦情を申し入れても、子爵夫人の異常な行動は咎められている様子はなかった。

終いには、ウィータを勝手に何処かに連れて行こうとすることもあった。流石にこれは誘拐だと訴えると伝えれば、ここしばらくは治っていたのだが。


微動だにしない母がどんな表情をしているか、ステージの上にいるウィータからは見えない。

ただ、母の肩が大きく上下している。どうやら、深呼吸して気持ちを落ち着けているようだ。そして、背筋をシャンと伸ばした。


『皆さん、お騒がせして申し訳ありません。手を貸していだだけませんか。警吏に引き渡しますのでーーー』

母の言葉は途中で途切れた。叔母が母を殴ったのだ。

『お母さまっ!』

ミリアが止めるのを無視して、ステージから飛び降りる。駆け寄ったウィータを見て、なにを勘違いしたのか、叔母が満面の笑みを浮かべて両腕を広げるが、無視をし、母と叔母の間に立ち塞がる。


『お母さまを殴らないで!叔母さまはどうしていっつも変なことばかり言うの!?みんなに謝って帰ってください!』

『ウィータ!!親に向かってその口の利き方はなんですか!!』

『あなたは親じゃない!もう私に…私たちに構わないで!子爵夫人はそんなに暇なんですか!』


怖くて膝が震える。怒鳴り返しているのも、虚勢を維持する為だ。でも、それ以上にこの叔母に自分たちの生活が荒らされるのはたまったものじゃなかった。

親じゃない、と言えば、ヒューヒューと外れた音のような呼吸音が聞こえてきた。

世間一般では、この叔母は美人の部類に入るかもしれない。実際、母とは姉妹だからよく似ている。だが、慕う母にいくら似ていても、言動が全てを台無しにしていた。


その後、わけの分からない奇声を上げて掴みかかろうとしたが、周囲の大人も、いくら相手が貴族でも看過出来なかったのだろう。数人がかりで押さえ込み、警吏を呼んだ。


その後のことは、よく覚えていない。

周囲の気の毒そうな眼差し、そしてウィータを強く抱きしめる母の腕の中で、高熱を出したウィータは気を失った。



そのまま、大事をとって病院に、ということになったらしい。

ちなみに父は、仕事の都合がどうしても付かず、涙ながらに母に音楽会を観に行って欲しいと頼んでいた。とはいえ、叔母が乗り込んで来たと聞いて、大急ぎで病院に来た。

病室に駆け込んで来た父に強く抱きしめられると、またしても涙が溢れた。そして、父はこう言った。


「ティア。子爵夫人はどうなりそうなんだい?」

「明日、スプリンクル家が迎えに来るそうよ。…今回の件だと流石に養子に出すか出さないか、っていう話じゃ通じないわ」


今までの揉め事はどうやら、養子にする話がこじれている、とされていたらしい。

ウィータにはまだ大人の難しい話は分からないが、母の言わんとすることが明るい話ではないことは分かった。

とはいえ、叔母が今後どうなろうとも、ウィータには興味がなく、願うことは関わらないことだけだ。



退院し、馬車で屋敷に戻る最中、ウィータはどうしても吐き出したいことがあった。だけど、それを口にするのはなんとなく怖くて、俯いていた。


「ウィー、どうしたんだい?まだ調子が…?」

「う、ううん。…あのね、お父さま。お母さま。ちょっと変な夢を見たの」

「変なって…ウィータ、もしかして怖い夢なんでしょう?どうしてもっと早く…」

「ティア、落ち着いて。ウィータ。吐き出すのに時間がかかることもあるよ。少しずつでもいいから、教えてくれないかい?」


頷いたウィータは、夢で見たことを言おうとしてーーー


「あれ…?あんまり覚えてない…」


あんなにはっきりしていた夢だったというのに、言葉にしようとしたら、途端に全ての輪郭がぼやけてしまった。

いや、大まかにだがはっきりとしていることは一つある。


「よく覚えてないけど…夢の中では私、スプリンクル家の子どもだったの……すごく、嫌だった…」


夢の中の自分は今よりもっとお姉さんだったが、それでも耐えられなかった。

目に涙を浮かべると、父と母は強く抱きしめてくれた。その日の晩は、安心させようとしてくれたのか、ウィータが生まれた時の写真を初めとした、たくさんの写真を見せてくれた。


父と母も同じベッドで寝てくれ、ウィータは自分が愛されていること、夢は単なる夢だと思うようになった。きっと、叔母のあまりに馬鹿げた言動のせいで、変な夢を見たのだ。


(でも…なんでこんなに胸が痛いんだろう…)


なにか大事なことが抜け落ちている気がする。それが何か全く分からない。

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