「死にたがりさん、こんにちは」
古びた店、埃の香り。寂しげな店内には僕一人。暇つぶしの本はとうに読み終えて、ただただ理解の追いつけなかった部分を読み直している。クライマックスがわかり切っている物語を読み直すというのも割と面白いもので、新たな見方や真実が明らかになるこの時間が僕は好きだ。
雨が窓を鳴らす。いつまでも降り止まない雨だ。この一定のようで不規則な自然の音は、心を無へと誘ってくれる。余計なことを考えずに、自分へと向き合わせてくれる。このなんでもない雨音が、僕は好きだ。
今日は客が少ない。と言うよりも、全く来ない。そういう日があったっていいさ。そう思っていた矢先に、バタンと乱暴にドアを開けてずぶ濡れな少女が店に入ってきた。
彼女は、常連客の死にたがりさん。
「死にたがりさん、今日はどうしたの?」
タオルを持って彼女に近づくと、またまた乱暴に持っていたビニール袋を床に叩きつけた。中身を覗いてみると、コンビニで買ったと思われる弁当が、食べかけの状態でぐちゃぐちゃになっている。
「ああ、せっかく買った弁当が美味しくなかったのか」
ガシガシとちょっと雑に頭を拭いてやると、その小さな頭が大きく頷いた。彼女の気持ちはよーく分かる。そりゃあ、死にたくもなるものだ。
「暖かいものを持ってきますよ。いつものココアでいいですか?」
同じく頷いた彼女を置いて、台所へ向かう。まずは美味しいものをお腹に入れて、気持ちを落ち着かせる。そうでないときちんとしたカウンセリングは行えない。クライアントが望むことを、僕は行わないといけない。
初めて彼女がここに来たのはもっと幼い頃、帰り道に派手に転んだ時だった。痛くて耐えられないと話す彼女に死ぬがこれ以上痛いと教えると、更に泣いて帰って行った。次に来たのは少し大きくなった頃で、テストでいい点数を取れなかった時。それからも何度もここにやって来ては、いつも帰っていっている。
「では、やはり死んでしまいたいと」
彼女は頷く。わかっていた。これならば、僕のやることは一つだけである。椅子を引いて立ち上がり、彼女の側に立つ。少し身構える彼女に、力を抜いてと声をかけた。
彼女のその細い首に、僕の指がくい込む。ゆっくりと、しかし力強く。両の手を使って首をつかみ、彼女を持ち上げる。床に倒れた椅子。つま先立ちのローファー。苦しげに歪む顔。言葉は出ない。細かく息を吐いている。抵抗は、ない。
そんなに長い時間ではない。もう少しかと手応えを感じた瞬間、彼女の手が僕の手を掴む。弱々しくも、しっかりと。
「……くる……しい……。や……めて」
死にたくない。
優しく彼女を床に下ろし、その首から手を離す。蹲って咳き込む彼女は、本当に哀れだ。暫くすると咳は止み、今度は嗚咽と共に荒らげた声が響く。
どうして、どうして、いつも上手くいかないの。どうして、やめてなんて言ってしまうの。どうして、どうして、どうして、どうして、
私を殺してくれないの。
「【同意のない殺害は行わない】のが、我々のルールです」
涙で汚れた彼女に見上げられて、いつもの様に同じ言葉を返した。僕達は、死にたいと望んだクライアントを殺すのが仕事だ。死にたくないとクライアントが望めば、殺すことは出来なくなる。
ボロボロの彼女の横に、中身がさらにぐちゃぐちゃになった頃ビニール袋を渡した。暫く俯いていた彼女だったが、程なくしてビニール袋を掴んで店を飛び出した。
また、雨に濡れてしまうな。なんて、ぼんやりと思う。
彼女はいつもそうだった。何度も死にたいとこの店に来ては、死にきれずに帰っていく。そんな姿を本当に、本当に哀れに思う。
きっと本当は、弁当が不味かっただけではないのだろう。今までだってそうだ。日頃の積み重ねが、そんな些細なことで耐えられなくなってしまったのだろう。
僕にはそんなに事細かくは知れないが。
彼女は今後もまたやってくるだろう。また、些細なことでその繊細な心を傷付けて。それでもまた死にきれずに帰っていくのだろう。
嗚呼、本当に本当に
「なんて可哀想な……」
いつの日か、安らかな死が彼女を救ってくれますように。
そう祈りを込めて、僕は少し泣いた。