天使の救急救命
サフィリアを出て数日、途中で商人の馬車に乗り合わせてもらい、風の国の王都まで来ていた。
風の国は妖精と人間が共存する、旧妖精の国の片割れだ。長命種である妖精と人間の間の子やその子孫たちも多く暮らしており、国全体的に平均寿命が高い。長く生きている分知識を多く蓄えていることから、別名知識の国とも呼ばれている。さらに隣国木の国よりも開放的な国柄から、王都には妖精や人間以外の多民族も多く行き交っている。
知識の国の王都には世界的に見ても規模が大きい図書館があり、そこでなら俺もカイも何か手がかりが掴めるかもしれないということで王都を目指して来た。
それに風の国の王都はその歴史上、木の国との国境が近い。それに王都というだけあって、風の国の主要都市に繋がる街道が集まっている。
ここに来た理由のひとつに、何もわからなかったとしてもすぐにまた旅立てるという見立ても含まれている。
「王都に入ったらとりあえず冒険者の店を探す。それでいいか?」
「ああ。ついでに何か依頼を受けておきたいな」
「あんた、それ読んでいて寝不足じゃないのか」
「言っただろう。体力には自信がある」
手に持つ魔導書のページを捲り、口角を上げて見せる。
母から受け継いだ魔導書は、解読がほとんどできていない。そもそも難しい単語や読めない文字が多すぎるのだ。母の出身から考えて日の国の前身である太陽帝国の古代文字だと思うのだが、調べたことがないからわからない。そもそもこんなことになるまで古代の魔法を使おうなんて思わなかった。
茶色く風化した表紙と黄ばんだパリパリの紙の魔導書を眺め、なんとか読める箇所を探して読んでいく。そんな作業を繰り返すうちに乗せてもらっていた商人の馬車は風の国の王都に着いていた。
関所を抜けると、さすが王都ともいうべき賑やかさと華やかさが出迎えてくれた。
植物や動物など、生き物と共存することを好む妖精に合わせてるのだろう。街道の脇には生き生きとした植物が多く植えられ、青々とした葉を生い茂らせている。野生の猫や犬、リス、うさぎなんかが道路を歩いているし、抜けるような青い空には小鳥が飛んでいる。
建物は木とレンガで作られ、風の国の緑と白の旗がはためいている。道路は明るいパステルカラーのタイルが花の模様に敷き詰められている。
王都の中央には白亜の壁に緑の屋根の王城が建っている。その王城の外側にある、ドーム型の建物が国立図書館だ。
「…まるでおとぎの国に迷い込んだみたいだな、黒騎士さま」
「何が言いたい、白魔導士殿」
お互い視線を向けあい、ニヤリと笑う。…相方は顔が見えないけど、なんとなくそう感じた。
案外黒い竜と藤色の姫君もここにいるかもな。
口には出さないがそんなことを思いながら街を見回す。
「なあ、冒険者さん方」
馬車に乗せてくれていた商人が声をかけてくる。顔を上げると、商人は人好きのする笑みを浮かべて、
「もうすぐ冒険者の店に通りがかるが、そこで降りるかい?」
と問いかけて来た。親切にも市場とは別方向の宿屋と酒場が立ち並ぶエリアに寄ってくれたらしい。
「感謝する。そこで降ろしてもらおう。カイもそれでいいか?」
「ああ」
「んじゃ、そこに寄りますかねぇ」
商人が御者に声をかける。馬車はゆっくりと大通りから脇道に曲がろうとする。その時不意に、
「危ないっ!」
という使命が響き渡った。続いて衝撃。悲鳴と馬の嘶きが響き渡る。
「何事だ?」
カイが馬車から飛び降りる。続けて馬車から降りて、目に飛び込んできた惨事に目を見開いた。
地面を染めた赤。馬の足元に横たわる小さな体。血に濡れた頬は青白く、早く応急手当てしないと危ない状況だということは一目でわかる。
「…カイ」
「ああ、いけ」
カイは静かに頷くと、暴れる馬に近づく。馬を宥めてくれるつもりなのだろう。
その隙に俺は道路に横たわる子どもの方へと駆けた。すぐそばに膝をつき、体を見聞する。
馬に当たって跳ね飛ばされたのか、あちこちに打撲痕がある。出血元は頭の切り傷か。原因は外れたタイルだ。
「…っ!マリー!」
人垣から緑の髪の女性が走ってくる。この子の知り合いだろうか。
危ないからと周りの人に押さえつけられ泣き叫ぶ。あの様子だとこの子の家族かもしれない。
子どもに目を戻す。息はある。首筋に手を当てれば弱々しいがまだ脈があった。…まだ助かる。
杖を取り出す。握った先から回復呪文を紡ぐ。
まだ生きているとはいえ、瀕死の状態だ。早くしないと失血死してしまう。
打撲痕は後だ。内臓出血は怖いところだが、それよりも頭の傷をなんとかしたい。後遺症は残したくない。
片手で杖を握り、もう片手は子どもの胸へ。
魔力で体の状態を探る。必要なのは組織の回復、血管の再形成、ああ、頭蓋骨もヒビが入っているのか。完全に割れてなくてよかった。
金の光が渦巻いて子どもを包み込む。頭の傷の修復が始まったのだ。
続いて内臓。心臓は無事。肺は…折れた肋骨が探しって穴が開いているか。これは難易度が高い。だが優先順位としては高い。脳と心肺は生きていく上で最低限必要な器官だ。消化器は後ででもなんとかなる。
折れた骨を整列し直し、くっつける。子どもが小さく呻き顔をしかめた。
「…すまない、もう少し我慢してくれ」
眠りの魔法を仕込む。金の光に銀が混じる。子どもの表情がすっと穏やかになる。
そのうちに肺の組織を再生。感染予防に解毒を。次に他の臓器と骨を確認、あちこち損傷を受けているからこれも修復する。
最後に手足。細かな擦り傷や打撲痕を癒していく。
その間ずっと頭の傷は癒し続ける。頭蓋骨の再形成は終わった。血腫はできてない。血管も問題ないだろう。皮膚も綺麗に引っ付いた。
よし、貧血になっていること以外異常はないな。
確認を終え、異空間を探る。その中に入っていた(授業で腐るほど作った)造血の霊薬を取り出す。その蓋を開け、子どもの体の大きさに合わせた量だけ飲ませる。淡い光が全身を包み込み、血液細胞を増やした。
これは霊薬に含まれる血液細胞を魔力で補填するものだ。子どもの体に負担は少ない。副作用もほとんどない。
子どもが目を覚ます。綺麗な緑の瞳がパチリと瞬いた。
「あれ、私…」
子どもがゆっくりと体を起こす。その背中に手を添える。周りがざわざわと騒めき始めた。
「さっき怪我をしてんだが、覚えているか?」
事故に遭ったことは言わない。それがトラウマとなって苦しむ子どもを見たことがあるから。
「…覚えてない。天使さまが治してくれたの?」
「天使⁈」
「お兄ちゃんは天使さまじゃないの?」
子どもがきょとんと首をかしげる。純粋な目で見つめられる。しかし俺は人間だ。それも天使と例えられるような容姿はしていない。
困って顔を上げる。不意にカイと目があった。
カイは俺が子どもを治療している間に馬を宥めてくれたらしい。混乱して暴れていた馬が今は大人しくカイの隣に佇んでいた。
カイは俺の視線受け止めるとこちらに歩いてきた。そして俺の隣に並ぶと、
「こいつは約束のために旅している。だから天使であることは秘密だ」
と小声で囁いた。
その言葉に目を見開く。俺は天使じゃない。勝手に殺すな。
抗議の意味を含めて睨むと、カイがふと笑ったような気がした。こいつ、確信犯か!
「ひみつ、なの?」
「ああ、そうだ。…ソラ、羽根をしまえ。正体がばれるぞ」
前半は子どもに向けて、後半は俺に向けて小声で呟かれる。
羽根?何のことだ?
首を傾げ、背中に手をやって気づく。
成人した日から背中に生えている翼だ。いつもは自在に出したり消したりできるのだが、今回は魔力を全力で使った魔法の使用で出てきてしまったのだろう。出てきたのがローブの中に隠れる大きさでよかった。慌てて翼を消す。
それと同時にくるりと視界が暗転した。
まずい。そう思う頃には身体が傾いで、隣の男に寄りかかっていた。カイは倒れかけた俺にため息をひとつ落とす。
「…俺たちはもういく。こいつのことは秘密にしてやってくれ」
「うん!ありがとう、お兄ちゃん!」
子どもがパッと目を輝かせて頷く。その元気な様子にほっとし、目を閉じた。体が大きく揺さぶられる。きっとカイが俺を抱えたのだろう。倒れて面倒かけてばかりで申し訳ない。
だが魔力が足りないのだ。魔力は生命力だ。普通は少し減ったぐらいではこんなことにはならないし、食事や睡眠で回復する。だが今回は一気に魔力を消費しすぎた。体がだるい。
「このまま冒険者の店に行く。いいな?」
「うん」
頷き、うとうとと目を閉じる。背負われて、胸や腹に当たる鎧が痛いはずなのに睡魔は容赦なく訪れる。
そのまま夢の世界へと旅立とうとし。
「待ってくれ!」
呼び止められた声で辛うじてうっすら目を開けた。
「…なんだ」
カイが声のした方へ振り返る。自動的に背負われている俺もその方を向いた。そしてそこにさっき子どもの名前を叫んでいた緑の髪の女性と、女性によく似た子どもを見つける。
「…この子を助けてくれて、ありがとう」
「…ああ、どういたしまして」
わざわざそんなことを言うために追いかけてきたのか。下がってくる瞼を押し上げて返事する。声は眠気でぼんやりとしていた。
「よかったらお礼をさせてくれないかな?」
そう告げる女性に、それなら、と口を開く。
「漆黒、の翼にはちみ、つの瞳、蒼のきらめきの竜と…藤色の瞳の姫君を知らないか?」
うとうとと言葉を紡ぐ。自分を背負う男がピクリと体を動かしたのがわかった。
「…悪いけど知らないな。おとぎ話か何かかい?」
聞き返す女性にいや、と首を振る。
「知らないなら、いい。ありがとう」
もう行こう。ペチペチと鎧を叩くと、カイはため息を落として頷いた。
「悪いがもう行く。こいつを休ませなければならないんでな」
「…ああ、そうだね。気付かなくてごめんよ」
「…失礼する」
カイが踵を返す。リズム良く揺れる背中が気持ち良い。魔力不足も相まって、俺は気づいたらカイの背中で眠りに落ちていた。