旅立ち
もうすぐ約束のひと月だ。
遺跡から帰って来た後、カイは旅をやめろとは言わなくなっていた。代わりにモンストロとの戦い方や弱点、身の隠し方、距離の取り方を徹底的に仕込まれることとなった。
「あんたは無茶をしすぎる。魔導師は前衛じゃない、後衛だ。他の何を忘れてもいいからこれだけは頭に叩き込め」
と言われた数は両手の指じゃ足りないほどだ。
それから情報の集め方。どこにモンストロが出るか、治安の良し悪し、その国の宗教や習慣は問題なく旅を続ける上で重要だ。普通の冒険者なら冒険者の店やギルド、酒場なんかで情報を集めるらしい。酒場では酒を飲みながらになるから、俺にはまだ早いという。成人しているから大丈夫だと言ったら、
「あんたの大丈夫は信用できない」
とのことだ。なぜこんなにも信用がないのだろうか。
他にも詐欺に騙されない方法、物盗りやスリに合わない方法、旅の装備の基本、信用できる冒険者の店の選び方、その他諸々、たくさんのことを教えてもらった。
教えてもらい、ひとつひとつ課題をこなしていくうちにあっという間に時間は過ぎた。
そうして約束の日の数日前となった今、俺に関わる情報がこの街に流れて来たことを知った。
「そういえばね、隣国の月の国でとある貴公子が行方不明になったんだって。貴公子の兄弟が懸命に行方を探しているそうよ」
大変ねぇ、と姐さんが何気なしに呟く。
…そうか、兄弟が俺の行方を捜しているのか。
ここまで情報が流れて来たということは、近く兄弟がこの街に来るかもしれない。兄上ならなんとかなるだろうが、弟だったら逃げ切れない。
そうなる前にこの街から出る必要があるだろう。
思い立ったが吉日、善は急げだ。姐さんから話を聞いたその足で、俺はカイが剣の手入れをしているはずの部屋へと向かう。
カイは今日も相変わらず鎧を身につけていた。
それにしても同じ部屋だというのに一度も素顔を見たことがないというのはどういうことなのだろう。もしかして顔に大きな傷があるとか、顔を見せられない理由でもあるのだろうか。
「…カイ」
「なんだ」
顔を上げる。兜で隠された目がじっと俺を見つめている気がした。
体がこわばる。せっかくひと月と約束してもらったのに、それを反故にすることが申し訳ない。
「…街を出なければならなくなった。約束の日より少し早いが、ひと月世話になった。色々教えてもらったこと、本当に感謝している。それにあんたとの時間は、その…居心地が良かった。ありがとう。本当は恩返ししたいが…」
「…そうか。なら荷物をまとめろ。ここを発つぞ」
「え」
予想していなかった答えに目を丸くする。まさか一緒に来るつもりか?
「この街を出なければならない事情ができたんだろう」
「そうだが、あんたまで来る必要はないだろう」
「…あんたは冒険者をやって見て、辛くはなかったか?」
「…辛くはなかった。あんたがいてくれたからな。もちろん楽なものでもなかったが」
「なら、いい。…本当は馴れ合うつもりはなかったんだがな」
言い置いて、さも仕方がないかのように言葉を続ける。
「あんたを放って置けない」
「は…」
「あんた、まだまだモンストロと戦うのに戦力が心もとないことは自覚しているだろう。それに白魔導士のひとり旅なんて聞いたことがないしな」
そう言われてしまってはぐうの音も出ない。
この半月、カイからはモンストロとの付き合い方で様々なことを教えてもらった。体力も増えたし、それなりに戦えるようにもなった。それでもひとり旅をするには心許ないのだ。
「自分の目的を優先する。あんたは自分の事情を優先すればいいし、俺もそうさせてもらう。これなら何の気兼ねもいらないだろう」
「そう、なのか…?」
「ああ。どうしても果たさなければならない約束があるのだろう」
「…ああ」
「なら、俺を利用すればいい。俺はあんたの回復呪文があった方が戦いやすい」
目から鱗が落ちる。戦闘の場面で俺ができることなんて限られている。だから自分にできることは精一杯しようとした結果なのだが。そう思われているとは思わなかった。
頰が熱い。フードを目深にかぶる。
「…それじゃあ、もうしばらくの間世話になる」
「ああ。よろしく頼む」
手が差し出される。籠手が外された、褐色の手だ。
ハッとして顔を上げる。いつのまにか兜は外され、ひと月先生として指導してきてくれた黒騎士の素顔が露わになっていた。
褐色の肌に光の当たり方によって赤にも見える猫毛、切れ長の金の瞳。初めて見た黒騎士の顔は、思った以上に整っていた。
慌てて自分もローブを外し、手を握った。ぎゅっと手を握り返される。硬くて大きい、剣を握っている男の手だ。
それに比べて自分の手は小さく柔い。これから強くなれば、この手のように硬く逞しくなるのだろうか。
「…よし、行くぞ。荷物は全部異空間に放り込めるか?」
「問題ないが。カイのもか?」
「その方が早い」
そういうことなら否やはない。国を出た時、俺も同じことをしたのだ。遠出をするなら荷物を全部担ぐより異空間に放り込んだ方が動きやすいだろう。
荷物を全て異空間に押し込め、軽く掃除をして部屋を出た。世話になった部屋を片付けて出るのは学園で培った習慣だ。
使わせてもらったことに感謝を。何にでも感謝できるあの音楽の教授のことは今でも尊敬している。
ふたり揃って受付を覗くと、姐さんが目を瞬かせた。
「あら、ふたり揃って珍しいわね」
「ああ。事情ができた。急遽出立したい」
手短に説明するカイの言葉に姐さんは目を丸くした。
「じゃあもうパーティは解散?」
「いや、ソラは連れて行く」
「ひと月、世話になった。代金はいくらだろうか?」
尋ねると、姐さんはさらに目を丸くした。
「連れて行くの⁈…ソラくん、冒険者やっていて辛かやしんどさは感じていない?もし少しでも感じているなら、冒険者にはならない方がいいわ。なんなら、ここで働いてもいいのよ?」
「…こいつを惑わすな。それについてはさっき確かめた」
カイがうんざりしたようにため息を落とす。
「なによぉ、ソラくん、今どき珍しいすっごい良い子なのよ!勧誘くらいしたっていいじゃない!」
いーっと姐さんが威嚇する。子どもがするような可愛らしい威嚇はしかし、大人の姐さんがやっても可愛らしい。俺がやってもあんなに可愛くは見えないだろう。むしろ不快に映る可能性が高い。
やはり女性というのは可愛らしいものなのだな。
自分とは縁遠い言葉すぎて、諦めすら湧く。俺は俺だ。比べる必要も変える必要もない。
それより今は姐さんを納得させなければならない。
「あの、姐さん。俺は冒険者をやっていて、辛くもしんどくもなかった。それに俺にはやらなければならないことがあるんだ」
そう告げると、姐さんはそう、と呟き、嬉しそうに笑った。
「カイくんに頼んでよかったわ。ソラくん、元気でね。辛くなったらいつでも戻ってらっしゃい。それと前にも言ったけど、代金は特別無料よ。最初の3日間分はすでに払ってあるからお代はなしよ!」
お茶目に片目をつむる姐さんに、自然と笑みがこぼれる。
「ありがとう。姐さんも達者でな」
礼を告げ、店を出る。
港の方から、
「月の国のお偉い方が来たらしい」
「もてなしの準備をしろ!」
という声が聞こえてくる。
さすが兄弟、行動が早すぎる。
「あれが街を出る原因か」
カイが港の方を一瞥する。
「…ああ」
「…かぶってろ」
頷くと、ローブを深く被せられた。遺跡から帰ってから焦げたり破れたりしているのを見咎められ、新しいのにしたらどうだと差し出されてそのまま使っているローブは、俺なら積極的には選ばないだろう緋色だ。色としては目立つが、白のローブに見慣れている兄弟なら誤魔化されてくれるかもしれない。
そのまま俺たちは隠れるようにして関所を抜け、街の外へ出たのだった。
モンストロ討伐と喧嘩は街の華と歌う風の国の港町、サフィリア。そこにふたりの青年が降り立った。
黒い髪に青い円らな瞳を瞬かせた青年は、くんくんと小さな鼻をひくつかせてポツリと呟く。
「兄弟の匂いがする」
聞き咎めたもうひとりの青年は頭ひとつ分背の低い相方を見下ろして首肯した。
「ああ、確かにソルの匂いが残ってるな、シアン」
「そうでしょ、ヴォルさん」
にこっとシアンと呼ばれた小柄な青年が笑う。ヴォルさんと呼ばれた大柄な青年はグッと伸びをして口角を上げた。
「さあて、逃げた白猫の捕獲、いっちょやってやろうじゃねえか!」
「任せて!パッと捕まえて、サッと帰ろう!ね、ヴォルさん!」
サフィリアに降り立ったふたりの青年は港町で探し人を見つけるべく歩き出し…港の商売根性たくましい商人たちに見事に捕まった。
「月の国のお兄さん、ちょっと店を見ていきませんか?」
「俺の店、武器屋なんだ。よかったら良い品見繕うぜ!」
「私の宿に泊まっていかない?さっき可愛がってた子たちが出てっちゃって、少し寂しかったのよー」
…商売根性と気合のある商人の中には、ソラとカイに世話を焼きまくった姐さんも混じっていた。
「え、ちょ…シアン!」
「えぇ、さすがに僕でも全員を撒くのは骨が折れるなぁ」
慌てる身なりの良い青年たちはこの後しっかり商人たち及び姐さんに捕まり、街を出られたのはそれから数日後のことであった。