遺跡と火蜥蜴
翌朝、日が昇ってすぐに野営地を片付けた。水をかけて焚き火を消し、燃えかすは埋めた。
カイは全身に鎧を着たまま、木にもたれかかって眠っていた。そっちの方がよほど疲れが取れないんじゃないかと思ったが、本人がいいと言うならいいのだろう。
遺跡は神殿のような形をしていた。
かなり古いもののようで、元は白かっただろう壁にはヒビが入り、蔦が巻きついている。今にも崩れそうなのに神聖な気配は薄れてはいない。きっと何百年も前から大事にされてきた建物なのだろうと見当がつく。
じっと遺跡を見つめていると、
「遺跡は好きなのか?」
と尋ねられた。
好き、なのだろうか。そういえば歴史を学ぶのは好きだった。歴史は人々が紡ぐ物語だ。どんな出来事にも人々の思いがあって、願いと思惑が交錯して、そうして脈々と受け継がれていく。その足跡が遺跡や遺物として残る。
物語が好きだった。物語の中の、はるか昔を生きた人々へと想いを馳せる時間は穏やかで気に入っていた。
だから、遠い昔を生きた人々の思いに触れられるものは好きなはずだ。
「…好きだと思う」
遺跡に一歩踏み込む。
その瞬間目に飛び込んできたのは、壁一面に描かれた壁画。目を閉じた女性が色とりどりの7輪の花を抱き、その女性に炎が迫る絵だった。
「これはずいぶん昔に描かれたらしい」
「…ああ、だいたい千年くらい前か」
「わかるのか?」
「ああ」
この女性は昔、木の国と風の国が別れる前の妖精の国の最後の女王なんだ。最後の女王は自分の子どもを含めた将来有望な妖精7人を守り、国外に逃したんだ。
その時の7人の妖精を花で、妖精の国を滅ぼした戦争は炎で例えられている。花の種類がバラバラなのにも意味があって、どの花がどの妖精なのかまでわかってる。この花のうち、百合の花が現在の木の国の始祖王のエルフで、この白いアネモネが風の国の救世の姫と呼ばれている精霊だな。
この壁画は有名で、発見されてから何人もの画家が書き写している。木の国と風の国の始まりを語る上では欠かせない絵だな。
軽く壁画の説明を加えると、なぜかカイが引いている。歴史上の壁画の中では逸話が綺麗な方だと思うのだが、引かれるような話だっただろうか。
「あんた、思ったより詳しいんだな」
「そうか?割とよく聞く話だと思うが、不愉快だったか」
「…別に気にしてない。好きに語ったらいい。俺はちゃんと聞いている」
「…自分に言い聞かせてないか、それ」
「…適当に頷いて聞き流すのは慣れている。一方的に話される説法もだ」
「それ、ふっ。聞いてない、じゃないか。ははっ」
「笑うな」
「いや、だって…くっ」
だって、出会った時に馴れ合うつもりも群れるつもりもないと言っていた一匹狼のカイがだ。一方的に話をされ、聞き流しているとはいえ相槌を打っているのを想像したらダメだった。ちゃんと馴れ合ってるじゃないか。
「おい、笑うな」
「わ、わかった。ふふっ」
「おい」
一頻り笑い、深呼吸して落ち着く。それをカイは腕を組んで見ていた。ちゃんと待っているあたりが馴れ合ってると思うのだが、彼は気づいているのだろうか。
「…もういくぞ」
カイが踵を返す。
それに続こうとして、気づいた。
「カイ、上だ!」
叫んだ瞬間、カイが飛び退いた。杖を握り振りかぶる。
確かな手応え。ギャッと落ちてきたそれが鳴いた。痺れる腕。やはりもう少し鍛えたほうがよさそうだ。
現れたのは一匹の火蜥蜴。竜の末裔とも言われている、文字通り火を操るトカゲだ。ただ火蜥蜴は竜の末裔というだけあって、モンストロの中でも強い部類に分類される。
大きさは成獣でだいたい馬車くらいか、それよりひとまわり大きい。目の前にいるのは人の身長くらいだから、まだ幼獣なのかもしれない。
赤い鱗に黄色い目。翼と鱗の煌めきはない。それがあるのは今や純粋な竜だけだ。
「…よく気づいたな」
「魔法の気配なら探れる」
火の気配がチリチリと空気を焼く。殴りつけた俺をギョロリと黄色い目が捉えた。どうやら恨みを買ってしまったらしい。
カイがスラリと剣を抜いた。
「こちらに引きつける。援護は頼んだ」
「ああ」
カイが駆け出す。火蜥蜴は俺よりも殺気を放つカイに標的を移すことにしたらしい。助かる。
さりげなくカイの後方に移動し、魔力を練り上げるために杖を握った。
火蜥蜴が口から火を吐き出す。カイはそれをサイドステップでかわす。走り込んだ勢いのまま尻尾に大剣を振り下ろした。ブンッと風が鳴る。黒い残像が火蜥蜴の尻尾を切り落とした。
相変わらず容赦がない。
相手が追いかけている竜の末裔だからか。纏う空気が鋭く冷たい。
尻尾を切り落とした勢いを反動に火蜥蜴の腹を蹴り上げる。無茶な動きをする!
筋肉を傷めないよう、速攻で回復呪文を紡いだ。
火蜥蜴が哭く。慟哭は空気を震わせ、遺跡の崩れかけた壁にヒビを入れる。
なんてことをするんだ。ここが崩れたらどうしてくれる!壁画はなくなるし、俺たちみんな瓦礫の下敷きだぞ。
しかしその慟哭はカイには響かない。黒騎士は淡々と剣を振るい、火蜥蜴の背中を切りつけた。
しかしさすが竜の末裔というべきか。硬い背中の鱗が数枚剥がれただけで、血すら滲んでいない。その頑丈さには目を剥く。
火蜥蜴が火を吐く。標的は俺だ。カイより先に弱そうな俺を始末しようとしたのだろう。
まっすぐ向かってきた炎を走って避ける。
「ソラ!」
「大丈夫だ」
焦ったような黒騎士の叫びに頷いて見せる。信じてくれ。
黒騎士はサッと俺の全身を見ると戦いに全神経を戻した。器用なことだ。
ちらりと火をかすめたローブの裾を見る。ローブの裾が焦げたがこれくらい問題ないだろう。
杖を構え直す。皺を寄せた鼻面に火の粉が舞う。また炎を吐くつもりか。
駆け出し、杖を振り上げる。
「なんで近くに来た!」
「やられたらやり返すのが礼儀だ」
告げ、杖を横に凪いだ。硬い石の付いた杖が鼻面を殴りつける。柔らかい鱗は割れ、火蜥蜴は痛みに顔を歪めた。
満足だ。後ろに下がる。
火蜥蜴が憎々しげに俺を見る。俺はやられた分やり返しただけだ。
「…大人しくしていてくれ」
カイがぼやく。ああ、もう殴ったりしない。大人しくしているつもりだ。
大剣が振り上げられる。一閃、火蜥蜴の足が飛ぶ。
火蜥蜴が痛みに悲鳴をあげた。逃げようともがく火蜥蜴に最後の一太刀を浴びせる。
首をはねられた火蜥蜴はその体を痙攣させ、そして。
「よけろ、カイ!」
残った最後の力で火の玉を吐き出した。それは先ほど放った炎と比べたら弱々しく、けれど人間が当たれば致命傷は避けられないもの。
一直線にカイに向かったそれは、避けようとしたカイの腕をかすめた。
「ぐっ…!」
顔が歪む。
駆けつけ、
「じっとしていてくれ」
と低く指示する。
「火蜥蜴は…」
「死んだ」
火蜥蜴の目はすでに光を失っている。
焼けた鎧は何でできているのか、思ったよりも熱くない。が、装甲の薄い関節部位は酷い火傷を負っていることだろう。
火傷は一見小さな傷に見えても、意外と奥の組織まで破壊されていることがある。それを放っておけば皮膚や筋肉が引き吊れたり、壊死したりすることだってある。その前に治療する必要がある。
紡ぐ回復呪文は中級のもの。これは組織を再生する呪文だ。単純な切り傷や擦り傷なんかはこれで十分だが、今回はそれに加えて火蜥蜴は毒を持つことがあるから解毒と抗炎症を。鎮痛もおまけで使う。
白魔法を重ねがけして、カイを伺う。
「…痛みはないか?」
「ああ」
手をぐっ、ぐっと握りしめ、肘を動かして頷く。回復して何よりだ。
「このまま先に進むか?」
チラリと火蜥蜴を見る。
火蜥蜴は上位のモンストロだ。見かけたらすぐに近くの冒険者の店か警備隊に報告しなければならない。
「…いや、薬草を採取してからでいい。ここは火の国が近い。火蜥蜴は珍しくない」
「…そうか」
頷き、遺跡の奥へ向かう。
「あんたこそ大丈夫なのか。疲れているなら休憩をとるが」
「大丈夫だ、体力には自信がある」
これでも学園生時代、成績優秀者の特権…もとい罰ゲームで戦場にも連れていかれている。そこで白魔法の実践を行なっていたわけだが、戦場をくぐり抜けられるよう体力だけはあるのだ。…筋力はないが。
「…体力に自信のある魔導師」
「なんだ、悪いのか?」
「いや、いいんじゃないか」
兜の中で笑う気配がする。この男、顔が隠れているくせに感情表現が豊かで割とわかりやすい。
その後遺跡に刻まれた歴史に触れつつ、薬草を指定数採取して、ついでに火蜥蜴の鱗(火蜥蜴の鱗は解熱の薬になる)も数枚剥いで、半日かけて街に戻るのだった。