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月夜の舞踏曲


目を覚ますと、カイはすでに身支度を整えていた。今日も昨日と同じ黒の鎧姿だ。

ただ蜘蛛の体液に塗れていた昨日とは違い、今日の鎧は綺麗なものだ。どうやら昨晩のうちに手入れしたらしい。

身体を起こす。めまいも頭痛をやってこなかった。

そのことにはっとしつつ、改めて昨日のことを思い返す。

昨日は貧血のせいで頭がぼんやりして考えられなかったが、自分には課題が多すぎる。

もともと背負ってきた問題もあるが、それ以上に冒険者としてやっていかなければならない中で、足りないものが多いのだ。

「俺は自分の身ひとつ、守ることができないのか」

冒険者を始めた昨日の今日でこの体たらく、これでは命がいくつあっても足りないかもしれない。

ぼやいた声を聞き取ったカイがくるりとこちらを向き、そうだな、と悪びれることなく首肯する。

「あんた、旅をやめろ」

言われた言葉は予想通りのものだ。言葉がストンと胸に落ちてくる。

確かに俺が旅を続けるのは無謀だと思う。大した武力も知識も技術もない。

しかし俺は決めていた。

どうしてもこれだけはやり遂げたい。

守らなければならない約束が、誓いがあるのだ。

「迷惑をかけたことは謝ろう。それと、昨日のことは感謝している。だが、旅をやめるつもりはない」

「なぜだ。白魔導士なら冒険者をやらずとも、教会に行けば暮らしていけるだけの金は稼げるだろう。それが嫌ならここの店主に掛け合ってもいい。あんたがそうするだけの理由があるとは思えない」

カイの言葉に俺は眉を下げ、ローブの裾をつかもうと頭上に手を伸ばし、気づく。ローブがない。

いや、別にいいか。どうせ昨日世話されている時に散々顔は見られている。

「…そうだな。ここまでやる必要はないのかもしれない。だが、俺はどうしてもやり遂げなければならないことがあるんだ。だから旅はやめない。例えそれで死ぬことになったとしても、だ。………あんたも、そういう旅なんだろう。カイ」

カイは答えない。その沈黙が答えだ。

ベッドから立ち上がり、近くにかけられていたローブを被る。すっぽりと顔を隠し、壁側を向いてローブの中で寝巻きからいつものシャツとズボンに着替える。

着替え終え、最後に背中に流していた黒髪をひとつにまとめる。物心ついてからからずっと腰までの長さをキープしている長い髪は、魔導師にとって魔力の倉庫のひとつだ。長く美しい髪には魔力が宿る。

それが迷信だとしても、魔法職の人間の多くは髪を伸ばしている。たまに筋骨隆々の男が床につきそうなくらい髪を伸ばしていて、暑苦しい仕上がりになることもある。

ちなみに筋肉をこよなく愛する兄上の髪は短髪だ。

「…あんた、今日の予定は?」

「依頼はないのか?」

「今日は休みだ」

「なら特にないな」

「…そうか。なら今日はゆっくり休め。俺は情報を集めに行く」

「わかった。ありがとう」

竜と姫君の情報でも集めてくるのだろうか。カイは小さく頷き部屋を出て行った。これから食堂にでも行くのだろう。ここの食堂の飯は美味いと聞いている。

…俺は今日も今日とてパン粥だが。

今日のパン粥はトマトソースベースで、キャベツや玉ねぎ、ベーコンをとろとろになるまで煮込み、パンを浸してチーズを振りかけたものだった。これも美味い。もしやカイが作ったものだろうか。

パン粥をもそもそ食べながら、そういえば明日は誕生日だな、と思い出す。明日になれば俺も成人なのだが、月の国には成人になる前の儀式として面倒くさい習慣がある。

誕生日の晩に、生まれた時に送られたアミュレットを付けて月に舞う、か。

別に国を出ているのだからやらなくてもいいのだが。国にいた頃、姉妹同然の幼なじみたちを練習に付き合わせ、しかも楽しみだと笑った顔を思い出すとやらないというのも気が引ける。

誰も見ていないところでやるか。

町の近くに人が来にくい入り江の洞窟なんかいいんじゃないだろうか。幸いアミュレットは持って来ている。衣装はないが、この際なんでもいいだろう。

そうと決まれば、早めに準備した方がいいだろう。

便利呪術として覚えた(魔法は神や精霊、悪魔から受け継いだもの、呪術は人が生み出したものと言われている)異空間を作り出す呪術で、愛杖と着替えを押し込む。後はお金を少々。お腹が空いた時用だ。

この呪術で持ち運べる荷物の量に制限なんてほとんどないのだが、何でも持ち歩くのは好きじゃない。

荷物を確認し終え、胸元の、服の中に隠したアミュレットを握る。赤から琥珀色へと徐々に色を変える魔法石は、今まで自分の魔力を吸い込んで色を変えた、元はただの水晶だ。

心を込めて月に感謝と祈りの舞を舞えば、この魔法石のアミュレットに祝福が降りるのだという。その祝福は例えば一度だけ使えるはずもない大魔法を使うことができたり、寿命を延ばしたりすることができるのだという。

ならば俺は、これまで生きてこれたことに対する感謝と、幼なじみのこれからの未来のために祈ろう。

雫型にカットされたそれにいつもより多めに魔力を込め、入り江に向かうべく立ち上がる。

入り江はここから少し遠い。徒歩で行くなら半日、余裕をもって今から出発しても問題ないだろう。

朝餉だけはしっかり食べ、器をすすいで姐さんに返す。

「いってくる。今日は帰るのが夜中になるが、宿は開いているだろうか?」

「それなら酒場から入ってくれればいいわ。そっちなら明け方までやってるから。どこか遠出するの?」

「助かる。ああ、ちょっと入り江にな。今日は誕生日なんだ」

「あら、お祝いしてもらってくるのね。じゃあ気をつけていってくるのよー」

姐さんに見送られて、俺は久し振りに街中へと一歩踏み出したのだった。


「…は?出かけた?」

開口一番、全身を黒い鎧で身を包んだ男は驚いたように声をあげた。

「そうよー。珍しく声が弾んでたし、今回は成人になる誕生日だもの。楽しみにしてるんだろうなーって思ってたんだけど。カイくん、何も知らなかったの?」

「…知らない。あいつ、今日が誕生日なのか」

「そうよー。って、あれ?カイくんが知らないなら、あの子誰にお祝いしてもらうつもりだったのかしら」

首をかしげる店主に、カイはチッと舌打ちした。

病み上がりのくせにどこをほっつき歩いている。しかもあの白魔導士の少年は朝方から出かけているという。もう夕方だぞ。わかっているのか。

今日で成人すると言うからにはあの少年が少年ではなく青年であることはわかる。だが昨日の帰り、歩くには無理があるあの男を担いだ時には驚いた。その体が子どものように軽かったことも、細くて柔らかかったことも覚えている。男としてあるべき最低限の筋力があるとは思えなかった。あれでは子どもと間違われた攫われても抵抗らしい抵抗もできないだろう。

「チッ。迎えに行く」

「そうね、それがいいわ!あの子、入り江に行くっていってたわよ」

「入り江。そうか、礼を言う」

カイはそれだけ言い残すと宿を飛び出した。そのやはり重量級の騎士とは思えない素早さだ。背中を見送った店主はふふっと笑みをこぼした。

「なんだかんだで面倒見いいのよねー、カイくんは」

そんなことを呟き、仕事に戻るのだった。

さて、カイが入り江にたどり着いたのは日が沈み、夜の帳が金目の猫のように忍び寄って来た頃合いである。

今日は美しい満月が金色に輝いている。そのおかげで入り組んだ岩場がくっきり見えた。まさに夜の太陽だ。

黒い波が白い泡を吹いて押し寄せては引く。何か聞こえないかと神経を尖らせれば、さざ波に混じって微かに歌声が聞こえた。

柔らかな歌声だ。さざ波に埋もれるようにして聞こえる微かな歌声は耳慣れない旋律を奏でる。だが心が凪ぐ優しい調べだ。まるで降り注ぐ光のような歌声だと思った。

つられるようにして歩いていくと、入り江の洞窟に見慣れたローブが見えた。薄汚れた白いローブ。己が探していたソラのローブだ。

あいつが歌っていたのか。

ハッとして声をかけようとした瞬間。人前ではなならず被っていたローブがパサリと地面に落ちた。

そこから現れた人物に、カイは息を飲む。

ローブを脱ぎ捨てた人物は、どこかの民族衣裳のような白いワンピースを纏った少女だった。

月の光に淡く光る白い肌と、海風に揺れる長い黒髪。涼しげな目元に、桜色の唇。

少女が歩を進めるごとにふわり、ふわりと揺れる白い布地は羽根か羽衣か。月の光に祝福されているかのような少女が、チラリと視線をこちらに向ける。

カイは思わず岩陰に身を隠した。

天使が降りてきた。

そんな言葉がピタリと当てはまる光景だった。

少女はカイの存在に気づかなかったのだろう。視線を月に戻すと、跪き、小さな口をいっぱいに開いて言葉を紡いだ。

「美しく慈悲深き月の女神。俺が…いや、私が貴女の祝福によりこれまで生きてこれたこと、深く感謝する。そして雄々しく平等であり希望でもある我らが太陽の神。直接挨拶できないこと、申し訳なく思う。貴方の導きあってこそ、己のやるべきことを見失わずに前を向ける。感謝している。その意を込めて舞を捧げる。どうか受け取ってくれ」

その声はカイの知るソラのものだ。

スッとソラが立ち上がる。ゆったりと曲線を描く指先が、伏せられた瞳が、伸ばされた背筋が、つま先が、優美な気品を纏う。

ふわり、ふわり。静かに、しかし静謐な空気の元で少女は踊る。くるりくるりと回るたびに白い布地が後を追うように広がって花を咲かせる。軽やかに飛べば布地は羽根となる。

咲いた花は、生えた羽根は金の光を纏ってさらに煌めく。その光が最近よく見る白魔法の光だと気づいたのは、少女の周りだけ海が昼間のように碧を取り戻したからだ。

少女の黒の瞳が強い光を宿す。

首から下げられた赤い石がトンと少女の胸で跳ねる。

金の光は少女の後を追いかけ、やがて少女に幻の翼を生やした。天使のように広がった白金色の翼は少女を包み込み、彼女自身が天使であるかのように見せる。

それは遠い昔に読んだ絵本に描かれた天使を思い起こさせた。

少女が、普段の無愛想な態度とは無縁の無邪気な笑みを見せる。楽しいとその表情が、軽やかに優雅に舞う体が、しなやかに伸ばされた指先と美しく伸びたつま先が知らせてくる。

冒険者をやっているよりよほど似合う。

全てに祝福されたかのような舞はやがて、ゆっくりと跪き祈る体勢に戻ったことで終わる。

金の光がほろほろと零れ落ちて少女の胸に、いや、少女の首に下げられた赤い石に吸い込まれていく。

収まり切らなかった光は少女の背中へ。幻の翼は光を受けてゆっくりと実体を持っていく。

「…彼女たちにもどうか祝福を」

紡がれた祈りを最後に、少女は顔を上げる。そして背中に生えた大きな白い翼を見て困惑したような顔をした。

「…なんで翼が生えるんだ?」

こういうのは兄上か弟の方が似合いだろう。

そう言いながらも口元を綻ばせて翼を撫でる。少女が何事か呟くと翼は消えた。その瞬間少女の顔を彩っていた笑みも消え失せる。

「…さて、帰るか」

そう呟いた時には、彼女は少女から無愛想な白魔導士の少年に戻っていた。いつものローブをすっぽり被り、面倒臭そうにワンピースを見下ろす。

そしてキョロキョロと辺りを見回すと、ワンピースに手をかけて何故か袖から腕を抜こうとした。

「…っ!あんた何やってんだ!」

こんなところで脱ごうとするな。

慌ててカイが飛び出すと、ソラは目を丸くした。

「は…カイ?なんでこんなところにいるんだ?」

問いかけながら、ソラは慌てたようにローブを搔きよせワンピース姿を隠した。ついでに目深にフードをかぶり顔も伏せる。

その少女らしい姿を隠そうとする仕草が気に入らない。

「…あんたを迎えにきた」

「俺を?…だが、今日は休日だろう?もしかして何か依頼が入ったのか?」

「違う。あんた、病み上がりだろう。何やってるんだ」

低く問いかけると、ソラはボソリと答えた。

「…今日は俺の誕生日だったんだ」

「…ああ」

「それで、成人の儀の舞を踊っていた。冒険者の店や街中は目立つから、人目につかない場所の方がいいと思ったんだ」

人に見せるようなものでもないからな。

沈んだ声に、思わず舌打ちする。びくりと跳ねる細い肩にまた舌打ちしそうになり耐えた。

「…そうか。なら、今度からは俺に声をかけてから行け」

ため息混じりに告げると、ソラが顔を上げた。その拍子にフードがずり上がり、切れ長の目が覗く。相変わらずその目は強い光を放っていた。

「なぜだ」

「今度から遠出するときは俺もついていく」

「…いや、いい。俺のことで手間を掛けさせるのは申し訳ない」

「そういう問題じゃない。あんたひとりでは危ないだろう」

「自分の身は自分で守れる」

頑なに首を横に振るソラにため息が落ちる。つい昨日蜘蛛に脚をもがれた奴が何を言っているのだ。

もう人が死ぬのは見たくない。

まぶたの裏にまざまざと蘇る光景。赤に染まったその景色の中を蒼に輝く黒い鱗と藤色が掠めた。

「…あんたに死なれたら目覚めが悪い」

気づいたら零れ落ちていた言葉に、目の前の少年…いや、少女は目を瞬かせる。

「…そうか」

「ああ。次は俺を呼べ。付いていく」

「…わかった」

少女は小さく頷くと、くるりと踵を返す。

「…着替えてくる。少し待っててくれ」

「ここでか」

「この姿で戻るわけにはいかないだろう」

ソラはそう告げると、顔だけこちらを向いて困ったように笑った。

「女だとバレるわけにはいかないんだ」

その言葉で、そういえば女だったと気づく。

いや、先ほどの姿を見て女だとわからなかったわけではない。ただ目の前の少女がいつも通りすぎて、彼女が女だと認識できなかっただけだ。

それにしても女だとばれるわけにはいかないとは、難儀なものだと思う。あいつにも何か事情があるのだろう。

だがそれを詮索するつもりはない。ひと月の付き合いだ。そう決めている以上、深く関わるつもりはない。

それに、と。

少女に気づかれないように息を吐く。

目の前の手が届きそうな距離にいる少女は、実際手の届かないところ、別世界に住む人間だろう。そうでなければ一般人があんな舞を踊れるとは思わない。

貴族か、王族か、教会関連か、はたまた本当に住む世界が違う別種族の末裔なのか。

どこの血を引いているかはわからないが、身分ある血統の娘だろう。一般人のカイとは関わりがないことだ。

「そういえば」

おもむろにソラが口を開く。

「あんたは男だよな?俺は勝手に男だと思ってるんだが」

「ああ。…疑う余地もないだろう」

答えれば、ソラはふふっとどこかおかしげに笑った。

「いや。俺みたいな例があるからな、決めつけるのは良くないと思ったんだ」

涼しげな目元が緩められ、柔らかな印象に変わる。綺麗な顔だな、と思う。男にも女にも見える、中性的な顔立ちだ。カイも今の姿を見るまで、ソラが男であると信じきっていた。

それにしても、俺は昨日女と同じ部屋で寝ていたのか。

自覚すると顔が熱くなる。

「…早く着替えろ。そこで待っている」

「…わかった。ちょっと行ってくる」

少女が岩陰に姿を隠す。完全に姿が見えなくなったのを確認して、はあ、と熱い息を吐き出した。

これからしばらく、あの少女と同部屋なのか。

さすがに彼女が女とわかった以上、同じ部屋で寝泊まりするのは気がひける。そしてそれはきっと少女も同じことだろう。とはいえ、今さら別室にしてくれと言ったところであの店主が納得するとは思えない。

…寝る時間をずらすか。

ひと月くらいならそれでもなんとかなるだろう。

少女が着替える布が擦れる音を聞きながら、カイは気を紛らわすようにまん丸の月を見上げるのだった。





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