はじまりは
細い銀の月が闇夜を薄く照らす。
窓から差し込む月明かりが、ふたりの人物を照らし出していた。ひとりは眠るように目を閉じた、麗しくも儚い銀髪の姫君。そしてもうひとりは深くローブを被った魔導師だ。
「…ルナ、生きろ」
ローブの魔導師が杖を振るう。金色の光が弾ける。
代わりに姫君の胸から立ち昇る黒い靄が魔導師を包み込んだ。
麗しき姫君に降り注いだ光の雨は、彼女から儚さを奪い、代わりに彼女本来の華やかさや正気を取り戻させる。
魔導師が黒い靄の中で小さく呻く。それでも魔導師は黒い靄を抱き、その全てを飲み込んだ。
赤みを取り戻した頬を魔導師の白い指が優しく撫でる。
「…今はこれが精一杯だ。だが、必ずあんたを救う方法を見つけてくる」
それまで待っててくれ。
そう言い残し、魔導師はくるりと踵を返した。
ふわりとローブがなびく。魔導師が姫君の部屋から姿を消した直後。
「陛下!姫さまの呪いが…!」
そんな声が響き渡り、城中が騒然となった。
ここは風の国の港町サフィリア。朝早くから漁師が怒号を上げ、船で渡ってきた商人たちが闊歩し、船員たちが忙しく走り回り、時に海賊の被害が騒がれる活気ある街だ。ちなみにモンストロ狩りと喧嘩はサフィリアの華の花だ。
そんな港町の宿屋に3日ほど篭っていた俺はローブを目深に被り、やっと自室から出ることができた。
というのも、この街についてから今まで体調が優れずこの宿屋の部屋にこもりきりだったのだ。しかもこの宿屋の店長だという女性、周りからは姐さんと呼ばれる人が世話をしてくれてやっとである。
というのも、祖国から飛び出してきた勢いのまま飛び乗った船で酔ってしまったのだ。しかも船の上でただ寝ているのももったいないと母から受け継いだ魔導書を読もうとしたのもいけなかった。
船酔いは悪化し続け、船から降りた後も地面が揺れているような気がした。
やっとの事でこの宿屋を見つけ、飛び込んで、立っていられるうちにとそのまま部屋をとってベッドに突っ伏したのが3日前。それから食べたものを吐き、酸っぱいものを吐き、苦いものまで吐いてやっと体調が戻ってきたのである。
ちなみに食事はまだパン粥だ。
2階の部屋から降りると、昼時らしい賑やかさが押し寄せてきた。どうやらこの宿屋は食堂が併設されているらしく、受付から繋がった部屋の向こうから粗野で賑やかな声が聞こえてくる。
おそらくこの街の船員たちのものであろう、豪快な笑い声を背景に、俺は受付で何かを書いている姐さんに、
「…すまない、今いいだろうか?」
と声をかけた。すると姐さんはパッと顔を上げて、
「あら!もう体はいいの?」
と明るい笑みを返してくれる。
「ああ。迷惑をかけてすまない」
「あはは、いいわよそんなの。酔っ払いの介抱なら慣れてるわ!」
あっはっは!と豪快に笑う姐さんは堂に入っていて、華奢な女性だというのに頼り甲斐がある。
見た目は二十代後半に見えるが、世話になった介抱の的確さや慣れた感じが三十路を迎えていてもおかしくないと思わせる女性だ。
「すまない。それで、聞きたいことがあるんだが」
「あら、そうなの?何かしら?」
「冒険者の店かギルドを探している。ここら辺にないだろうか?」
尋ねると、姐さんはきょとんとした顔をする。
「ここが冒険者の店よ」
「…え?そうなのか?」
「ええ、こんなことで嘘はつかないわ。お兄さん、冒険者の店に用事があったの?」
尋ねられ、俺はひとつ頷いた。
「ああ。冒険者登録をしたくてな」
冒険者というのは、魔物討伐から薬草採取、果ては教会の掃除まで請け負う何でも屋だ。冒険者の店やギルドで依頼を受け、依頼を達成したら報酬を受けて新しい地へ旅立ったり、さらに新しい依頼を受けたりする職業である。
この冒険者の良いところは、冒険者として一度認められれば国境にある関所でも通じる身分証明書が発行されることだ。そのおかげで冒険者は一般の人より簡単に国外に行けるし、旅もしやすい。あちこち出歩く分、モンストロに襲われやすいのだが、それも仕方ないことだ。
まあ他にも冒険者についての説明は色々あるだろうが、有名なのはこの辺くらいだろう。
冒険者として登録したいと話すと、姐さんはなぜか困った顔をした。
「…あー、冒険者ってきつい仕事だし、命の危険が多いし、あまりオススメできないのよねー」
冒険者の店の店長らしくない発言だ。しかし俺にも冒険者にならなければまずい理由がある。
「資金が底を尽きかけているんだ。あと1泊分はなんとかなるが、金を稼ぐ手段がほしい。それに俺はやり遂げなければならないことがある。そのために強くなりたいんだ」
「うーん、素晴らしい決意ね。でも、そうねぇ…。強くなりたいってことなら冒険者の方がいいのよねぇ」
「ああ。世話をかけてすまないが、登録手続きをしてもらえないか?」
尋ねると、姐さんはひとしきり唸ったあと頷いた。
「…わかったわ。それじゃあエントリーシート書いて。ここに書かれた情報からこちらがその人にあった依頼を紹介するの。合わない仕事をして、怪我されたり、死んじゃったりしたら困るからね」
「わかった。ありがとう」
姐さんから紙とペンを受け取り、記入欄を埋めていく。
名前はソラ。年はまだ14だが、あと数日で誕生日だから15歳。性別は無記入。職業、白魔導士。冒険者の経験はなし、経験年数は空欄。種族は…人間でいいな。
その他特技や冒険者としての希望、できない仕事などの欄を埋めて提出する。
姐さんは俺が書いたエントリーシートをひと通り眺めると、
「性別のところは無記入でいいの?」
と尋ねてきた。
「ああ、それで頼む」
「わかったわ。それじゃあ冒険者証作るからもうちょっと待っててね」
「ああ、よろしく頼む」
頷き、待っている間掲示板を眺める。
そこには常時募集中の難易度の低い依頼が貼られている。
教会の掃除に卸売市場の客の呼び込み、喧嘩の仲裁など港町らしいものからどこにでもありそうなものまで、依頼内容は様々だ。
その中で、教会から出された依頼がふと目に留まる。
白魔法使い、白魔術師、白魔導士限定。内容は祈りの日の無料での治癒。報酬はパン3つと干し肉を麻袋1袋、ぶどう酒1本か…。
なかなか悪くない依頼だ。教会が無料で行う治癒ならせいぜい肩こり、腰痛の痛みをとったり、転んで怪我をした子どもたちを治療するくらいだろう。運が悪くても熱を出した病人の治療だ。
それで貰えるのが1日分くらいの食料なら、十分な報酬である。ぶどう酒はいらないから断ってもいい。
他にも良い仕事はないかと眺めていると、姐さんが受付から戻ってきた。
「はい、登録できたわよ。それとこれが冒険者の身分証明書ね。腕輪だからたぶん大丈夫だと思うけど、なくしたら再発行はできないから気をつけてね」
「ああ。ありがとう」
受け取ったのは、金の土台に風の国の色である緑の石がはめ込まれたシンプルで華奢な腕輪だ。よく見ると石の中に冒険者の証である剣と杖が彫り込まれている。なるほど、これが冒険者としての身分証になるのか。
早速腕につけると、それは手から抜けないほどの大きさに縮まった。試しに外そうとしても、簡単には外れない仕組みのようだ。
なるほど、これならなくす心配はなさそうだ。
「それとあなた白魔導士でしょう。ひとりだと魔物に囲まれたらお終いよね。もうパーティは組んでる?それとも約束した相手とかいるのかしら」
姐さんが俺を見つめ、首をかしげる。
どうやら攻撃の手段を持たない俺を心配してくれているらしい。
魔法職にはいくつか種類がある。
白のつく魔法職は普通、攻撃手段を持たない。白魔法は神や精霊に祈りを捧げ、自分の魔力と引き換えに傷や病気を治す。所詮回復、支援職である。そのほかの魔法は使えないのだ。
反対に黒のつく魔法職は、攻撃や防御など直接戦うための魔法を使う。周りの自然から魔力を奪い、捻じ曲げて、自然現象に干渉するのが黒魔法だ。例えば雷を起こしたり、水の壁を作ったりなど。
魔法の性質で分ければ主にこのふたつだが、他にも魔法職には階級というものがある。
一番低い階級で、見習いを表すのが魔法使い。使える魔法も簡単なものに限られる。魔法使いと呼ばれる者の大半は将来有望な子どもだ。
真ん中の階級は中級までの魔法を操る魔術師。白魔術師、黒魔術師共に一定の基準があるのだが、それを満たしていれば魔術師を名乗ることを許されている。
そして一般人が就く魔法職の中で一番高い階級が魔導師だ。魔導師になるような者は、大魔法といわれている魔法や独自に作り出した魔法を自在に使える。
さらに上の階級には、大魔導師や賢者といったものがあるのだが、これになるには莫大な魔力と知識、そして魔法を扱う抜群のセンスが必要となる。ここまでくると天才しかたどり着けない領域だ。
その中で俺は白魔導士だ。つまり、白魔法の中でも大魔法や独自の魔法も使える魔法職なのだ。だから回復呪文に関しては一級品だが、攻撃手段はひとつもないのだ。
しかしそれがどうした。魔法がダメなら杖なりなんなりで殴ればいいだろう。魔法で攻撃できないからと他人を頼るわけにはいかない。
「いや、ひとりだ。だが、問題な…」
「大問題じゃない!うーん、誰かパーティ組んでくれそうな人いたかしら…?」
俺の言葉を遮って、姐さんは頬に手を当て眉を寄せた。…いや、だからひとりで十分なんだが。
姐さんがキョロキョロと辺りを見回していると、カランカランと涼やかな鐘の音が鳴り、受付に風が吹き込んだ。ドアが開く。
入り口から堂々たる出で立ちで現れたのは、全身を鎧で隠した人物だった。




