【閑話】ある砦にて
ぺた、ぺたと規則正しく音が鳴る。
ヴァロニール曹長の足には大きな円形の履き物が着けられており、それを滑らせるように、器用に動かすことで沼地を浮いているかのように歩を進めている。そうして足を動かすたびに、沼地の表面に滑り込ませた履き物が音を出すのだ。
曹長に続き同じようにして進む部下たちも、曹長よりはいくらかバタつきながらも、沼地の上を進めている。新人のサファリスもようやく沼地での移動に慣れたようで、息を切らしながらも必死に喰らい付いて来ている。そうできているのは、魔物の素材を満載した沼ソリの足が遅いためでもあるだろう。それを引っ張るのはベテランのニニス兵長だが、流石にいつも通りに動かすことはできない。
「見えたぞ」
ヴァロニールは遠くの景色を拡大できる特製の魔道具を目に当てて、目的地と、その周囲にも目を配る。
魔物が砦を襲っている気配はない。
「よし、全員上陸。サファリス、陸の運搬役はお前に頼むぞ」
「はっ!」
荷物持ちは新参者の仕事であるし、訓練の一環でもある。魔物や盗賊に襲われた際に、最もこの地域に慣れておらず、戦闘力も低いであろう新入り以外が動けるようにするという現実的な理由もある。
ガッチリとした体格のニニス兵長が沼ソリを引き上げ、陸用のものに手際よく付け替える。この辺りもそろそろサファリスに任せたいところだが、沼地から出るときは不思議と魔物に襲われやすい。チンタラしたくはないのだ。
そのうちに各員も自分の沼上装備を脱いでまとめ、背中のバッグや腰に結びつけてヴァロニールの指令を待つ。
「よし、半駆け足で砦に向かう。出発しろ!」
「はっ」
ここまで来れば危険は少ない。
ヴァロニールは先頭で小走りしながら、砦を見る。
ちょうど西日が砦を照らしており、長い影ができている。
辺境と言ってもいいこの場所にある砦が、ヴァロニール達の所属する軍部隊の基地であり、暮らす場所だ。
周囲には開拓村のひとつもない。有用な資源も、興味深い遺跡もない。何にもないからこそ、軍が常駐できているとも言える。
対人戦を主任務とする軍だが、こうして拠点に根付く部隊は通常、周囲の魔物狩りもこなす。
放置しておくと襲われる人里がないのでまだ気楽だが、訓練を兼ねて魔物狩りに出ることは推奨されているし、サボっていると上官からの評価にも響く。
もっとも、軍の規律では魔物の素材も軍に帰属し、狩った部隊が自由に山分けできるわけでもない。
ただ、実態としてはなんのかんのと理由をつけて部隊内でお小遣いを貰うのが普通だ。
それで魔物狩りに燃える連中もいるし、ほとんど興味がない連中もいる。
ヴァロニールの部隊はどちらかと言えば前者で、砦で腐っているよりも周囲の魔物狩りをしては素材を売っぱらっている。
ここ数週間は魔物狩りばかりで、一時的に砦に荷物を下ろしてはまた出かけるようなスケジュールを組んでいた。
曹長になったのも古い記憶ではなく、上官と顔を合わせれば色々と今後のことなどをぐちぐちと言われる。やれ、もっと全体を見て現場を部下に任せろとかだ。
要は現場仕事に精を出すヴァロニールが気に食わないのだ。
砦の前に行き合図を送り、鉄門を開けてもらう。
ガラガラと金属の鎖が巻かれる音がして、ゆっくりと砦の入り口が開く。
砦の奥では、暇を持て余した待機組の連中の目線が沼ソリに向いている。
魔物狩りから帰還した部隊が肉を積んでいればありつけるし、大物を収めるとどこかで聞きつけた商人が訪れて買い物ができる。
そういった楽しみがないか、まるで飢えた牙犬のようにギラギラとした目で探っているのだ。
「全員帰還! 閉門よし!」
「閉門了ー解ー」
門の上に立った指示役が手を振り、門がゆっくりと下りていく。
巻き上げる時とは逆で、手を離せばすぐに下ろすことができる。しかし、勢いがつき過ぎて門が壊れないように、加減して下ろすのが決まりだ。
「よう、ヴァル。大物は出たか?」
小汚い大女がのしのしと近寄ってきて、ヴァロニールに気安く話し掛ける。
彼女は巨人族の血を引いているらしく、人間族の中では大柄なヴァロニールよりも随分と背が高い。ヴァロニールよりも先に砦に来ていた先輩だが、階級は彼女の方が低い。
男女の関係ではなく、単に長い付き合いの同僚というだけだ。ヴァロニールにとっては、女は背が低い方が好みだ。
「いや、シオ。沼トカゲに、肉鳥くらいだな」
「ふぅん。ご愁傷様だね。アタシは肉が食えるだけでありがてーけどさ」
肉が美味い魔物を倒したら、肉ごと運んでくるのが推奨されている。肉は砦全体で共有されるが、その引き換えに、持ってきた部隊にはいくらかの給与ボーナスが発生する。
それほど高額ではないが、まあ何もないよりは数倍マシだ。
「おっと、それよりヴァル。将軍さまがお呼びだよ! あんたが戻ったら速攻で連れてくように言われてんだ」
「……将軍じゃないだろ、守備長か、中尉だバカ」
「まあ階級なんて良いじゃねえか! 要はここでいっちゃん偉いんだからさ」
「本当に同じ軍人か、お前は」
階級というのは、軍人の権限を定めると同時に、実際の指揮権の行方に影響する。もし守備長が倒れたら、その場で最も階級の高いものが指揮を引き継ぐしかない。それを判断するためにも、軍人は階級には敏感でなくてはならない。
軍学校でそう教育されたヴァロニールにとって、現場叩き上げの彼女のような存在がいることは青天の霹靂だった。
軍学校を出ていない下士官というのは得てしてそういうものだと、今は悟っているが、それでもこうして常識が違うことを痛感するとため息が出る。
「よし、すぐ行くぞ。アタシの任務はそれなんでね」
「すぐにか? 分かった」
上官に呼ばれていて、すぐにと求められているのであれば断れない。本当は先に神官のところに寄って、ステータスを見たかったのだが、その文句はぐっと堪えた。
任務帰りは神官がタダでステータスを見せてくれるのだ。派遣されている神官によっては色々条件を付ける者もいるが、今の駐在神官はケチなことを言わない。
そろそろレベルが上がっても良い頃だし、スキルも何か増えているかもしれない。今の神官はスキルのことも結構親身になって話してくれるらしいから、次の者に替わる前にスキルを会得したいところだ。
しかし今のところは仕方なく、指揮所に向かった。
指揮所は堅固な建物の地下にある。
入り口には警護のものが居て目立つが、それが居なければ単なる建物の扉の1つに見える。
前の守備長は豪華な家具などを配し、砦の見た目もオシャレにしようとしていた。しかし今の守備長は質実剛健を地で行っている。
おかげで無駄な装飾などが外されたのは良いが、上級士官たちの余りものが下々に振る舞われることもなくなり、一部の者は不満を抱えていると言う。
指揮所に行くと、付き添ったシオは短く報告してすぐ、任務完了となり放免された。
さらに人払いがされ、守備長とヴァロニール、そして守備長の後ろにいる大角族だけが残った。
大角族は見たことがないやつだ。
「守備長、お話とはいったい?」
「うむ。君は魔物狩りに出ずっぱりだったようで知らないだろうから、共有をしておかないとな」
「共有ですか」
視界に入ってくる大角族を見る。
彼は机の上を凝視し、こちらに構う様子はない。
「ああ。今日、最新の情報が入った。やはり確定らしい。我々は今、攻撃を受けている」
「えっ?」
思わず声をあげて、上官を見る。
じっとこちらを見上げている。
小人族の血が入っているらしい彼の背は低い。
だが、えも言われぬ迫力があった。
「相手は……」
「ヒトだ。そして国だ」
バカな。
そう呟いたはずの言葉は喉を通らず、空気だけがひゅっと喉を鳴らした。
「君の想像する通りの国だよ。でなければ我々が慌てる必要はない」
「い、いつ、いつ」
「既に侵攻は始まっている。中央の情報部も直前まで見逃したらしい。じっさいに大軍が動くまで、警告すら送られて来なかった」
「他の砦は、まさか?」
「ああ、未確認だが既に攻撃を受けている場所もある。だが、陥落はしていない」
少しだけ安堵する。
しかし上官は、大軍と言ったか。
「数は、どの程度です?」
「配置は分からん。総数は数万」
「ま、万!?」
「少なく見積もって2万だ。だがそんなわけはない、というのが見立てだ」
「つまり、実際に確認している部隊だけで既に2万?」
「そうだ」
万単位の部隊など、そうそう動くものではない。
軍の常設部隊だけではないだろう、戦士団も動員しているはずだ。そうなれば、国を守る力は衰え、魔物に土地を開け渡しかねない。
だからこそ、最低でも2万という数字は、仮に2万で終わったとしても衝撃だ。
人類同士で、本気で殺し合いをしに来ている。
そう直感できる数だ。
「このことを知っているのは?」
「まだ下士官では君だけだ」
「何故自分に……?」
「任務があるからだ。君はすぐに荷物をまとめろ。いつでも砦を出られるようにな」
「まさか、撤退せよと!?」
まさかと言いつつ、そうだろうなと思うところもある。数万の規模など、この辺境の砦に押し寄せれば手はない。早期撤退が上策だ。
「そうではない」
「はっ?」
「私はここで散る。君にはその後を託したい」
「そ、その後?」
「遅滞作戦だ。君は全体の指揮には劣るところがあるが、現場指揮と、何でもする小狡いところは大いに評価している」
「評価、されているんですかそれは?」
「ああ。何事も適材適所だ」
守備長は壁にかかった地図を見上げて、指で砦周辺を指す。
「山に籠り、奇襲しろ。洞窟に潜み、補給を襲え。魔物をけしかけ、水に毒を入れろ。つまり、何でもしろ」
「ど、毒!? 中央はなんと?」
「何も。これは私の独断だ。他の砦でも似たような指令を出すところはあるはずだ。協力して事を運べ」
「い、いつまで? そんな大軍に工作など、いつまでもやっていられない!」
「知らん」
守備長がため息をつく。
「すまん。助けが来るまで。または我々を見捨てると、中央が判断するまでだ」
「それが、命令ですか……」
「ああ。時間を稼げ。何かが起こるまでな」
思わず目を瞑り、思考を巡らせる。
感情任せに驚く時は終わりだ。考えなければならない。何をすべきかを。
「情報は追って入るのでしょうが……現時点でいくつか確認させてください」
「うむ」
「まず、この情報を他の小隊長、分隊長に伝えることは?」
「秘密にしてくれ。事が事だけに、順番と時期は選びたい。君のお友達にも匂わせてはならん」
「承知しました」
機密の保持は軍隊の大原則だ。
下手に情報を漏らして、脱走者などが出ては勝ち負け以前の問題だ。
「……時はどの程度ありますか?」
先ほどは動転してしまったが、冷静に考えれば今日、明日で敵に囲まれるはずはない。
それだったら守備長ももっと焦っている。
そもそも、大軍を動かすというのは目立つものだ。大軍を動かすための準備段階で、何らかの兆候が掴めるのが普通だ。
そう考えると、仮に情報部がしくじったとしても、まだ大軍が進軍を始めてすぐの段階のはずなのだ。
「うむ。数週間から数か月だ。幅があるのは、敵の標的が読めていないためだ。分かるな? 敵のほとんどの部隊は、まだ国境すら越えていない。しかし、確実にここまで辿り着く」
「はっ。早くて数週間ですね。2週間と読んでおけば間に合いますか?」
「おそらく。だが1週間と見ておけ。何が起こるか分からん」
「はっ」
1週間となると、かなり急場で準備しなければならない。
近場で魔物狩りに出るのとはわけが違うのだ。
「戦力はどの程度になりますか?」
「小部隊で2だ。選抜は君に任せる」
「……よろしいので? この砦の守備力は減衰しますが」
「構わん。現場派の連中は、私のような事務屋を侮る傾向があるようだがな。あまり私を低く見積もるな」
「はっ、失礼しました」
平坦な口調だが、その内容は普段の守備長とは思えないほど強気だった。
この小さな砦から小部隊2つ分の戦力を引き抜いて良いと言うのだ。
「物資もギリギリまで持って行け。だが、重要なのは物資ではない。分かるな」
「敵の侵攻を遅滞させること、そのために何でもする。ですね?」
「その通りだ。君の階級は微妙だが、適任なのは確かだ。必要なら一時少尉か中尉を名乗れ。私が許す」
「……はっ」
「悪用するなよ」
「はっ」
守備長は背筋を正し、直立して敬礼した。
そしてニヤリと笑いを作ってみせる。
「よし、励め。イタズラ好きのお前のことだ、存分にやれ。止める者はいないぞ」
ヴァロニールも直立して返礼をする。
「……了解、しました」
軍隊用語の定義とかは地球のそれとは結構違います。
現地の概念に地球の言葉を借りて表現しているだけ、とご理解ください。





