第6話 亡獣の話、魔物の話
ひんやりとした空気が肌に纏わりついてくる。薄らと霧が立ち込めるエレモアの森。周囲の木々はセピア色の枝葉を伸ばし、風に揺れて静かに水滴を落としていた。
昔物語に拠れば、森は「瘴気」を集めるための場所なのだという。
瘴気は世界の成り立ちにおいて否応なしに発生し、魔物を生み出して彼らの力の源となる。神々は態と森に瘴気を集め、人の暮らす土地にタイルを敷いた。魔物と人間、両者の領域を明確にするためだ。
「ラッカの森とは大分違う感じですね。明るいんですけど全体的に白っぽくて視界が悪いです」
昼でも薄暗かった都の森と比べると、ここは時間を忘れてしまいそうな実に曖昧な空気が流れている。
木々は真っすぐに空へと向かい、お互いに重なり合いながら丸っこい葉を一杯に広げている。葉っぱも枝も、幹までもが白っぽいセピア色だから、注意して見なければ枝葉に顔を引っ掻かれてしまうだろう。
「タイル道が細くなってきました。もう魔物の領域に入ったみたいですね」
町から続いていた道は森に入ると一気に幅を狭め、だんだん途切れ途切れになっていった。瘴気を散らしてしまわないよう、森には最低限のタイルしか敷かれていないのだろう。
「瘴気が濃くなってきたかな。ラッカの森と変わらないくらいだ」
「魔物が少ないと言われているのが不思議ですね。何か理由があるんでしょうか?」
エル・リールは少しだけ離れて私の後ろをついてくる。いざという時に視界を遮らないため、危険のある場所では並んで歩かないことが暗黙の決まり事になっていた。
「ちょっと待って、向こうに何かいるよ。木々の間に気配を感じる」
魔物だろうか?
目を凝らしてみるが良く分からない。
警戒しながら近づいてみると茂みの奥に四足の影が見え隠れしていた。
亡獣たちが灰色の列を成している。
「亡獣みたいですね」
「適当に捕まえて食べておくかい?」
人間に対する人型のようなもので、神が生み出した魂のない作り物の獣である。
森から町の近くへと降りていくが、近づいても逃げる素振りさえみせないから町では重要な食料源になっている。
「いいです。まだ、朝食を食べたばかりですから」
亡獣たちを見送って探索を再開する。群れが通り過ぎた場所を越えようとすると、急にエル・リールが前に躍り出て来た。
「見てみなよ、一頭だけあんな所にいる」
あれはシカの亡獣だろうか。耳を澄ますと水音がした。気になったのでタイルを外れてみると窪んだ地面に湧き水が溜まっていた。
「亡獣が水を飲んでいる……」
彼らは何も食べず、飲まない。そう聞いていたので不思議に思ったが、どうやら水溜まりに口を付けているだけのようだ。まるで他の獣がそうしているのを真似るように、灰色のシカが鼻先を震わせていた。
「シカって本物は何色なんでしたっけ」
色の付いた獣は珍しく、最近では家畜や犬猫を除けば目にする機会もかなり減ってきていた。少し前までは森の中に多く生息していたとも聞くが、こうして歩いてみても目に入るのは亡獣ばかりである。
いつかは色の付いた獣を知らない子供が生まれてくるのかもしれない。灰色のシカを見ながら私は奇妙な感傷を覚えていた。
「亡獣を作った女神は可愛らしい動物を愛でるのが好きだったらしいね。人間に『逃げない動物』を贈ったはずが、簡単に捕まえられる食料になっているんだから面白いよ」
「でも、それで私たちは助かっています。やっぱり神々は偉大ですよ。所々狙いが外れている感じはしますけどね」
神々も完璧という訳ではなかったのだろう。昔物語には残念な一面も描かれているが、だからこそ彼らに親しみを覚えるのかもしれない。
最後の場面で、神々は地上を見下ろしてその美しさに感嘆する。人間を称えて数々の贈り物をしてくれたが、それらは大昔から今も変わらずに私たちの生活を潤してくれている。人型に亡獣、鉄屑、世界を巡る街道や水道だって贈り物の一つなのだ。
「水の近くは寒いですね。何だかひんやりします」
湿気の強い森だが、水場を眺めているだけで空気が一段と冷えたような感じがする。陽の光は靄に溶け、まだ朝だというのにぼんやりとしか届かない。まるで自分までセピア色の森に飲み込まれていくような気分だった。
「町の人たちが近づきたがらないのも分かります。仮に魔物がいなくても楽しく散歩が出来る場所ではないですね」
タイル道に戻って先へ進んでいく。奥へ向かうにつれ、土や葉の色が目立つようになってきた。それでもタイルが点々と続いているのは、神々が人が通る場合のことも考えておいてくれたからだろう。
「この道を辿っていけばどこかにジークベルトさんがいるはずです」
「そうだと良いけどね、もしも彼が道を外れていた場合は見つけるのが一気に難しくなるよ」
そんな危険なことをするだろうか。私のような人間ならばともかく、ジークベルトは腕っぷしが強いだけのゴロツキである。力試しをしているという話だったが、まさか適当に走り回って魔物と殴り合いの喧嘩をしている訳ではないだろう。
「いくら何でも、タイルから離れたら危険なことぐらい分かっていると思いますけどね」
「連中の考えなしは君だって良く知っているだろう。調子に乗って飛び出して行って、今頃は魔物に追いかけられていてもおかしくはないさ」
命知らずにも程があるだろう。だが、確かにジークベルトならやるかもしれない。
「話をすればって奴だ。魔物の気配がする。向こうの茂みが騒がしいよ」
「分かりました。ちょっと、行ってきますね」
瘴気というのは不思議な力で、その土地に宿って魔物の姿を形作るという。
ラッカの森には機械を模した魔物が良く現れたが、鉄屑の降らないロンベルンでそれはないだろう。
「何です、このへんちくりんは!!」
思わず声を上げてしまった。
ふよふよと宙を浮いている丸っこい魔物。オオカミを模した姿のようだが、身体はまるで藁を編んで作った人形のようだった。どう見てもこれはロージィ人形。実に趣味の悪い魔物である。
「ギシャー!!!」
こちらに気付いて飛び掛かってくる。
体当たりでも仕掛けてくるのかと思えば、眼前で弾けるように大きく口を開いてきた。
「食らえ必殺、ライト・インパクト!!!!」
食われる前に突き破ってしまえ。反射的にモルゲンロッドを繰り出して魔物の喉奥を抉っていた。
腕のすぐ近くにまで迫っていた牙は解けてバラバラの藁に変わっていく。見る見るうちにオオカミの形を失って、無数の藁が地面へと舞い落ちていった。
「その無意味な技は相変わらずだね。一瞬で名前が出てくるあたり筋金入りだ」
「見た目は大事ですから。私は格好良く魔法が使いたいんです」
天使の教え第二番「優しさで世界を照らして」
ランタンが消えても安心できるよう、屋根裏を明るくするライトの魔法だった。
さっきのはライトの魔法でモルゲンロッドの先端に明かりを灯して殴る技。特に威力が変わるわけでもないが派手に見えるので気に入っていた。
「この辺りの魔物はそれほど強くないらしい。藁人形を模しているようだったけど、身体の強度も大したことはないみたいだ」
「藁人形というか完全にロージィ人形でしたよね」
誰かが森の魔物を真似て作ったのがロージィ人形なのかもしれない。
エルヴィンの土産物屋が最初だったと思うが、まさか彼が森を訪れていたということはないだろう。
「もしかしたらジークベルトさんが人形の発案者なんじゃないですかね。森で見た魔物の姿を元に人形を作って、それを友人のエルヴィンさんに見せたんじゃ……」
もしもそうなら凄い張り紙が出来そうだと思った。あのジークベルトの趣味が実は人形作りだったとなれば、どの酒場も大盛り上がりすること間違いなしである。
「変な想像をしていないで先を急ごう。魔物に食われても知らないよ」
頭の中を酒場からセピア色の森に切り替える。先ほどの魔物の攻撃を思い出して対応の動きを組み立ててみた。これで次は万全である。
元の道に戻ろうとすると、今度はブタの藁人形が視界に入ってきた。
素早く接近して相手が動く前にロッドで叩いてやる。
「さっきより重いです。これはまるで本物のブタ……」
それでも私の方が力が強かった。
渾身の力で振りぬけば、木々にぶつかって跳ねながら最後にはバラバラになって消えてしまった。
「見ましたか、ピンボールみたいに飛んでいきました!!」
「懐かしいね。都の遊技場は本当に面白かった」
激しい音と光を思い出す。
今のがピンボールなら景品の一つでも貰えていたことだろう。
「この分だとウサギの人形も出てきそうです。オオカミは噛みつきましたしブタは重かったですから、ウサギは跳ねると考えておいた方が対応がしやすいかもしれませんね」
少しだけ想像してみる。
跳ねる相手なら飛び始めを叩くより降りたところを狙た方が確実だと思った。
戦いに重要なのは想像力だ。常日頃からあらゆる状況を想定していれば、いざという時にも身体が勝手に動いてくれる。幼い頃からの想像訓練が今の私の糧になっているのである。
戻ってジークベルト探しを再開する。それにしても予想していたより魔物が多いような気がする。町で話を聞く限りは魔物の少ない土地という事だったが、やはり何かがおかしいのだろうか?
「意外と沢山の魔物がいるみたいですね」
「増えて来たって話だったろ。ジークベルトの言う事は間違っていなかったんだ」
「原因は何ですかね?」
「分からないから調べに行くんじゃないか。何でも私に聞こうとするのは君の悪い所だよ」
つまり分からないということだろう。知っていれば嬉々として話す癖に、ここぞとばかりに私を非難してくるあたり狡賢い。
「あっ、今度はゴブリンを見つけましたよ!!」
「本当だ、身体は相変わらず麦で出来ているみたいだね!!」
姿は人間に似ているが小柄で筋張っており、耳や鼻が尖っている。誰もが知っている魔物の代名詞である。
「こいつが記念すべき百体目です。華麗に倒して伝説を作りますよ!!!」
慣れた相手だから気楽なものだ。エル・リールが首を傾げている間に倒してしまう。素早く片付けて記念の舞いを披露したら探索再開だ。