第4話 記憶の話、料理の話
有力者会議の後、私はその足でジークベルトの家を訪ねた。土産物屋と水道屋に挟まれた壁に穴の開いた建物、穴から中を覗くともぬけの殻のようだった。
どうやら森で寝泊まりしているらしい。彼に会うのは翌日、森林探索をする羽目になりそうである。
「ジークベルトにマヤトーレ。どちらもきっと厄介な相手ですよ」
「大丈夫さ、所詮はゴロツキと偽物の魔女。君の敵にはならないよ」
狭い部屋の中、ベッドに寝転がって天井を眺める。エル・リールは床の上、触れられる身体がないからか私がベッドを占領しても文句一つ言わなかった。
天使にも睡眠は必要なようで、夜になれば人間と同じように横になる。どちらかが眠くなるまでは、こうやって他愛のないお喋りをするのが常だった。
「やっぱり偽物だと思いますか?」
「当たり前だろう。魔法を人に授けられるのは神か天使だけだ。彼らはもういないんだから、私が君以外を相手にしていない以上、他に魔法が使える人間なんている訳がないよ」
「でも、エル・リール様って記憶が曖昧じゃないですか。どこかに一人くらい別の天使が残っているかもしれませんよ?」
くすくすと笑い声が聞こえてくる。
そんなことは絶対にないと確信しているのだろう。彼女は気配に敏感だから近くに同類がいれば分かるのかもしれない。
「そうやって笑いますけど、仲間と離れ離れだなんて寂しいと思いますけどね」
「そんな台詞が君の口から出るとは驚きだよ。私以外に友人なんて一人もいない癖に」
「言いましたね。近いうちにとっておきの友人を紹介してあげますから、覚えておいて下さい」
展望台の受付をしている少女だ。可愛らしくてしっかり者。歳も同じくらいで私にぴったりの相手である。
「どうせ展望台にいる娘のことだろうけど、あれは友人じゃないな。君が一方的にそう思い込んでいるだけだ」
「そんなことありませんよ!!」
私の事はどうでも良い。
それよりも気になるのは神々が去って行ってしまったという話の方だ。
「仮に神様がいないとして、世界は本当に大丈夫なんでしょうか?」
「大丈夫だよ。何の問題もなく続いているじゃないか」
「どうせ根拠はないんですよね。エル・リール様はいつも適当です」
「良いじゃないか。私はもう仕事を終えたんだ」
昔物語の中に頑張り屋の天使が神々に祝福されるという話がある。
エル・リールはどうやら自分とその天使を重ね合わせているらしいのだが、一度も働いている所を見たことがない私からすれば、片腹痛いばかりで冗談にしか聞こえなかった。
「じゃあ、エル・リール様。もしも世界が危険な状態になったらどうします?」
「その時は君が頑張りなよ。そのために魔法の力だって授けてあげたんだから」
神がいないと言うのなら、それこそ唯一の天使である彼女が頑張る時ではないのだろうか?
身体がないから世界に直接干渉することも出来ず、天使の象徴である翼だって今や影も形もない。眠っている間に彼女は力を失ったのだ。私からすれば恐ろしい事だが、それで働かない理由が出来るから万々歳なのだという。
「神々が今のエル・リール様を見たらきっと嘆き悲しむと思いますよ。エル・リール様だって昔は真面目に働いていたんですよね?」
「それは勿論。神々は無理難題を押し付けてきたけれど、私は全部上手くやった。凶悪な魔物人を退治したこともあるし、人間の王様に冠を届けたこともあったかな」
「また調子の良いことを言って……」
昔頑張ったから今の自由がある。彼女は本気でそう考えているようで、記憶は曖昧な癖に世界を守ってきたという自負だけは一人前だった。
子供の頃は疑いもせずに信じていたが、最近の彼女を見ていると怪しいものである。神や天使に関する発言の多くもどうやら昔物語を参考にしているようで、大抵は私も知っている事ばかりだった。
「ミステル、君はもう少し私を敬った方が良い。天使ってのは皆に尊敬される存在なんだ」
「はぁ、これでも尊敬しているつもりですけどね」
本人に威厳がないのが問題だろう。
何と言っても趣味は散歩と昼寝、実に天使らしくない。
「何だか眠くなってきました。明日のためにそろそろ寝ましょうか」
「今日はやけに早いじゃないか。私はまだ話し足りないよ」
それでも、灯りを消せば眠たくなってしまうのが天使という生き物だ。明日のことを考えれば早めに目を閉じてしまうのが良いだろう。部屋を真っ暗にする。程なくして、琴のような優しい寝息が響いてきた。
「おやすみなさい。明日は頑張りましょう」
広場の真ん中に立つ立派な像を想像しながら、私も真っ白な微睡に落ちていった。
「……しかし、魚も利口だぜ。奴らは鳥の潜れない深さってのをちゃんと知ってるんだ」
ロンベルンは朝と夜の境目が曖昧な町だ。いつもどこかで誰かが騒いでいるから、初めて訪れた人間はしばらく睡眠不足に悩まされる事になる。
「だが、針の具合を読み間違えたのが運の尽きだった!!」
「やっぱり人間様が一番ってことだな。見ろよ、魚の野郎この通りだ。ざまあみやがれ、ガッハッハ!!!!!」
朝っぱらから騒がしいことこの上ない。酔っ払いの話し声で目を覚ました私を見て、エル・リールが床から這い寄ってきた。
「良い時間に目覚めたね。もうすぐ陽が昇る。新しい一日の始まりだ」
「おはようございます。まずは迷惑な酔っ払いに天罰を下しに行きますか」
簡単に着替えを済ませたら、眠気覚ましにうるさい連中を黙らせに行く。最近では彼らを注意しながら周辺のゴミ拾いをして歩くのが朝の日課になっていた。
帰ってきたら簡単に朝食を作って腹を満たす。今日はビネガー・フィッシュ・ロール。貰った魚を野菜と一緒に蒸し焼きにしてパンで挟むだけの料理だ。調味料を塗りたくって光沢を出すのが上手い作り方である。
「ああ、酸っぱい。これはビネガーが利きすぎていますね……」
「君はそろそろ刃物の使い方を覚えるべきだ。いつも丸ごと火にかけているじゃないか」
エル・リールが何やら手を動かしている。天使も料理をするようで、時々こうして教師の真似事をしてくれる。感心して眺めているうちにビネガー・フィッシュ・ロールはただの野菜パンに変っていった。先に魚を食べてから残りを食べる。これが贅沢な食べ方という奴である。
「捌き方を教えてあげられれば良いんだけど、こればかりは言葉じゃ説明できない。独特のコツがあるんだ」
伸ばした指をナイフに見立てているらしい。見えない魚を華麗に捌き、焼いてパンに挟むところまでは何となく想像することが出来た。
「随分と手馴れているみたいですけど、エル・リール様も料理が好きだったんですか?」
「料理が嫌いな天使なんていないよ。ちなみに私が得意だったのは肉料理だ。君は知らないかもしれないけど、ただ焼くのだって的確に切れ目を入れれば火の通りが全然違う。丸焼きなんて以ての外だ」
「丸焼きも美味しいと思いますけどね。素材を活かす方法です」
「そう思うのは君が本物を知らないからだ。可哀そうに、出来ることなら私の料理を食べさせてやりたいよ」
天使の料理は果たしてどんな味だろう?
食事の話で盛り上がりながら洗い物を済ませてしまう。燃料の残りを確認してコンロに付いた煤を綺麗に拭き取った。
今日はジークベルトを探すためロンベルン西方の森を歩かなければならない。さっそく身支度を整える。町を歩く時と服装は変わらないが、靴は丈夫なブーツに履き替えておいた方が良いだろう。
「その格好は久しぶりに見る気がする」
「魔物と戦う機会がありませんでしたからね」
出発の準備を終えて、入り口に立てかけてある杖を取った。
特注の鉄屑を使ったモルゲンロッド、私が愛用している杖である。
少し短いが先端が重くなっていて振り回せば鈍器としても使える優れもの。強力な武器だから魔物相手には必要だが、人間には使わないよう心掛けていた。
「腕は訛っていないだろうね?」
私に限ってそんなことは有り得ない。普段から鍛錬を欠かしていないから上達する一方で、腕が訛るなんて以ての外だ。
「大丈夫ですよ。外を歩く時は頭の中で通行人を叩きのめすようにしていますから」
「その訓練方法はどうなんだろう。まあいいか、戦うのは君だ」
エル・リールを的にするという案もあるのだがそれはまだ胸の内にしまっておく。
逸る闘争心を抑えて出発だ。鐘の音は七つ。動き出した町が私たちの出発を祝福しているかのようだった。