俺の彼氏が女の子みたいになっちゃった
「鬼に遭ったんだよ」
と、ヨシオが帰宅するなり言った。
「鬼って、これ?」
俺は両手の人差指を頭の上に立ててツノを作った。
「そう、これ」
ヨシオも同じポーズをする。
要領を得ない話に呆れつつも、俺は表情を変えずに改めて声をかける。
「とりあえずさ、上着を脱いで座れば?」
ヨシオは一つ頷いて、言われた通りコートをハンガーにかけると、ソファに座る俺の隣に寄り添うように腰を下ろした。
ヨシオと俺は、交際をしている。
カギ括弧付きの『世間』というものからすれば、いわゆるゲイカップルというやつだ。ただし俺には定まった性自認も性指向もないので、『LGBTQ』とやらの分類に則るならば、ゲイとクエスチョニングのカップルとも言える。
「ねえ、アツシ君は鬼に遭ったことある?」
「あるわけないだろ」
「じゃあ、マジョリティだ。僕は鬼に遭うという体験をしたマイノリティ」
「さっきから鬼ってなんなんだよ。何かの例え話?」
面倒臭そうに尋ねると、ヨシオはブンブンと首を横に振った。
「ホントに鬼に遭ったんだ」
「もっと詳しく順を追って説明してくんない?」
ヨシオが、力強く頷く。
「駅前の商店街に赤い提灯をぶら下げたラーメン屋さんがあるだろ? あの店の脇の道に入ってしばらく進むと、小さなイタリア料理店があるの知ってる?」
「ヨボヨボのお爺ちゃんが経営してるとこ?」
「そうそうそう。あそこのドルチェ、すごい美味しいから今度食べに行こうよ」
「鬼の話はどうなったんだよ」
「あ、そうだった。でね、その料理店の裏手に大きな空き地があるんだ。長いこと放ったらかしになっていた土地なんだけど、もうすぐマンションが建つらしくて、いまは白い布で四方を覆われている」
「へえ、それで?」
「そこに、鬼がいたんだ」
ヨシオはそう言うと、一仕事終えたかのようにフウと息を吐きだした。
しばし沈黙が続く。
「……なあ、俺は詳しい道順を聞いたわけじゃないよ」
「分かってるよ。本題はここからだよ」
ヨシオは仕切り直すように咳払いをし、それから話の続きを語り始めた。
「空き地の近くを通ったとき、布の向こう側から賑やかな音楽が聞こえてきたんだ。結論から言うと、それは鬼たちが鳴らしていたものなんだけど、そのときの僕はそんなこと知らないから、私有地で勝手に宴会をしている人たちでもいるのかな?って思って、音楽の出処を探ることにしたんだ」
「鬼の音楽ねえ。祭囃子とか?」
「ハウスミュージック」
「ずいぶんとモダンだな……」
「でね、布の隙間から様子を覗いてみたら、二本のツノを生やした巨人たちがダンスバトルをしていたんだ。みんな下は細身のレザーパンツで上は素肌に虎柄のボアジャケット。肌の色はネイビーブルー、ワインレッド、メタリックブラックといった具合に様々で、それはもう明らかに鬼」
「なんか余計な情報が多くて内容が頭に入ってこないよ」
「とにかく鬼がいたんだよ。だから僕はすぐさま逃げだそうとしたんだ。ところが、捕まってしまった。覗いていることに気付かれていたみたいで、首根っこをヒョイと摘ままれて、鬼たちの中心に連れていかれてしまったんだ」
「大変じゃん」
「ホント大変だったんだ。鬼たちから、宴会に参加したからには、って言われて余興を強要されたんだ。パワーハラスメントだよ。略してパハだよ。かといって反抗するわけにもいかないから、僕は渾身の一発ギャグを披露したんだ」
「ちなみに、どんなギャグを披露したの?」
「ちょっと待ってね……」
そう言ってヨシオは立ち上がり、渾身の一発ギャグとやらを見せてくれた。それは、いままでの人生において最も面白いギャグだった。
俺が笑い転げていると、ヨシオは唇を尖らせた。
「もー、ちゃんと話を聞いてくれよ。大事なのはここからなんだから」
「ごめんごめん。でも、笑うなってほうが無茶だよ」
「鬼たちもアツシ君みたいに笑っていたよ。しかも僕のことをひどく気に入ったみたいで、明日も宴会に参加しろ、って言ってきたんだ。さらに、それまでこいつは預かっておく、って言って、僕の大切なモノを奪ってしまったんだ」
「何を奪われたんだよ」
「えっと、その、チンチン……」
「チンチン? チンチンって、いわゆる男性器のこと?」
「他に何があるんだよ。僕の身体や所有物にチンチンなんていうコミカルなネーミングの物体はチンチン以外に存在しないよ」
ヨシオは口をへの字に歪めて黙り込んだ。話は一段落したようだ。
「こぶとりじいさんみたいな話だな」
感想を述べる。するとヨシオが、覗き込むように顔を近付けてきた。
「アツシ君、僕の話を信じていないでしょ?」
「そりゃそうだ。そんな荒唐無稽な話を信じられるかよ」
「じゃあ、これを見てよ」
ヨシオは勢いよくパンツを下ろし、誇らしげに腰に手をあてた。目の前に股間を突き出される。そこには、あるべきはずのモノがなかった。
「え……なくなっちゃってるじゃん……」
「だから言っただろ。鬼の能力なのかなんなのか知らないけど、吸盤を剥がすみたいにスポンって取れちゃったんだ」
「これって、おしっこはどうするんだよ」
「便座に座ってみたら良い具合に良い具合の場所からシャーって出てきたよ」
「それなら差し当たって生活には困らないな」
「ねえ、どうしよう。ねえねえ、アツシ君、どうしよう」
すがりつくヨシオをよそに、俺は腕を組んで唸り声をあげた。
「うーん。まあ、別に良いんじゃないか? 使ってなかったんだし」
同性カップルには『攻め』『受け』という概念がある。噛み砕いて言うと、抱き合う際にどちらが男役でどちらが女役かという役割分担のことだ。大半のカップルは状況に応じて攻守交替をするいわゆるリバーシブルな関係だが、俺とヨシオに関しては、ヨシオが女役担当で固定していた。つまり、なくなったモノは排泄口としてしか機能していなかった。
「使わないからといって、いらないわけじゃないだろ。アツシ君だってさ、そうだな、例えばお尻の割れ目がなくなったら嫌じゃない?」
「いや、別に。もっと言うと、タンスにぶつかるだけの足の小指や、床を散らかすばかりの体毛なんかも、なくなってくれて構わない」
「えー。価値観が違い過ぎるー」
「そんなことより、いい加減パンツ履けよ」
ヨシオは不服そうな表情を浮かべ、スウェットに着替え始めた。
「……僕にとって、男性器はアイデンティティなんだ。男の身で男を愛す。僕はゲイであることに誇りを持っているんだよ」
「そういう考え方、あまり好きじゃないんだよな」
「クエスチョニングだから?」
「違う違う。わざわざ自分が何者なのか定義付ける必要なんてないと思ってるんだ。だからLGBTQという言葉も好きになれないんだよな。俺さ、ゲイの知り合いは多いけど、LやBやTとはまったく接点がないぜ。それなのにそういう人たちと同一視されて、一枚岩の集団かのように扱われるのが意味不明だ」
「僕にはLやBやTの友達がいっぱいいるよ」
「それは、そういう活動に熱心だからだろ」
着替えを終えたヨシオが、いつになく真剣な顔をする。
「アツシ君の言い分も理解できるよ。でもね、『僕たち』が正当な権利を獲得するためには、僕たちの状況を明文化して説明しなければならないんだ。その過程で定義が発生するのは仕方ないことだよ。いつまでもコソコソしていたくないんだ。この部屋を借りるときだって、アツシ君が不動産屋さんに恋人ではなくルームシェアって言ったこと、僕は忘れていないからね」
「何年前の話をしてんだよ。あれは、俺たちの関係を隠したわけじゃない。不動産屋の人だって気付いてたぜ。それを承知の上で、詮索をして欲しくないってことを暗に伝えただけだ。いわば合理的判断だ」
「それでも、僕は、恋人同士って言って欲しかったんだ……」
その声は微かに震えている。
「あ、ごめん……今度からはラブラブっぷりを見せつけてやるよ。とりあえずいまはさ、なくなっちゃったモノについて話をしない?」
「……僕は、男の身体のままでいたい」
「それなんだけど、性別って自分の認識によって決まるもんだろ? ヨシオだっていつもそう言ってるじゃん。うん。アレがなくてもヨシオは立派な男だ」
慰めたつもりだった。ところが、ヨシオは反論を口にしだした。
「そんな話をしているんじゃないよ。僕も性自認を尊重しているし、言われなくても現在もこれからも僕は男のままだ。それとは関係なく、いままで通りの身体でありたいと思っているんだよ」
もはやただの感情論だ。
「あのさ、ヨシオは形にばかり拘るところがあるよな。今回のことだけじゃなくて、結婚したがったりさ」
「結婚に憧れたって良いだろ」
「そりゃ、異性愛者に認められてる権利は同性愛者にも認められるべきだとは思うよ。だけど、感覚的には結婚に拘る気持ちが分からないな。リベラルな活動をしながら保守的な制度に固執するって、矛盾してるように思えるんだよ。愛があればそれで良いんじゃないの?」
「ここに愛はある?」
「あるある。どんぶりから溢れてる」
「僕のこと好き?」
「好き好き。大好きだね」
そこまで言ってもヨシオは納得していないのか、視線を落とした。
「ねえ、アツシ君は、僕のどんなところが好きなの?」
「え、まあ、まず見た目が可愛い。それから一緒にいると退屈しないよ。鬼に遭遇する彼氏なんて世界中探してもヨシオだけだと思うね」
「じゃあ、僕の外見、例えば手や顔を、鬼に奪われてしまったら嫌いになる?」
「中身がヨシオなら好きだと思うよ」
「じゃあ、脳味噌の一部を奪われて別人格になっちゃったら?」
「そんなこと聞いてどうすんだよ。例え話が極端過ぎだ」
ヨシオがこちらを見つめ、小さく首を横に振る。
「極端な話なんかじゃないよ。交際を続けていけば、いつか起こり得る未来の話だ。僕たちはやがて老いる。もちろん二人に子供はいない。そんな中、どちらかが寝たきりになったり、認知症で性格が変わってしまったりしたら、何を心の拠り所にして関係を維持するの? それともアツシ君は別れを選ぶ?」
「そんな先のこと、分からないよ……」
「僕はね、不安なんだ。だから一つでも多くの『証』をこの手に留めておきたいんだ。結婚はその一つなんだよ。他にも、共に過ごした思い出や記念日、重ねた唇、絡めた指先、足の小指や体毛、僕を構成する全ての要素が、アツシ君に愛された証なんだ。だから、出来る限り何も失いたくないんだ」
泣き出しそうなその顔を見ているのが辛くなって、俺は視線を逸らした。
「じゃあさ、逆に聞くけどな。ヨシオは俺に未来の選択を提示できるのかよ。なあ、ヨシオは、俺の何が好きなんだ?」
「えっと……なんだろう……」
気まずい空気が漂う。居た堪れなくなり、逃げるように立ち上がる。
「こんな話もうやめようぜ。鬼への対処方法はまた今度ゆっくり考えよう」
ヨシオは、曖昧に頷くだけだった。
翌日、俺が帰宅すると、ヨシオは目を丸くした。
「アツシ君、ど、どうしたの、その格好……」
俺は全身泥まみれだった。
「鬼とダンスバトルしてきたんだ」
「ダンスなんて出来たっけ?」
「やったことないけど、闇雲に暴れたら気に入ってもらえたよ。それで、これ」
手に持ったコンビニ袋を差し出す。
それを受け取ったヨシオは、さっそく中身を確認した。
「これって……」
「ヨシオのチンチン、取り返してきた。股間に付ければ元に戻るってさ」
「どうして? 昨日はなくても良いって言っていたのに」
「いまも考えは変わってないよ。ヨシオの気持ちに全面的には共感できない。でも、ヨシオが喜んでくれると、俺は嬉しいから……」
恥ずかしそうにそう告げると、ヨシオが足に抱きついてきた。
「ありがとう。すごい嬉しい。僕、これからは自分のチンチンを丁寧に扱うね」
「いや、いままで通りの扱いで良いだろ……」
ヨシオは俺の足にグリグリと頭を擦りつけてから、ゆっくりと顔を上げた。
「僕ね、分かったんだ。アツシ君のそういうところが大好きなんだよ」
そういうところ、という言葉が何を指しているのか分からなかったが、なんとなく心は満たされた。
「ジジイになってもヨシオは同じ気持ちでいてくれるのかね」
「もちろんだよ。だって大大大好きだもん。あ、でも、僕のモノをコンビニ袋で雑に持ち帰ったりするデリカシーのなさは改めて欲しいかな」
少しばかり不貞腐れた素振りをするヨシオは、とても可愛らしかった。
こういうところが、憎めないんだろうな。
了




