スーパームーン
夜の公園のベンチにて、「月が綺麗ですね」と文学者を気取った青年が言えば、隣に座るうら若き女性は頬赤らめて、「死んでも良いわ」と言葉を返す。
お熱いですねえ。そんな惚けたことを思いながら、花村朔太郎は公園を横切った。
朔太郎は文化庁文化部文化振興課お月見推進係主任を務めている。平たく言うと月見を流行らせることが生業。ワビだかサビだかクールジャパンだか、日本特有の文化を世界に発信する運動の一環として、月を肴に酒を嗜むという所謂『オツキミ』を、まずは日本国内に徹底的に定着させよと国から指令を受けて現在に至る。
けれども主任に就任して半年、と言うよりお月見推進係という部署が発足して半年、未だ成果を挙げられずにいる。
月見がどれほど定着したかは、『月面視認率』という数値で測られる。担当部署が異なるため詳細な調査法は知らないが、要は国民の何%が月を見たかという統計だ。ちなみに昨晩の視認率は一桁。否、昨晩だけではなく長きに亘って一桁だ。ワビもサビもありはしない。日本人は月を愛でる民族という話は、今となっては単なる印象論。
だからと言って月見の普及を諦める訳にはいかなかった。これは仕事だ。朔太郎は家に帰り着いてからも毎晩のように月のことを考えるのだった。
どうしたものか。腕組み、足組み、今宵も資料と睨めっこ。そうして視認率の変動を示すグラフを何ヶ月も前の分まで遡って見ていると、ふと、あることに気が付いた。なんと視認率が三十%に達している夜がある。一体何故かと資料をよくよく照査してみれば、その日の月はスーパームーン。これだ、と思った朔太郎。
月は楕円の軌道でもって地球の周りを回っている。そのため月と地球の距離は、最も遠い時には四十万と六千キロ、最も近い時には三十五万と六千キロ。そして比較的近い時に満月を迎えると、地球からは月が大きく見えるのだった。
大きな月のことを昨今はマスコミやら何やらがスーパーなムーンだと持て囃し、貴重なものなら見ておけと、多くの人がその日に限って夜空を見上げている。ならば。
次の日、出勤すると同時に朔太郎は関係各所に伺いを立てた。文部科学省、気象庁、果ては内閣府まで。加えて、テレビ局にラジオ局、出版社に新聞社など、思い付く限りの報道機関に国威発揚という錦の御旗を示し、記者会見の準備をするよう命じた。急がなければならない。なにせ今夜は満月だ。
斯くして、なんだかんだでその日の午後には準備が整った。会場に集まった人々を前にして計画の発案者である朔太郎が壇上に上がる。朔太郎は勿体ぶるように、「皆様には隠していたのですが」と前置きをすると、続けて、勢いよく言い放った。
「今夜は、史上稀に見る巨大なスーパームーンです!」
嘘は言っていない。嘘は言っていないが、この発表にはカラクリがあった。
実は、『スーパームーン』という単語は、天文学ではなく占星術から派生した言葉。つまりは明確な学術的定義がないときている。ならば、新たに定義を作ってしまえば良い。どれほどの頻度で『稀』と呼ぶのか、どれほどの大きさで『巨大』と呼ぶのか、それは個人の主観による。要するに、言ったもん勝ち。
パシャリパシャリと鳴るシャッター音。直ちに配られる新聞号外。どうだいどうだい凄いだろ?と言わんばかりに、朔太郎は得意満面の笑みを浮かべた。
果たして、結果は上出来だった。残業をしてタイムリーに視認率の変動を見守っていると、月の出と共に数値は急上昇、ピーク時には四十%を軽く超えた。
お月様々ありがとう。朔太郎はそんなことを思いながら窓から月を仰いだ。
空にあいた穴のような満月は、気の所為か、本当に巨大に見えた。
計画は成功したものの、やはり所詮は一過性。次の晩からはまたもや視認率は一桁台を彷徨い、あっと言う間にお偉いさん方からせっつかれる日々が舞い戻った。
頭を抱える朔太郎。早急に新たな戦略を考えなければならない。再びスーパームーン計画を行なおうにも、満月は一ヶ月に一度か二度だ。月見の定着という目的を達するためには、より頻繁に月を拝んで貰う必要がある。
スーパーと呼べる月がもっと浮かびさえすれば良いのだが。と、そこまで考えが至って閃いた。そうだ、呼んでしまえば良いではないか。
月の満ち欠けの周期はおよそ二十九と半日。その間、満月はたったの一度きり。対して半月ならば上弦と下弦併せて二度訪れる。しからば半月も特別なものにしてしまえ。名称はスーパーハーフムーン、否、更に希少性を高めるためにスーパーレアハーフムーンとしよう。略して、『SRHM』だ。
思い立ったが吉日吉兆。朔太郎はさっそく準備を始め、前回と同じように記者会見を催したのだった。
その日の夜、空には、それはそれは見事なSRHMが浮かんだ。
視認率は満月の際と同じく四十%超え。インターネット検索でもって評判を掻き集めてみれば、「こんな大きな月は見たことがない」という意見ばかり。人々はSRHMを疑うことなく貴重なものとして受け止めている。派手な会見によるプラセボ効果か、あるいは集団催眠か、否、どちらも違う。夜空に浮かぶ弓張は、明らかに通常の月よりも大きい。またその明るさは今までのスーパームーンをも凌駕している。名は体を表すという言葉の通り、朔太郎の付けた名称に引き摺られて、月は肥大したようだ。
もはや天変地異。けれども、そんなことはどうでも良かった。大事なことは視認率の向上だ。名称によって月の大きさが変わるのであれば、これを利用しない手はない。
「今夜は、SRCM(スーパーレアクレセントムーン)です!」
「今夜は、SRGM(スーパーレアギボスムーン)です!」
「今夜は、SRFM(スーパーレアフルムーン)です!」
今夜は。今夜は。今夜は。今夜は。
繊月、三日月、十三夜月、満月、半月、有明月、あらゆる月に『SR』という冠を載せて、朔太郎は連日のように記者会見を行なった。今宵も月は眩しいくらいに眩しい。
斯くして視認率は軒並み四十%を超え、お月見推進係は高い評価を得ることとなった。
ところが一ヶ月もすると、数値は徐々に低下し始めた。なるほど、釣った魚に餌をやらぬが如く、既に見た『SR』には視認率を捧げぬということか。
人とは現金なものだ。どんなに美しいものを与えられようと、それが当たり前のこととなってしまえば途端に興味を失くしてしまう。
ならば、ならば、釣ったことのない魚を見せてやろう。
「今夜は、史上初の、ダブルスーパーレアフルムーン、すなわちSSRFMです!」
ほぼ連日に亘って『史上初』という言葉が躍る。当然ながら『SSR』の定義は朔太郎が考えたもの。史上初に決まっている。
とはいえ事情を知らぬ人々にとっては魅力的な言葉だったらしく、月の昇る頃合いに我先にと空を見上げる習慣が流行りだした。視認率四十五十は当たり前。その期待に応えるように、月は、ますます大きく輝いていった。
今日も昨日も一昨日も、「月が綺麗ですね」と何処かの誰かが言っている。
ところがまたもや一ヶ月もすると、再び数値は下がり始めた。ただしそれは想定内のこと。朔太郎は既に次の手を考えていた。
「今夜は、史上初の、トリプルスーパー……」以下略。
いたちごっこが始まった。
朔太郎が大仰な月の名を発表すると視認率は跳ね上がる。けれどもすぐに下がってしまう。そこで更に大仰な名を発表する。するとまた視認率は跳ね上がる。やがて希少性はインフレを起こし、トリプルスーパー、ハイパー、ウルトラ、過去の貴重な月の数々は、いつしか凡庸な輝きとして扱われるようになった。
これはまずい。そう思った時には既に月はエクセレントレジェンドレア、略して『EXLR』になっていた。このままでは近いうちに限界が訪れてしまう。
朔太郎は久方ぶりに考え込んだ。多くの人は珍しいものを見たいと思って空を見上げている。新たな月を編み出さずに見たがるものを見せるにはどうすれば良いだろう。
と、そこで過ちに気が付く。見たいものを見るために空を見上げたからといって、見たいものを見せてやる必要はないではないか。見上げて貰えれば、それでもう十分だ。
数日後、屋外の記者会見会場にてカランコロンと朔太郎は鐘を鳴らした。傍らには『ガチャ』あるいは『カプセルトイ』と呼ばれる抽選機が置かれている。
時刻は既に夕闇の頃。間もなく月が昇るはず。観客達から注目を浴びていることを認めると、朔太郎は鐘を置き、タイミングを見計らって抽選機のダイヤルをガチャガチャと回した。そしてコロリと出てきたカプセルの中身を確認し、月の出の方角を指差す。釣られて観客達がその方角を見つめる。
しばらくすると視線の集まる先、東の地平線から、月が顔を出した。それは控えめな大きさの丸い月で、人々は落胆したように青色の溜め息を一つ二つ。朔太郎はカプセルの中に入っていた紙切れを客席に向け、淡々々とこう告げた。
「ご覧の通り、今夜はSRFMでした」
改めて溜め息の音が会場内にこだまし、加えて、「なんだ、ただの『SR』か」といった露骨な愚痴が口々に囁かれる。
近頃では、巨大な月が当たり前となっていた。それはかつての月と比べれば何倍もの面積。さすがに国民の大半は、名称によって月の大きさが変化するという異変に気が付いているだろう。そう見越した朔太郎は開き直って、その日の月をくじ引きによって決めることにしたのだった。
この方法ならば、たとえ不本意な月であろうと、人々は一旦は月を見上げる。
「今夜は、UURHM(ダブルウルトラレアハーフムーン)でした!」
「今夜は、RGM(レアギボスムーン)でした!」
「今夜は、SBBRFM(スーパーブルーブラッドレアフルムーン)でした!」
案の定、連日連夜、視認率は高ポイント。非常に貴重な月の日ともなれば、その数値は八十%をも超える。作戦は紛うことなき大成功。やはり人とは現金なもので、射幸性という誘惑には抗えなかったようだ。
斯くして、いよいよ運命の日が訪れた。
お月見推進係の目的は『オツキミ』を国内に定着させること。引いてはその文化を世界に発信することだ。一定の成果を得た同部署は国から認められて、日本主催の国際シンポジウムでの発表を一任された。もちろんその中心人物となるのは朔太郎。
いつもの会見会場にて、朔太郎は壇上に上がった。国際的舞台で失態は許されない。もっと言えば過去最高の視認率を叩き出したい。そこで世界中から招かれた国賓公賓を前にして、取り出したるは、『EXR以上確定ガチャ』という抽選機。
鐘をカランコロンと鳴らして、「これぞ日本の伝統です」と嘯き、さっそく抽選機のダイヤルを握り締める。そして、凄いの出てくれよ、と祈りながらガチャガチャとガチャガチャ。コロリと出てきたカプセルを拾い上げ、厳かに開く。
中身を確認してから、朔太郎は勢いよく月の出の方角を指差した。
「今夜の月は、EXHHHULRCMDCV。すなわち、エクセレントトリプルハイパーウルトラレジェンドレアクレセントムーンディレクターズカットバージョンでした!」
カッと辺りが瞬く。朔太郎の示した先、東の地平線から、空を切り裂かんばかりの巨大な三日月が昇っていた。人々はサングラスを掛け、太陽よりも眩いその輝きを見つめたのだった。視認率は百%。否、来日中の外国人の分も合わせれば百を超えている。
これにて面目躍如。日本人は月を愛でる民族という話は広く認知されたに違いない。そんなことを思いながら、朔太郎はEXHHHULRCMDCVを満足気に眺めた。
夜の公園のベンチにて、「月が綺麗ですね」と文学者を気取った青年が言う。すると隣に座るうら若き女性は冷めた面持ちをして、こう言葉を返した。
「あれのどこが綺麗なの? 今夜の月はNFM(ノーマルフルムーン)よ」




