テヘペロの間違った使い方
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。居心地悪さが高じれば、この尊き言葉が生れ出る。テヘペロ――
屋外ステージにサスペンションライトから一筋の光が降り注ぐ。暗闇から切り取られた光の輪の中に、少女の姿が浮かぶ。歳の頃は十代後半。フリルの付いた白いワンピースに身を包んでいる。少女は両手でマイクを持ち上げると、静かに、語り始めた。
「今日はわたしの引退ライブに来てくれて、ありがとう……学業に専念するためというワガママを、受け止めて、貰えたのかな……」
会場はざわめく。ただし少女を引き留める声や、ましてや非難の叫びはなく、むしろ新たな門出を祝福する言葉の数々が飛び交っている。ファイナルステージ。この広い敷地も大仰な舞台装置も、全ては一人の少女のアイドル引退のために用意された。
客席を埋めるサイリウムの輝きが波のように揺れる。それを少女は感慨深く眺める。
「それでは最後の曲を歌います。みんな、どの曲を歌うか分かってるよね? じゃあ、一緒にタイトルコールをしよう! せーのっ! テヘp……」
瞬間、銃声が鳴り響き、同時に白いワンピースに赤い花が咲いた。少女は熱を持った自身の腹部を見下ろし、そのまま前のめりに倒れた。マイクを通して、ドスリッ、という音が会場全体に轟く。
動かなくなった少女の姿を認め、西郷は、ライフルを皮のバッグにしまった。これで仕事は完了。そう思い、速やかに雑居ビルを後にする。
西郷は腕利きの猟師だ。日頃は自治体から依頼を受けて有害鳥獣の駆除をしている。ただしそれは、表の顔。裏の世界に通ずる者ならば誰もが知っている。西郷は死神。そのスコープで見つめられた人間は、命を失う。
警察が駆けつけるよりも先に現場を去ってしまおうと、西郷は足早に路地を歩いた。その時、携帯電話が震えた。着信だ。発信者は今回の依頼主サダキチだった。通話ボタンを押し、落ち着いた声色で告げる。
「こちら西郷。丁度依頼を終えたところだ」
だが、山崎組組長サダキチは、疑っているようだった。
『随分と早かったな。本当に駆除したのか?』
「愚問だ。確実にステージのムスメを狩った」
『はあ? 俺が依頼したのはコテージのスズメだぞ!』
どうやら今回の依頼は鳥獣駆除のほうだったようだ。思えば、別荘の糞害がどうのとか言われた気もする。相手がヤクザだったため裏の仕事だと勘違いし、『ムスメ』と呼ばれているアイドルを撃ってしまった。
『西郷、俺のことを人殺しにするつもりか!』
なおも怒鳴り続けるサダキチ。彼はヤクザ、下手な返答をしてはならない。
西郷は呼吸を整え、なだめるように低い声で言った。
「テヘペロ♪」
サダキチは受話器を壁に叩きつけた。
その様子を隣で見ていた舎弟のヤスは、慌ててサダキチに駆け寄った。
「親分、落ち着いてくだせえ!」
サダキチはかなりの高齢。その上、心臓を患っている。実の子のように育てられたヤスからしてみれば心配で仕方がない。
「落ち着いていられるか!」
「でも親分、心臓に負担がかかるっす。だから安静に!」
「おい、ヤス! 俺に指図する気か? 誰がてめえをここまで育……ゴハッ」
突如、サダキチは胸を押さえて倒れた。
「おーやーぶーんっ……」
けたたましく響くサイレンの音。サダキチは救急病院に搬送されることとなった。
救急車に同乗したヤスは、横たわる義父の手を、強く握り締めた。
「親分、しっかりしてくだせえ」
サダキチから返事はない。
自分はなんて役立たずなのだろう、とヤスは思う。身の回りの世話をしていたにもかかわらず、このような事態を招いてしまうとは。
その憤りを処理することが出来ず、ヤスは、八つ当たりであることを承知しながらも、車を運転する救急隊員に向かって叫んだ。
「兄ちゃん! 急いでくれよ!」
隊員は噛み締めるように言葉を発した。
「安心して下さい。私は、患者を絶対に死なせはしない」
彼の顔は真剣そのものだった。
ヤスは我に返った。赤の他人である隊員が、こんなにも真摯に対応をしてくれているのだ。身内である自分が取り乱してどうする。
「兄ちゃん、俺達ヤクザだぜ? 本当に助けてくれるのか?」
「病人にヤクザも一般人もありません。患者がいれば命を懸けて助ける。それがプロの救急隊員というものです」
「に、兄ちゃん……」
「さあ、飛ばしますよ。しっかり捕まっていて下さい」
地面とタイヤが擦れ、甲高い音が鳴る。救急車はレーシングカーさながらに公道を駆け抜け、ものの数分で病院に辿り着いた。
「着きました。急いでストレッチャーを降ろしましょう」
隊員と共にサダキチの身体を車から降ろす。そして、病院の入り口へと向かう途中、あることに気が付いた。
「お、おい、兄ちゃん。ここ、産婦人科じゃねえか!」
しかも休診日だ。ヤスは、隊員のことを睨みつけた。隊員も自身の失態に気付いたらしく、視線を逸らして頭を下げると、申し訳なさそうに、こう言った。
「テヘペロ♪」
その言葉と同じタイミングで、辺りに一人の青年の声が響き渡った。
「先生! 先生、開けて下さい! 産れそうなんです!」
産婦人科医院の扉を叩く青年。彼の名は球児。その名の示す通り高校球児だ。
球児の隣には大きなお腹を抱えた女性がいた。額から汗を流し、苦しそうにしている。そんな彼女の身体を支えながら、球児は扉を叩き続けていた。
大きなお腹の女性は球児にとって妻でも恋人でもない。見知らぬ人だ。道端でうずくまっていたところを球児がここまで連れてきたのだ。
それは数分前のこと。球児は駅までの道を走っていた。明日は朝から甲子園で試合があるため、本日中に現地入りしなければならなかった。だが、学業との兼ね合いもあって最終の新幹線に乗ることに。エースピッチャーである球児がいなければチームは負けてしまうだろう。遅れることは出来ない。そんな時、うずくまる女性を見つけてしまった。お腹を抱えて呻いている。産気づいたに違いない。迷いはなかったと言えば嘘になる。ただ、夢と命、どちらが大切かという話になれば天秤に掛けるまでもない。新たな命を救うべきだ。球児は女性に肩を貸し、タクシーを呼んだのだった。
道すがら、頭の中には、キャッチャー吾郎と交わした会話が蘇っていた。
夕暮れ迫るグラウンドで、球児と吾郎はキャッチボールをしていた。
「なあ、球児」
「なんだよ、吾郎」
「俺達は最高のバッテリーだと思うんだ」
「そうだな」
「俺と球児がいれば甲子園で優勝できるさ」
抱き合う二人。嗚呼、尊い。
その夢は儚くも散ってしまった。だが仮に女性を見捨てて試合に勝てたとしても、残るのは後悔だけだっただろう。なにより吾郎が、そんな勝利を認めてはくれない。なあ、これで良かったんだよな。そうだろ、吾郎。
やがて病院に灯りがともった。白衣を着た男性医師が扉から出てくる。球児はすがるように訴えた。
「こちらの女性を急いで診てください!」
医師はその場で女性の状態を確認すると、神妙な顔をして口を開いた。
「これは……ただの食べ過ぎですね」
続けて女性も喘ぎながら言う。
「だから、だから何回も食べ過ぎだって伝えたんです。それなのにこの子が、無理矢理わたしをここまで引っ張ってきたんです」
冷ややかな視線を注がれる。球児は空を見上げ、涙と共に言葉を零した。
「テヘペロ♪」
ハッとそこで目を覚ます。京介は、いま見た夢の映像を思い返しながら独りごちた。
「また、どこかで禁断の言葉が……」
高校生の京介には予知能力があった。近い未来、世界は闇に包まれる。その要因となるのが禁断の言葉だった。禁断の言葉が一万回唱えられた時、封印されし魔王の魂が解き放たれてしまう。既に言葉は、九千九百九十八回唱えられている。あと二回。あと二回唱えられれば、世界は終わってしまう。
「チクショウ!」
自身の無力さを呪い、拳を握り締める。すると誰かに声を掛けられた。
「京介、独り言ならもっと小声で言えよ」
それは親友の雅人の声だった。
「ま、雅人、いたのかよ……」
「いたのかよじゃねえよ。ここは俺の部屋だ」
見れば、確かに雅人の部屋だった。そうだ。下校後にここに立ち寄り、そのまま居眠りをしてしまったのだ。
「京介、最近お前、なんか変だぞ。悩みでもあるのか?」
悩み。あると言えばある。だがこの苦悩と恐怖を親友に背負わせるのは気が引ける。それ以前に、予知能力を信じて貰えるのか疑問だ。とはいえ、来たるべき未来が訪れれば当然ながら雅人も犠牲になってしまう。
しばしの逡巡の末、京介は親友に全てを打ち明けることにした。
「……という訳だ。信じてくれるか?」
「当たり前だろ。親友を疑ったりはしないぜ」
「雅人……とにかく今後は禁断の言葉を口にしないよう気を付けてくれ」
彼は頷いて屈託のない笑みを見せた。そして、こう尋ねてきた。
「ところで禁断の言葉っていうのは、どんな言葉なんだ?」
反射的に答える。
「それはテヘペロだよ。あ、ヤベ、言っちゃった……テヘペロ♪」
ドーンッ。轟く低い音と共に地面に亀裂が走り、そこから瘴気が噴き出す。
立ち昇る影を前にして、勇者アベルは剣を構えながら嘆いた。
「ついに魔王の魂が復活してしまった。もう駄目だ……」
かたわらに控えていた巫女ローラが悲しげな顔をする。
「アベル。諦めてはいけないわ」
「しかし……」
「まだ手段ならあるわ。わたしがこの身に魔王の魂を呼び寄せる。そうしたらアベル、わたしごと魔王の魂を封印して」
「そんなことをしたら、ローラ、君が!」
「いいのよ。これが巫女として生まれたわたしの運命なの」
確かにその方法であれば封印も可能かもしれない。しかし、長きに亘って共に旅をしてきた彼女を犠牲にすることなど。
そんなアベルの心情を見透かしたようにローラは微笑み、呪文を唱え始めた。
「ホニャララマヤコン、ピピルマシャランラ、ヤンバルクイナ、巫女ローラの名において命ず、悪しき御霊よ、我が身を依代とし、ここに集い給え」
瘴気がローラの身体に吸い込まれていく。
「アベル、いまよ!」
迷っている暇などなかった。ローラは苦しそうにしている。このまま放置すれば魔王に肉体を乗っ取られてしまうだろう。魔王の受肉が完了すれば、それこそ本当に手の打ちようがなくなる。
アベルは泣きながらも剣を掲げた。勇者の家に代々伝わる封印の宝剣、これを使えば魔王は次元の狭間に閉じ込められる。ただし、ローラも。
「うあああああ!」
アベルは剣を振り下ろした。切先から眩い光が放たれる。その光は魔王を、ローラを、包み込んだ。
ローラの身体が透明になっていく。次元の彼方への転送が始まったのだろう。
「ローラァァァ!」
アベルは泣き叫んだ。ローラがこちらに手を伸ばす。
「アベル、わたし、貴方のこと……」
後に残ったのは嘘のような静けさだけだった。魔王はもういない。もちろん彼女も。
瘴気が取り払われ、空に満天の星が浮かぶ。世界は救われたのだ。だが、アベルにとってはあまりにも大きな代償。地面に膝をつき、手をつき、深くうなだれる。
その時、どこかから声が聞こえてきた。
「アベルよ。魔王を封印したようじゃな」
辺りを見ても誰もいない。不思議に思っていると、再び声がした。
「私はこの世界を作りし神じゃ。いま、お主の頭に直接語り掛けておる」
「神様? 神様が一体なぜ……」
「この世界では、ここぞという時にミスを犯し、『テヘペロ♪』と言うことが掟となっておる。お主も分かっておったはずじゃ!」
神の言う通りだった。見事に封印を失敗しなければならなかったのだ。しかしドラマに酔いしれ、段取りを失念してしまった。
アベルは自嘲気味に笑い、一言、呟いた。
「テヘペロ♪」
その頃、屋外ステージで少女が顔を上げた。純白だったワンピースはいまでは赤くマダラに染まっている。それでも、彼女は立ち上がった。
「わたし、まだ、引退してないんだからね。最後の曲を歌い切るまで、わたしはアイドルなの。倒れてなんかいられない……」
涙をすする観客達。穏やかに揺れるサイリウム。悲しみに満ちた会場全体を少女は見つめ、覚悟を決めたように、笑った。
「みんな泣かないで。お願い、笑って。これはわたしの望んだ結末なの。だから元気良く見送って欲しい。さあ、一緒にタイトルコールをしよう。なんて言えば良いのか分かるよね? いくよ。せーのっ……」
【 終 劇 】




