第二十九話 こんなの俺の想像していた研究所と違うんですけど
外壁がまるで磨かれた鏡のように異様な光沢を放つ建造物、通称銀ビル。その外壁に映っているのは、不気味なほどに輝く満月。まるでこれから起こる出来事の不吉さを物語っている様にも思えた。
「――ってたそがれていられる状況じゃないんですけど!?」
「何を喚いてんだよ……ったく」
とはいってもどう見たって高校生三人で同行できそうな雰囲気じゃないんですけど。何か空も暗雲立ち込めて来てるし今日は止めときませんか?
「よーしいくか」
「えっ、そんなに気軽に入っちゃうんですか」
って、入り口に誰も立っていない怪しげな建物に気楽に入っていけるのはSランクだからか。
「鬼が出るか、蛇が出るか……」
「緋山君の場合何が出ようと焼いて終わりですからね」
「うるっせぇ!」
◆◆◆
中に入ると至って普通のビジネスチックな建物で、特に怪しげな雰囲気もしない。広い玄関から中に入ってすぐ目の前には受付嬢が、無機質に佇んている。
「何かご用でしょうか? ここは基本的にはアポなしには入れない場所でございますが」
「アポならオルテガってやつから貰っているが」
緋山さんのこの一言で受付嬢は目を見開いて驚くと同時に、急いで電話をかけて確認を取る動作を始める。
「どうやら当たりのようですね」
「向こうからハズレを教えて何の得があるんだよ」
そうしてしばらく電話の向こうの相手との話を待っていると、向こうの方から俺達を迎えにやってくる。
「お待ちしておりました――おや? そちらの方は?」
「こいつは俺の舎弟だ」
「いつキミの先輩から舎弟になったんですか?」
「おやおや、お知り合いでしたか。ではこちらでお迎えしましょう」
そう言ってオルテガは俺達についてこいと言わんばかりに背を向け、元来た場所を再び歩いて戻り始める。
「……どうします?」
「ついていくしかないだろ」
「ですよねー」
「……ところで緋山君、ヘンゼルとグレーテルはお好きですか?」
「えっ?」
何で今その質問?
「……嫌いじゃねぇな」
「そうですか」
「えっ? えっ? どういうこと?」
俺が頭の上にクエスチョンマークを重ねていく中、緋山さんは俺を肩から抱き寄せて耳打ちでこういった。
「後で教えてやるから、今は黙ってろ」
「は、はい……」
そうしてオルテガの後をついていき、同じエレベーターに乗ることになった。正直に言うと息苦しい。元々ただのDランクだった人間にとって、この空気の重苦しさは半端じゃない。
「ところで、我々ラグナロクの具体的な活動についてお見せしたことは一度もないでしょう?」
「ああ。全く意味不明な事しか聞かされていないからな」
「丁度いい機会です。我々の活動を見て、かつ我々の思想をお聞きして、感銘を受けていただければよいのですが」
うーわ、なんか怪しい団体っぷりを猛烈に感じるんですけど。
そう思っていたところでエレベーターは停止し、ドアが開く。
するとそこに広がっていたのは、信じがたい光景だった。
「――ご覧ください。我々の度重なる実験により、Dランクに力がもたらされているというその姿を!」
俺は何度も自分の目を擦った。しかしどうあがいても、目の前に広がるおぞましい光景は変わる事が無かった。
体中の筋肉を膨張させて暴れまわる男。苦痛にゆがみながら何度も何度も体表に炎や氷、電撃を纏う少年。
そして極めつけに、ガラス越しに何度も「たすけて」と聞こえない声で叫ぶ幼い妹と、水槽の中でいくつものチューブに連なって静かに浮かぶ姉。この双子が壁一枚で隣同士に分け隔てられているという悲劇を目の当たりにして、俺は絶句せざるを得なかった。
「これらは全て我々ラグナロクが従えている研究員によって厳粛に管理されています。そしてこの中でも成功例のみが、世界をより良い者へと作り上げていく礎となるのです」
「……イカレてる」
この都市はイカレている。でも俺の目の前に広がる光景の方がその何十倍、何百倍もイカレている。
「どうです? この中で貴方達Sランクに匹敵するような力の持ち主も現れてくるとなると、今までの様にふんぞり返って入られないでしょう?」
「……てめぇ等魔人といい勝負ができそうなくらいに頭イッてんな」
「……それは褒め言葉として受け取っておきましょう」
オルテガはそうして不敵な笑みを浮かべながら、研究室の奥へ奥へと進んでいく。オルテガはすれ違う研究員一人一人ににこやかな挨拶をかわすと共に、その時の態度で本気でこの研究所で何かを取組んでいるような素振りをチラチラと見せる。
そんな道中わざわざオルテガの方へと歩いていき、せこせこと媚を売る研究員の姿も見ることが出来た。
「オルテガ様! この度は我々の研究をわざわざ視察に来ていただいたとのことで――」
「おやおや、誰かと思えば阿形くんではないですか。『イノセンス』計画とやらは無事に進んでいますかな?」
オルテガはどちらかというと今までの研究員とは違って小ばかにするような言い方だったが、研究員の男は必死な様子でひたすらに研究の成果を報告している。
内容はよく分からなかったものの、とにかく『究極の力』とやらに固執しているようで、どっちかというとオルテガの目的とは外れた研究をしている様子だ。
「とにかく、途中経過よりもまずは結果を見せていただきたい」
「それは、その……後一週間もあれば結果を見せられるかとっ!」
「でしたら一週間後、報告を頂きます」
阿形と呼ばれた研究員はひたすらぺこぺこと頭を下げていたが、オルテガはどうでもいいといった様子でその場を去っていく。
「お見苦しいところを見せて申し訳ありません。彼は少々異端なもので、我々は全ての者に力を与えることで真の平等を見出そうとしているのですが、彼は全くもって真逆と言ってもいい研究をしているのです。まあそれでも優秀な一人には変わりませんから、仕方なく置いていますが」
淡々と話つつ奥へと足を進めていくうちに一番最奥、ひときわ大きな扉の前でオルテガは立ち止まる。
「貴方達には、我々の研究の中でもとっておきの者をお見せしたく存じます。その名も――」
扉が開いた先に、巨大な黒の球体が浮かんでいる。
「――最後の希望」
絶望としか思えないものが、俺の目の前に浮かんでいた。