第六話 茶番劇
――地上に降り立つ狂気。まともな人間が相対すれば畏怖に駆られその場から逃げ出したくなるだろう。腕に自信がある者ですらその眼光の下に晒されれば目を合わせることもできず、みじろいでしまうだろう。
「そんな魔人が、正面玄関からぶち破りに来たワケだが」
「ぐっ……!」
魔人の背後には少女二人が無防備な姿をさらしていた。しかし入り口で検問を任されていた二人の兵士の銃口からは決して炸裂音が響かず、ひたすらに少女二人ではなくあくまで魔人の方にのみ銃口を向けていた。
――兵士の本能が語っていた。あの二人は罠だ、と。
「流石に女子供に手を出す気はないってか? よくできた兵士じゃねぇか」
魔人は賞賛の言葉を並べたが、その裏には嘲笑が入り混じっていた。
その手の者によくある、“手を出したが最後”、というものを兵士は肌身に感じ取っていた。いわば見え見えの核兵器スイッチのようなものでしかなかった。事実その場から遠い基地屋上で狙っていたスナイパーですら、照準を魔人からブレさせることなど無かった。意図せずブレで狙ってしまった時点でもアウトの可能性がある――そう踏んでいたからだ。
基地に備え付けてあった砲台ですら、正確な狙いは魔人にしかつけることが出来なかった。そして誰一人一発たりとも、炸裂音を鳴らすことなど無かった。
「……ククククク、ハハハハハッ! ヒャーハハハハハハァ!!」
ならば余裕を持って、目の前で見せつけることが出来る。ならば余裕を持って、絶望を感じさせることができる。魔人はその場で狂ったように仰け反り嗤うと同時に、その全身に深紫の禍々しいオーラを纏い始める。
「いったい、何があるというのです!?」
『戦争屋』――その異名柄、血を見る出来事は数多く経験してきたロレッタですら、そのオーラを前にして声を震わせて怯えていた。姉とも違う、兄とも違う、異質すぎる恐怖を目の前にして、ロレッタは両足を震わせて、元の年相応の少女としての恐怖を表現していた。
「……始まった」
ガブリエルは憐れみの目でもって、魔人の背中を見つめた。そして静かに羽を伸ばしてシンを抱きしめようとしたところで、シンの様子がおかしいことに気が付く。
「…………」
今までの出来事全てに子供のように怯えていたはずのシンは、逆に見初められたかのように、眼を見開いて凶悪な魔人の姿を焼き付けている。
「ちょっと、あんたも危ないわよ!」
ガブリエルは急いでロレッタも自分の近くへと身を寄せ合うと、魔人の背後に歩み寄り、背くように背中を丸めた。
「あの時のように、また全部壊してしまうのね……」
「ヒャーハハハハハハッ!!」
遂に魔人としての“本来の”力の解放が始まり、地面を割って黒い闘気が次々と噴出し始める。
「ぐあああああッ!」
目の前の門などとっくに吹き飛ばされ、更には目の前の基地を突き破ってまでオーラが発せられ始める。
「なんだよなんだよ!? まだウォーミングアップにもなってねぇだろうが!!」
魔人がまだ何かしらの技を仕掛ける前に、目の前にそれまで立派に立っていた軍事基地は音を立てて瓦解を始め、深紅の炎を上げていく――
「――ガァアアアアアアアアアアアアアアァアアアァァァァアアアアアアア!!」
まるで積み木を自分の手で崩す前に誰かに崩された子供のように、まるで自らのワガママが通らないことにだだをこねる子供のように、魔人はほんの少しの解放でいとも簡単に壊れていく目の前の建造物に、人間に――憤怒の声を挙げた。
「オレがブチ壊す前に、勝手に壊れてんじゃねぇえええええええええええええ!!」
そうして地団太を踏む子供のように、魔人は右足で地面を強く踏みつけて足元から放射状に更に深い亀裂を伸ばしていく。
「キヒャハハハハ、ギャーハハハハハハァッ!!」
そうして更に地面から湧き出でるオーラを全て右手に集約させると、魔人は空高く跳躍し、一時その場から姿を消した。
「ッ、ヤバッ!」
そのことに気が付いたガブリエルはシンを抱きかかえたまま、人智を超えた光速のスピードでもってその場を離脱し、そして次の瞬間にはロレッタも同じようにして倒壊する基地など地平線の向こうに消えるほどにはるか遠くに離れたところでようやく振り返る。
そしてその瞬間――
「――超弩級地獄ッ!!」
――魔人が跳躍するよりもはるか天高く、基地があったはずの場所に真っ黒な火柱が打ち立てられる。そして続けざまの轟音と共に、地平線の向こう側から黒い爆炎が地上の全てを薙ぎ払ってガブリエルのいる場所まで向かってきていた。
「……っ!」
魔人の持っている、“必ず殺す”という意味での必殺技の一つ。広範囲の全てを焼失させて消滅させるこの技は、物理的なものだけに飽きたらず、地獄と名がつくだけあって霊体ですら地獄から噴き出す炎によって焼き尽くすという大技である。
故に天使であるガブリエルですらも、まともに直撃を受ければ消滅は間違いないという危険な技であった。
しかし何故ガブリエルが身近にいると分かっていながらもこの技を繰り出したのか、それは誰にも分からない。狂人ゆえの狂った行動か、はたまた我が儘過ぎるが故にまわりすら見えていないのか。
「……あんた、もしかしてまだ“憂さ晴らし”が足りないっていうの……?」
寄せ来る地獄の業火から逃げるためにも、ガブリエルは一瞬だけ後ろを振り返るだけでまたも飛び立とうと魔人の真似事をするかのように二人の幼女を脇に抱えようとしたが――
「おっも! ちょっとあんた達今すぐダイエットできないの!?」
「む、無理ですよ!」
受肉したせいか一人までなら何とか運べても二人同時はほぼ不可能なまでに力が落ちていることに、ガブリエルは歯噛みをした。
「こうなったら魔法で――」
「おい! 一体どうなっている!」
「えっ? へっ?」
右手の指で地面にヘブライ文字を描こうとしていたところで、ガブリエルの頭上に二つの影が落とされる。
「えっちょっと、なんであんた達一緒にいるの!?」
ガブリエルが顔を上げると、そこには敵同士だったはずのロザリオとアーニャが自分を見下ろしている。
「あの魔人を止めるために、一時休戦しているだけだ」
「そんなのアリなわけ?」
「それよりあれはなんだ!? 基地が……」
「あっ! そうだった!!」
アーニャから言われるや否や振り返れば、先ほどよりもさらに爆風は近づいてきている。ガブリエルは事情を説明する時間すら惜しいと、アーニャとロザリオとひとまず手を組むことを提案する。
「事情は後で! 今はあの爆発から身を守らないと!」
「魔人はどうした!? あの男は――」
「その魔人がこの爆発を起こしてる張本人なの! いいから急いで! 盾を張るから!!」
そうこうしている間にも迫りくる爆風を前に、ガブリエルは地面にヘブライ文字を描き、そして天に向けて祈りをささげる。
「お願いだからこの世界でも出てきて……絶対防御の盾!!」
すると祈りに応じるかのように、ガブリエルの前に神話における名を冠する盾が顕現する。
「これを最終防衛ラインにするから、あんた達も何か盾とか張れない!?」
「む、無理だ! 私の能力は風を弾丸用に撃ち出すだけで――」
「だったら最初に爆風に向けて一点集中で撃ちまくって爆風を弱めなさい! あんたは!?」
ガブリエルが今度はロザリオの方へと話を振ると、ロザリオはロレッタと目を合わせて、静かに頷く。
「……俺は何もできないが、お嬢の補助をすることができる。お嬢が血の盾を作るから、それを――」
「最前列において! それで何とかできるかも!」
既に爆風は残り数十秒で到達するところまで来ている。予断も許されないこの状況で、ガブリエルは急遽組み上げた作戦を決行する。
「行くわよ! フォーメーション! ……えぇーと」
「来るぞ!」
ロレッタの力、『血戦』によるイージスの模造品を先頭にして、その後ろからアーニャが右手を前に掲げて一斉掃射を行う。
「空大砲!!」
恐らく彼女の最大の技なのであろう、一瞬とはいえ爆風と打ち消し合って無風と化した空間ができるが、すぐさま後続の爆風がなだれ込むことで一同に襲い掛かる。
「くっ……流石に爆風をまともに受けたらイージスでも……!」
既に血で固められた盾は破壊されており、次に控えている本命の絶対防御の盾にもヒビが入り始めている。
「……ッ、ここまで――」
「――またシャビーの仕業かな? フフッ、彼にはぼくも手を焼くから――」
「えっ!?」
――最初に気が付いたのは、天使という枠で同格のガブリエルただ一人だけだった。次の瞬間にはスローモーションで巻き戻すように、目の前の爆風が晴れていく。
「まさか……」
「――天使…………?」
そして最後の砦である盾の前に、一人の少女の姿が――三対の白い翼を携えた少女が、おぼろげながらに姿を現す。
「まさか……セラフ――」
次の瞬間には一枚の羽だけを残して、羽を携えた少女の姿はその場から消え去っていた。
「……一体どういうことでしょうか」
「俺にも分かりません、お嬢。しかしこれは……」
「まさかあんたも……この、世界に……」
その人影ひとつ残らず消え去ると、最後に残った一枚の羽をガブリエルは拾った。そしてしばらく見つめていたところで、ガブリエルの頭上に再び影が差す。
見上げると今度は先ほど憂さ晴らしをしたことで清々しい気分になっている筈の魔人が、神妙な顔つきでガブリエルの手元にある一枚の羽を見つめていた。
「……テメェのか?」
「……違うわよ」
「だったら誰だ」
「…………」
答える様子が無いガブリエルを見て魔人は更に口調を強くすると共に、答え次第ではもう一度地獄を生み出さんかのような怒りをその身に宿している。
「答えろッ!! テメェ以外に、一体誰が――」
「セラフよ」
「――ッ!」
「……セラフが、そこにいたの」
「……そうかよ」
ガブリエルの答えを聞くなり、魔人は吹き消される炎のように一気に意気消沈してしまった。
「……ケッ! どうせならオレが来るまでいやがれってんだ」
そう言って魔人は足元の石を蹴り飛ばすと、爆風で荒れに荒れた大地を見渡した。
「…………」
「……セラフのことになると、口数が少なくなるわね」
「黙ってろ! 殺すぞ」
「まったく……元の世界のことについて、あんたいくつ地雷抱えてるのよ」
「ケッ、黙ってろ」
魔人はもはやロレッタをかけてロザリオと戦うことさえ忘れたのか、物思いにふけった表情で背を向けている。
「……まさか、お前達本当に――」
「だから何度も言ってるでしょ。そこにいる魔人と私は、元々この物語に存在する筈が無かったのよ」
「アァ、澄田詩乃もなぁ……」
この世界に存在し無い筈の者――その意味が、ロザリオには理解できなかった。ロザリオだけでなく、その場にいる誰しもが理解できなかった。そんな中で、ロレッタは勇気を振り絞ってたった一つの問いを投げかける。
「……だとしたら、貴方達は一体――」
「途中経過を見に来たら、面白いものを見ることが出来たな」
問いに割って入るように空から降り立ったのは、本来ならば力帝都市の外にいるはずの無い者だった。
「なんだぁ、テメェ」
「掃除ははかどっているようで何よりだな……ただ一つ、貴様はやはり意図せずしてブック破りを引き起こす負け犬だということを改めて理解したよ」
「んだとゴラァ!!」
舞い降りてきた黒髪の女性――力帝都市の市長と呼ばれ、そして『全能』と呼ばれる存在が、魔人一向の目の前に直接降り立っている。
「何も難しい話ではない。貴様がいるだけで、物語が狂ってしまうということだ」
「何が言いてぇ……」
「予定に反して天使は復活したようだが、その程度で図に乗ってもらっては困るということだ」
自信満々な笑みと共に『全能』は指をパチンと一度だけ鳴らす。するとそれまで流れていた全ての物語が巻き戻り、時は魔人が店を破壊し、屋上へと離脱したところから始められてしまう。
「なッ――」
「貴様があの時感じ取っていた強者の気配……それはかのような炎熱系能力者では無かったはずだ。しかしながら事前に貴様がガブリエルを復活させたことで、この世界は狂ってしまったからな」
そうして『全能』が嘲笑の笑みを浮かべていると、すぐそばで本来ならば幼女を匿っていたはずのガブリエルがその守るべき対象がいなくなっていることに驚愕の声を挙げる。
「あっ! あの子がいない!」
「あの子って……ガキがいねぇだと!」
「そぅら、本来のラスボスが姿を現したぞ」
次の瞬間――魔人が破壊したはずの店の瓦礫が弾き飛ばされ、土煙を晴らすかのように一対の巨大な翼が天へと伸びていく。
「……ッ!? ありえねぇだろ!? そんな事が――」
魔人の目に映っているのは、両親を村で殺されたはずの褐色の姿――その背中に翼を生やした天使の姿がそこにあった。
そして同様にその姿を見た天使が、怯えるかのように即座に魔人の袖にしがみつきこう呟いた。
「――どうして、私がいるの」
「奴こそが、この物語におけるガブリエルになるはずだった――とでも言っておこうか」
同一世界に存在してはならない、二人の天使。本来の時間軸からズレてしまったが為に生じた、歪んだ存在。魔人が現れ、行動してしまったが為に生じてしまった歪みが、顕現してしまっている。
「同じ世界に、同一の登場人物など必要ない……確かそうだったかな?」
「ッ、だったらどうして時間を巻き戻す前の段階で殺し合わねぇんだ!」
魔人の率直な問いに対し、『全能』は何をとぼけた事をとでもいわんばかりに目を丸め、そして不敵に笑って魔人の耳元に顔を寄せ、こう答えた。
「――その“卑しさ”こそが、貴様が前の物語を捻じ曲げ、破壊へと導いた一番の原因だと思うが」
「ッ!?」
『全能』はクスクスと笑い、そしてその場に起きた混沌を魔人に全て清算させるために、この世界におけるガブリエルの下へと向かい、今度は褐色の天使に向けてこうささやいた。
「……この世に天使は、二人もいらない。そうだろう?」
市長の悪魔の如き囁きを耳にした途端、もう一人のガブリエルは目を見開いて魔人の背後に隠れている天使の方を向き、そして始末をつけるための矢を空間にいくつも投影し始める。
「さて、どちらを取るか、魔人よ。本来の世界を尊重して貴様の唯一の友人を殺すか、あるいはまたも自己満足の為に文字通り物語を破戒するか!! ククククク、アーッハハハハハハッ!」
『全能』はそれまで力帝都市内では誰にも見せた事が無いような笑い声を挙げ、その場から文字通り消え去っていく。
そして残されたのは一人の魔人と二人の天使、そして大勢の無関係の人間。
「……最初からこれが目的ってことかよ畜生がッ!!」
完全に罠に嵌められたとしか言いようが無かった。市長の目的は最初から、どちらかの天使を始末することのみだったということ。そのためだけにこれだけの茶番をでっちあげ、魔人をその気にさせて動かしていたというのである。
「――だったらお望みどおり、全部ブチ壊してやるよォ!!」
怒り狂う魔人の身体に、再び深紫色のオーラが纏わりつく。
――それは全てを文字通り破壊するための力を発揮するという、メッセージでもあった。
前回の番外編で書いたことでもあるのですが、このチェンジオブワールドはあくまで宣伝用で書いたものであり、遠まわしに色々と自分自身に対しても皮肉っています(´・ω・`)。
次回が番外編最後となり、このチェンジオブワールドもそろそろ一つの結末を迎える予定です。




