第五話 試練
狼男として、ヴラドの眷属として。ロザリオ=アルハンブラは弛まぬ自己研鑽を繰り返してきた。あのSランクに出会う前も、そして出会った後は殊更に、己の限界を超えるために戦い続けてきた。
それらの目的はたった一つ。たった一人の少女を守るため。そのためならば、ロザリオは全てを引き裂く野獣にすらその身をゆだねるであろう。
「ハァアアアッ!!」
懺爪乱舞。両手に全てを引き裂くための爪を携えて、ひたすらに突進し敵を斬殺する。いたってシンプルでありながら、ロザリオの身体能力を推して知ればそれが一番であるということに気が付くだろう。
銃弾すらも回避し、そして一瞬で間合いを詰めることが出来るだけの脚力。肉を削ぎ、骨を断つことができるほどの腕力、握力。至って普通の人間が持つ力であろうと、それが人間の限界を超えた途端に武器となり、兵器となる。
「くっ! 私の弾丸よりも速いだと!?」
「その程度で俺が討ち取れるとでも思ったか!」
近づいて爪を振るうたびに、軍服の一部が切り裂かれていく。そしてそれが徐々に徐々に深い傷跡へと変貌していけば、自然とアーニャの表情にも焦りが現れ始める。
「ちィ! このままでは――」
「――このままだとあらぬところが露出するワケだが、その辺分かってやってんのかあの野郎」
「なにッ!?」
それまで徹底した連撃を続けていたロザリオの足が止まってしまい、ふとした顔でアーニャの方を向いてしまう。そこでアーニャと目線が合うと共に、あと一撃でも加えようものなら衣服が完全に破れて急所の素肌が露わになってしまうという事態に直面してしまう。
「うっ!」
「……なァに鼻血出してんだボケが!!」
流石の魔人もこれには呆れかえったのか、その場で口元に手を当てて鼻血を押さえるロザリオに罵声を飛ばす。
「ろ、ロザリオはああ見えて純粋な人なんです……」
「クッッッッッッソくだらねぇ!! オレだったらこの隙に六億回は軽くブチ殺しているところだ!!」
魔人は苛立つ余りに先ほどよりも更にどす黒いオーラを纏い始め、周囲の大気を揺り動かすと共に空に暗雲をもたらし始める。
「ちょっとあんた! ここまで怒ることなの!?」
「うるっせぇ! ここにきてからずっと茶番に付き合わされているオレの身にもなってみろ!!」
魔人は全てのオーラを右手に集約させると共に、雷鳴とどろく空へふわりと浮かび上がる。その右手に握りしめられているのは先ほどとは比べ物にならない程の破壊を生み出す一粒の種。大気が揺れ動いているのは魔人のオーラのせいか、はたまたその手に握られた破壊への恐怖か。ガブリエルは天使としての本能故か、とっさに幼いシンを身を挺して庇うように覆いかぶさる。
「あんたまた……同じことを繰り返す気なの……?」
「こうなったらこのくだらねぇ物語終わらせるために、まとめて死を運ぶ者で薙ぎ払って――ッ!?」
天使の小さな呟きすら届かず、中東の小国一つが文字通り消え去ろうとしたその時だった。偶然にも空高く浮かび上がった事が功を制したのか、魔人はそれまで感じ取る事が無かった強者のオーラを、五感ではない何かで感じ取ることができた。
「……やめだ」
「えっ、ちょっと、どうしたの? やめるのはいいことなんだけど――」
「なーに、少しだけ愉しみができただけだ」
そう言って魔人はガブリエルの方を見てにやりと笑うと、そのままスゥーっと静かに再び地に降り立つ。そして――
「――おい。アーニャ=ルシャルナーとかいったな」
「な、なんだ……」
「この場は退け。そうすれば見逃してやる」
「なっ!? 私に退く事など――」
「退かなかったら……こうなる」
魔人の足元の影が人の形から崩れてゆき、そしてまた別の形を模り始める。その形は――
「世界蛇……とまではいかないが、それなりの大蛇がテメェを一呑みにするだけだ」
――以前に『全能』と相対したときにも姿を現した大蛇が、魔人の背後から首をもたげて餌を睨みつけていた。
アーニャはその巨大な蛇を前にしてまさに蛇に睨まれた蛙のごとく硬直してしまったが、その次の瞬間には逃走の為に空気砲の反動でその場から離脱していく。
「いいだろう、この場は預けておく! しかし次に会う時には貴様も倒す!!」
「何時でもかかって来いよクソ処女」
その姿を見送るまでもなく、魔人は背を向けて後ろを振り返り、そして鼻血を押さえるロザリオを一瞥してため息を漏らしてすぐそばを通り過ぎていく。
「この程度で無力化されるなら護衛なんざ止めておけ」
「っ、俺は――」
「鼻血垂らしたツラで何をほざこうが説得力がねぇよ」
「ッ……!」
魔人はそう言って何を思ったのか、シンとガブリエルを小脇に抱える事無く黒い泡で包み込み、そしてロレッタまでもを泡の中に閉じ込めてしまう。
「ッ!? 貴様――」
「――未確認浮遊球体。悔しかったら追って来てみろ人間が」
それまでにない邪悪な笑みを浮かべて、魔人は背中から黒い翼を生やすと空高く飛びあがりそのまま飛び去って行こうとしていた。魔人としてあくどい行動を目の当たりにしたガブリエルはというと、先ほどのように止める様子などなくむしろ呆れた帰ったようなジトッとした目で魔人の方を見つめている。
「あちゃー、またあんたの悪い癖がでちゃったか」
「お嬢を返せ!!」
「だーから返してほしけりゃついてこいって言ってんだろゴミが!!」
魔人は兵隊をなぎ倒した時に放ったものと同じ黒球を地上へとばら撒き、ロザリオの周囲に黒い爆風を巻き上げて警告する。
「ついて来なかったらコイツの身体はオレの好きにさせて貰うぜヒャーハハハハッ!!」
「貴様ァああああああああああああ!!」
爆風から身を守るために両腕で防御姿勢を取ったその一瞬の隙に、魔人はその場から姿を消す。そして残された言葉を前にして、狼男は一人吼えることしかできない。
「貴様を殺す!! 殺してやる!!」
「そうだ。もっと怒りを、感情を昂らせるがいい――」
――その先に、貴様が欲した守る力があるからな。
◆◆◆
――三つの泡を引き連れた状態で、魔人一行は一方向へと飛び立っていく。
「ねぇちょっと」
「アァ?」
「あんたまたゴウキの時と同じことを繰り返す――」
その瞬間、ガブリエルのすぐ目の前を黒球が横切っていく。そして黒球がはるか遠くに着弾すると、村を焼き払った死を運ぶ者と同等以上の爆発が地平線を埋め尽くしていく。
「……今回はそれよりもリスクが少ないはずだ」
「本当にそうかしら」
「黙ってろ。次は当てるぞ」
またも脅しつけられたガブリエルはそのまま口を閉じるが、不服があるような表情でじっと魔人の方を睨みつけている。
「…………」
そして囚われの姫君となったロレッタはひたすらに沈黙を貫くばかりで、魔人に対して泣き言も罵倒も言うことは無かった。
「……ハッ、あの奴隷と違って主の方は腹をくくってるってか?」
「奴隷ではありません。ロザリオは私にとって大切な人です」
しかし魔人の挑発に対してはついムキになってしまったのか、それまでとは違って語気を強くして反論を振りかざす。
「大切な人っつっても、勝てねぇ相手にアイツが突っ込んでくるとは思えねぇがな」
「……私は、信じていますから」
「……そうかよ」
魔人はそれ以上何も言わずに、ひたすらに中東の荒野を一方向に飛んでいく。眼下には舗装された道路も見えるが、通過する車はこれまでに両手で数えることが出来る程度しか見当たらず、魔人のいく先には僻地しかないのではないかと推理することもできる。
「そう言えばあんた、目的があって飛んでるの?」
「あるに決まってんだろクソガキが……そーら、見えてきたぜ」
地平線上に浮かび上がってくるのは行き止まり。道路の終着点には、巨大な軍用施設と思わしき建造物が横へ横へと広がっている。
「どういうこと?」
「まさか、本当に軍事工場に――」
「売り飛ばすワケねぇだろ。そんなことをしたら澄田詩乃がオレにブチ切れてくるってのに」
「澄田詩乃……? あんたまさか――」
「さて、余談はその辺にしてこの施設を潰そうぜ――」
――アーニャ=ルシャルナーの本拠地を。




