第十三話 もう一つの“裏”
ひなた荘から一歩外を出た先――そこには無数の人間が倒れ散らばっていた。
このような状況の中で返り血を浴びた状態で一人立つ者がいたとすれば、十中八九犯人であろう。そして立っている者が人ならざる魔人となれば尚更に。
「ハッ! いくらAランク程度の武装はいえ『裏側』の人間がこんなに弱ぇんじゃ話にならねぇだろ、がッ!」
数多に重なる死体のうち一つを蹴り飛ばしながら、魔人はひなた荘を後にして立ち去っていく。
彼の言葉の中に出てきた『裏側』とは、これまで榊が目にした事のある界世を指し示すものではない。
「さて、と……」
この力帝都市の闇――表だって歩く者がいれば、暗躍する者もいる。それは均衡警備隊でも情報クリアランスのせいで極々一部しか知り得ていない、まさに夜の闇に紛れ込む雲や霞、影のような存在。
「『光』が無くなったからといって『闇』は消え去ることは無い……いいぜ、意趣返しならつきあってやるよ」
――テメェ自身の闇に全てを喰らい尽くされるまでな。
◆◆◆
――水深百メートル。水面へと浮かび上がる小さな泡は徐々に徐々にその大きさを増し、水面で弾けて消えていく。
深い水底。無機質な床、そして壁。
それら全ては一人のSランクの為に用意された個室。我が儘なSランクが安らぎの場を得るための個室。
「――ふぅん。ま、あの能力も無いAランク程度の似非忍者ならば、この位でしかないわよね」
水中であるというのにクリアに届けられる音声。そして声の元をたどれば、水中で優雅に椅子に座り、特注の防水端末を操作する全裸の少女の姿がそこにある。
「ハァ、全く以て興ざめよ」
そうして少女は端末を水中で放り投げ、椅子に深く腰掛け直してははるか上で揺らめきちらつく照明を見つめる。
「さて、と――」
その頃同時刻、水深百メートルはある半径五メートルほどのプールの縁に一人の男が近づく。 不用意に身元が割れないようにと、スーツに真っ黒なサングラスをかけた男は一定の速度でコツコツとブーツの音を立てていた。
男の目的はその円柱型のプールの奥底に佇む一人のSランク。いつものごとく要件が書かれた防水加工の紙を入れた瓶を沈めようとしたところ――
「――やっぱり来たわねぇ。水面が貴方の歩く振動で揺れていたのが目に入ったから、こうして姿を現してあげたのよぉ」
「なっ――」
男はそのSランクのことを、紙面上の情報としてはよく知っていた。しかし今眼前にあるその姿は、紙面では到底想像ができないほどに凄まじく、巨大であった。
「なぁに? この姿にびっくりした感じかしら?」
「あ、あ……」
目の前でプールサイドに肘をつく巨大な少女。その身全てが水で構成されているが、その姿かたちはまさに先ほどまで水底でくつろいでいた少女の姿そのものである。
「一体、どうやって――」
「どうやってもこうやっても、これが私の能力なのよ?」
機械類等を使わずして到底扱うことが出来ない水量を、たった一人の少女がいともたやすく扱いこなしている。しかも当の本人はというとまだプールのはるか奥深くにてくつろぐ姿勢で、上を見上げて嘲笑っている。
「それより次の依頼でしょ? 早くちょうだいな」
「あ、ああ……」
男は言葉を失ってはいるものの、本来の任を果たすべくその巨大な水の塊の左手に小さな小瓶を投げ渡す。
「じゃ、いつも通りにこなすわね。それと――」
少女は右手を振りかざすと、その巨大な偶像の表情を邪悪な笑みへと変貌させてこう言った。
「――貴方、いつも私の裸を見ようと、プールを覗き込んではニヤついていましたわよね?」
男はその瞬間、まるで蛇に睨まれた蛙のようにその場に硬直した。そして――
「――不愉快だから死んでくださるかしら?」
――次の瞬間に男の姿はそこに無く、遠くの壁に血と水が混ざり合った液体が叩きつけられていた。




