第二十七話 終幕
「ウツロの方はオレが押さえておいてやる。可能ならレイジの方も妨害してやるが――」
「そこは私が何とかする。今見ている感じだと、励二の方は物理攻撃しかやっていないみたいだから、私が透き通れば何とか攻撃は回避できるから」
「そうか……言っておくが、死ぬなよ。テメェが死んだら、オレにとってこの世界は本当に無価値なものになるからな」
それは暗にこの世界を終わらせるという意図が含まれているのであろうか。澄田は魔人の言葉に深く頷くと、まるで溶け込むかのごとくスゥッと体を透かしてゆき、その場から消えていく。
「さて、これで澄田詩乃を巻き込まないためにも霊体的攻撃はできねぇワケだが……」
むしろ問題はあの倒壊しかかっているビルの屋上にて笑っているウツロの方だと、魔人はそう考えていた。
レイジはあくまで物理的攻撃力に特化し、かつ防御力も砂による完全無効化を備えているレイジは、対物理においては最強と言えるが、精神面や霊的な攻撃に脆く、魔人もそこを突けば簡単に落とすことは可能だと考えている。
だがウツロはそうはいかない。界世というこの世界とは違う何かで生まれ、そして同じくそこで生まれたであろう同胞のレイジを前にして余裕を持っている少年は、元々が『反転』という規格外の力を持っている榊真琴を憑代としている。そしてあの無垢で無邪気な、ある意味悪質な性格と想像力によって生み出される常軌を逸した攻撃には、魔人も警戒して当たらなければならない。
「チッ、ガキの子守りなんざフェルミ以来だが……テメェも中々面倒臭そうなツラしてんな」
「フェルミって誰? まさかあんたも別世界の――」
ウツロが呟きにつられて気を取られたその瞬間を、魔人は見逃さなかった。
「ここから先は、一方的にヤらせてもらうぜ――【爆裂葬砕波】!!」
「えっ――ぐぁっ!?」
瞬間的に背後に回り込んでいた魔人は振り向きざまのウツロの顔面を掴み上げ、そのまま地獄の爆炎をゼロ距離で爆発させる。
「まだ終わりじゃねぇよ」
ビルの屋上から落ちていく魔人はそのまま次の力を発動させる。
――【殺戮ノ翼】、起動。それまで生やしていた一対の翼が、計三対の漆黒の翼へと増殖していく。
そして三対の翼による加速により、顔面を捕らえられたウツロはそのまま高速で地面へと叩きつけられようとしている。
「これなに? まさか異世界の魔法だったりする感じ?」
「ハッ、だったらどうするってんだよ――【急降下圧殺獄】!!」
地面に叩きつけると同時に、闇の硝煙が空高く打ち上がる。ウツロの身体に、この世のものとは思えない超重力の奔流が襲い掛かる。
「ゴ、ガ、ギ――」
「ギャーハハハハァッ! そぉらっ、よぉッ!!」
ウツロを地面に叩きつけ、更に追加で足で踏み潰す。ブラックホール級の重力波を二回受けたウツロの身体は、もはやバラバラに引き裂かれたかのように思われた。
「……すっげー。まさかこのボクが自分の身体を一時退避させなきゃいけなくなるなんて、思ってもいなかったよ」
「チッ、一撃目で手を抜かずに仕留めておけばよかったか」
だが魔人は二撃目の時点で、手ごたえを感じていなかったことに不機嫌な表情を浮かべていた。その理由として、一回目で叩き潰したはずのウツロがその場に瞬時に孔を開けて界世へと逃げ、そして再び別の場所へと姿を現したからである。
しかしそれでもウツロの身体には見た目以上にとてつもないダメージが加えられており、既に満身創痍に近い状況ともいえる。
「大人しくくたばるか、榊真琴と交代しとけば痛い目を見ずに済んだのによぉ」
「残念だけど、真琴くんにはもう少しだけ眠っていてもらうよ。少なくとも、アンタを倒すまではねッ!!」
少年の辞書に、諦めという言葉は無いのであろう。ウツロは再び両手であやとりをするかのように糸を編むと、それをそのまま拡張させて天地にかけて断絶の糸を張り始める。
「……オイ、その辺にしておけ――」
「空間断絶・天地無用」
天地にかけて張られた糸の束は、そのまま魔人の方へゆっくりと進み始めていく。
「シューティングゲームじゃねぇんだよボケが!!」
「だったら回避するのをやめて切り刻まれたら?」
「チッ! クソがッ!!」
かといってまともに応対するほど魔人も正々堂々とした性格ではない。即座に足元に闇を生成し、沼にはまるかのように溶け込むことで、断絶の糸を容易く回避していく。
しかしそれこそが、ウツロの狙い通りの結果を招いていくこととなる。
「そう、それが正解。なんだけど――」
ウツロの視界には、それまで移らないはずの霊的なものも映し出されるようになる。つまり透明化していて見えないはずの澄田の姿も、彼にとっては丸見えとなっている。
そして――
「――いいのかい魔人さん? このままだと澄田さんが三枚おろしになっちゃうワケだけど」
「アァ!? テメッ――!」
これこそが魔人が危惧していた事であり、ウツロが他の大罪とは一線を画すとされる所以であった。
魔人は影とともに移動し即座に澄田の傍に顕現すると、透明化して触れるはずのできない澄田の手を引いて再び闇の沼へと沈んでいく。
「あーあ、やっぱりヒント上げなきゃよかったかな」
「テメェこそ、ヒントをくれてやらなかったらマジでこの世界ごと界世も消し飛んでいたかもなァ!」
互いに一歩も引かない状況の中、今まで爪弾きにされてきた鬼神が遂に割って入る。
「貴様等ァ!! 俺ヲ蔑ロニシヤガッテェ!!」
「おっと、ヤベェな」
しかし鬼神もまた、ごく普通に現れる訳ではない。それは超々高度からの火山弾――流星となって鬼神は戦場へと降り立つ。
「――滅帝王羅!!」
着弾。そして衝撃波。全てが超々高熱を伴って襲い掛かり、第十三区画を真の意味で火の海へと沈めていく。
「くっ! 一旦逃げさせてもらうよ!」
流石のウツロもこの状況は想定外だったようで、即座に自分の肉体をこの環境に適応できるように反転させる。
――物理的攻撃力の最強格。それがレイジであり、『嫉妬』の力の最大の特徴であった。
「ケッ、オレの見立てじゃ攻撃力最強は『憤怒』だと思っていたが、テメェも中々じゃねぇか」
魔人から少ない賞賛を受けながらも、レイジは炎に沈む街をバックにして、ゆっくりと二人の間に歩みを進めていく。
「貴様等ヲ、斃ス!!」
「……澄田詩乃」
「はい」
魔人は最大限の警戒を保ちながら、すぐそばでレイジを見つめる澄田に向かって声をかける。
「最初で最後のチャンスを与えてやる……オレが戦っている間、オマエはオマエなりに頑張っていたようだが、どうやら無駄だったみてぇだからな」
「ごめんなさい、あの人すぐに場所を移しては魔人さん達の戦いばかり見ていたから――」
「気にするな。それだけアイツがこっちの方に集中しているってことだからな」
魔人は静かに全身に黒いオーラを纏い始めると、最後の一撃に賭けるために全神経を集中し始める。
「いいか? チャンスは一度だけだ。オレがウツロを界世に飛ばしている間だけだ。その間を狙って、レイジを――緋山励二を説得しろ。次にウツロが戻ってきたら、もうチャンスはないと思え」
透明化した澄田に攻撃を加えられると知った今、ウツロを野放しにしたまま緋山励二を説得するなど不可能に等しい。つまりウツロを界世へと飛ばしている間が、澄田詩乃にとって本当の勝負となる。
「はい、分かりました……!」
澄田は再び透明化すると共に、その最後のチャンスをうかがう。魔人が何もなかったかのように前へと一歩足を進めれば、少年もまたへらへらとした笑みを浮かべながら一歩一歩と前へ進み始める。
「ボクも本当はこんなことしたくないんだよ? 澄田さんを手にかけるなんてさ」
「澄田、サン……?」
「アレ? 覚えてない? キミの憑代である緋山励二といつも一緒にいたあの女の子だよ」
「澄田、詩乃……? 詩、乃……ウ、グウゥッ!?」
澄田は一瞬飛び出しそうになったが、魔人の視線がそれを制した。
――レイジの中に、わずかだが緋山励二の記憶が残っている。それだけでも、澄田にとっては大きな希望となっている。
だからこそ、絶対に失敗は許されない。
「さて、ボクはそろそろ魔人と決着を――」
全ての条件はそろった。奇しくもウツロの意識はレイジの困惑へと向けられ、そしてレイジは澄田詩乃という人物を思い出そうとしている。魔人はその瞬間を狙って、ウツロの襟首を掴んでそのまま飛び去っていく。
「ぐぁっ!? また叩きつける気!?」
「違ぇよバァカ。ちょっとばかし、オレにも界世を案内してもらおうと思ってな……【歪曲空門】!」
魔人が飛び立つその先に、ウツロが空けたものと似たような孔が開かれる。
「なっ!? どういう――」
「向こうで説明してやっから、邪魔者は一旦退場しようぜ――」
――こうして火の海に沈む第三区画に取り残されたのは、一組の男女のみ。
「奴等メ、逃ゲオッタ――」
「やっとお話ができるね」
「ヌゥ……?」
鬼神の目の前の何もなかった空間に、突如一人の少女が現れる。
「誰ダ、貴様ハ……?」
鬼神はこれまでと違っていきなり攻撃を仕掛けようとはせずに、その場で首を傾げている。
それはわずかな記憶に残された残滓なのか、少年の奥底に潜む本能なのか、今はまだ分からない。
それでも少女は、鬼神に向かって笑顔でこう言った。
「私、帰ってきたよ。……だから励二も、帰っておいで」
母親のように包み込むような優しい声が、初めて鬼神の耳に届けられた。