第二十一話 火の海
「詩乃が……誰か、だと……?」
――その時俺は初めて、全てを失い絶望した人間の表情というものを知ることになった。あぁ、人間ってこんなにも感情を失って、泣き崩れることもなく力尽きてその場に両膝をつくものなのだと、俺は初めて知った。
「ひ、緋山さん……?」
「……もう、いい」
そしてその瞬間から、俺の知っている緋山励二という人物は消え去っていく。
「もう、要らない……」
「何を言って――」
「シスターがいない世界なんて……詩乃がいない世界なんて……俺の存在すべき世界じゃねぇ!!」
緋山励二は天に向かって吼えた。その両目からは涙を流すかのようにドロリとした赫いマグマが流れおち、力が抜けた両腕の先――指先から侵食するかのように皮膚が熔岩へと変貌していく。
「何を、やっているんですか……?」
「……ククククク、ッハハハハハハァッ!!」
緋山励二は完全に壊れてしまった。もはや目の前にいるのは頼れる先輩ではなく、世界を火の海に沈めようとする恐ろしい怪物でしかない。
「――E.Eァ!!」
その熔岩の拳を地面に打ち付ければいたるところから噴火が始まり、遂に世界の崩壊が始まる。
「全部、全部、全部全部全部!! ぶっ壊れちまいなァ!!」
そして噴火によって噴出された巨大な火山弾が流星群となって第十三区画に――いや、第十三区画を取り囲んでいた壁すら破壊しようとしている。
「やばっ! 一体どういう事!?」
「もしかしてうちが冷蔵庫に置いてあったプリンを食べたから怒っているのでしょうか!?」
違う。そういう問題じゃ済まされない様な、もっと俺達の根底にあるような、忘れてはいけないような大切な何かがある気がする。
「だけど、どうして! どうしてそれが思い出せないの!?」
「今さら何を言おうが遅ぇんだよォ!! B.S!!」
緋山励二が左腕を振るえば、砂の代わりに火山灰を舞わせた炎の竜巻が発生する。竜巻は建物を取り込んで擂り潰し、そして熱波で全てを溶かしていく。
「一旦逃げるよ!」
「そうですね! アクセラもこっちに!!」
「おやおや、これはまずいですね……!」
流石の尸も軽口を叩けなくなってきているのか、俺達と一緒に急いで緋山の元を離れることに。
「逃がすかよォ!!」
しかしその幾手を阻むかのように噴火の壁が打ち上げられ、見事に逃げ道を封鎖される。そして後ろを振り返れば、更に身体を熔岩の装甲に侵食された緋山励二の姿が。
「ッ、ハハハハハ……てめぇも、俺も! 世界も!! 全部……全部火の海に沈んじまいなァ!!」
緋山励二はついに全身を熔岩で身を包み、そしてマグマのような赫い輝きを持った目でこちらを睨みつける。その姿は、まさに――
「――ドラゴン……」
龍人とでも言えばいいのだろうか。大きな顎に、口から漏れ出るは赤々と輝くマグマ。そしてその全身からは殺意と絶望しかふりまかれていない。
龍はその大顎をガパッとこちらに向けて開くと、極光を纏った熱の渦を収束させ始める。
「どうする!? 跳ね返す!? でも跳ね返したら緋山さんが――」
「今はそんなことを言っている場合じゃ――」
「ゴガガガガガガ……死、ネェ!!」
もはや回避不可能。極大の熱線は一直線に俺達へと向かって行き、そのまま前進を飲み込んで消し飛ばしていく――はずだった。
「ッ!?」
「オイオイ、シャレにならねぇ事はやめろよ」
寸前のところで俺達の前に現れ、その熱線をはるか天空へと弾き飛ばしたのは――
「――魔人……」
「魔人であってるがオレの名前はシャビー=トゥルースだっていってるだろうが。ちなみに呼ぶときは様をつけろ」
「い、いやいやそんな事より!!」
今はそんなジョークをのたまっている場合じゃない。緋山さんがあんなにブチキレている理由を聞かないと!
「ハァ? ……テメェ、マジでそれ言ってんのか?」
「だ、だって心当たりのないことだし……そもそも詩乃さんって――」
「テメェ、それマジで言ってんならオレもテメェを殺すぞ……」
緋山さんの殺気なんてお遊びレベルとでも言わんばかりに、今度は魔人の方から眼光だけで射殺されかねない様な殺意を浴びせられる。
「思い出してみろ……死ぬ気で! テメェの全能力を終結させてでも思い出せ!! 澄田詩乃のことをなァ!!」
「澄田、詩乃……」
その名前を呟けば、頭が痛くなる……なんだ、これは。思い出そうとすればするほど、ロックがかかっているかのように頭痛が酷くなっていく。
「なんで、何で思い出せないの……! なんで!?」
俺は自分自身に苛立ちを覚え始めた。どうして? 大切な事だって、忘れちゃいけないって分かっている筈なのに、どうして思い出せないの!?
「この忘れている状況を……思い出せない状況を!! 反転する!!」
全部忘れているなら、全部思い出せばいい!!
「っ、あああああああああああああぁッ!!」
さっきとは比べ物にならない頭痛が俺を襲い、一瞬だけ視界が真っ白になる。
――そして、その先に立っている一人の少女が――
「澄田、さん……」
「……全部、思い出したかよ」
俺が思い出すまでの間、魔人は緋山さんの暴走をいなし続けていた。だがそれでも辺りの被害は大きくなる一方で、決して緋山さん自身を止められている訳では無い。
でもそんな絶望的な中で、俺は唯一の答えを取り戻すことができた。
「……全部、思い出しました」
声、顔、性格、そして時折緋山さんに向けていたあの笑顔。そしてみんなに向けられていた優しい微笑み。俺は全てを思い出した。いや、最初から覚えていたはずだったんだ。
「……なんてことを忘れていたんでしょうね、うちらは……!」
そして記憶を反転させた守矢もまた、澄田さんのことを思いだし、そして今まで忘れていた自分に向けて怒りをうちふるわせている。
「詩乃さんにお世話になりっ放しだったのに、どうして、うちは……!」
「……今からでも遅くないよ、守矢」
「えっ……?」
「アァ、榊マコの言う通りだ」
魔人は適当に緋山さんと二、三度拳を交えた後に、時間稼ぎをするためか回し蹴りではるか遠くへと緋山さんを蹴り飛ばしていく。そして今度は尸の方へと魔人は言葉を投げかける。
「オイ、尸劫肆郎とかいったな?」
「はい?」
「テメェ、一度界世への扉を開いたことがあるみてぇだな」
「はぁ、まぁ……エメリアの手を借りてですが」
「だったら話が早ぇ。オレが手を貸してやるから、今すぐに界世への扉を開け」
「えぇっ? これまた急すぎません?」
何も知らない尸は魔人に口答えをするが、魔人はそれに対して有無を言わさず黒いオーラを纏った拳でボディブローを繰り出す。
「ここで今すぐ死に続けるか、命長らえていきるチャンスをつかむか、どちらか選べ」
「がっ、は……!?」
尸はしばらくお腹を押さえた後に、まるで生きていることをかみしめるかのように苦痛の表情を強める。
「わ、分かりました……手伝いましょう……」
「それでいいんだ。さて……」
魔人はおどおどと歩き回ろうとするアクセラを乱雑に守矢に押しつけると、そのまま俺の方へと詰め寄ってくる。
「俺とあの男で界世への扉を何としてでも作りだす。それまでテメェは何ができる?」
「…………」
魔人が何を言おうとしているのか、俺は既に分かっていた。魔人は恐らく扉の精製に集中するつもりなのだろう。そしてその間も緋山さんは怒りに任せて暴走を続けるだろう。
つまり俺のやるべきことは、たった一つ。
「……緋山さんを、くいとめてみせます」
「できなかったら、どうなるか分かってるよな?」
「分かっています」
出来なかったらこの世界は終わり。そして仮に緋山さんが世界を終わらせることができなかったとしても、魔人が確実にこの世界を終わらせるだろう。
「あたしがこの世界を、澄田さんを救ってみせます」
「アァ……そろそろ来るぞ」
獄炎の中から、陽炎に揺らめきながら、一つの影が姿を現す。
「殺ス……殺ス殺ス殺ス!! 全テヲ、滅シテヤル!!」
先ほどよりさらに一回り大きくなった気がするが、緋山励二は再び俺達の前に立ちはだかる。
「緋山さん……今、助けますからね」
「俺ニ、助ケナド必要ナイ!! 俺ニ必要ナノハ――」
――澄田詩乃、ただ一人だけだ!!