第九話 崩れ
「うわっ! 気持ち悪っ! 何ですかこれは!」
「見えているって……声だけのはずじゃ……」
「…………」
その場にいる皆が口々にこの伝言を気味悪く思っているが、それを誰よりも気味悪く、そして気持ち悪く思っている者がいる。
「……榊? どうしました?」
「……えっ? い、いやあたしも気持ち悪いなーって」
本当に怖気がするほどに、吐き気を催すほどに気持ち悪かった。
何故男の時の自分の声で、声色で、エメリアのVPが喋っているのか。
俺はこの世界の人間だ。それもDランクのころから、この世に生まれた瞬間から。ではあの声は何だ? あの口ぶりは何というのだ?
この件については解決しなければならない。榊真琴という存在の中では何よりも重要で、何よりも優先される。アクセラの記憶喪失よりも重要だ。
「……異世界からの通信について、もっと詳しく聞くことはできますか?」
「ふむ……聞かせてやらんこともないが、今度こそ本当に――」
「取り返しのつかないって事なら、もうとっくに覚悟はできています」
「……そうか」
俺の揺るがぬ意志を前にして、エメリアはコーヒーをもう一杯注いだ後、まるで昔話でも語るか老婆のごとく、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「あれはこの異世界からの伝言を受け取る前、今からだとおよそ一ヶ月ほど前のことだった――」
◆◆◆
私はいつものごとく、魔法新聞とVPに配信される都市新聞を併用して読みながらコーヒーを嗜んでいた。アクセラはというと、その時はまだ記憶を保持していたから私の下に常にいた。
いつものごとく修行の一環であるトーストづくりをアクセラにさせながら、私はVPに映る文字を眺めていた。
「謎の超爆発による区画崩壊の復興、着々と進行中。か……」
いつものように戦いによる都市への影響から、下らない三流ゴシップ記事まで目を通す。するとここ最近何日も寝ていない弊害なのか、小さい画面の中でいくつかの文字が文字列を離れて動き始めたかのように見えた。
「……うん?」
私はそんな事などあるはずがないと目を擦りながら、再びVPの方に目を落とした。
すると先ほどまで文章を作り上げていた文字が、画面上からいくつか消えていることに私は気が付いた。
「あの文字達はどこに行ったというのだ……?」
「あちゃちゃ! お師匠様ぁー!」
「ちょっと待て。後にしろ」
「で、でもトースト焦げちゃったぁ!」
自分の朝食などどうでもいい。再現しなおせばいいだけだ。だが今私の目の前で起きた事象は、理屈を理解して再現することなどできはしない。
「一体どういう事だ? 勝手に動いて……ん?」
見失った文字はすぐに見つけることができた。画面をスクロールして下の方、新聞の元々の空白欄に、その文字達は全て集合していたからだ。
そしてその文字は整然と並び、とある文章を作り上げている。
「――セカイノウラニカイセアリ……なんだこれは」
単に言葉を反対に読んだだけで、何の意味もない文章だと考えるだろう。単なる端末のバグ、もしくはハッキングによるイタズラとしか思えないだろう。
だがその言葉は、私の脳裏に深く刻まれた。
「世界の裏に、界世あり……」
別の世界がある事を示唆している言葉なのであろうか。あるいは全く違う切り口から考えるべきなのか。
そう思いながら私はアクセラが差し出してきたトーストの方に目もくれず、ただ手を伸ばして口元へと運んでいく。
「バリッ……うっ! これは!?」
「お師匠様!? どうしたんですか!?」
「なんだこの炭化したパンは! アクセラ!!」
「だってお師匠様、後にしてくれって言ったから……」
「後にしろとはいったが作り直さなくていいとは言っていないぞ! やりなおしだ!」
「えぇーっ!?」
こうして私は、世界の裏にあるとされる界世について調べ始めることとなった。何もかもが手さぐりで、何もかもが分からぬまま。私はとうとう都市伝説と言われるものですらすがるかのように真面目に魔法解析をかけていくことにした。
そうした中で、界世について分かった事が二つ。
一つは界世には我々と同じ時間軸があるが、こちらに干渉したとして必ずしもこちらとおなじ時間の進み具合、過去、未来、現在とは限らない。
もう一つは、人間に近い何らかの存在が確認されていること。
「ただし、確実に人間ではないという事か……」
言語発達していなければ、我々に伝言を残すことはできない。話す言語は日本語、英語、中国語、ロシア語――様々な言語を使って、『彼ら』は私達に語りかけようとしてくる。
「しかし、何故だ……」
これほどまでに文明や技術が発達しておきながら、なぜ今までこちらに干渉しなかったのか。ここまでの技術力があるなら今までも干渉してきて、かつ大々的に話題になってもおかしくはない筈。
「一体何が起きているというのだ。この――」
――力帝都市に。
◆◆◆
「――そして今から一週間前、このメッセージが残っていたという事だ」
えーと、今までの流れからしてそのメッセージって明らかに警告の意味も混ざっていそうな気がしなくもないんですけど……。今までは不特定多数に送っていそうなメッセージだったのが、きみはとか見えているとか、明らかに一個人に向けたメッセージになっている時点でヤバい気がするんですけど。
「薄々君たちも勘づいているかもしれないが、向こうは明らかに私に気づいている。下手すれば別の方法で干渉してきてもおかしくはない状況だ。だからこそこの件は私だけで消化してしまおうと思ったのだが……」
「でもこれであたしも標的になった可能性もある、と」
「そうなるな……」
だったらだったで気になるのは、そんなあたしに向かって助けてと言ってきた人が、界世側にいるって事にもなるんだけど……一体誰なんだろう。
そう考えていた時のことだった。
「……電話だぞ」
俺のVPが、再びなり始める。番号は……緋山さんの番号だ。
「でてみろ」
「えぇー……」
今の話を聞いて、出る気が起きる方がおかしいと思うのは俺だけ?
「その番号の持ち主からの電話ならよし、界世からの電話ならなおよし、だ」
なおよくねぇよ。とは言えずに俺は渋々端末を耳に当てて応答をタッチする。
「……もしもし?」
「あぁ、よかった、繋がらねぇかと思ったぜ」
「その声は、緋山さん!?」
「あぁん? この番号は俺の番号だから俺に決まってんだろ。それより、詩乃の件について進展があった。戻って来い」
「詩乃の件……? あっ!」
ヤバッ! すっかり忘れかけていた。
「急いで戻ります! 今第十三区画にいるので少しかかります!」
「なんで第十三区画に……まあいい! 急げよ!」
通話を切り終えると、俺は守矢と栖原の方を振り向いて急いでひなた荘に戻ることを告げる。
「澄田さんの件で進展があったみたい! 急いで戻るよ!」
「詩乃さんの件ですか?」
「澄田さん……忘れてた!」
「何忘れているんですか! 急いで戻りますぜ!!」
「ご、ゴメン! 今度は忘れないから!」
自分も忘れていたとは言えずに、俺達はアクセラを一旦エメリアに預けてひなた荘に戻る事に。
「界世の件については引き続き調査を進めるのか?」
「もちろん! 澄田さんの件が終わったらまた戻ってくるから!」
「必ず戻ってくるのだぞ」
俺は一瞬でも澄田さんのことを忘れた事への後ろめたさもあったのか、急いでその場を立ち去っていく。
「……さて、随分と面白い事になってきたぞ」