第一話 止まない雨
ザーザーと雨音が鳴り響く中、ひなた荘の大広間にはいつもと違って重苦しい空気が流れていた。
別にこれから厳しいが戦いが始まるワケでも――いや、ある意味厳しい戦いが始まるのかもしれない。
――たった一人、少女がいなくなる。それだけでこの明るかったひなた荘が、これだけ暗い影を落とすことになる。
「…………」
いつもは付いていたテレビも、今日は俺達の感情を表しているかのように暗い画面のまま静かである。
「…………」
重苦しい空気の中、俺とラウラもまた、静かに部屋の隅で座ってじっと待っていた。
この場にいるのは俺とラウラに之喜原先輩、そしてヨハンさん。緋山さんと魔人はというと――
「今、戻った」
重いドアを開いて、緋山さんが中へと入ってくる。続いて魔人も。魔人の方はいたって普通といったように装っているが、いつものようなどこかひょうひょうとした様な雰囲気は一切なくなっている。
「……それで、詩乃ちゃんの容態はどうなのよ?」
言葉を出すのすらためらわれる状況の中、話題を切り出したのはヨハンさんだった。この人もまた、口元の無精ひげに手を当てながらいつもの軽口ではなく真剣な表情を緋山さんの方に向けている。
「今は安定している……日向さんは今、詩乃の着替えをしているところだ」
「ボケ、着替えとか余計な情報はいらねぇんだよ」
珍しく魔人がまともな事を言っているような気がする。つまり今は、それほどに緊迫した状況だという事を指し示している。
「一体どういう事なんですか? 澄田さんの姿を旧居住区で見たと思えば、こんな夜遅くに呼び出されて――」
「旧居住区画、第十区画にまで意識が遠くに行っていたという事かよ!?」
「オイ! 榊真琴! 勝手に情報を提供するな!! 混乱を招くだろうが!!」
「す、すいません……」
緊迫した状況の中、何が起きているのか分かっていない俺に対し、魔人は改めてその場に知らしめるかのように説明を始める。
「現在、澄田詩乃の身に起きているのは……事象の透過だ」
「事象の……透過……?」
言葉だけでは何も理解ができなかった。そもそも事象の透過という言葉自体、初耳に等しい。
「事象の透過って言われても分からねぇよな。今、詩乃の身に起きていることを簡潔に言えば……詩乃は、もうすぐ消えてしまうかもしれねぇってことだ」
「消えるって……そんな、どういう事ですか!?」
澄田さんの能力、『晴れ女』の力は自身を透明にすること。透明になる事であらゆる物理的干渉から逃れることができるという、自衛に関しては最強の能力だ。ならばその力が、暴走したという事なのであろうか。
「澄田詩乃の能力にはこうして周期的に世界から消えてしまいそうな、発作が起きる期間がある。その期間中は、人と強く繋がって自我を保たなくちゃいけねぇ。それも本人と親密な関係を持つ人間がな。今回、緋山励二が手助けできなかったのもそのせいだ」
俺がラウラさんを魔改造とかしていた間に、そんな大変なことが起きていたなんて……。
「お、俺も何か手伝いを――」
「手伝えることはねぇよ。ただ澄田詩乃がこの世界から消えないことを、祈るだけだ」
「……いや、一つだけ手伝えることが、あるにはある」
緋山さんはいつになく真剣なまなざしで俺を見つめている。その鬼気迫る顔つきに、俺も思わずたじろいでしまう。
「頼む、詩乃のことを……忘れないでくれ!」
「忘れないでって、そんな、まだ消えるって決まったワケじゃ――」
「そういう意味じゃねぇ!! 詩乃が消えるってことは、この世界に最初から存在しなかったってことになるんだよ!! それこそ、俺達の記憶からも!!」
「ッ!?」
つまり澄田さんを忘れてしまう事で澄田さんが存在したという事象の透過が加速してしまい、最終的に澄田さんが最初からいなかったものとされるという事になってしまうということか!?
「そ、そんなの絶対に忘れるわけないじゃないですか!!」
「どうだかな。記憶が消える順番として、まずは澄田詩乃と関わりの薄い人物が先だからな……榊真琴」
「はい……」
「テメェが澄田詩乃のことを忘れた時、その時こそがこの状況が本格的に危機に陥る瞬間だ」
その言葉を聞いた時から、俺は澄田詩乃という存在を深く心に刻み込むことを決意した。
今回かなりシリアスな話になりますが、最後は必ず榊真琴がやってくれると信じながら、書き連ねていきたいと思います。