EX2話 初恋ではない。断じて
とうとう俺にも何か運命的な物が回ってきた感じみたいだと、俺はその時震える体を押さえながら戦闘態勢を取り始めた。
「悪いな、あんたを助けるつもりだったが事情が変わった」
「えぇっ!? どういう意味!? そもそも助けって――」
「D.E!」
右手を地面に叩きつけ、辺り一面を俺に有利なステージへと変えていく。
「うわっ! うわわっ!?」
「道路も、歩道も、街路樹も! 全て砂漠に沈むがいい!!」
今考えれば、俺はこの時点でAランクの実力は十分にあったんだと思う。だがこの時の俺のやる気の無さが、Aランクへの関門どまりという点に如実に現れていたのだろう。
この技は地面を通して全てを砂に変え、建物を底なしの流砂の沈めていく技だ。当然普通の人間など沈んでいくのだろうが、この時の俺には目の前の少女に勝利することしか頭にない。
「ちょっときみ!? 周りに迷惑だよっ!?」
「だったら早く負けを認めろよ!! そうすればこの騒ぎは終わるだろうが!!」
「……っ、その言い方! まるで私が悪いみたいな言い方に聞こえるんだけど!」
思えばこの時、「ああ、その通りだよ!!」なんてぶっきらぼうな返しをしない方が詩乃を傷つけずに済んだのかもしれないな。昔の俺がこの場にいたら、俺は自分を殴っているだろう。
「っ……」
「どうした!? 戦う気は――って、消えやがった!?」
完全に見失ってしまった。Sランクへの関門は、俺の目の前で寂しさを覚えさせるような表情を浮かべた後に、スゥッとまるで空気に溶け込むように消えてしまった。
「どこに行ったんだ……?」
「ちょっとそこのきみ!」
「ん……? ッ! やべっ!」
「止まりなさい! 均衡警備隊の目の前でこれだけの騒動を起こすとは、いい度胸だな!」
そして俺もまた、すぐ後ろで暴走車両の調査を行っていた均衡警備隊の存在を完全に忘れていた。もちろん一般人も巻き込んで大勢を流砂に沈めようとしていた俺は、すぐさま均衡警備隊の手によって補導されようとしている。
「大人しくしろよ!」
「チッ! 誰が大人しくするかよ」
この先何度も言うが、この時の俺はとにかく面倒事が嫌いだ。それこそ均衡警備隊に捕まって、耳にタコができるくらいの説教を喰らってしまうのだろう。そして――
「……シスターにだけは面倒掛けたくねぇしな」
この時の俺はまだ、ひなた荘では暮らしていない。そもそもガキの頃から力帝都市に住んでいた俺に、まともな家など無かった。子どもの時には両親は力帝都市の戦いに巻き込まれて死亡――なんて、俺に限った話でもない。
戦いが起きるってことは、犠牲者を伴ってもおかしくはないという事。俺の両親は、その犠牲者にたまたまなってしまっただけだ。
「チッ、今日は裏通りから帰るか」
「あっ! 逃げるつもりか!」
一度砂になってしまえば、均衡警備隊程度なら簡単に撒くことができる。それこそさっきのあの少女のように、風に乗って文字通り目の前から消えてしまえばいいのだから。
◆◆◆
「――シスター、今帰ったぞ」
この時の俺の住まいといえば、旧居住区画に放棄されたボロい教会だった。教会内では既に誰からも祈られることのなくなった十字の象徴物が、補修もないまま傾いている。
「おい、ばあさん!! ……クソババア!! ……チッ、帰ったっつってんだろ」
いつもならすぐに俺がシスターと呼んでいる人物が早々に出てくるはずだが、この日はいくら呼んでも出てくる気配はない。
「……まあ、どうでもいいか」
協会の奥には普通に居住する部屋もあるが、この時俺は適当な長椅子に座ってぼぉーっと目の前の傾いた十字架を見つめていた。
「……似ているな」
大層なことを言ったつもりなどない。自分のどこか歪んだ人生と、この傾いた十字架が似ているとだけ思った。
いくらダストといえど、周りの奴等には力帝都市を出ればがいる。家族がいる。両親がいる。だが俺には、こので力帝都市でしか育っていない俺には、何も残っていない。
更に言えばこんな砂になる能力など、外の世界ではありえないことだと言われたこともある。
どうやらどこか普通の人間とは違って傾いているのが、俺の人生らしい。
「本当なら、こんな廃墟で住んでいることもありえねぇんだろうけど」
「おや励二さん。帰って早々にお祈りとは、ようやく私の教えが根付いてきたみたいですね」
「へぇ、十字架の前で足組んで椅子に座ってりゃ祈った事になるのか。そりゃ新しい」
そしてようやく帰ってきたのが、司祭服を身に纏って両脇に大きな紙袋を抱えた老婆。この老婆こそが、俺の言っているシスターだ。
「なんでそんなに大量に買い込んでんだよ……」
「私のような一般人には、貴方のように常に割引が効いているわけではありませんから」
「俺だって割引効くのは稀だっての。片方よこせ」
「ふふ、随分と親切ね」
「うるせぇ。黙って寄越せ」
力帝都市では力の強い者こそが優遇される。簡単に言えば今のように、ただ買いものするにしても同じものを勝って片や半額、片や100%定額で買わされたりと明確に不平等だ。
「つーか、こんな明らかに平和とは程遠い街でよくシスターをやってるよな」
「それは貴方のような救いが必要な方が一人でもいれば、私がそこにいる意味はありますよ」
「そうかよ……」
とはいえ、今の俺にとってこのシスターの存在はそこそこに大きかった。他人とは違うとはいえ、帰る家がある。そして既にダストとして落ちぶれていた俺を適当な中学に通わせる手続きをしてくれているのも、このシスターのおかげだ。
だからこそ俺は、口は悪いがシスターが困っていた時にはいくらでも力を貸す。
「今日はお肉が安かったから、シチューにでもしようかしら」
「手伝う事は?」
「荷物を運んでくれたこともう十分よ。後は貴方が学校の宿題をきちんとして、毎日元気に登校してくれることこそが一番よ」
そう言われると俺は何もできない。宿題は元からできるような頭脳じゃない。学校には遅刻せずに行くが、問題行動は起こしている(主に能力者だからという理由で相手から喧嘩を吹っかけられるのが理由だが)。
「じゃあ後は飯ができるまで俺は暇だってことだな」
「まぁ! 宿題は無いの?」
「宿題は学校で済ませる」
それこそ、適当な奴から答えをパクればいいからな。
◆◆◆
「今日も日々の糧を得られたことを、ここに感謝します」
「お祈りして飯が美味くなるのかよ」
「お祈りして飯が不味くなることはないわ」
そう言ってシスターは目の前で十字を切ってお祈りを済ませる。だが俺はこういった神とかいうものに祈る気持ちがよく分からなかった。
神とかいうものが存在するのならば、とっくに俺は救われている筈。なのにいまだにこうしてつまらない生活を送り続けている。
「それは貴方にまだ信じる心が備わっていないからよ」
「ハッ! 俺を信じさせたいなら、目の前で神業の一つでも見せてみろって話だ」
訳の分からない存在よりも、自分に備えられたワケの分からない力の方が信用できる。その方がずっと現実的だ。
「ふふふ……そう言っている内は、神様は貴方の前に現れないわよ」
別に現れて欲しいわけでもないが。
「……それより貴方、恋でもしているみたいね」
「はぁ? 俺が恋?」
鯉? 故意? 恋なんてしていないはずだが。
「とうとうボケ始めたかばあさん」
「何を言っているのよ。女ってのはいつになっても惚れた晴れたに敏感なのよ」
恋をしようにも相手がいなければ意味がない。俺にとって釣り合う相手なんて――
「……いやいやいや、無いな」
なんでそこであの女が出てくるんだよ。あり得ねぇっての。
「おやおや、その調子だと想い人はいるみたいだね」
「ち、違ぇよ! 勘違いするなよ!」
「うふふふ、そうね、そういうことにしておこうかしらね」
畜生、ここにきてシスターのせいで変な意識を始めちまう。
「その子がどんな子であれ、励二さんが惚れた子ですもの、きっといい子に決まっているわ」
「だから、今日あったばかりのやつに惚れる奴がいるか!」
「おやおや、でしたら一目惚れということですね」
「そんな訳あるか!! いいか、そいつは俺より上の実力者で、俺がいずれ倒さなくちゃいけない存在なんだよ!!」
「そうでしょうかねぇ、私はきっと仲良くなれると思いますよ?」
そんなはずはない。耄碌ババアの言う通りなはずがない。俺はそれを証明するために、次の日から澄田詩乃を見つけ出して倒すために、目的を持って力帝都市を歩くことになった。