赤い薔薇。
お目汚しごめんなさい。_(._.)_
--あぁ、なんてこと…
私を愛していると言った『彼』はもういない。
この世から、『彼』の姿も、声も、存在も、全て無くなった。
…私の夫である男によって、『彼』は消されてしまった。
「どうしたんだい、アリシア」
甘さを存分に含んだ声が聞こえた。私は、込み上げる嫌悪感を抑えてそっと背後を振り返る。
「何か、気になるものでも見つけたのかい?」
男はたった今この部屋へと足を踏み入れたらしく、片手で扉を閉め、ゆったりとした足取りでこちらに近付いてきた。
--やめて、近付かないで。
そう思ったが口には出さなかった。
「アリシア…そろそろ、君の可愛い声を聞かせてはくれないかい?」
男の目に返答を期待するような色が見てとれる。それはいつものこと。
男は優しく微笑んだ。
さらさらと揺れる金髪に透き通る碧目は、まるでおとぎ話に出てくる王子様。
しかし、その王子様が私と婚約するためにしてきた数々を皆が知ったら、どう思うのだろう。
そんなまさか、と笑い飛ばす者、好奇と非難を籠めた目で見てくる者、もしくは私を信じて同情する者。
きっと反応は様々。
けれど私に同情をくれる者はいないかもしれない。
だって相手は侯爵家の、それも幼い頃から神の子だなんだと周りが騒ぐほどの優秀さ。剣の腕もそれなりに立ち、おまけに見目麗しいとくれば、周りが放っとくはずがない。
位の高いご令嬢や、美しいと評判のご令嬢たちがこぞって縁談を持ちかけたらしい。
私も詳しくは知らない、というかこんな男のことなんて知りたくもない。
視線をそらした私に会話をする気がないことを察したのか、男は肩をすぼめる。そのまま横をすり抜け、さきほどの私がしていたように、窓枠に手をかけた。
「綺麗だろう? 君をイメージして創らせたんだ」
男は一度私の方へ振り向き、それから視線を窓の向こうの景色に固定する。
私の部屋の窓からはとても広い庭園が見え、男はその庭をわざわざ創り変えた。私をイメージしたという庭園は、どこもかしこも深紅色の薔薇ばかり。
私のイメージは薔薇なのね。最悪な気分だわ。
薔薇自体は嫌いじゃないけれど、鋭い棘があるもの、遠回しの嫌味にしか聞こえない。
「一流の庭師に創らせたからね、君がみとれるのも当たり前だ」
それは、さきほどの私が庭にみとれていたと言いたいのか。だとしたらご都合主義にも程がある。私が見ていたのは咲き誇る薔薇などではなく、その向こうに小さく見える街の様子。
かつて、『彼』とお忍びで街まで出掛けたことを思い出していたのだ。
これ以上この場に居ると、『彼』との大切な思い出が汚される気がした。
「アリシア、どこに行くんだい? 僕の目の届かないところには行かないでおくれ」
「……」
行けないようにしているのは貴方でしょう、と激情に身を任せてしまいたかった。
公爵家の娘である私と、侯爵家の子息である男と結婚することで両家には強い繋がりができ、お互いに利益が発生する。
『…悪いようにはしない、その代わり縁談を断れば侯爵家は黙っていないだろう』
男は微笑みながら公爵家を脅し、もうひとつの条件も付け加えた。
【僕から逃げ出さないこと】
その条件のせいで私は屋敷から出してもらえない。出歩けるのは室内のみ、常にメイドや護衛の見張りつき、何をするにも全部雇い主である男の耳にはいる。これでどう逃げ出せるというのだ。
荒ぶる気持ちを誤魔化して、貴族らしくその場を去った。
--こんな人に本当の自分は見せない。
死ぬまでずっと、貴族という仮面を着けて生きてやる。
私に生きろと言ってくれた『彼』のために。
あぁでも……泣くぐらいなら、いいかしら。
ありがとうございました_(._.)_