表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
修正版 辺境の墓標  作者: メガスターダム
名実
93/223

名実16 {30・31合併}(65~66・67~68 警察庁訪問し、新たな捜査戦略を練る)

「では、ご所望の書類を……。それにしても、先日は似たような件で、とある新聞の記者の方がいらっしゃいましてね。まあしつこくて」

久住は苦笑したが、西田からすれば、その相手が五十嵐であるということはわかりきっていたので、なんとも対応に苦慮し、愛想笑いを浮かべるに留めて資料に目を通した。正確に言えば、資料というより、小野寺道利の当時の契約書類だった。


 桑野のモノ同様、かなり紙が劣化しており、扱いに注意しながら見る。当たり前だが、生年月日、本籍は一致していた。中身を見る限り、採用は、予想通り従兄弟である桑野欣也による紹介だと記述してあった。中退ではあるが、旧制中学入学レベルの学力があったということと、桑野がかなり会社から信用されていたようで、親族とは言え、その推薦がかなり後押しになったらしい。


 そして、旧制中学に入学していたということは、従兄弟の道利もそれなりの学力があったことは証明されただろう。更に中退とあったが、大正7(1918)年7月10日生まれの小野寺の実家が、昭和8(1933)年3月の昭和三陸津波で被害を受け、両親が死んだとなると、当時満14歳であるから、旧制中学中退と津波被害は、年齢的には、かなり一致すると言えた。ほぼ間違いなく、道利の中退の原因も、津波による実家の被害や親の死が関係しているだろうと西田は確信した。


「これ、スキャンしてもらって、データをメールに添付して、ここに送信してもらいたいんですが?」

西田は、自身の警察のメールアドレスが記載された紙を提示した。

「え? またですか? さっきの話の記者も同じことやらせましたよ我々に……」

久住は、如何にも面倒そうな態度を隠さなかったが、女子社員を呼ぶと西田の要望をそのまま指示した。別に指紋鑑定をするわけでもないので、コピーでも良かったが、どうせなら綺麗な電子データで持っておくのが良いだろうと、桑野の時の経験から考えていた。


 三友金属鉱業での滞在は、30分も掛からず済み、西田達は東京メトロ銀座線の新橋駅から銀座で乗り換え、丸ノ内線で霞が関にある警察庁へと向かった。時間にして10分少々。思ったより時間は掛からなかった。


「やっぱ東京は交通の便がいいっすわ! 接続もいい。北海道なら1時間待ちなんて長い内に入らないもんなあ」

吉村は相変わらずの交通アクセスの良さに舌を巻いていたが、西田は、それよりも組対部がどんな捜査状況を提示してくるかに気が行っていた。


※※※※※※※


 組対部の担当部署室へ通された2人の前に、組対4課・暴力犯特別捜査第4係長である須藤と組対4課長の下村が現れた。正直、本庁の課長クラスが応対してくれるとは思っていなかったので、須藤から紹介された瞬間、西田と吉村に少々緊張感が走った。直属上司の前だったせいか、須藤も西田達が知るやや横柄な須藤ではなかったのが、少々滑稽だったが……。


「色々お世話になっています」

2人が頭を下げると、下村は、

「いやいや、こちらも当然の職務ですから。お互い色々と大変ではあるけれども」

と落ち着いた口調で喋った。暴力団対応というより、やはりこのクラスだと官僚的なイメージが強いと西田は思っていた。


「下村課長、それで捜査の進展状況はどうでしょうか?」

「そうですね。西田さん達もそちらが気になるでしょうから、すぐに本題に入りましょう。須藤から説明させます」

そう振られた須藤が口を開いた。

「前回連絡させていただいた通り、佐竹、東館、中谷、大下の4名について調査していましたが……」

須藤がそう話し始めたので、西田達も持参した資料を目で追う。鏡の共犯候補4名それぞれ、


◯佐竹 大輔 

葵一家門下 2次団体 関東貴刀かんとうたかとう組(練馬区) 本部長(1995年当時 若衆)

1960年 1月20日生まれ 岩手県 水沢市出身

「95年 11月近辺のアリバイ不明」


東館とうだて あきら

葵一家門下 2次団体 駿府組(台東区) 既に組抜け(1996年1月頃 1995年当時 若衆) 1959年 6月10日生まれ 岩手県 大槌おおつち町出身

「95年 11月近辺のアリバイ不明 (組抜けの影響もあって周辺調査上手く行かず) 現在所在地不明」


中谷なかたに 尚志ひさし

葵一家門下 3次団体 棟居むねすえ組(水戸市) 本部長(1995年当時 若衆) 1958年 9月21日生まれ 岩手県 遠野市出身

「95年 11月上旬、海外旅行に行くと称してしばらく組に顔を出さなかったという話があるも、入管の記録なし」


◯大下 栄一

葵一家門下 3次団体 旭恵きょっけい興業(豊島区) 組長補佐(1995年当時 若頭補佐)

1955年 5月31日生まれ 岩手県 久慈市出身

「95年10月から11月にかけて、役員をしていた傘下のフロント企業に顔を出さない日が多かったらしい」


という例の情報が記載されている資料だ。


「まず佐竹についてですが、警視庁石神井しゃくじい署の組対課の方で内偵してもらったところ、95年11月9日の夜、組の会合に出席していたことがわかり、11日の銃撃に加わることは、時系列上は一応可能ではあるが、あまりにも準備がなさすぎる点で厳しいと言う認識です」

「その裏付けはそれまでは出来ていなかったことが、今回出来たと?」

吉村は、アリバイが今回急に明白になったことについてストレートに疑問をぶつけた。

「組の会合の日時などは、かなり内部の人間に突っ込まないと出てこないので、それまではわからなかったということらしいです」

須藤は、何の感情も交えないかのように回答した。ただ詰まるところ、所轄が中枢の情報網まで、改めてギリギリまで近づいて裏を取ったということなのだろう。吉村も引き下がざるを得なかった。


「次に東館。組抜け後、資料を送った段階では、行方不明とのことでしたが、運転免許の更新履歴より、現在仙台に在住していることが判明しております。これは動き出して割とすぐわかりました。国分町という繁華街でスナック経営しているそうです。仙台中央署に依頼して調査続行中です」

東館は既に暴力団から足抜けしているので、捜査はかなり慎重にしてやる必要があるだろう。その後の待遇等考慮しても、ホシの可能性はまずないと言って良いはずだ。


「そして中谷……。これについては、アリバイはまだはっきりしておりません。そして気になる情報が他にも。該当期間、北海道に居たのではないかという話が出ているようですね。バレるとマズイんで情報源は慎重に取り扱わないといけないんですが、子分筋に95年辺り、中谷から北海道土産を貰ったと証言してる者がいるようで。ただ、わざわざ海外旅行へ行っていたと偽装していただろうにもかかわらず、北海道土産を渡してバラすようなことをするとは思えない。おそらく、時期の混同か何かだろうと、水戸署の担当部署は推測しているようです。そんな状況ですので、こちらも継続調査依頼したままではあるが、可能性は低いということになります」

「海外旅行の偽装の目的については、わかってるんですか?」

西田は須藤の顔を窺うようにしたが、それを須藤は一睨みした後、

「これもはっきりしないんで申し訳ないですが、どうも組長との折り合いが悪くて、顔を合わせたくなかったのではないかという説があるようで。これが正しいか間違っているかはともかく、当時組長との関係が悪かったとするなら、大事な『任務』の前にそれは致命的とも言えるわけです」

と、西田とは視線を合わせないまま告げた。トップシークレットである暗殺指令に、組長が関与しないとは思えない。その組長と折り合いが悪い構成員が、手先として殺しに動くというのは合理的でないことは確かだ。


「そして最後に大下。こちらはフロント企業もそうですが、組にも顔出してなかったと、目白警察署組対課の捜査で判明しております。不在の理由もまだつかめておりません。当然継続捜査対象のまま。以上です」

須藤はここまで報告し終えると、これからの捜査方針について言及し始めた。


「佐竹については、犯行関与の可能性は、限りなく小さいものとして、あくまで監視、東館については、こちらも可能性としては、相当小さいと見ていますが、まだ具体的に犯行関与してないと断定は出来ないので、こちらも仙台中央署に一応は監視したままということで。中谷はプラスマイナスの両方の材料があるので、より注意して内偵するように水戸署に言ってあります。大下が、今のところ詳細不明ではありますが、消去法的には現状一番怪しいということで、目白署にはいつでも逮捕取り調べできるように指示済みです」

須藤は、あたかも一息で喋ったかのようなスピードで、言い終えた。


「なるほど、よくわかりました。一番可能性があるのは大下。そういうことですね」

西田は資料に目を落としながら頷いたが、下村がおもむろに口を開いた。

「遠路はるばるやって来ていただいて、余り結果が出ておらず申し訳ない。正直に申し上げると、所轄の方が情報収集に難儀してるようで、思ったより集まらない状況が続いておりましてね……。やはり、時間が経ち過ぎて、アリバイ把握が根本的に厳しい……。おそらく、この状況は時間を掛けた所で、解消されるとは思えないんですわ」

「確かに、我々もそれは自分達の捜査でも感じており、察します」

西田は、如何にも申し訳なさそうな下村の発言に、理解を示した。


「ただ、銃撃事件で犯人達が残した毛髪と思われるサンプルがあるわけだから、それとDNA型が一致するかどうか調べられれば、状況は一気に変えることが出来るはず……」

とまで下村が言うと、

「しかし、問題はどうやって毛髪を採取するか。もっと言えば、どのような状況で採取することが出来るか、ここが肝心になってくると言いたいわけですね?」

と言って、西田は下村が次に喋りそうなことを先んじて予想してみせた。


「言いたいことを先に言われちゃったな」

下村は苦笑いを浮かべたが、すぐに真顔になり、

「わかっているとは思いますけど、証拠能力の問題で違法収集証拠とされれば、公判維持出来なくなることも考慮しておく必要があるわけだから、それについては慎重にしておかないとならない」

と語った。

「しかし、証拠の違法収集については、かなり限定されるはずですから、まあ行きつけの店やら周辺からDNA検査の試料になりそうなものを入手出来れば問題ないんじゃないですかね?」

須藤が楽観的な見解を述べると、下村は、

「そうは言っても、確立した判例や法整備がない以上は、明確に安心は出来ん!」

と部下を軽く叱責した。


 確かにDNA鑑定をめぐる刑事訴訟は、現場としても手探り状態であり、鑑定手法と捜査利用だけがドンドン進化している状況ではあった(作者注・これについては2015年においても未だにはっきりと明文化された基準が存在しておりません。強いて言えば平成17年作成の国家公安委員会規則にあるようですが。また、2016年に、DNA採取について、東京高裁で新たな判決が出ていますhttp://www.jiji.com/jc/article?k=2016082300744&g=soc。確定はしていないと思いますが、これを前提にすると、この案件はかなり微妙かもしれません)。それにしても、下村は単なる警官ではなく、警察官僚ではあるが、やけに慎重な人物だなと西田は感じていた。まるで竹下を見ているようだった。


「でもまあ、なるようになりますよ。裁判所は俺らの味方ですから」

吉村が、空気を読んだのか読んでないのか見当がつき辛い発言をして、その場はなんとも言えない雰囲気になったが、実際問題ここで気にしても仕方ないのは確かだった。


「各所轄の方はどういう見解なんですかね?」

西田が場の空気を変えるように確認してみると、

「所轄は割と乗り気ですよ。こっちのOKサインを待ってる状況なんですが」

と、須藤は下村自身が余り乗り気ではないことを示唆した。西田は少し思案した後、

「私から言うべきことではないかとは思いますが、出来れば……」

と下村の考えの変更を依願した。


「私も細かいことは知らないんですが、殉職した刑事はあなたの同僚だったとか」

「ご存知でしたか。そうです。所轄と方面本部という、職場は別でしたが、捜査では当時相棒でした」

「やはり思い入れは違うのは当然ですな……。わかりました。一度ちゃんと確認しておきたかったんでね」

下村はそう言うと、ソファにもたれかかった。わざわざ課長級が出張ってきた理由は、西田達の気持ちを確認することで、自分の「重い腰を上げる契機にするため」だったのだと、西田はこの時初めて気付いた。


※※※※※※※※※※※※※※


 下村が立ち去ると、須藤はヤレヤレという顔をしながら、

「全く、どうでも良いことにこだわるから、準キャリはバカにされるんだよ」

と呟いた。西田も「中央」の事情に詳しいわけではないが、準キャリアとは、国家公務員一種合格組のキャリアと違って、国家公務員二種(作者注・現行採用システムでは、この区分は2011年を最後に廃止)合格組のことだとわかっていた。須藤も年齢とポストから考えると、キャリアではなさそうなだけに、おそらく同じ「立場」として「仕事が出来ない」というレッテルを貼られるのが嫌なのだろう。


「とにかく、所轄には上手くやるように言っときますよ。DNAなら一発で決まるから。所轄の連中もこっちで尻叩いてやらないと動かないのなんの」

上司が居なくなり饒舌になったか、いつものやや尊大な態度が息を吹き返したようだ。西田達は方面本部とは言え、察庁から見れば下部組織なだけに、裏じゃ同じようなことを言われているのだろうと思うと、余り気分は良くなかった。


 用事を終え、警察庁が入っている中央合同庁舎を2人が出る頃には、6月ということで日はまだ高かったものの、既に4時を過ぎていた。


 明日の予定が完全に無くなった以上、場合よっては女満別への最終便に間に合う時間帯でもあったが、こんなギリギリのラインで日帰り前提の計画は、到底無謀だ。まして、ビジネスホテルを予約してあるので、キャンセルするのも面倒であった。仕方ないので、早めにチェックインしてゆっくりしてから、夕食でも摂ることにしようと話し合った。


 今回の出張では、仕事以外一切の予定は当初なかったので、霞が関から近い新橋のビジネスホテルを取っていた。ホテルを早目に出てから、周囲をプラプラしていた2人だったが、割と慣れてきていた新宿とはまた違う雰囲気に、やや酔い気味だった。


 新宿は都会であると同時に雑多な感じがしたが、ビジネス街の新橋付近は、なんとも言えない、居心地の悪い街並みに感じたからだ。居辛い感覚にさいなまれるような、妙な被害者意識を持ちつつ、余り高過ぎない(決して安くはない)メニューが外のショーケースに並んでいたレストランに入ると、西田はハンバーグステーキ、吉村がオムレツと、まるで小学生のような注文をした。かろうじて2人ともビールを頼んでいたことが、「大人」であることをギリギリ証明していた。


※※※※※※※


「高い割に大したことないです」

食べながら、ヒソヒソと吉村が西田に話し掛けた。

「そりゃ場所代みたいな分が掛かってるから仕方ない」

諌めるように喋った西田だったが、ハンバーグステーキ1500円は、北見では違和感のある値段だった。正確に言えば、北見というより北海道全体とするべきか。札幌でもこれほど高くはない。本心は部下と同じだった。


「ところで、銃撃事件の鏡の共犯の件ですけど、例の4名の中に居るのか心配じゃないですか? 正直、大丈夫ですかね? これで失敗すると、この先不透明感が増します」

吉村はビールの泡を口元につけたままで、仕事の話を始めた。


「組対が、鏡が所属していた紫雲会、もしくは紫雲会に近い組織じゃないと、ああいう事件を協力して起こすのはリスクがあるだろうと踏んで、4名をリストアップしたんだから、それなりに信用していいんじゃないか? 出なかったら出なかっただ、としか言いようが無いな」

「達観してますね。7年前にやったリストアップは、アベ発言を勘違いしていたからどうしようもなかったのは確かですけど、今回失敗すると、また岩手県近辺の出身者を、広げてリストアップしないといけませんよ?」

「まあな。ただ、岩手出身のヤクザは、そんなに多いとは思えないから何とかなるんじゃないか」

そう誤魔化したが、西田も何としても4名で決まって欲しいと願っていた。折角アベの謎を解読したと言う確信が、捜査範囲が拡大していくと、弱まってしまうような恐怖感を抱いていたからだ。


 2人はしばらく捜査の話をしていたが、吉村が今度はケチャップを口元に付けているのを見て西田は吹き出した。

「おい、子供じゃないんだから拭け」

そう言いながら、テーブルの紙ナプキンを渡すと、吉村は拭ってテーブルの上に置いた。西田は一部赤く染まったそれを軽く見た上でビールを口にしたが、ふと気になることがあった。


「DNA鑑定ってのは、相当進化してるんだよな?」

「は……? まあそれはそうでしょう……。今やDNA鑑定は有力な捜査手段ですから」

吉村は脈絡の無い問いに一瞬呆気にとられたが、すぐに西田の質問に答えた。

「7年前の検査では、ミトコンドリアレベルで、端布の血痕の鑑定結果までしか出せなかったが、何とかならんもんかな……」

「あの時は、竹下さんがホテルで採取した大島のDNAサンプル使って、布の血痕のDNAと比較しようと思ったら、ミトコンドリア分しか鑑定出来なかったって結果でしたね」

「ああ。そして証文の血判の分は、それすら出来ないレベルだって言われてな……」

そこまで言うと、西田は記憶を引き出すように、やや区切りながら喋り出した。

「実は昨年……、道警本部の科捜研の研究員と……捜査で知り合う機会があったんだ」

「厚別署時代ですか?」

「そう。強姦つっこみの件でだ。科学捜査の専門家だから、気になっていたことをついでに色々聞いてみたんだが、やはり『50年ぐらい経った、しかも紙に不着したような、証文上の血判レベルの血液では、量が少ない上に酸化が激しく、現在でも、ミトコンドリアレベルでの鑑定さえも厳しいのではないか』と言われた。骨髄などに残っている場合には、かなりの年数が経った、普通の人間のDNAのレベルで鑑定可能なケースがあるらしいんだが」

「中に閉じ込められている分にはイケるってことですね。でも小野寺道利が端布の本体、まあ要は服を身にまとっていたと、ほぼ考えられている今となっては、どうでも良くないですか?」

「別に判明したわけじゃない。現状では、端布の形状、血痕から見てそうである確率が高いと見ているだけだ。小野寺が爆死して、バラバラになった身体に不着していた端布だと見るのが妥当だという話」

「ああ、そうでした」

吉村は自分の両頬を両手で軽く叩いた。


「ただ、そうだとすれば、今度は別の問題が出てくる。桑野と大島は別人だと、指紋や親指の欠損からは断言出来る。しかも、当時、両人は事故現場に居て、小野寺の形見を持ったまま消えた桑野はどこかに消えたままで、その形見を戦後には大島が持っていたことになる。しかも大島は、その端布に残っていた血痕の持ち主と、ミトコンドリアのDNAの解析からは、本人と一致しているか或いは女系の親族であると出ている。一致していることは、小野寺が死んでいるからあり得ないとして、女系の親族だとすれば、戸籍上確実に従兄弟だった小野寺と桑野の情報含め、大島も桑野も小野寺も女系での血縁があることになる」

「それはあり得ないことなんですかね? 戸籍上は津波流出の関係で見えてないだけかもしれない。大島も鳴鳳大学に入れる、それなりの学があったわけですし、桑野や小野寺の当時の学歴から考えても、血筋からは、ある意味一致してるとも言えるんじゃ?」


 吉村の発言は、実際頭ごなしに否定出来るようなものでもなかった。ただ、竹下と先日この件で話した時には、竹下は少なくともこれを正面から認めるようなこともなく、わからないと言っていた。西田もこれを考え出すとわけがわからなくなりそうだという、一種の忌避感があった。弱気の虫に負けているのが歯痒かったが……。


 そんな状況に更に追い打ちを掛けるように、

「でも、消えた桑野について、7年前にホテルで考えた、大島の実人物が桑野を直接殺害したか、或いは加担したという説だと、今度は親族同士での殺人ということになっちゃいますから、やっぱりアレはないんですかねえ」

と言い出した。 

「うーん」

西田は唸った後少しの間沈黙した。桑野と小野寺が共に鴻之舞金山に勤務し、湧別機雷事故に被災したことを前提に、何故桑野が現場から逃走したかについては、竹下と共に討議していたが、これまでの色々な説との整合性についての考察には、ほとんど立ち入っていなかったからだ。


 しかし、大島から直接採取した指紋が一致しなかった、ホテル松竹梅の部屋で、西田が提示した「大島海路により桑野は殺害され、そのまま成り済ました」という考えは、端布が死んだ小野寺のモノであると言う前提に立てば、必然的に大島海路の実人物とも親族ということになり、色々とハードルが高くなることは間違いない。、


 この場でこれ以上考えても仕方ないので、

「まあ色々と怪しくなってきたのは確かだろう……。だが、今は良いアイデアも思い浮かばん。それはそうと、わざわざ東京まで来たんだ。明日まるっきり時間が空いたわけだし、科警研(科学捜査研究所)でDNA鑑定についての経年数への技術対応力がどう進化しているか、直接聞いてみるのもいいかと思い始めてる」

と、話を切り替えた。

「ああ、そういう手もありますか……」

吉村は、話題が逸らされたことを、部下なりの思いやりか、それ以上突っ込まずに頷いた。


「推理が正しければ、端布の血痕と桑野の血判については、小野寺が養子でもなく、桑野と直接血縁関係のある従兄弟である以上は、それこそミトコンドリアのDNAが一致しているはずだし、桑野と大島でも、ミトコンドリアDNAは一致するはず。もし鑑定レベルが大きく進化していれば、端布についての推測が当たっているかどうか、科学的にも調べられるようになっているかもしれない」

「それがはっきりするなら万々歳ですが、それ以前の問題として、いきなり行っても相手にされない可能性があるんじゃないですか? そこがクリアー出来れば」

吉村は聞き終わると、最後に提案の問題点を指摘した。


「前述の科捜研の研究員は、元々科警研からの出向してる人間だから、口利きしてもらえばいい」

「大丈夫なんですか、それで? 課長補佐にしては、随分な行き当たりばったりですね……」

「その批判は甘んじて受け入れてやるが、予定が急に変わったんだから仕方ないだろ」

今度は棘のある吉村の言葉にそれだけ言うと、グイッと中ジョッキを傾け、おまけにゲップをした。


「じゃあ早速、可能か聞いてみるわ」

一息付くと、西田は携帯を取り出し、知り合いになったという道警・科捜研の加島という職員に連絡を取り始めた。吉村は会話も終わったので、オムライスに再び集中し始めていた。


「もしもし、加島さんですか? 厚別署で以前お世話になった西田ですが?」

レストランの中ということもあり、遠慮がちな声で喋る。

「あ、ああ西田課長? どうもお久しぶりです」

加島は西田の厚別署時代の役職で呼んだが、一々訂正するのも面倒なので、そのまま会話を続ける。

「今時間あります?」

「はい、そろそろ職場後にしようと思ってたところで、構いませんよ。ただあんまり長く無い程度でお願いします」

軽く愛想笑いしたような言い方だった。

「じゃあ遠慮無く。唐突で申し訳ないんですが、加島さんは東京の科警研からの出向という話だったはずですよね?」

「そうです。科警研から道警科捜研に派遣という形ですが」

加島は訝しげなトーンで答えた。

「それでですね、ちょっと今抱えてる案件で、50年近く前の血液中のミトコンドリアをDNA鑑定出来ないかと考えてまして……。以前加島さんは『無理だ』と言ってましたよね?」

「うーん、そう言いましたっけ? ただ、勿論私は生体試料全般のDNA鑑定を専門としていますが、残念ながら現状としては、最先端分野は把握してるわけじゃないんですよ。だからそれを以って断定的な発言とされると、若干問題があるかな」

「実は、加島さんに科警研の知り合いを紹介してもらおうと思って今電話したんですが、そうなると、やはり科警研には最先端の研究者が居るということでいいんですか?」

「あ、そうなんですか……。それなら、まさにそっちに聞いてもらったほうがいい。勿論居ますよ」

加島は素直に西田の選択を肯定したが、よく考えれば、加島が最先端分野把握云々を言わなかった場合には、端から加島を信用せず、科警研を紹介しろと言っていたようなもので、かなり失礼な電話だったと西田も自覚してはいた。


「そういうことなら、私の先輩が科警研に居ますから、紹介しましょうか? 相手に西田さんに電話するように伝えればいいのかな?」

「いや、実は今東京に居るんですよ、捜査で。ですから直接会って話させてもらえるとありがたいんですが? 勿論打ち合わせは電話でしますが」

「はいはい、東京に居るんだ……。わかりました。じゃあ石田と言う研究員の先輩紹介しますんで。その人に簡単に事情を説明した上で、西田さんの携帯に掛けるように伝えておきますよ。細かいことはお二人で」

「いやあ、ホントすいません。助かります。よろしくお願いします」

「まあ、捜査のお助けになれば。それでいつまで東京に?」

「明日……」

言い終わる前に加島は、

「明日まで!?」

と驚いたように尋ねてきた。


「ええ、一応。マズイですかね?」

「うーん……。相手のスケジュール把握してないんでなんとも言えませんが……。わかりました。今すぐ電話してみますんで。相手と連絡つかなかったら、僕から折り返し電話しますが、付いたら、石田先輩に電話させますんで。それじゃ」

そう言うと電話は切られた。


「どうでした?」

オムライスを食べ終えた吉村が早速聞いてきた。

「明日までしか東京に居れないと言ったら、焦ってたな。いずれにせよ、紹介はしてくれるみたいだ」

「そうですか。そりゃおめでとうございます」

ビールを口にしながらすっかり他人事だ。


 そうこうしている内に、10分程するとバイブにしていた携帯がポケットの中で蠢いた。

「もしもし?」

「えーっと、西田さんですか? 石田と言うものですが」

掛けてきたのは石田だった。連絡が付いたらしい。

「あ、どうも。加島さんから連絡が行ったんですね」

「ええ。加島君から紹介されまして。何でも、経年劣化した血液試料中のDNAの鑑定について聞きたいということですね?」

「はいそうです。50年ぐらい前の布や紙に不着した、血痕の鑑定が出来るかどうかについてお聞きしたいと思いまして」

「なるほど……。で、明日までしか東京に居れないとか?」

「残念ながら……」

「どうしようかなあ」

石田は黙りこんで、かなり逡巡しているようだったが、しばらくすると口を開いた。

「じゃあ取り敢えず、科警研の方に明日来ていただけますか。そうですね……、明日の午前11時ぐらいに。受付にこちらから言っておきますんで。科警研の場所はおわかりですか?」

「えっと東京ですよね?」

「あははは、申し訳ない……。いや千葉県なんですよ」

笑いながらの思わぬ回答に、西田は目を丸くしたが、さっき加島もわかっていたなら言ってくれれば良かったのにと少し不満に思った。西田が黙ったのを察したか、

「いや、千葉と言っても柏市にあるんで、東京からそんな距離はないですから。そうですね、常磐線を柏駅で降りて、そこからはタクシーでも乗ってもらえればまあ迷うこともないでしょう。数年後にはつくばエクスプレス(作者注・2005年8月開業)ってのが出来る予定で、そちらだと駅から多少近いんですけどね」

と説明した。


 なるほど、千葉県と言っても柏なら東京からそう遠くはない。指摘しておく程のことでもないと加島は踏んだのだろう」

西田がそんなことを考えていると、

「いやまてよ……」

と石田は呟いた。


「いや、やっぱりわざわざ柏まで来てもらうのも申し訳ないな……。直接私が今紹介した方が良さそうだ……。西田さん、申し訳ないが、今古い生体試料のDNA鑑定については、日本では、両国大学のバイオサイエンス学部に所属している末広教授が、本当の意味での最先端に居る研究者だと思うんです。勿論ウチも最先端ではありますが、ウチは組織の性質上、正確さを保証できないことには、正面切っては関われないんですよ。その点末広さんは民間なんで、そこら辺についても、かなり攻めることが出来る。法廷での証拠能力が既に認められるレベルの話を要求しているなら、『無理』で終わってしまう可能性が高い話なんですが、そうじゃないなら、そっちで確認する価値はあるんじゃないかな。ともかく、基本的にその話のレベルだと、我々の研究ではまだ確証度合いが低いんで、余り『結果』としては出したくないんです。だから、末広さんに任せようと思ったんだけど、わざわざ柏に来てもらってから紹介するのも、そちらに手間取らせるだけなんでね」

「なるほど。こちらとしてもその方が、時間的に節約出来ますから歓迎ですよ。法廷に出す証拠レベルの話も現状は要求してませんし、そっちも問題無いです」

西田は率直に石田の提案を受け入れた。


「やっぱりそうですよね。わかりました。明日までということで微妙ですが、ちょっと今から確認してみます。おそらくあの人なら研究室にいるでしょう。折り返し電話しますんで」


 再び西田が会話を終えたので、吉村が話掛けてきた。

「決まりました?」

「いやまだ。今度は末広って言う大学教授を紹介してもらう」

「は? いわゆるたらい回しですか……」

吉村はそう言うと、テーブルの上のボタンを押してウェイトレスを呼び、デザートのシャーベットを注文し始めた。

「なんだまだ食うのか?」

西田が軽く咎めると、

「課長補佐もどうです? どうせしばらく掛かって来ないんでしょ?」

と言い出す始末だった。


「仕方ない奴だな相変わらず……。じゃあフルーツパフェでも頼むか……」

苦々しい口ぶりだったが、甘いものは嫌いじゃないだけに、きっかけを与えてくれたことを内心感謝する西田だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ